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前編

 

「Merry Christmas!!」

 無駄に流麗な発音がイエス・キリストの誕生を言祝いだと同時、顔面上にばさりと何かが降り落ちてきて、俺は一気に覚醒した。

 早朝の白い光が薄く室内に射し込んできている。うららかな冬の朝らしく、雀たちがチュンチュンといじらしく囀る中に、海外の恰幅の良いおっさんを真似たのであろう野太い「ホーッホッホッホッホッホッ」という笑い声が交ざって、羽音と一緒に遠ざかっていった。

 顔の上に居座っていた軽い何か―おそらく雑誌―が、ずるりと横に落ちて沈黙する。呆然とし動けずにいる俺のむくんだ頬を、斬れそうなほど冷たい風がたしなめるように撫でていった。それで俺ははたと我に返り、重たい体を「よっこらせ」と持ち上げると、窓を閉めに行くのであった。

 俺が住むこのオンボロアパートの窓に鍵がかからないのは有名な話である。しかし、嫌がらせのためだけにこんな早朝に、わざわざここまで来て、二階までよじ登ってくるような奴、俺の知り合いには五、六人しかいない。いや五、六人もいるのか?! まったくもってどいつもこいつも、暇人ばかりである。初っ端の英語から鑑みるに、やって来たのは、片道分の金が貯まるなり外国へ行っては落単が決まる頃に帰ってくる、欧米かぶれのあの馬鹿であろう。「これからの世は英語さえできればどうにでもなる!」と豪語し聞かない奴である。あいつならば納得の所業だ。

 時計を見ると、二本の針はまっすぐ縦に並んでいたが、俺の視線に耐え兼ねたように、長い方が一歩進んで角度を生み出した。六時と一分。こんな早起きをするのはいつ以来であろうか。(もちろん完徹した場合を除く、だ。あれはそもそも寝ていないので起きたとは言い難い。)二度寝をしようにもお布団様の懐はすでに冷え切った後。悲しいかな、お布団様は熱しにくく冷めやすい気質をお持ちなのだ。

 俺は溜め息をついて、似非サンタの置き土産を見下ろした。

 落ちた時に開いたのだろう。見開きの一ページに所狭しと、求人情報が敷き詰められている。ぱっと見ただけだがクリスマス関連の求人ばかりだった。

「すっげー、嬉しくないプレゼントだな……っていうか、今日って二十四日だし。イブだし。前夜だし。」

 大方、自分の旅費が貯まっていらなくなったから、と捨てるついでに来たのだろう。どうせなら明日持って来い、と思わなくもないが、よくよく考えてみればいつ貰おうと不要なものは不要なものであることに変わりない。二度目の溜め息が零れ落ちる。幸せも一緒に落ちていったような感覚を覚えたが、俺は必死にその幻想を頭から追い払った。悪いことを想像して勝手に不幸になるのは度し難い愚行だ。

 とにもかくにも、こんなもの早々に捨ててしまおう。精神的にも衛生的にもそれがよろしい。俺はそのよれよれの求人誌を拾い上げて、「……何だこれ。」ふと、ひとつの広告に目を止めた。


 ☆銃器ヲ扱エル方、

  クリスマスヲ人知レズ守リタイ方、ゴ助力願ウ!

   ※日給一万円~ボーナス有

    本日正午十二時ヨリ説明会

         二時開始―二十三時終了(予定)

    場所 ○○区△△五丁目三号の一 ◇◇ビル地下

    特別ナ資格ハ要リマセン

      シューティングゲームガ出来レバ大丈夫デス

    マズハコチラマデ→090―××××―☆☆☆☆


 どうぞ心ゆくまで怪しんでください、と大声で言っているような求人広告だった。超強力な消臭剤を大量投与した上に、バニラエッセンスをこれでもかと言うほど振りかけても、まだ消せぬほどの根強い胡散臭さが漂っている。白いワイシャツに付いた醤油の染みほどに処理しがたい。

