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後編

 

 起きろ、と声が聞こえたような気がしたのだが、声だけで起きられるのならば苦労はしない。声を発したのはそれをよく理解している輩だったようで、元から物理的な手段に出ることを決断していたらしい。間髪入れずに冷たいものが浴びせかけられて、俺は半ばパニック状態になりつつ覚醒した。

「よお、バイト君。おはようと言うにはほど遅い時間だが、よく眠れたか?」

 目の前が暗い。しかし、暗いのは部屋ではなく自分の視界だけだと気付いた途端、カーテンを開くようにクリアになった。

「災難だったな、聖なる夜に。こんなバイトをやるからだ。まぁ、あんたの災難はこれからがピークなんだけどな。」

 恰幅の良い男が一人、脂ぎった頬をてらてらと光らせながら、熱に浮かされたように喋っていた。あぁこいつは悪サンタだと瞬時に断じることが出来たのは、今日一日でだいぶ見慣れたおかげかも知れない。

 それより俺はどこだろう。間違えた。ここは誰だろう。あれ? 何かおかしいな。

 ゆっくりと頭を巡らすと、高い天井に豪華なシャンデリアが幾つもぶら下がっていて、周囲はだだっ広い何かの大催事場のような空間で、正面の壁は一面ガラス張り、他三方の壁際にはサンタ(悪)たちがずらりと雁首を揃えていた。

 そうか、ここはサンタ(悪)たちの巣窟なのか、と俺は認識して次の瞬間、一緒に来ているはずの人物のことを思いだした。

「と……」

 上手く声を出せずに唾を飲む。

「トラヤ、さんは……。」

「ここだよ。大丈夫かい?」

 俺は振り返った。トラヤさんは背中を向けて座っていたのだが首だけで振り返り、床に付している俺を弱々しい光で見下ろした。

「トラヤさん……。」

「こいつに関わったのが運の尽きだぜ、あんた。何だっけ……タカトシ君?」

「いえ、タカナシです。」

「そーか、僕はユキシロだ。」

 一体どういう字を書くのだろう、何にせよ悪サンタには似つかわしくない名前だなと俺は思った。ユキシロと名乗ったサンタ(悪)は俺の目の前にしゃがみ込み、厭味ったらしい微笑みを浮かべた。

「本当に災難だなぁ、あんた。なぁ、トラヤがどうして骸骨なのか知っているか?」

 トラヤさんが骸骨な理由? 俺が眉を顰めていると、そこから何も知らないことを察したのだろう、「なんだ、聞いてないのか。」と愉快気な声音で言った。それで、とっておきの秘密を暴露する子どものように目を輝かせて、とんでもない情報を囁いたのだった。

「こいつはな、サンタのくせに妻子を捨てた最低最悪な男なんだよ。」

「……え?」

「自分の家庭の幸せより、他人の家庭の幸せを願った、とんでもなく不合理で、非道な奴なんだ。だから、サンタでありながらサンタでない、良きサンタにも悪きサンタにもなれない、中途半端な存在になっちまったんだよ。」

 だからなぁ、とユキシロは拳銃を見せびらかしながら続けた。

「こいつにはこの悪サンタにする弾丸が効かないんだ。効かないってことは……分かるよな?」

 そんな小さなヒントだけで一体何を察しろと言うのだろう。答えないでいると、ユキシロはまるで生徒から思ったような反応をもらえないで残念がっている大学教授のような表情を浮かべた。

「鈍いなぁあんた。どれだけ撃たれても悪サンタにはならない。万が一のことがあっても、元から良きサンタじゃないから惜しくない。そうしたら――」

 そこまで言われたらどんなに鈍い俺でも流石にピンと来た。

「――捨て駒にされるに決まってるだろう? あんたは、それに、巻き込まれたんだ。」

 ところが俺は気付くと同時、理解すると同時、思ったのだ。おそらく、このユキシロとかいうサンタ(悪)が想定しているものとは正反対のことを感じていたのだ。俺は鈍痛に苛まれている頭に気を遣いつつゆっくり上体を起こすと、トラヤさんと背中合わせになった。

