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紅い世界に雪が降る  作者: ハデス
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〈リーザ〉Madion Bleeds For The Blessing 3

 ……どのくらい、泣いていたんだろうか。


「よう」


 彼の、わたしに対してではない呼びかけに、わたしは顔を上げた。

 ひとりの少女が、そこにいた。

 見た目だけなら、きっとわたしよりも幼い。

 小柄で、ほっそりとした女の子。

 腰まで届く長い銀髪。赤い彼とは対照的に、丈の長い深い紫色の衣服。おそろいの色の、大きな帽子。

 帯を巻いた腰は、折れそうなほどに細い。

 きっと、彼女も人間ではない。その幼い外見には似合わない、凍て付いた空気をまとっているから。


「終わったよ」


 まるで鈴を鳴らすような、澄んだ声。

 だけど、それは氷の清廉(せいれん)さだと思う。


「怪我のひどい人もいるけど……死人は出ていない」


 そこで、ちらりとわたしを見る。

 思わず、どきりとしてしまう。その瞳は、まるでガラス細工のように綺麗だった。まるで、美しい紫水晶。

 その瞳に、悲しむような色が浮かぶ。

 それは、少なくともさっきの男達に比べれば、はるかに人間らしいものだった。きっと、人間ではないこの少女が……。


「ふん、上々じゃあないか」


 皮肉とも、嬉しさともつかぬ調子で、彼が言う。

 わたしは、ふたりのやりとりから状況を推測し、それを言葉に乗せる。

 つまり。

 彼と、この少女は――


「助けに、きてくれたの?」


 半信半疑。

 まるで冗談みたいだ。

 突然の略奪者。唐突な救世主。

 略奪者が、同じ人間で。救世主が、本来わたし達の敵である人間ではない存在で。


「どうして?」


 女の子の正体はわからないけど、男の方はきっと吸血鬼だ。人外と呼ばれる存在の中でも、圧倒的な力を持っていて、人間を餌にして、残酷に弄ぶ鬼のはず。


 ――それが。


「だって……あなた達は?」


「ヒトにだって、色々いるだろう?」


 わたしのその先の言葉を察して、彼が言う。


「俺は違うが、そいつは人間の味方をしている」


 と、女の子を視線で示す。

 彼女は、微妙にわたしからの視線を逸らす。それは、照れているようにも見え、そうでないようにも感じられた。

 銀髪が、そっと揺れる。


「さて、と……」


 彼がわたしに向き直ってきた。どことなく改まったみたいに。


「おまえに説明せねばなるまい。一応は、責任だからな」


「……」


 何について語るのかをおぼろげに察して、わたしは身体をこわばらせる。


「先ほども言ったが、もはやおまえの身体はヒトのそれではない。おまえ達が、吸血鬼という存在へとなった」


 改めて、突きつけられる事実。まだ、その冷たさには慣れていない。


「だが、おまえ自身がどうするかはおまえの自由だ」


「……どういうことなの?」


「身体は、化け物と成り果てた。だが、その心はおまえ次第ということだ。無差別にヒトを襲い、血を啜る言葉通りの吸血鬼となるか――」


「そんなことはない!」


 自分でも驚くくらいに、声を荒げていた。

 それでも、彼はむしろそのような反応を期待していたみたいで、にやり、と笑った。


「ならば、血を啜らずとも生きる(すべ)を身に付ければよかろう」


「……?」


 その言葉に、疑問を持つ。血を啜らない? ――吸血鬼、なのに?


「吸血行為とはな、魔力の補給行為に他ならない。それ自体が、対象から生命力を吸収し、自己の中で魔力へと転化する魔術なのさ。もっとも簡単で、効率的な方法だ。それが嫌ならば、それ以外の方法を身につければいい」


「それ以外……?」


「色々とある。自然界に満ちる魔力を吸収してもいいし、死なない程度に、生物から生命力を吸い上げる魔術を身につけてもいい。必ずしも、吸血だけにこだわることもない」


「……そうなの?」

 少し、肩透かしを喰らった気分だった。血を吸う必要はないのだと、吸血鬼が言うのだから。


「だが、これだけは覚えておけ」


 不意に、口調が乾いた。


「それでも、吸血衝動は残る。あれは、ある種の本能として刻み込まれるらしくてな。飼い慣らすのは、相当骨が折れるぞ? 特に、成り立ての頃は非常に――」


『渇く』


「…………」


 ぞっとするほどの、不吉な予言。

 ううん、きっと忠告。


「それで、おまえはこれからどうする?


