〈リーザ〉Madion Bleeds For The Blessing 4
「人の近くから離れた方がいい」
それが、彼女――シェイラの言葉だった。
わたしは、まだヒトでなくなって日が浅い。
だから、おとなしく彼女に従うことにする。わたしの意思を尊重してくれて、村に近い森の中に住むことになった。
家は、どうするの? わたしが尋ねると、彼女はこともなげに言った。
作ろう、と。まるでちょっとした工作だとでも。
彼女が鈴を鳴らすような声で、何ごとかをつぶやいた。
手のひらに吹雪が生まれて、収束した。そのあとには、両手に細身の剣。
それから小一時間ほどかけて、適当に開けた場所を見つけ、木々を集めて、家を組み立てていった。
シェイラが、楽々と材料となる木を見繕い、楽々と伐採して、材木へとしてしまう。
その光景にわたしはただ、唖然とするだけだった。
二本の剣で木々を切り、手のひらから生み出した青白い糸のようなもので、材木をつなぐ。
屋根は、かき集めた葉っぱを凍らせて作っていた。どうも、普通の凍らせ方ではなく、温度が上がろうと溶けることはないらしい。
それが、シェイラの魔術らしい。
窓ガラスは、彼女の生み出した氷。わたしが生まれてはじめて住むガラス窓の家は、溶けない不可思議な氷製だった。
あまりにも常識離れなその建築方法。同時に、家を作るという行為自体は、わたし達と同じで、それが奇妙な感覚だった。
その日の夕暮れには、わたし達が住む家は完成していた。
夕食は、彼女が採って来た魚。
それに、野草を煮込んだスープ。
ちなみに野草を集めてきたのはわたし。子供の頃はよく森の中を走り回っていたので食べられる野草の見分けはつくつもりだった。
ずいぶんとひさしぶりだったけど、どうやらわたしの目は曇っていなかったらしい。
彼女が火をおこし、串に刺した魚をあぶる。
「あまり足しにならないと思うけど、いくらかはマシだと思うよ」
そう言う彼女は、わたしが魚に手を伸ばしても、ただじっとしていた。
「食べないの……シェイラ?」
彼女の頼みもあって、わたしはすでに砕けた口調で話すことにしている。
半日ほど一緒にいて、少しは彼女にも慣れた。
まだ得体の知れないところはあったけれども、彼女にはそれほど恐怖もない。
話に聞いていた吸血鬼とは受ける印象が全然違っていた。むしろ、精霊とか妖精といった方が彼女には相応しいんじゃないかな。
もっと教会の教義の厳しい地域では、妖精は悪魔の仲間だとされるらしいけど、わたしの育った村ではそれほど抵抗はなかった。まあ、人によっては違うけど……わたしは伝え聞くそういった話には、親近感を持っていたし。
アルーヴァさんの方は吸血鬼らしいと言えば吸血鬼らしかったけど、多分それほど怖くない。
……今は、むしろ人間の方が怖い。
「うん」
彼女は、そう答えた。
「わたしは、森から気をもらえるから……」
「へえ」
何か、拍子抜けしてしまう。
そんな穏やかな方法で、食事の代わりができるんだ。
何だ――吸血鬼、て言ってもあまり怖くはないのかもしれない。
そうちょっと安心して、程よく焼けた魚を一口かじった。
その安心が、どれだけ甘いものであるかを思い知るのは、すぐのことだった。
「…………!」
予想もしない味が、口の中いっぱいにあふれる。不味い――と、いうよりも拒絶反応。
そう。まるで、石や草やらを食べさせられた感覚に近いかもしれない。食べ物と認識しないものを、身体が受け入れるはずがない!
「……え?」
魚の味が、おかしいのかと思った。でも、違う。冷静に味わってみると、確かに魚の味だ。それが、どうして――?
そして、今……わたしは何を思った?
背筋がぞくり、とする。悪寒なんて生易しいものじゃない。まるで氷の塊を全身におしつけられたみたい。
「味覚が変わっているでしょう?」
静かに、わたしの様子に驚きもせずに、シェイラが言う。
「せめて生のままならばいいのだろうけど、血肉の味をあまり教えたくなかったから……」
そう。
今、わたしは確かにこう思った。
生の方がいいのに。生のまま、滴る血を啜りながら、内臓を舐めながら、骨をしゃぶった方が――おいしいのに! そう思ってしまったんだ!
その光景が――自分が生の魚を貪り食う光景が頭に浮かんで、その対象があっさり人間へと代わる。
首筋に牙を突き立てて、赤い血を啜ったらどれほどおいしいのだろう――と。
もうひとりのわたしが思う。
わたしの中で、そう思う。
「あ、ああ……!」
わたしは手にした魚を取り落として、自分自身を抱きかかえた。
「あ、あうう……」
牙の隙間から、呻き声が漏れる。
――牙? そう、牙だ。わたしの犬歯は、猛獣か何かのそれのように鋭く変貌している。鏡を見てもいないのに、そのことが分かる。
感覚で、わかる。
たとえば自分の腕の存在が、ごく自然にわかるかのように。
違う。それは猛獣の牙なんかじゃない。それは、吸血鬼の牙だった。人間の肉を引き裂き、真っ赤な血を啜るための牙――! それは化け物の象徴で。もう、自分が人間ではない証拠で――
「あ、あああ……」
甘かった。
何が、吸血鬼になってもそれほど変わらないな――だ。味覚は変わっている。こんなにも違うものへとなっているじゃない!
そっと、シェイラがわたしを抱きしめる。外見は、彼女の方が幼いから、まるであべこべだ。
「大丈夫だよ」
やさしい声で、彼女が言う。わたしの髪を、細い指が梳いていく。
「慣れていけばいい。これから、頑張って、ヒトの血を吸わなくても平気なようになればいい。うまくいけば、人間の頃と同じ食事でも生きていけるようになるよ。だから――ねえ?」
「あ……あ、あう……」
「――頑張ろうよ」
もう、我慢はできなかった。
わたしは、シェイラのほっそりとした身体によりかかりながら、声を上げて泣いた。
自分がヒトでなくなったことに恐怖して、泣いた。
吸血鬼になりたくないと切望して、泣いた。
そして、ほんの少し……。
本当に、ほんの少しだったけど。
目に浮かぶ赤い背中を憎く思ってしまい……そんな自分が嫌になって……泣いたんだ。