「なぁトラヤぁ。お前さ、いつまで防衛軍でちんたらやってんだよ。何の報酬も無いんだろう? サンタとして認められてすらいないんだろう? だったら、こっちに付けよ。俺たちにはきちんと報酬が出るんだぜ。

 ほら、バイト。てめぇからも言ってやれよ。」

 話を振られても俺に言えることは何も無かった。とりあえず、トラヤさんを仲間――正確に言うと、盾――にするべく、弱点となり得そうな俺ごと誘拐した、という情勢だということは分かったが、俺がどうしてトラヤさんに、自らを悪に染めろと言えるのだろう。

 ユキシロは大した間も置かずに話を続けた。別段俺の言には期待していなかったようだ。

「俺たちは悪なるサンタ達だが、同時に正義でもあるんだ。必要悪なんだよ、分かるか? 夢、と一括りに言ったって、その内容は多岐に亘る。当然、その中には到底叶えられない無茶苦茶な夢だってあるよな。キリンになりたい、スーパーマンになりたい、魔法少女になりたい、とかっていう、物理的に無理な夢。高所恐怖症のくせにとび職になりたい、とか、一足す一も出来ないくせに数学者になりたいだとか、そういう能力的に無理な夢。そういった夢を、子どもの心にダメージを与えることなく、ごくごく自然に意識から外してやる。それが俺たちの役目なんだ。これこそ必要悪、これこそ正義なんだよ!

 こいつだって、俺たちに出会ってさえいたら、妻子を持ちながらサンタになりたいだなんて無謀な夢を抱いて、苦しむことも無かっただろうになぁ。……なぁ、何黙ってんだよトラヤ。」

「……たとえ叶わず潰える夢であっても、夢を持つことが無意味だと私は思わない。夢を持つのは個人の自由であり、捨てるのもその人の自由だ。それを他人が奪うのは単なる横暴であり、傲慢な行為だ。私は、無謀だろうが何だろうが、夢のために行動することに何の疑問も後悔も持っていない。捨て駒にされることも、承知の上でクリスマス防衛軍にいるのだ。……ヨリシロにとやかく言われる筋合いはない。」

「僕はユキシロなんだけど。」

「む、失礼。」

「なぁなぁ、トラヤ? 別にお前がどういう生き方しようが、僕には何の意見も文句も批判も無いけどね。」

 ユキシロは唐突にスライドを動かし、弾丸を薬室に送り込んで後は引き鉄を引くだけという状態にすると、俺の額に突き付けた。

「お前が俺たちの仲間になんのと、こいつがお前の所為で俺たちの仲間入りすんのと、お前の生き方にはどっちの方が則してるんだ?」

 背中の向こうの薄っぺらい背中がびくりと大きく震えるのが分かった。トラヤさんが勢いよく振り返り、何故か体勢を崩して(ちらりと見ると、トラヤさんは後ろ手に縛られていた。俺が縛られてないのは撃てばいいからだろう。)大声を上げた。

「貴様、そんなこと許さないぞっ! 彼を巻き込むなど……!」

「だったら、お前のするべき行動、分かるよな?」

 なんとも疑問形が好きな野郎だ、と俺が呑気に思っている背後で、トラヤさんは死んだように沈黙した。きっと床に額が付くのではと思うほど深々と俯いて、全力で考えているのだろう。考えて考えて考えて、たぶんトラヤさんは己を犠牲にする。たった半日にも満たない短い付き合いだが、なんとなく分かった。妻子を捨てたことを後悔して、それでも夢を捨てきれず、クリスマスを守るために奔走するトラヤさんは、たぶん二度とは誰も見捨てない。と同時に、妻子を捨ててまで守り始めたのだ、それを無駄なことにしないために、クリスマスも捨てられない。

 そこまで分かっているのだったら、俺のするべき行動など、もはや疑問にするまでもないだろう?