 無論、俺は心ゆくまで怪しんだ。怪しみ、訝しみ、疑った。

 そして、長考の末、この番号をプッシュしたのである。何故か、って? 理由は明白。この胡散臭さにどうしても惹かれてしまう、俺もまた同じ穴の狢というやつだったからだ。


『―――お電話ありがとうございます。こちらは、クリスマス防衛軍第一遊撃隊付き電信所です。それでは、お名前をどうぞ。』


   †


 さて、昼の十二時ちょうどに指定された場所へ行くと、スカルフェイスのサンタがいた。

 ビルは、都心のほど近くにある何の変哲もない商業ビルで、地下は古ぼ――失礼、貫禄のあるバーであった。準備中との札が掛かっていたが、無視していいと言われていた俺は構わず中に入り、そこで冒頭に述べた風体の人間を見つけたのである。

 さぁ、誤解なきよう、再度言っておこうか。

 スカルフェイスのサンタがいた。

 正確に述べるのであれば、テーブルの向こうに座っている人はサンタの衣装を着ていたのだが、その赤い帽子の下に骸骨のマスクを被っていたのである。やけにクオリティの高いリアルな骸骨であった。何を仕込んであるのか、目が淡く緑色に発光している。恐る恐る彼(でいいのだろうか。)を窺っていると、

「やぁ。」

「うおあああああっ!」

 しゃがれた声が唐突に骸骨から発せられて、不覚にも俺は思い切り飛び退き、その拍子に足をもつれさせて尻餅をついた。

「はっはっはっはっ、何をそんなに驚いている。まぁ、驚くのも無理はないが。」

 しれっと矛盾したようなことを言いながら、骸骨サンタは立ち上がって、俺に向けて手を差し伸べた。

「バイト希望の者だね? 確か……カタナシ君。」

 俺はようよう掠れた声を出した。

「……いえ、タカナシです。」

「あぁ、タカナシ君か。これは失礼。」

 俺は骸骨さんの手を借りて立ち上がった。黒い手袋をしていたのでよくは分からなかったが、随分と細く、力を入れるのに恐れを抱くような手だった。

「私のことは、そうだな、トラヤとでも呼んでくれ。」

 一旦離して仕切り直すのを億劫がったのか、骸骨さん改めトラヤさんは、俺を手伝う流れの中で握手を済ませ、ひらりと踵を返した。音もなく席に座り直し、ひょいと向かいを顎で示す。

「さぁ、それじゃあ、座りたまえ、ヤムナシ君。」

「タカナシです。」

「おっと、失礼、タカナシ君。」

 どうも人の名前というものは覚えにくい―――と、トラヤさんは肩を震わせた。おそらく笑ったのだろうと思うが、骸骨は緑色に目を光らせるだけで、おどろおどろしい表情のままなのであった。

「さて、早速だが、業務内容を説明しよう。我々クリスマス防衛軍の仕事とは、その名の通り、子どもたちの夢と希望にあふれるクリスマスを、悪しき者どもの手から護ることだ。」

「はぁ。」

「ふふふ、気のない返事だ。ああいや、それが当然の反応だよ。責めているわけではないから、気にしないでくれたまえ。」

「はぁ……。」

「大抵の人々は、クリスマスを単なる楽しい楽しい一イベントとしか捉えず、その裏面を見ようともしない。いや、これは何も、クリスマスに限った話ではないな。人間とは総じて、目に見えるものしか信じず、都合の悪いものは見ようともしない。まぁ、そのこと自体は良くも悪くもないのだがね。何もかもを見よう、理解しようとすれば、畢竟パンクするほか道はない。情報の取捨選択とは、生きていく上で重要な能力の一つなのだ―――っと、失礼。話が逸れたね。

