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紅い世界に雪が降る  作者: ハデス
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〈アルーヴァ〉Dog Eat Dog Of The Battlefield 1

 血の臭いが、鼻を突く。


 濃密に漂い、べっとりと張り付いてくる。

 形を成し、ねっとりと絡み付いてくるほどに。

 だが、気に止めることもない。今更気にかかるほど、俺は繊細には出来ていない。

 俺の足もとに、ひとりの女が仰向けに横たわっていた。

 いや、女と呼ぶにはまだ早いだろう。年のころならせいぜい十代半ばの、美しい娘だった。

 だが、その美貌には死の影が色濃い。

 背中から腹まで貫いた一撃は紛れもなく致命傷だ。


「もはや助からないな……」


 彼女がぎり、と歯を噛む。それはそうだろう。当人も自覚しているだろうに、俺はわざわざ言葉にして突きつけているのだ。

 我ながら、何とも意地の悪いことだと思わないでもない。


「死にたくはないか?」


 ――しかし。


「選択肢をやろう」


 だからこそ、俺は選択肢を与える。


          〈アルーヴァ〉同族喰らい



 鬱蒼(うっそう)とした森の中。


 見上げれば、梢と梢の隙間からやわらかな日の光が差し込んでくる。

 俺は手近な大木に背を預けながら、少し前に助けた(むすめ)のことを思い出していた。

 人間であることをやめてまで、死に逆らうことを選んだ娘。

 そして、今頃は吸血衝動という醜悪を相手に必死で抗っているのだろう。

 望むならば、勝って欲しいものだ。

 本心からそう思う。


(俺らしくもないか……)


 くくっと、薄い笑いが漏れる。

 かすかな自嘲か。柄にもなく感傷に浸っている俺自身がおかしいのか。それとも、先日まで共にいた連れの不在が、多少は俺をそんな気分にさせているのだろうか。

 だとしたら、なかなかに滑稽(こっけい)かもしれない。

 かつては殺し合うほどに憎んだ相手が……わずかでも俺の中に入ってきている。シェイラという名の他人が、俺の中に住み着いている。

 何ともむずがゆい。


 だが、悪くはない。

 時折は、自分以外の何者かをそのように思うのもいいだろう。

 あいつには悪いと思わないでもないが、そのくらいならば許してくれるだろう。


 ――ドウセ。


 そう、どうせそれ程に長くはないのだから。

 俺は、立ち上がった。


「……見つけた」


 知らず、笑みが零れ出る。

 覚えず、愉悦がほとばしる。

 そう遠くない場所に、感じる。同族の――吸血鬼と称される存在の魔力の気配を感じ取ったのだ。そう、俺は獲物の存在を認識する。

 先ほどまでの、生ぬるい感情はとうに消えていた。

 今や俺の心は、打ち震える暴力的な衝動に支配されている。俺の身体に、嗜虐(しぎゃく)という炎が燃え上がる。

 脳を焼き、心を焼く。狂えるほどに焦がれ、焦がす。殺意という衝動が、俺を満たしていく。

 これでいい。

 それでいい。

 犬を喰らう犬。

 アルーヴァと言う名を持った『同族喰らいの』人外は、そうであってこそ望ましい。こうであってこそ、好ましい。

 気が付けば、頭上の太陽はぶ厚い雲に隠されていた。俺の所業を見たくはないのだろう。

 人外同士の狂宴。異形同士の闘争。常軌を逸した血祭りは、見世物としては最高に最悪だ。

 それゆえに天井の(あるじ)は目を逸らす。

 まったく、それが賢明だ。


       ◇


 向かう途中――俺はその気配に気が付いた。

 おそらく人間のものだろう。人外どもの発する魔力とは明らかに性質が違う。

 だからこそ奴ら自身は、それを魔力とは呼ばない。魔力は魔なる力。ゆえに、自らの力を霊力と呼称する。

 くだらない欺瞞(ぎまん)だ。だが、笑い飛ばすつもりもない。欺瞞とは時に理想の別称だ。理想を掲げることは美しい。

 普通の人間にしてはいささか大きな反応だった。それも複数。十人以上はいるだろう。

 俺は思うところがあり、寄り道をすることにした。


 時間は、腐るほどにあるのだ。


 森の中の木々がまばらな場所に、徒党を組む人間の一団があった。

 そして、俺の予想も正しかった。白い衣服。銀色の肩当てと、胸当て。刻まれた十字の紋様。――間違いない。そいつらは、聖騎士と呼ばれる者達だった。

 神とやらを信奉する人間によって組織された、同胞に仇為す人外――特に吸血鬼を悪魔の眷属と見なして打ち滅ぼす。俺達にとっての魔術――奴らは法術と呼ぶ力を切り札に戦う戦士達。

