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竜珠の花嫁  作者: 理子
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 お城の中の客間のような一室で、手首の擦り傷の手当てとみぞおちのあたりを医者に診てもらう。みぞおちは打撲だけで特に心配はないということでほっとする。

 医者が退室した後、部屋の中でクレールと二人きりになってしまったけれど、形見を返してもらうため、睡蓮は気を強く持って挑もうと思っていた。


「さて、と。だいぶ疲れているようだけど、あともう少しお付き合い願いますね?」


 睡蓮は居住まいを正してクレールの次の言葉を待つ。


「今日、ヴァルは僕と一緒に一日中警備の仕事に就くはずだったんだけど、急遽、彼だけ夕方で仕事を切り上げて良いことになった。それでヴァルは一旦帰宅したんだけど、再び城に戻ってきたんだ。あなたの行き先を僕らに告げにね」


 そこでクレールは目を伏せ、しばらく口を噤んでいた。その表情は少し険しく、その時の状況を反芻しているかのようだった。


「あなたはどうしてあの猟師小屋に?」


 クレールは気持ちを切り替えようと、質問に回った。

 睡蓮は一人で街の広場にいた時、見知らぬ男に付きまとわれて路地裏へと入って逃げようとしたが、物盗りに襲われてしまい、気づいたらあそこにいたのだと告げた。


「…そう。ではなぜ祭りの夜、街の広場にたった一人でいたの?」


 質問ではなく、紛れもない責める口調だった。

 手品師に催眠術をかけてもらえたら、彼に会いに行こうと思っていたなんて、今更言っても言い訳にしか聞こえないだろうから言わないでおいた。

 それに、考え事がしたくて一人になりたくて、とは気軽に口に出せない雰囲気になり、睡蓮は俯いて唇を何度も開いては閉じを繰り返した。

 考えてみれば、この世界がどのくらい治安が良いのかわからなかった。ケイナは必ず日が落ちる前に急いで家に帰る準備をしていたし、睡蓮自身も家に帰った後は再び外に出かけるということはしなかったからだ。広場で一人でお酒を飲んで立っているなんて、ナンパじゃなくても娼婦が人待ちしているように見えていたのかも。

 自分の考えや行動が、この世界の常識ではとても危なっかしいことにようやく気づき、睡蓮はますます言葉を失ってしまった。

 やがて、小さなため息が聞こえ、しんとした部屋の中は居心地の悪い空間になった。


「ごめんね。正直、僕も余裕なくて、かなりきつい言い方してしまいました。ケンカ中だったのかもしれなかったよね」


 睡蓮に返事を聞くこともなく独り言のように呟くと、クレールは立ち上がった。


「今日はもう遅い。客間を用意してもらってあるから案内するよ」

「ヴァレリーさんはここにいるんですよね? 私の居場所を知らせてくれたお礼を言いたいんですが」


 クレールは、ゆっくりと振り返ると無表情に睡蓮を見下ろした。


「それ今じゃないとダメ? 彼の居る場所を教えることは出来るけど、会えるかどうかはわからないよ。それでもいい?」


 睡蓮はこくりと頷くと、クレールが歩き出した後を慌てて早足でついていった。


 *********


 お城はいくつか大きな建物が重なるように建築されているようだった。今までいた母屋のような建物から廊下を渡り、別の建物の入り口にたどり着く。

 入り口には重装備の兵士が4人立っていて、クレールの姿を確認するとすぐに重々しい扉を開いた。


「ご苦労様。魔術師たちはまだ大丈夫? 倒れてないか?」

「先ほど雷が落ちるのを阻止しようとして、2名の魔術師が意識を失いました」

「…そうか。報告ありがとう」


 兵士の開けてくれた重厚な扉をくぐり抜けると、天井の高いまっすぐの絨毯張りの廊下が続く。部屋の突き当りにやけに大きな扉があるなと思って歩いていたら、目の前まで来ると5階分くらいの高さの扉だということがわかった。その扉の横に、人が一人通れるほどの小さな扉が作られている。


「ヴァルはこの扉の向こうにいるよ」


 行ってみたければどうぞ、と少しばかり投げやりな態度でクレールが促した。

 睡蓮は小さな扉のドアノブに手をかけた。するとチリチリと静電気のような痺れが起こるが、その扉は押しても引いてもどうやっても開かなかった。

 


 *********


 朝。ふかふかのベッドで目が覚めると、傍らにはケイナがいた。

 どうしてケイナがここに、と思ったのもつかの間、部屋の内装がやけに豪華だということに気づく。

 そうだ、ここは城の中だった。ケイナの服装もいつもとは違って質素な紺のワンピースに白いエプロンをつけている。


「一人で夜のお祭りに出向くなんて…バカな子ね」


 言葉とは裏腹に、ケイナの口調は優しかった。


「クレールさんから聞いたの?」


 ケイナは深く頷き、言葉をつづけた。


「深夜にモンターク候に客間の準備をしろと言われて準備したら、来たのはあなただったんだもの。びっくりしたわ」

「ごめんね、心配かけて」

「こんなことになるならちゃんと言っておけばよかった。私が課外授業の時に抜け出したのは、リブターク候にあなたをお祭りのエスコート役をしてもらえないか打診しに行ったのよ」