 ま、要するに、クリスマスにはまだ、君が知らない側面があるということだよ。その内の一つでね、悪サンタの存在は。」

「あくさんた…?」

「そう、悪サンタ。書類上では、サンタ(悪)と表記されるけれど、呼称としては悪サンタと呼ぶのが正しいね。」

 心底どうでもいいと思った直後に、トラヤさんに「どうでもよさそうな顔だ。」と笑い混じりに言われて、俺は顔を俯け座り直した。

「彼らは、一見しただけでは普通のサンタとの違いは分からない。が、よく見ればすぐに分かるのだよ。酷く醜い連中だからね、奴らは。」

「ええと……悪サンタって、ブラックサンタ、とかってのとは、違うんですか?」

「良い質問だ、ヤマナシ君。」

「いえ、タカナシです。」

「失礼、タカナシ君。

 ブラックサンタ、というのは公式だろう? 悪い子にお仕置きを与える、正規のサンタだ。世界サンタ協会にも認定されている。ブラックサンタになるには数々の試練があってねぇ、なかなかなれないものだから、いつだってサンタ業界の羨望を集めているのだよ。」

「へぇ……。」

「ブラックサンタは、子どもの評価に対して正当な報酬を与える、言うなれば警察のような役目を負っているのだ。それに対して、悪サンタという連中は、だ。普通のサンタの振りをして子どもたちに近付き、子どもたちの夢や希望を集められるだけ集めて、叶えようとは一切せず、自分たちの食い物にしているのだよ。言うなれば、市民から集めた税金を着服して、私腹を肥やす、腐った政治家群のようなものだ。

 彼らに食われた夢や希望は、一生叶わないままになってしまう。悪サンタたちの手によって将来を潰される子どもらの、何と多いことか。ここ数年の被害総計は、十年前の倍になってしまった……。」

 俺は二の句を告げなかった。あまりに突拍子もないお伽話じみた話に、信じられないとは勿論思ったが、トラヤさんの口調は淀みなく悲嘆に暮れたもので、俺を騙して一杯食わせてやろうという陰謀じみた気配は露と感じられなかったものだから、一体どうしたものかと軽く途方に暮れてしまったのだ。

 トラヤさんは、重たい空気を吹き飛ばすように勢いよく顔を上げた。

「そこで、我々の出番というわけなのだよ、タカスギ君。」

「あの……タカナシです。」

「……度々失礼、タカナシ君。すまないね、本当に。」

「あ、いえ、お気になさらず。」

「すまない。――それで、だ。もう察せられたとは思うが、我々クリスマス防衛軍の任務は、悪サンタたちの討伐だ。」

「討伐? 討伐って、え、あの―――」

「使うのは単なるエアガンだ。これを見たまえ。」

 トラヤさんの上半身が一瞬テーブルの下に消え、戻って来た時にはその両手に黒塗りのケースが四つほど抱えられていた。どかどかどか、と騒音を伴って無造作に卓上に並べられたケースは、大きいのと小さいのとでそれぞれ二つずつあった。

「開けて見たまえ。」

「では―――」

 俺は一番近くにあった小さいケースを開いた。

「ベレッタ92F……。」

「ほう、詳しいね。素晴らしい。」

 確かにそれは紛うことなくエアガンであった。これならば殺傷することはない。

 トラヤさんの細い指先が大きい方のケースをコツコツと叩いた。

「こっちにはレミントンM700が入っている。弾はこれだ。」

「普通のBB弾ですね。」

「あぁ、普通のものだよ―――悪サンタを殺せる成分が含まれていること以外はね。」

 と、トラヤさんはBB弾を数個取り出して、俺に差し出した。

「よく見てみたまえ。紋章が刻まれているだろう。」

「――あぁ、本当、だ………?」

 なんだこの紋章。リースっぽいギザギザの輪っかの内部に簡略化された骸骨が描かれている。周囲には可愛らしい星が散らばっていて、妙にファンシーなところが逆に不吉さを煽ってくる。トラヤさんは「良い意匠だろう。実を言うとこの私も、デザイン制作に携わったのだ。」と得意げに胸を反らしている。おそらくマスクが無ければ究極のドヤ顔が拝めたことであろう。