 俺は意を決して口を開いた。

「撃つんだったら撃てよ。俺は単なるバイトだし、他の良きサンタに撃ってもらえれば元に戻れる。優先順位なんて、考えるまでもないだろうが。」

「へぇ、大した自己犠牲の精神じゃ――」

「その前にさ、俺の夢を聞いてくれよ。大昔にサンタさんにお願いしたんだけど、ついぞ叶っていない大きな夢があるんだ。」

 俺は俺に、何を言っているのだお前は、と突っ込んだ。何の計画性も意図もなく、とにかく何か言わねばならぬと焦った脳味噌が無茶苦茶な命を下した結果、ただ口をついて出てきたくだらない与太話であった。

 俺に台詞を遮られて鼻白んでいたユキシロが、気丈にも言い返してくる。

「どうせ、悪サンタに食われたんだろ。」

「あぁ、そうかもな。でも、たぶん普通の良きサンタに言っていたとしても、叶えてはもらえなかっただろう。

 俺は昔、一番星になりたかったんだ。」

「一番星?」

「そう、一番星。なんでだったか忘れたけど、俺は一番星になりたくてなりたくて仕方がなかったんだ。確か、絵本であったんだよな。一番星は、一番最初に夜空に上って、世界の夜空を誰より早く明るくする、小さいけれど大きな勇気を持つ星なんだ、って。それが小さい頃にはあまりにも格好良く見えてさ、それ以来一番星になりたいって言って聞かなかったんだ。で、サンタさんにお願いしたんだよ。

 けど……あぁ、そう、思い出した。その時サンタさんは言ったんだ。自分にはそれを叶えることは出来ない、って。だからやっぱりあの時のサンタは、あんたら悪サンタじゃなかったんだ。よく覚えてるし、出来るなら今でも一番星になりたいって思えるから、俺の夢はまだあるんだ。ま、別にもう、叶えてもらおうとは思っていないし、叶うとも思ってないけどな。だけど、俺は、こんな夢を抱いていた自分が嫌いじゃない。

 だから、夢を奪っていくあんたらのことは大嫌いだ。」

「ふぅん……。」

 ユキシロは一片の興味も抱いていない適当な相槌を打って、俺の言葉を理解するのを諦めたように、「辞世の句はそれで終了か?」と締めに入った。

 俺はユキシロを睨んだ。この話をして、何か伝えたいことがあったわけではないし、理解してもらおうとも思っていない。とはいえ、さすがに完璧な無関心には少々苛立ちが現れた。せめて馬鹿にされた方がまだ気分が良かったことであろう。これだから、対立というものは簡単には崩れ得ないのである。

「あぁ、終わりだよ。でも、これは辞世の句じゃない。」

「その通りだ、辞世の句にはならない。」

 唐突にそう言ったのはトラヤさんだった。今までずっと沈黙を保っていた人物に反応して、ユキシロが銃口を向けるが、そんなことをしても無駄だとすぐに自分で気づいたのだろう、俺の方に戻してきた。

「よく持たせてくれたね、タカナシ君。」

「トラヤ、お前何を言って――」

 ユキシロの台詞は再び遮られた。今度は誰の台詞でもない、外から響いた爆音――プロペラの音――に掻き消されたのである。サンタ(悪)の軍勢がざわめき始める中、俺はまったく理解が追い付かなくてじっと銃口を見詰めていた。トラヤさんはすべてを承知の上でいるようで、落ち着いた声で言った。


「19:00(ヒトキュウマルマル)作戦コード『ケーキ入刀』―――開始だ。」


 その次の瞬間に俺は、突然向こうの窓ガラスの一面にひびが入り、豪快な音を立てて砕け散るのを、何の予備知識もなく目の当たりにすることとなり、度肝を根こそぎ引っこ抜かれた気分に陥った。さらに重ねて、この部屋に入るための大扉の方からも、轟音と銃声と怒号とが雪崩れ込んできて、俺はいよいよ混乱の境地に立たされるのであった。

「まさかっ――――まさかお前ら、囮……っ!」

 大混戦のさなかでありながら、トラヤさんは変わらぬ威風堂々とした振る舞いで立ち上がると、俺の前に立った。その手には小さなペンナイフが握られており、断ち切られた縄がはらりとリノリウムの床に落ちた。

「持ち物まで検められなくて助かったよ。」

 そう言ってトラヤさんは懐中時計を取り出し、「あぁ、時間ぴったりだ。」と満足げに呟いた。それから時計の側面にあるネジのような突起を押すと、蓋裏に付いていた赤い光が緑色に変わった。俺の脳内でネオンのように点滅し出す――《ALL GREEN》――万事円満、計画通りとほくそ笑む言葉。