 ケイナが居なくなった理由はそうだったのか、とぼんやり理解する。睡蓮は少し二日酔いの頭痛がしていたのでベッドサイドに置いてあった水を飲んだ。

 コップ一杯の水を全部飲み干すと、頭が少しすっきりしたような気がした。


「レン。あなたひどい顔よ。昨日、湯あみをしなかったの?」

「そんな気力なかったよ。疲れ果てて」

「じゃ、今からお湯を持ってくるから。髪を洗ってあげるわ。ちょっと待っててね」


 ケイナが部屋を出ていくと、ソファの上に自分の荷物があることに気づいた。

 ベッドから降りて荷物をチェックする。猫脚のキャンディポットはあったけれど、やっぱりというか竜珠は入っていなかった。



「レンの髪って細いのね」


 美容院で頭を洗ってもらうような姿勢で、頭を桶の端に置き、ケイナに洗ってもらう。

 人に洗ってもらうのは気持ちが良くてまた眠ってしまいそうになる。


「その代わりにコシがなくて今の時期はすぐにボサボサになっちゃうよ」

「じゃあ乾かす時に花の油をつけましょう。リリーという花の香りよ。良い香りだから気に入ると思うわ」

「ありがとう、嬉しい」

「じゃあ髪を整えたら、朝食を持って教会へ行ってね」

「え?」


 話がいきなり飛んだので睡蓮は目をぱちりと開いた。


「教会? なんで?」

「なんでって、ヴァレリーさんがそこにいるからよ」


 *********


 

 睡蓮はバスケットの中に二人分の朝食を入れて、再び城の離れの建物の前にやってきた。

 事前に話が通っていたようで、兵士たちは無言のまま扉を開けてくれる。

 気のせいかも知れないけれど、睡蓮が中に入った後、扉を閉める時に憐みの表情で見送ってくれたように思えて心細くなった。


 扉までの長い廊下は誰の気配もしない、静かな空間だった。鳥のさえずりさえ聞こえてこない。

 髪の毛を整えてもらっている間、ケイナはこの建物について教えてくれた。

 教会には常に特別な魔法陣が敷いてあり、有事の際には数名の魔術師が交代でこの教会を封印するのだという。

 そして昨日からヴァレリーがこの封印されている教会に来て、たった一人で過ごしているらしい。

 なんで一人きりで籠らなくてはいけないんだろう?

 どうも自分はいつもケイナのペースに呑まれて、言いなりになっているような気がする、と今更ながらに気づいた。


 ようやくたどり着いた扉の前で、深呼吸をする。


「ヴァレリーさん? 朝食持ってきましたよ?」


 言葉が通じないのは承知していたけれど、扉を小さくノックして声をかけてみる。

 しばらく待っても返事がないのでそっとドアノブに手をかけて回してみた。

 バチッと静電気が起こり、思わず手をひっこめた。

 空気が乾燥しすぎているんだろうか。静電気がすごい。髪の毛も頬にくっついたり、ふわふわと逆立っていくのがわかる。


 昨日とは打って変わってキィと小さな音を立てて扉が開いた。

 恐る恐る中を覗くと、天井近くの窓ガラスが全てステンドグラスになっていて、その隙間から柔らかい朝日が差し込んできていて幻想的だった。

 思わず、ほぅっとため息をつく。

 なんて素敵な場所なんだろう。今カメラがあったら撮って額縁に収めたいくらいなのに。

 クレールさんはここを懲罰房だと言っていたけどひどい言われようだ。

 睡蓮はあたりを見渡してみた。彼はどこにいるんだろう。朝食の入ったバスケットを持ち直した瞬間、急に視界が暗くなる。

 頭の上に何かが覆い被さってきたからだった。


「え…?」


 睡蓮の頭上には、頭を丸飲みできそうな大きな口が迫ってきていた。手のひらぐらいの大きな牙が上あごと下あごに生えている。

 怖い、と思っても体が硬直して動かない。バスケットが床にどさりと落ちる音が聞こえた。

 黒くて深緑に光る鱗を持つ、大きな爬虫類の顔が睡蓮を見下ろしている。

 パチパチと音を立てて、静電気のようなものが空気中で小さく光を放っている。

 銀色の瞳が睡蓮をしばらく見つめていたかと思うとゆっくりと頭を近づけてきた。

 そして睡蓮の上半身の側面に頬ずりするように顔をこすりつけてきた。


 硬直した体のまま目だけを動かすと、その大きな生き物の背中には大きな翼があった。尾の長さまで計算すると25mプールぐらいはゆうにありそうだった。

 もしかして、これが…竜?


