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竜珠の花嫁  作者: 理子
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 朝食を食べ終わると、急に二人きりでいることに気恥ずかしさを覚え、気持ちがざわついてくる。

 一緒に辞書を持って来れば良かったと後悔しても後の祭りだった。

 ヴァレリーに質素なベッドに座るよう促され、おずおずと腰かける。

 彼はというとシーツに包まったまま、ベッドの上であぐらをかいてぼんやりと外を眺めている。

 無精ひげが生えてても絵になる人だな、と思う。

 婚約者の振りはともかく、猟師小屋に拉致されたのをいち早く竜騎士団の人たちに知らせてくれたことについて、お礼を言わなきゃと頭を下げた。


「ヴァル、キノウ、アリガトウ」


 ヴァレリーはゆっくりと顔を睡蓮の方へ向けると、首を横に振った。


「キョウ、プリーミャ・リツカ。ヴァル、睡蓮」


 睡蓮は単語をつなげて身振りも交えて祭りにヴァレリーを誘おうとした。

 言葉の意味を理解したヴァレリーの顔に生気が戻り、睡蓮の髪を一房掴んで口元に持っていく。

 何をするのかと思ったら、上目遣いに睡蓮を見やりながら髪にキスをした。

 睡蓮は顔が真っ赤になるのを感じながら体が固まってしまった。


 こ、この人、実は結構手が早い…?


「これくらいで赤面してたら身が持たないぞ」


 ヴァレリーが控えめに笑うが、やがて真顔になって呟いた。


「誘ってくれてありがとう。だけど俺はしばらくここから出られない」


 彼が首を横に振った瞬間、空気中でぱちぱちと小さな光が弾け始める。

 それと同時に睡蓮の髪がふわりと静電気を帯びていった。


「…時間切れだ。早く扉の向こうへ」


 ヴァレリーの瞳孔が徐々に細くなって鰐のような目になっていく。目の下には黒い線の模様が浮かび上がり、髪がざわざわと逆立ったかと思うと、ばりばりと音を立てて口が耳まで裂け、鋭い牙が生えてきた。