「え?」


「もし俺達についてこようと言うのならば、別にかまわん。だが、その場合は強制的に俺の血を飲ませるぞ?」


「……どういう意味なんですか?」


「今のおまえは、俺の奴隷――スレイブだ。血を吸われて、吸血鬼となった者は、血を吸った者に絶対服従をする因子を持つ。だが、俺はそのようなものは願い下げなんでな。俺の血を吸わせて、そんな主従は消させてもらう」

 

 わたしは一瞬、言葉につまってしまった。

 それは彼の問いかけに対する迷いではなく、ただ純粋に彼の言葉が意外だったから。

 人間を支配して、自分の奴隷にして楽しむ。それが、吸血鬼だと思っていた。

 彼は違う。

 だから、少し驚いた。


「……わたしは、残ります」


 はっきりと言い切る。

 当然だ。幼馴染を待つために、生き延びる道を選んだのだもの。


「そうか」


 彼はそう言った。


「ならば、無理に俺の血を飲ませることもなかろう。下手に血の味を覚えられても面倒だ」


「アルーヴァ」


 そこで、今まで沈黙を保っていた女の子が彼の名前を口にした。そこで、初めて彼の名前を耳にする。


「ん? どうしたシェイラ」


「わたしは、しばらく彼女と一緒にいるよ」


「……え?」


 突然な彼女――シェイラさんの申し出に、わたしは困惑する。


「彼女は成り立てだよ? このまま放り出すのは無責任だと思う。それに、彼女が望むのなら、吸血に代わる魔力補給も教えてあげたい」


「ふむ、確かにそいつはおまえの方が適任だ。俺の柄でもないしな。それで――」 


 ふと、アルーヴァさんの瞳が細くなる。まるで鋭いナイフみたいだった。ぞっとする亀裂のような笑みが、そこに浮かぶ。


「仮に、こいつが身も心も化け物と成り果てた時の、始末も任せられるのか?」


「…………!」


 その言葉に、身体が硬直した。

 それこそ、喉元に鋭い刃物をつきつけられたみたいに。先ほどとは違う意味で身体が凍りつく。それは、命に関わる恐怖だった。

 シェイラさんは、わたしを見る。

 それは、諸々の決断をわたしに(ゆだ)ねる瞳。わたしに関わるあらゆることへの決断を、わたしに問いかけるものだった。


 ――つまり、覚悟はあるのか、という。


「わ……」


 わたしは、渇いた喉を飲み込むつばで湿らし、言った。


「……わかりました。お願い、します……」


「話はまとまったな」


 アルーヴァさんは立ち上がる。


「あ、あの……」

 わたしの名前すら聞こうともせずに、彼は立ち去っていこうとする。わたしは慌てて、声をかけていた。


「何かあるのか?」


「あ、あの……お礼、言ってなかった、です」


「礼?」

 眉を動かすアルーヴァさん。何かをさぐるような様子だった。


「わたし達を助けてくれて……」


「まあ、結果はそうなるな」


 喉の奥でくつくつと笑い――


「だが、おまえはどうかはわからない」


 再び、その声が乾いた。


「――え?」


 戸惑いが、漏れる。


「でも……あなた……アルーヴァさんは、わたしを助けてくれた……?」


 違うと言うの?


「そう思うかは、これからのおまえ次第だ。もしかしたら、何時か俺を呪う日がくるやもしれぬぞ?」


 楽しそうな、皮肉げな声。


「ヒトでなくなったことに苦悩し、かつての同胞を餌としか見れない己自身に絶望する時が訪れるかもしれない」


「…………!」


 はっと息を飲む。不吉な予感が忍び寄ってくる。


「だから――今は、その礼はいい」


 アルーヴァさんは、背を向ける。


「おまえがこの先も生き続け、その果てにも同じ言葉を口にできるのであれば……」


 それは、何かを楽しむみたいで――どこか、悲しむみたいだった。彼の表情はわからない。真意も、きっとわからない。


 ただ。

 生きて、生き続けて……それでも後悔をしないのならば――


「……その時に聞こう」


 それは、きっととても深い呪いの言葉で。

 でも。

 それは、多分同じくらいの祈りの言葉で。


 そのままアルーヴァさんは、振り返らずに去っていく。

 やがて、その赤い背中が宙に溶けて……完全にわたしの前から姿を消した。 


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