「観念するのだな、ノリシロ。これでこの地区、今年のクリスマスは安泰だ。」

「っ……!」

 ユキシロは唇を噛みしめて、名前のミスを指摘する余裕もないようだった。

「まだ分からないんだな、トラヤ……お前らが何度僕らを阻止しようと、来年には第二、第三の僕らがまた現れる。クリスマスがある限り、無謀な夢を語る奴らがいる限り、僕らは永遠に不滅なんだ!」

「あぁ、そうだろうな。だが安心しろ。その時は何度だって、我々が相手になってくれる。永遠に終わらないイタチごっこだって、付き合ってくれる相手がいれば、それなりに楽しいものだろう?」

 トラヤさんがブーツの中に手を入れると、そこからもう一回り小さな拳銃が現れる。

「Merry Christmas. また来年。」

 撃鉄が落ちた。


   †


 すべてが終わり建物から出てくると、そこは駅の目の前だった。時は九時を過ぎていたが、まだ人通りは絶える素振りすら見せない。振り仰げば、見慣れた大きな高級ホテルが夜空へと吸い込まれるようにそびえたっていた。そういえば、ここの最上階には結婚式場があって、披露宴用のホールには市内を一望できる窓があると大声で謳われていたなぁと今になって思い出す。地上からでは割れた窓ガラスは確認できないが、大丈夫なのだろうか、主に法律上の面で。

「……その、今日は本当にありがとう。」

 トラヤさんが遠慮がちに言ってきた。俺は視線を地上に戻す。

「危険な目に遭わせてしまったことは、心からお詫び申し上げる。しかし、君のおかげで、被害を最小限に食い止めることが出来た。危険手当とボーナスはきちんと給料につけておく。」

 俺が何も言わずにいると、トラヤさんは緑の瞳を仄暗く光らせて、

「……予定より早いが、これで仕事は終了だ。本当に助かったよ、ありがとう。今宵はゆっくりと休んでくれたまえ。では――」

「あの。」

「なんだい?」

「俺の勝手な憶測ですけど……奥さんと子どもさん、きっとトラヤさんのこと、許していると思いますよ。俺だったら、やっぱり、大切な人ほど、夢を叶えてほしいって思いますから。」

 実を言うと俺はこの時、嘘を言ったのだった。本当は、許しているはずだ、などとは欠片も思っておらず、夢を追って蒸発した男のことなどすっぱり忘れるのが普通だろうと思っていた。と同時に、忘れてしまう前に、せめて形だけでも許していてあげてほしい、とも願っていた。

 黙ってしまったトラヤさんを前に、俺はやはり言わなければ良かったと後悔する。

「や、あのー、えっと、その、ちょっと、そんな風に、思っただけで、その…――」

「……ありがとう。」

 骸骨が微笑んだ、ように見えた。

「そうだと良いな、と、私も思っているよ。

 けれど、知っているかい。己を裁く法は己のみ。自分に本当の意味で罪を背負わせ、罰することが出来るのは、神でも仏でもなく、自分自身しかいないのだよ。つまり、自分を許せるのも、自分のみということだ。だから、私はこのまま生きていくのだよ―――たとえ彼女らが、私のことなどとうの昔に、忘れてしまっていたとしても、ね。」

 俺は反射的に顔を俯けていた。

「それにね、私は案外、この状態を気に入っているのだよ。捨て駒だなんだと言われたが、正確に言うとそれは違う。私は、言うなれば、無敵の英雄なのだよ。スター状態のマリオと同じだ。何て言ったって、死ぬことも寝返ることも無いのだからね。だから簡単に囮になれて、向こうもそれを警戒しているから、バイトと言う無関係な第三者の存在が必要だったのだよ。」

 そうでなければ、こんな簡単に接触してなどくれないからな、とトラヤさんは背中越しに言った。それからふと振り返る。

「今年は本当に良いバイトに恵まれた。君はもう、良い一番星だよ、タカナシ君。」

 Merry Christmas!