 ―――良かった。生きてた。今度は助けられた。


 ヴァレリーの声だった。耳じゃなく、頭の中に直接響いてくる。

 睡蓮の髪がボサボサになるほどの鼻息をつくと、黒い竜は徐々に体が小さくなっていき、表面に生えていた鱗が消えて人の姿へと変わっていく。


 黒くて大きな生き物は、ヴァレリーだった。彼が気を失ったのか眠ってしまったのか、全体重を睡蓮に預けてきたので睡蓮はその場にへたり込んでしまった。

 大柄な男性が全体重をかけてきたら重くて支え切れるものではないが、それよりも睡蓮はヴァレリーが何も身につけていないので目のやり場にすごく困ってしまった。

 何か着るものを…と覆いかぶさってくるヴァレリーから何とか抜け出し、急いで周りを見渡す。

 少し離れたところにこの部屋に似つかわしくない簡素なベッドがあったので、そこからシーツを慌てて引っぺがして床に横たわっているヴァレリーに被せた。


「…ふぅ。焦ったぁ…」


 小さな寝息を立てて床の上で眠っているヴァレリーを横目に、睡蓮は顔を真っ赤にして深呼吸をする。

 ベッドに置いてあったクッションを思い出し、取りに戻って起こさないよう、ヴァレリーの頭をそっと持ち上げて差し入れる。

 その時、首から胸にかけて引き攣れたような傷痕が見えて痛々しかったが、あまり人の体をじろじろと見ないよう、視線を顔の方へそらす。

 よく見ると、ヴァレリーは心底疲れ切ったような顔で眠っていた。一晩中、一睡もしていなかったような顔だ。


 睡蓮は自然とヴァレリーの乱れた髪に手を伸ばし、そっと撫でながら整えていった。額からかきあげるように髪を撫でると、左の眉が不自然に切れていた。

 深い切り傷だったのだろう。傷痕がケロイドのようになって毛が生えなくなってしまったみたいだった。


 撫で続けても一か所だけハネが収まらない場所があった。

 普段は無表情で怖いぐらいの人なのに、髪の毛が一か所だけはねてるなんて、ギャップがあって可愛い。

 睡蓮が無意識のうちにくすくすと笑いながら髪を撫でていたら、ふいに髪を撫でている手首を掴まれた。

 ヴァレリーが無表情のまま、睡蓮を見上げていた。時折まぶしそうに銀色の瞳が目を細める。頭を触られるのが嫌だったんだろうか。

 睡蓮も手を止めて引こうとしたがヴァレリーにぐっと掴まれたままで、身動きが取れなかった。

 ヴァレリーはやがて睡蓮の手を両手で自分の顔へ抱え込むようにして口づけをした。

 睡蓮は内心ヴァレリーのくちびるが当たってると焦り、顔を赤らめるがされるがままになっていた。


『俺のことが怖くないのか? あんな姿を見たのに』

「え?」

『いつもそうやって笑っている方が似合う』

「何? なんて言ってるの?」

『勝手なのはわかってる、けど。振りでいいから、俺のそばにいて』



 睡蓮はヴァレリーの言葉が全然理解できず、困った顔で首を傾げた。

「ヴァレリーさん、言ってることが全然わからないよ? 簡単な単語で」

『ヴァル』

「え?」

『ヴァルって呼んでくれ』


 どうやら名前を愛称で呼んでほしいと頼まれたらしい。睡蓮ははにかみながら小さく、ヴァルと呼んだ。

 その時、ヴァレリーがかすかにだけれども優しく笑みを浮かべた。その顔を見て、睡蓮は自分の名前を伝えたくなった。


「私の名前は本当は…睡蓮というの」


 睡蓮は、自分を指さして、ゆっくりと睡蓮と発音した。


『…睡蓮』


 ヴァレリーが名前を口にすると、睡蓮は久しぶりに自分の名前を呼んでもらえたことに嬉しくなった。と、同時にお腹がぐぅ、と鳴る。

 その直後、ヴァレリーのお腹もぐぅ、と鳴り、二人で軽く笑った。


『そういや、昨日から何も食べてない。その籠には朝食が入ってるんだろう? 一緒に食べよう』


 ヴァレリーはシーツに包まりながら立ち上がり、近くに転がっていた籠を持って戻ってきた。


『野菜のサンドイッチは苦手だ。ハムのサンドイッチがいい』


 ヴァレリーが肉系のサンドイッチばかりを自分の方に集めだし、睡蓮には野菜系を押し付けてきた。


「ヴァレリーさん、ハムばっかりずるい。私だってハムのサンドイッチ好きなんだよ?」

『早い者勝ちだ。というか、ヴァルって呼べと言っただろ?』

「意味わからなくても何となく雰囲気でわかるよ? 私だって食べたい」


 いつの間にか、気づいたら言葉は通じなくても普通に接することが出来るようになっていた。

 さっきの竜の姿は怖くないと言えば嘘になるけれど、それでも初対面の時から感じていた男性に対する恐怖感は消えていた。

 本当は昨日のお礼と婚約者の振りをするのを辞めたいと伝えに来たのに、睡蓮は辞めたいとは言えなくなっていた。


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