「早く」


 睡蓮の二の腕を掴むその腕はもはや人の手ではなかった。

 鋭利な刃物のような大きな爪を持つ、黒い鱗で覆われた竜の手だった。


 睡蓮は何が起こっているのか全くわからないまま、扉の向こうに投げ飛ばされるような形で転がり出た。

 バチバチと雷の火花が散る中、扉がバン、と勢いよく閉まる。その途端に辺りに静寂が訪れた。

 さっきまでふわふわと逆立っていた髪がゆっくりと落ちてくる。


「…なに今の」


 慌てて立ち上がり扉を開けようとするが、扉はまるで壁に描かれた絵のように一ミリたりとも動くことはなかった。

 しばらく扉の前で立ちすくんでいると、やがてケイナが傍らにやってきて睡蓮を外へと連れ出した。

 静寂だった空間から急に雑多な音が混じる世界へと戻ってきた。

 扉を開けてくれた兵士たちが睡蓮に驚愕の視線を送ってきたが、何も言わずに教会を後にした。



 *********



 客間に戻るとかすかに甘くて良い香りのするお茶が目の前に差し出される。ケイナが淹れてくれたお茶を、睡蓮はカップをそっと受け取りゆっくりと口に含んだ。

 ケイナは何も言わない。睡蓮も何も言わずにお茶を口に運ぶ。

 本来なら気持ちの安らぐお茶なのだろうが、今の睡蓮には単なる水分補給にしかならなかった。

 何から話していいのか、そもそも目の前で起こったことを話していいのかわからない。

 カップに入っていたお茶がなくなりそうになった頃、ケイナが口を開いた。


「…びっくりしたでしょ?」


 誘導尋問のような言い方に、睡蓮は黙り込んだ。自分からは何も情報を渡したくなかった。


「あの建物は10年前から今のような使い方をされるようになったの。それまではちゃんと教会の役目を果たしていたのよ?」

「今のような使い方? 懲罰房ってこと? 檻だよね?」

「身も蓋もない言い方するわね。今も魔術師が必死に封印の儀式を行っているというのに」

「説明して」


 八つ当たりだということはわかっていたけど、これ以上理解できないことが続くのは御免だった。

 ケイナをじっと見つめていると、やがて根負けしたというような表示で話し始めた。


「ツェベレシカ王国と私の国トゥシャンの間には、昔、もう一つ国があったの。今は何もなくなってしまったけど。私の国では滅ぼしたのは黒い雷竜だったと聞くわ」

「黒い、雷竜」

「この国では、一人の英雄が滅ぼしたことになっているみたいだけどね」

「どうして?」

「え?」

「どうして、私を彼のそばにやったの?」


 睡蓮の瞳に力がこもる。ここで嘘をつかれたら、ケイナとは二度と会うのはやめようと思っていた。


「…王の命令よ。あなたが本当の竜珠の持ち主なら、リブターク候の心のバランスをうまく保っていけるんじゃないかと」

「何それ」

「落ち着いて、レン。これ以上の話は王直々に話してくださるそうだから」


 その時、扉を軽くノックする音が聞こえ、会話は中断せざるを得なかった。

 ケイナが扉を開けると、そこにはクレールが立っていた。


「王との謁見の時間だ。準備してくれ」



 連れて行かれた場所は食堂だった。

 王様と会うと言うから、てっきりだだっ広い広間で数段上から見下ろされるのかと思っていた。

 メレンゲのようなお菓子や焼き菓子が目の前に置かれ、お茶も出される。

 睡蓮は椅子を勧められたが、クレールとケイナはテーブルから少し離れた場所で立っていた。


 食堂の扉が開き、王が前触れもなく大またで歩きながら食堂に入ってくる。

 黒髪に少し白髪が混じっている初老の男性だった。その後ろには年若い男性が後に続いて部屋に入ってきた。

 クレールとケイナは直立不動の姿勢で王を迎える。

 睡蓮も慌てて席を立ち、二人のように姿勢を正すが、すぐにやすむように声をかけられた。


「私はローガンだ。気楽にしてくれて構わない」


 クレールとケイナが一礼をして食堂から出ていこうとした時、王が引き留めて席に着くように促す。二人は驚愕の表情で一瞬顔を見合わせたが、言われるがままにおずおずと離れた席に座った。


「お名前を伺ってもよろしいだろうか?」


 就活の面接を受けに来たときのように緊張する。一国の王たる人物は、雰囲気だけでこうも人を圧倒するものなんだろうか。


「初めまして。私はレンと言います」


「承知した。レン。一緒に来た者の名前は既に知っているな? 私の後に来たこの男はこの国の宰相を務めているジョルジュ・セドラークだ」

「お初にお目にかかります、レン様。ジョルジュ・セドラークと申します。以後、お見知りおきを」


 ほぼ白髪で肩までの長さの髪を切りそろえた男性の瞳は真っ赤だった。肌も透けるように白い。


「申し訳ありません。わたしは色素がない病気なのです。赤い目は不気味に思うかもしれませんが、ご了承くださいませ」


 睡蓮の必要以上に長い視線に気づいたのか、付け加えて説明をされてしまったため、睡蓮は肩を小さくして頭を下げた。


「結論から言わせてもらおう。この場に集まってもらったのは言うまでもない。ヴァレリーの件だ」


 ヴァレリーという名前が出た途端、部屋の空気が引き締まったような気がした。


「ヴァレリーの竜化が収まったら頃合いを見計らって次期国王になるための手続きを行う。レン、君は次期国王の正妃となるべく教育を受けてもらおう。ジョルジュは次期国王の側近として、宰相を引き続き継続、クレールはヴァレリーの剣と盾になるべく竜騎士団の団長に任命する。ケイナは正妃付きの第一筆頭侍女に」


 言葉は聞き取れたけれど、意味を理解するまでにタイムラグが起こったような感じだった。

 は? 正妃? 私が?