 トラヤさんは滑らかにそう言って片手を上げると、雑踏の向こうに消えていった。


   †


 俺は独り街中を彷徨っていた。常に隙間風に侵略され続けているオンボロアパートの一室には、どうしても戻る気になれなかった。どうせ吹きっさらしにされるのであれば、屋根と壁がないだけ外の方が開放的で良い。そして何より、誰かの近くにいたかった。見ず知らずの人であろうと、幸せそうな人間が視認できる範囲内にいる、というのは、なかなかに癒されるものである。独りの夜に寂しくて死にそうな時、決まってラジオを点けるのと同じことだ。今この瞬間、俺と同じように、生きて喋っている人がいる、と、それさえ分かれば俺は夜を越えられる。

 どこをどう行ったのかは分からない。気付くと、俺に痛々しいものを見るような視線を向けていた人々の大半は街路から消え、イルミネーションも電源を切られて沈黙し、閑散とした商店街の真ん中に俺は立っているのであった。

 いい加減帰ろうか、と思ったその時。

「Hey, old sport! Where you headed?」

 流暢な英語で話しかけられて、俺は慄きつつ振り返ったのだが、そこにいたのが我が知り合いであると分かると嘆息した。そいつは、サンタの格好になぜか裸足で下駄を履いて立っていた。

「なんだ、コタニか。」

 俺はあからさまに嫌そうな顔をしていたと思うのだが、コタニはまったく歯牙にもかけず、夜の街には不釣り合いなほど陽気な大声で何かしら言った。何かしら、と形容したのは、それがすべて英語であったためだ。必修にもかかわらず英語を落としまくっている俺の語学力を舐めるでない。俺はホールドアップして言った。

「コタニ、日本語で頼む。」

「えー、ったく、仕方ねぇなぁ。聖なる夜に野郎一人ってのが寂しいのは分かるが、そんなシケたツラしてちゃあ、せっかくの陽気な衣装が台無しだぜ! って言ったんだよ。」

「本当にそう言ったのか?」

「もう一回言ってやろうか? 今度はゆっくり。」

「結構。ゆっくりだろうが何だろうが、分からんもんは分からん。そんなことよりお前、今日の朝俺の部屋に来たの、お前だろう?」

 そう問えば、コタニはあっさりと頷いた。

「Yeah. 俺だよ。良いクリスマスプレゼントだったろう?」

「俺の家はごみ箱じゃないぞ。」

「そんなつもりないさ。それにお前、その恰好を見るに、あれを見てバイトに行ってきたんだろう?」

「あぁ……まぁ……。」

「見たか。俺のおかげだな。ってわけで、ラーメンか何か奢ってくれ。」

 平然とたかってくるこいつの豪胆さというものを、俺は時折見習いたくなるが、こいつの如く屈託なく言える自信がないのでいつも断念している。通常通りなら一も二もなく断固として拒否するところであるが、俺もまた腹を空かしていたのは確かだったので、財布から五百円玉を一枚だけ取り出した。

「ほらよ。カップヌードル二つ、これで買えるだろ。」

「Oh, yeah!! Thank you, old sport!!」

 飛び跳ねた下駄がそのまま高い音を引き連れて、軽快に駆けていった。少し離れたところに煌々と道を照らしているコンビニがあり、そこへと突入していく。

 俺はすぐ傍にあった巨大なクリスマスツリーの根元に腰掛けた。そうしてから、そこではたと、どうやら俺の頭は殴られた所為で少々イカれてしまったらしい、と思い至った。確かに五百円あれば、カップヌードルの一つや二つは買えるだろう。しかし、お湯はどうやって調達するのだろうか。学生協のショップのように、便利な給湯器など設置されていようはずもないのに。

 これは帰宅してからの飯になるな、と俺は、二十二時の終わり頃を指す時計を見ながら落胆の息を吐いた。時には誰かと――たとえそれが野郎で、しかもインスタントラーメンで、加えてクリスマス・イヴであったとしても――夕飯を共にする日があっても良いと思うのだが。

 カラン、コロン、と季節外れの涼しげな音が、コタニの帰還を報告する。そして、手渡されたのは、蓋の隙間から白い湯気を上げるインスタントラーメンのカップだった。

「待たせたな! ほい、これお前の。あと一分半ぐらいで食べ頃だぞ!」

「え、これ……お前、お湯、どこで……?」

「あぁ、コンビニのお兄さんに頼んで、入れてもらった。お湯くらい安いもんだろ。はい、フォーク。やっぱカップヌードルはフォークじゃなきゃな! 俺わざわざお兄さんに頼んだんだぜ、フォークにしてくれ、って。」