「その紋章に、悪サンタを祓う力が込められているのだ。」

「はぁ。」

「特注品だからね。無駄撃ちは出来るだけ控えるように頼むよ。」

「ええと、つまり……これは、このエアガンで、悪サンタを片っ端から撃っていくお仕事、ということですか?」

「その通り。理解が早くて助かる。さぁ、続きは街に出て、実際に悪サンタどもを見ながら話そうじゃないか、カオナシ君。」

 何やら現実感のない仕事ではあるが、犯罪の香りはしない。サンタ(悪)がどうのこうのという話は正直信じられないし、半分以上この人の作り話だろうと確信しているが、危ない橋を渡らされることは無さそうである。俺は少しだけ緊張を解くと、笑って言った。

「タカナシ、です。」

 某有名アニメ映画じゃねぇんだからよ。


   †


 駅前の商店街に行くと、そこはクリスマスムード一色であった。きらびやかな装飾の下で、サンタの格好をした人々がありとあらゆる手立てを使って客寄せをしている。

 トラヤさん曰く、サンタの衣装を着、子どもたちや、クリスマスを楽しむ人々のために働こうという人間であれば、十二月二十四日・二十五日の二日間だけは、無免許でサンタクロースになれるらしい。すなわち、クリスマスの日には、良かろうが悪かろうがサンタが大量発生する、という事態になるのだとか。ちなみに、俺も今はサンタになっている。帽子と上着を着けただけだが。クリスマスのために働くのだ、誇りを持ってサンタであると言っていいぞ、とトラヤさんには言われた。何なら、正規サンタになるための試験の案内もしてあげようか、とも。……就職に困ったら行ってみようと、俺は思わなかった。そんなこと思うわけがなかろう。給料はほぼゼロに近いらしいし。今日日どんなブラック企業でも雀の涙程度の給料は出るぞ。

 まぁ、そんな話はさておいてだ。

 正直、悪サンタ? そんなもの分かるはずがなかろう、というか存在するかどうかすら危ういぞ、と心底思っていた俺は、街に出てみてその認識を根底から覆されるのであった。確かに、よくよく見れば違いは明白であった。サンタ(良)は何ら問題なく、子どもたちを相手に穏やかな笑みを浮かべて対応しているが、反面、サンタ(悪)の姿は見事なまでに醜悪であった。どうしてこの二十数年間、まったく気付かずに過ごしてこられたのだろう。サンタ(悪)の微笑みには、裏にどす黒い欲望が渦巻いているのがしかと見える。たっぷり膨らんだダルダルの頬は脂ぎっていて、てかてかと薄汚い光沢を放っているが、ぱっと見どちらも同じに映るのだから余計に性質が悪い。目敏い親御さんの何人かは本性に気付き、慌ててお子さんの手を引く方もいたが、大抵は気付かぬままサンタ(悪)の餌食になってしまっている。

 こうして純真な子どもたちの夢が幾つも幾つも潰されているのか。

 俺の夢も潰されたのかもしれないのか。

 あぁ、何という悪行、何という非道!

 俺は自分の中の隅っこの方にかろうじて留まっていた、正義感やら、義侠心やら、そう言った類のものどもの残り滓が寄り集まって、ぶすぶすと煙を上げ始めるのを感じた。湿気ているのか、なかなか火が点かないでいる。なぁ頼むよ、こういう時ぐらい景気よくボッと燃え上がってくれやしないだろうか。

「なぁ、酷い連中だろう、クビナシ君。」

「まったく許し難いですね。あと僕はタカナシです。」

「おや、失礼、タカナシ君。」

 トラヤさんはひょっと肩を竦めて、古ぼけた懐中時計を取り出した。蓋の裏側に宝石か何か、小さな赤い光があるのがちらと見えた。

「三時になったら防衛軍が一斉に制圧にかかる。それまで私たちは街中を転々としつつ、悪サンタの拠点を探っていくとしよう。悪サンタたちは、集めた夢をその場では食べず、拠点に持ち帰ってから悠々と食す。私たちは遊撃隊、すなわちゲリラ隊だからね。拠点を見つけ出し、そこを潰すことが大きな任務となるのだよ。いいかい。」