「異議を唱える者は?」


 王がゆっくりとその場にいる面々の表情を見渡していく。誰も異議を唱える者はいなかった。睡蓮を除いては。


「…嫌です」


 睡蓮の低い声に、一瞬、室内がしん、と静まる。


「私は関係ないです。なんで私が巻き込まれなきゃいけないんですか?」


 睡蓮がそう言い切ると、王は瞠目したあと大きく笑いだした。


「巻き込まれたと来たか! 竜珠の娘よ」

「その竜珠って、いったい何の話なんですか? 黒真珠のペンダントは母の形見なんです。今すぐ返してください」

「…レン! あなたちょっと言いすぎよ!?」


 不敬罪で牢屋に入れられても文句は言えないくらいのケンカ腰で言ってしまい、すぐに後悔するが王は面白そうな顔で睡蓮を見つめるばかりだった。


「形見…ねぇ。それは失礼なことをしたね、申し訳ない。じゃあすぐに返そう」


 王が懐から黒真珠のペンダントを取り出すと、拍子抜けするくらいに呆気なく形見のペンダントが手元に帰ってきた。


「失礼ですが、王。この者に竜珠を渡してもよろしいのでしょうか?」


 クレールが鋭く言い放つが、王は手でクレールの発言を制して言う。


「ここからはみな、席をはずしてもらおう」


 先ほど集まった三人が食堂から出ていく。クレールだけが睡蓮に厳しい目を向けていた。


「さて。ここには誰もいない。たずねたいことがあるのだが、いいかね? 君のご両親についてだ」


 睡蓮はこくりと頷いた。


「レン。君の母上は亡くなっていると言っていたね。それはいつ頃の話だろうか」

「私が…10歳の頃なので、13年前になります」

「13年前…。ありがとう。それでは父上はご存命だろうか」

「父はいません。うちは母子家庭だったんです。父は私が生まれる前に亡くなったと聞きました」


 ローガンは小さく頷き、何かを思案している様子だった。


「報告によれば君は記憶喪失だという話だったが、それはもう治ったと思ってよいかな」

「…!」


 うっかりしていた。面接官と話をしているような感覚だったので、馬鹿正直に答えてしまっていた。

 睡蓮は俯いて唇をかむ。


「何のために人払いをしたと思ってるんだ。顔をあげなさい。責めているわけじゃないんだ。私にはわかっているんだよ、レン。君がこの世界で生まれた人間じゃないってことは」

「え…?」

「なに、私には少し魔術の心得があってね。だからあの教会へも入ることが出来るのさ」


 そう言って王は片目をつむった。


「安心しなさい。今の話は二人だけの内緒にしておくよ。ところでヴァレリーの婚約者の振りをするという話を受けたそうじゃないか。なぜそんな頼みごとを受けようと思ったんだい?」

「…背に腹は代えられない状況に陥ったからです。早急にお金を得る必要があったから」

「そうか。では、正妃の話とは別に君の言い値を言いたまえ。お金で解決というわけじゃないが、迷惑をかけてしまった分は出来る限りの援助をさせてもらおう」


 王の言い回しに何か引っかかるところがあった。もしかするとアルマンドが仕事をクビになったのは王の差し金だったのかと訝しがるが、そのことを今つついても建設的じゃない。

 睡蓮はダフネたちが今後路頭に迷わないように援助をしてほしいと申し出た。王はそれくらいお安い御用だと笑顔で頷く。


「これで君の懸念事項は消えたな。最後にこの世界のことを知らないだろうから教えておこうか。一部の人間しか知らないことだが、ヴァレリーは普段、母方の姓を名乗ってはいるが私の息子だ。我が王家の血筋にはああいう風にごくたまに竜に変化する人間が現れる」


 1000ピースのパズルのほんの一部がかちりと合わさるような感じだった。言われてみると、目の前にいる王とヴァレリーは、どことなく雰囲気や顔立ちが似ているような気がしてきた。


「この国の政治をつかさどる宰相や騎士団長が若い者たちで集められている理由がわかるかい? ヴァレリーはこれから老化が止まり、長い年月を一人で過ごすことになる。少しでも出来るだけ長い期間、彼を助け、共に政治を行える人間を、と選んだ人材なのだ」


「老化が、止まる?」

「そうだ。完全に竜に変化する人間は総じて長寿になる。周りの人間とは相いれない時間軸の中で生きていくことになる」

「…そんな。一人だけ長生きしていくだなんて…」

「ただ、一人だけ例外がある」

「例外?」

「ヴァレリーから竜珠を受け取った人間は、ヴァレリーと同じ時を過ごすことが出来る」

「…では、私はヴァレリーさんが竜珠を渡す相手が決まるまでの繋ぎってことですか。ずいぶんまどろっこしいことするんですね。お目当ての女性を探せばいいだけの話なのに」

「ヴァレリーには既に竜珠を渡した女性がいるんだ」


 睡蓮は、だったらその女性を…と口に出そうとした。

 けれどなぜか喉の奥に鉛が詰まったような気がして、何も言葉を告げることが出来なくなってしまったのだった。

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