 コタニのコミュニケーション能力はきっとカンストしているのだろう。俺は半ば呆然としながら、「ありがとう……」と、フォークを受け取った。

 それからというもの、酔っ払った人々が雑音を喚き散らしながら流れていく時以外は、麺を啜るズルズルという音と、コタニがべらべらと喋り続ける声だけが、夜の闇を和らげるのであった。

「タカナシ、お前今日は何やってたん? あ、バイトか。日雇いサンタの? そういや、なんか今日、駅前の方で騒ぎがあったらしいな。俺よく知らねぇけど。俺も今日はバイト三昧だったんだぜ。あ、今日ってか、最近ずっとなんだけどな。今日はサンタの格好で、小さい子たちにずっと風船配ってたんだ。いやぁ、小さい子って可愛いよなぁ。こーんな、こーんな小っちゃかったんだぜ。俺なんかもう、サンタさんにも飴あげるー、なんて言われちゃってさぁ、その子の幸せを願わずにはいられなかったね。ああもう本当に可愛いぞ子どもたちってのは。あ、ロリコンとかじゃなくてさ、一般論的に。若いってのは本当に羨ましいぜ。俺にも昔はあんな頃があったんだなぁって思うと、なんだかちょっと泣けてくるよなぁ。まったく、いつの間にこんなおっさんになっちまったんだか。あー、もう、ガチで泣けてくるよ…――――」

 ふいに押し黙ったと思ったら、コタニは残ったスープを一気に飲み干していた。

「ふー、食った食った。ごちそうさん、タカナシ!」

「おう。」

「あ、そういや俺、明日っからグリーンランドに行ってくっから。」

「はぁ?」

 俺は素っ頓狂な声を上げた。アメリカ贔屓のコタニが、どうして唐突に欧羅巴、それもグリーンランドに行くのであろうか、はなはだ疑問である。

 俺があまりにも不可解そうな顔をしていたからであろう、コタニは俺の方をちらりと見て、恥ずかしげに頭を掻いた。

「笑うなよ?」

「うん。」

「俺さ、サンタになりてぇんだ。」

「……。」

「小さい頃から夢だったんだよ、サンタになんの。グリーンランドが本場だって聞いたから、これを機に行ってみようと思って。」

「これを機に?」

「父さんの二十年忌。」

 まるで今日は寒いですねと言ったかのような淡々とした調子だったので、むしろ俺は緊張してしまった。困ったことに、コタニはまったく動じておらず、俺ばかりが狼狽えてしまっているのがどうにもみっともなく思えて、俺は俯いて耳だけを傾けた。

「ま、死んでんのかどうかも定かじゃないんだけどなぁ。それこそ、どこだか外国に行って、それっきり消息不明になったとかって。だから、本当は母さん、俺がひょいひょい外に行くの、好きじゃないと思うんだよなぁ。でも、何も言わずに、好きなことをやればいい、って送り出してくれるから……―――」

 コタニはしばらくの間、言葉までをも忘れて物思いに耽っているように、中空を眺めていた。俺はすっかり冷めきってしまったカップヌードルのスープを啜った。いやにしょっぱく喉に貼り付いてきて、俺はむせそうになるのを必死にこらえた。

 不意に、白昼夢から脱け出したかの如く、コタニが勢いをつけて立ち上がった。

「タカナシ、お前、何か夢ある?」

「夢?」

「おう、夢!」

 コタニはにっかりと笑った。

「俺がサンタになったら、お前んのを二番目に叶えてやるよ。」

「二番目かよ。」

「当然だろ。一番はもう決まってるからな。」

 ああそう、と俺は何も分かっていない体を装って、不服そうに頷いた。それから、俺はちょっとだけ考えて、かつての俺が願ったことを繰り返した。

「じゃあ、一番星になりたい。」

 そう言うと、コタニはきょとんとした顔になった。

「一番星? そんなのもうとっくになってんじゃん。」

「え?」

「この世に存在している自分、ってのは、一番星なんだぜ。誰よりも早く、誰よりも強く輝く、たった一つしかない星なんだって、聞いたことがある。自分に自信があればあるほど、強く輝くから、見失いがちになって、反対に、自信が無ければ光も弱まるから、自分を見つけやすくなるんだ、って。」