「はい、わかりました。」

「銃の扱いは大丈夫かね?」

「大丈夫です。得意なんで。」

 トラヤさんはくつくつと肩を上下に揺らして笑うと、懐中時計をパチンと閉めた。

「今年は良いバイトに恵まれた。大変な一日となろうが、ともに頑張ろう。」


   †


 時が三時となり、ビルの陰から大通りを覗いていたトラヤさんが「……始まったな。」と呟いた。トラヤさんの背後から俺も通りを見てみると、深く俯いて微動だにしないサンタがいた。

「向こうに狙撃班がいるのでね。彼は悪サンタだったのだが、今まさに撃たれたのだ。見ていろ、じきに―――ほら。」

 トラヤさんが言うと同時、サンタがぱっと頭を上げて、さっきまでとは比べ物にならないほど穏やかで無垢な微笑みを浮かべた。

「悪サンタも、元々は良きサンタだったのだ……。」

 絞り出すようにそう言って、トラヤさんはふと振り返った。

「私たちもそろそろ行くとしよう。装備は整っているね。」

「はい。」

「よろしい。」

 最初は制圧戦に参戦する、と言ったトラヤさんに従い、俺たちは移動を始めた。

「三丁目の裏通りが激戦区となっているようだな。私たちも加勢に行こう。」

「悪サンタは反撃してくるんですか?」

「それはもちろん。あぁ、安心したまえ、死ぬことはないよ。ただ――」

「ただ?」

「我々が悪サンタを良きサンタに戻せるように、悪サンタの弾丸は、良きサンタを堕落させる力を持つ。ヘッドショットなら一発でアウト、ハートショットなら二発目で、それ以外の箇所なら、多少なり個人差があるが、五、六発で完全に悪サンタとなるな。」

 だから、なるたけ当たってくれるなよ――トラヤさんは緑色の両目を爛々と輝かせながら、こう続けた。

 万が一の時は、躊躇わず私を盾にしてくれたまえ、と。

 そこには何やら悲壮な決意が含まれているように感じたが、高々バイトに過ぎない俺には何を言うことも出来ず、無様にも口籠ってしまい、そうこうしている内に、トラヤさんはまるで何事も無かったかのように飄々と歩き出していた。

 俺は意図せず興味を抱いていた。

 トラヤさんはどうしてサンタになったのだろう。どうして骸骨のマスクを着けているのだろう。どうしてトラヤさん以外に遊撃隊のメンバーはいないのだろうか。誰もバイトに来なかったら、もしかしたらトラヤさんは独りきりで戦っていたのでは―――

「どうした。何かあったのかい、タキダシ君。」

 気付くと、トラヤさんがひょいと振り返って、どことなく不思議そうな光を宿した緑色の両眼でこちらをじっと見ていた。俺は慌てて(かぶり)を振る。

「あ、いえ……何でもありません。」

「そうか、それならいいのだが。」

「……それより今、僕のことなんて呼びました?」

 トラヤさんは寸の間考え込んで、思い出したように言った。

「……タカナシ君、な。分かっていたよ、うん、分かっていたのだ。」

 いい加減覚えてきたぞ、と何度も頷きながら、タカナシ君、タカナシ君、とブツブツ繰り返しているトラヤさんは、その風貌と相まって正直不審者にしか見えなかった。トラヤさんには悪いが、骸骨に延々名前を呟かれていると、なんとなく呪われているような気になってくる。俺はそういう精神攻撃に弱いのだ。

 耐え兼ねて俺は口を出した。

「あー、あのー、トラヤさん。三丁目って――」

「しっ。」

 唐突にトラヤさんは立ち止まって、壁際に寄るよう手だけで指示してきた。銃を構えろ、近くにいる、と囁かれる。急激に気配を変化させたトラヤさんと、サンタ(悪)が近くにいるという状況に、俺はにわかに緊張してきた。自分でも驚くことだが、いざ戦闘となると、そうそう簡単に対応できるものではないのであった。あっという間にテンパってしまったことが自覚できないほどには混乱していたと思う。極度の切迫感に喉が水分を失って貼り付いていく。

 混乱ついでにふと来た道を振り返ると、そこに、路地の入口を塞ぐほど大勢のサンタたちが大挙して押し寄せてきていた。そしてそれらがサンタ(悪)の軍勢である、ということに気付き、気付くや否や俺は咄嗟に銃口をそちらへ向け、ろくに狙いもつけずにトリガーを引き絞っていた。