 どうやら俺の獲物には、もう一組予約があったらしい。なかなかに人気者だ。

 単純に先取りしてしまえばすむことだろうが、俺はそいつらの空気に多少興を惹かれ、様子を窺うことにした。無論、悟られぬように魔力を押さえつけながら。

 腰を下ろした男達の中で、ただひとりの女が立ち上がり何やら声を荒げている。

 美しい娘だった。まだ若い。

 せいぜい十代半ばか。短く刈った金髪。凛とした佇まい。意志の強さを感じさせるその面立ち。背は高くも低くもない。いや、女にしては高い方だろう。


「いや、サリナ君、君の憤りはわかる。しかしな……」


 彼女――サリナに対して、中年の男がうろたえている。そいつのまとう衣服と防具から、他の者達よりも高い地位にあるのだろうと推測はできる。

 しかし、どうにも威厳というか風格といったものが感じられない。むしろサリナの方がよほど凛然としている。


「イエンド副隊長が発ってから、もう数刻も経つのですよ? 何かあったとしか思えません!」


「だから、もう少し様子を見てからだな……」


「何を悠長なことを……我々もついていくべきだったのです!」


「だけどなあ」


 仲間の男のひとりが、そうぼやいた。


「俺達じゃあ足手まといにしかならないぜ」


「そうそう、血生臭い戦闘はベテランに任せておくのがなあ」


 他の男どもも追随する。何とも、まあ。そろいもそろって腑抜けた騎士様達ではないか。

 サリナは顔を真っ赤に染めている。その気持ちはよくわかる。


「それに、サリナは女だろう?」


 ――と、ひとりの男がそう軽口を叩いた。

 その刹那。サリナは腰に帯びていた小剣を抜き放ち、その無礼な男の喉元に突きつけた。感嘆する。なかなかどうして洗練された動きだった。


「女だから……どうした?」


 よほどその言葉が頭に来たのだろう。低く押し殺した声が、その本気を物語っている。

 このまま男が下手な言葉を吐けば、そのまま貫きかねない雰囲気であった。

 当然だろう。

 ただ女であるというだけで、そのような侮辱を受ければ腹も立つ。それも、かような腑抜けに言われればその憤激も並ではあるまい。

「いくら男と言えども家柄のみで入隊し、栄えある騎士団を侮辱する言動を取るような輩よりは余程マシだ……!」


 サリナの言葉に、俺は状況を理解した。

 先行した部隊とやらが主戦力で、残ったこいつらはただのお飾りの連中。大した実力もないくせに、貴族の地位やら権力やらで形骸の騎士となった腰抜けぞろいだったといういうわけだ。