 あっれ、これ誰から聞いたんだっけかな…――と首を傾げるコタニの前で、俺は今までに感じ得たことのない感情に戸惑っていた。帽子があったら脱いでいただろう。鱗があるなら目から落ちていたかもしれない。それほどまでに俺は驚愕して、畏怖の念を抱き、胸の奥に熱を覚え、寒さとは違う微弱な震えを感じていた。

 要するに―――俺は感動していたのだ。

 俺の気など知らず、コタニは下駄で謎のステップを踏みながら、「他になんかねぇのー?」と言った。

 俺はまた少しだけ考えて、就職したい、と言った。

「はははっ! なんか一気に現実的かつ切実な願いになったなぁ!」

 からからと笑ったコタニが、OK, old sport! Please wait for…about 3 or 4 years. I`ll be sure to fulfil your dream. See you!! と一息に言って、(案の定俺には何と言っているのかまったく分からなかった)背を向けると、片手を上げて駆け出した。

 俺は自分でも気付かぬ内に立ち上がっていた。そして、叫ぶ。

「メリークリスマス!」

 コタニが驚いたように立ち止まって、振り返った。

「Merry Christmas!!」

 一言だけ残し、コタニはもはや脇目も振らずに闇の向こうへ消えていった。

 あいつはきっと満面の笑みを浮かべていた、と俺は確信する。そしてたぶん、あの人もそうだったのだろう。俺はあいつが残していったカップヌードルのゴミを、悪態をつきつつ拾い上げて、帰路に就いたのであった。


   †


 翌朝。俺は正午十二時を回った頃に目を覚ました。うむ、平常運転、平常運転。非常に快適な朝である。

 大欠伸をしつつ、ふと枕元を見ると、そこには置いた覚えのない茶封筒があった。

 裏返すと、くせが強く読みにくい字体で『高無君へ 先日のバイト代です Merry Christmas 虎谷』と書かれていた。

 中には諭吉さんが二人ほどいらっしゃった。

 俺は、二つの読み方がある名前を見詰めながら、「流石トラヤさん……。」と呟くのであった。

 ここまで来て名前を間違うとは。俺の名字、『高無』じゃなくて『高梨』なんだよな。どうしてより一般的な方で書かなかったのだろうか。まったくもって、不思議な御仁である。

 来年の今頃、トラヤさんは普通のサンタになって、サンタ(悪)の弾丸に脅えるクリスマスを送ることになるだろう。そのことを唯一予測している俺は、なんだかいつになく愉快な気分になってきて、もう一度布団に潜り込んだ。多少怠惰な一日を送っても問題はあるまい。何て言ったって今日はクリスマス。自分にとって最も幸せな一日を過ごすべき日だ。

「めりーくりすます、めりーくりすます。おやすみなさーい。」


 俺の夢は叶ったぞ。クリスマスありがとう。


 

   

      ☆おしまい☆





☆ネタ提供:診断メーカー様

「○○のクリスマスの予定」

06:00 枕元に求人情報誌を発見

12:00 サンタ服を着た骸骨と友達になる

15:00 サンタ軍と市街地で銃撃戦

19:00 サンタとケーキ入刀

23:00 一番星になる


 これに加え、サークル仲間の方のお言葉を頂いて、このたび小説化と相成りました。



☆あとがき

 思っていたよりずっと長くなってしまって驚いています。ちなみに、トラヤさんのイントネーションは『旨味』と同じです(たぶん)。

 お察しの通り、トラヤ=虎谷=コタニでありまして、コタニくんはトラヤさんの息子さんです。お母さんは、夢のことを理解した上でトラヤさんと一緒になったので、別段恨んだりとかはしていません。コタニ君に対しても「あぁ……血は争えないなぁ……」などと思って放任しています。

 ちなみに、公認サンタさんになるには、妻子持ちであることが条件の一つになっているそうなので、トラヤさんは家族ごとグリーンランドに移住すれば問題なかったかと思います。詳しくは「サンタクロース なり方」と検索してください。

 ありがとうございました。

      井ノ下功


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