「とっ、トラヤさん、トラヤさん! どうしましょう! どうします?!」

「落ち着きたまえ、こっちだ!」

 襟首を掴まれ、引っ張られるままに俺は後ずさって、建物の陰にしゃがみ込んだ。サンタ(悪)たちの反撃は運良く一発も当たらず、俺は何かの漫画に出てきた『当たるヤツはどうしたって当たる、それだけさ』という台詞を脈絡なく思い出した。トラヤさんが巧みに俺と位置を交換して、牽制射撃をする。エアガン同士、身も蓋もない言い方をすればオモチャ同士の銃撃戦であっても、平和ボケした日本人が初めて体感するには、充分すぎるほどしっかりとした戦場だ。BB弾の発射される音が幾重にもなって重苦しく路地裏に反響し、周囲はすぐさま独特の空気に満たされていった。足元に転がってきた敵方の黒いBB弾に、逆さ十字と、それに突き刺さる骸骨の横顔が彫られているのを見て、心臓がぞくりと寒気を訴えた。はなはだ不格好な話であるが、その時の俺は、日常より数段重たくなった気体をうまく肺へと誘導できず、十字架へ縋り付く聖職者のように、小さな武器を両手で固く握りしめたまま、大きく肩を上下させていた。

「大丈夫かい?」

 銃声の合間に尋ねられたが、俺は何も言えずに呆然とトラヤさんを振り仰ぐ。

「焦る必要はない。目を瞑って、大きく息を吸いたまえ。」

 言われた通りに俺は瞑目して、息を吸った。

「止めて。―――――ゆっくり、吐くのだ。」

 無理やり行動を制限された空気が、おもむろに解放されて、我先にと四肢の隅々にまで染みわたっていく。目を開けると、先程まであれほどぶれていた世界がくっきりと透き通って見えた。

「落ち着いたかい。」

「……はい。すみません。」

「最初は誰でもそうなるものだ。さぁ、行くぞ。」

「はい!」

 一旦落ち着きを取り戻せば、後はゲームと同じ要領である。ゲームというものは案外馬鹿にならないものであって、特に昨今の三次元をそのまま放り込んだようなリアルなゲームをやり込んでいる俺にとっては、トラヤさんと入れ替わり立ち替わり援護と攻撃を交代しつつ移動することなど楽な任務であった。

「このまま一度大通りに出よう。人混みに紛れて、体勢を立て直す。」

「はい。」

 トラヤさんが援護に入り、俺は脳内で地図を広げ退路の確保に走る。今いるここは、2棟のビルの裏面同士が向き合っている細い路地で、ここを曲がって真っ直ぐ行けば1丁目の大通りに着く。俺は背中を壁に任せ、唾を飲み込み、(当然ながら、見えない場所を見に行く瞬間が一番緊張するものだ。)そっと曲がり角の向こうを覗いた。

 誰もいない。

 俺は安堵の溜め息をついて、トラヤさんを呼ぶべく振り返った。

 そこで硬直する。後々になって思い返してみれば、ここで硬直などするべきでなかったと思えるのだが、人間咄嗟の判断には弱いものである。

 ビルの裏に設けられている勝手口が開いていた。そこからサンタ(悪)の新手たちが出てきていた。それを認識するかしないかの内に、俺は自分の敗北と、サンタ(良)としての死を覚悟していたのだが、実際にもたらされたのは敗北のみであった。

 サンタ(悪)の一人が、持っていた鉄パイプを振りかぶった。

 サンタの衣装と鉄パイプ、という取り合わせは、なかなかに奇妙で尚且つホラーであった。というかこれって、サンタ(良)としてじゃなくって、人間として死ぬんじゃね? などと考えられたのは束の間のこと。

「タカトシ君!」

 どうやらトラヤさんに名前を呼ばれたらしいのだが、それに対して突っ込む暇すら与えられず、振り下ろされた圧倒的暴力を前に俺の意識は諸手を挙げて降参したのだった。

 

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