 その例外が、このサリナという娘だということか。全く、同情してしまう。


「――!」


 その時だった。

 周囲の男達を睥睨していたサリナが、咄嗟にこちらに向かい身を翻したのだ。


「何者だ!」


 小剣を突きつけ、声を荒げる。俺の存在を感じ取ったらしい。ほう、なかなかの勘だ。


「姿を見せろ!」


「くく……」

 俺は姿を消したままで、笑う。

 今の俺は周囲の光景に同化している。すると俺の近くにいた男達が逃げ出すではないか。何とも無様に不恰好に。

 小剣を構え、立ちはだかるサリナの背後にほとんどが行ってしまう。得物を手に取る奴もいるにはいたが、その腰は引けている。

 だから、俺は言ってやる。


「何だ? 栄えある騎士団の皆様が女ひとりを盾に及び腰か?」


 こいつは何とも傑作だ。いやはや、苛立つほどに滑稽だ。 


「愚弄するか!」


 姿のない俺に向かい、声を荒げるサリナ。なかなかに勇ましい。


「おっと、これは失礼した。ただひとりの『騎士様』を盾にしているとは不甲斐無い、と訂正させてもらおう」


 これは本心からの言葉だ。


「姿を見せろと言っている!」


「そうだな? 腰抜けのクズどもにはともかく、おまえには失礼だろうな」 


 俺は彼女の気概に敬意を表し、姿を現すことにする。 

 何もないはずの空間に、灰色の粘土細工のように、俺の姿がそいつらの目の前に形作られる。

 また悲鳴が上がった。いちいち五月蝿(うるさ)い奴らだ。少しは黙っていろ。笑える冗談も、度を過ぎれば癪に障るだけでしかない。

 それは血の赤。

 それは紅蓮の赤。禍々しい真紅を帯びて、俺はそいつらの前に立った。


「吸血鬼……か」


 唾棄(だき)するかのように、サリナ。

 悪魔という存在の別称。命そのもたる血液を啜る浅ましき鬼。人間達にとって、最も凶悪で忌まわしい存在の『蔑』称だ。


「ああ」


 俺は、肯定する。


「だが、勘違いはするな? 別におまえ達を捕食しに来たわけではない


「だったら、何の用だ? 不浄なる化け物が騎士団の前に現れてなんのつもりだ?」


 サリナの勇ましい言葉は、耳に心地いい。

 だが――


「騎士団? くっく……」


 失笑が漏れてしまう。


「何がおかしい?」


「ひとりで騎士『団』と呼ぶのか?」


「………………」


 サリナは一瞬むっとしたものの、観念するように薄く微笑んだ。俺の目に映った仲間たちの醜態を思えば、否定できないのだろう。

 多少は頭が冷えたのか、冷やしたのか、苦笑を浮かべ――

 小剣を下げ、続ける。


「それで? 何のようだ? 吸血鬼」


「ふん」


 それでも決して友好的とは言えない物言いではあったが、まあ仕方あるまい。


「吸血鬼の存在を感じ取って、やってきた。俺がそいつを狩ろうと思ってな」


「わたし達に手を貸すというのか?」


「譲ってくれるならば、喜んで狩ろうではないか」


「だったら……なぜ、わざわざわたし達の前に姿を現した? きさまが勝手に狩ればいいだろうが」


 ごもっとも。


「なに」

 俺は眉を動かし、


「ほんの酔狂だよ。たまたまおまえ達の魔力――いや、霊力を感じ取ってな」


 魔力、という呼称に眉を吊り上げるサリナに、俺はわざわざ言い直す。

 サリナは鼻を鳴らすと、挑戦的に言う。


「吸血鬼が、吸血鬼を狩る? なかなかに笑わせてくれる」

 彼女の暴言に、うろたえる騎士達。俺の神経を逆撫でしないか、不安なのだろうか。

 やれやれ、吸血鬼の敵が、その吸血鬼のご機嫌を窺ってどうするというのだ。


「まあ、お前の後ろで震えている腰抜けどももなかなかに笑えるぞ?」


 彼女の素直な感想に、俺も素直な感想を返してやる。


「ふ……」


 サリナは目を閉じ、


「確かにな」


「ではな」


 言って、俺は背を向けようとする。これ以上の対話も無意味だろう。そう思ったのだが――


「待て」


「何だ?」


 サリナの静止に、立ち止まる。


「わたしも行く」


「ほう?」


「サリナ……!」


 そこで悲鳴に近い声を上げたのは、例の隊長殿である。名前は……何と言ったか。

 まあ、腑抜けの隊長様の名前などどうでもいい。


「何か?」


 肩越しに振り返り、サリナ。


「何を考えているのだ? サリナ君」


「当然でしょう? 騎士として、ここで指を加えて待っていることなどできません」


 もっともな発言だ。


「し、しかしもし君に万が一のことがあったら……」


「父が動くとでも? マリクレール家の威光が怖いとでもおっしゃるのですか?」


 他ならぬサリナもまた、権威ある家柄の身だということか。 

 だが、彼女は他の腑抜けどもとは異なり、聖騎士と名乗るに相応しいだけの気概がある。それだけが違い、それゆえに決定的に違う。

 ならば、彼女の家柄のことを持ち出すことは侮辱以外のなにものでもあるまい。


「父には言ってあります。もしわたしが殉職することがあったとして、そのことを侮辱する行為をとれば決して赦さないと」


「し、しかし……」


「わたしは形骸の威光にすがりたくて騎士を志したわけではない! それ相応の覚悟と矜持(きょうじ)を持ち合わせているつもりです! わたしを侮辱する言動はやめていただきたい!」


 食い下がる隊長に向き直ると、声を荒げるサリナ。

 その言葉と気迫に、隊長だけではなく、他の男達も気圧されてしまう。

 ……ぱちぱち、と。

 手ばたきの音。それは、俺だった。


「勇ましいことだ騎士殿」


「からかっているのか?」


 肩越しに、俺を睨みつけてくる。美しい女の怒り顔は恐ろしいとよく聞くが、まったくもってその通りだった。


「心外だな? 俺は素直に感服しているというのに」


「きさまに誉められたくはない」


 背を向け、辛辣に言い捨てるサリナ。

 俺はやれやれと肩を竦めた。

 まったく、気難しい騎士様だ。だが、そうでなくば小気味良くない。

 ふと、サリナは視線を走らせた。その先を追うと、ひとりの男がいた。 

 いや、まだ少年と言ったほうが相応しいだろう。サリナよりも年下か。その怯えを孕んだ柔和な顔立ちが、どことなく彼女に似ている気もしないではなかったが――

 まあ、俺には関係のないことだ。

 踵を返す。 


 そして、気配と足音がついてきた。


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