Sords Of Hers 1
これまで、ごく限られた範囲で公開していたエピソードですが、思うところあって公開させていただきます。
時間軸としては、シェイラとリーザが一緒に過ごしていた間となります。
もし機会があれば、新たに第2部の展開もおぼろげながら考えております。
Tale Of The Mystic Moon――
「さあ」
わたしは手を伸ばす。
「でも……」
戸惑いの声を漏らすリーザ。突如としてあらわれた光の渦は、きっと彼女に不安を抱かせたに違いない。
「大丈夫」
わたしは安心させるように微笑んで見せた。本当に安心させられるのか、あんまり自信はなかったけれど、リーザは表情をちょっとだけ和らげてくれる。
「……うん」
そして、そっとわたしの手をとった。
ふたりで渦の中に飛び込む。
さあっと音が遠くなる。
激しい耳鳴りがやってきて、それすらもすぐに消えてしまう。浮遊感に包まれたかと思うと、どこまでも落ちていく感覚。
長いような短いような時間が過ぎて――
わたしは、そこに立っていた。
周囲を取り囲む無数の本棚。どこまでも続いていて、果てが見えない。わたし自身の何倍もあろうかという高さでそびえるその本棚には、ぎっしりと本が敷き詰められている。
「やあ……久しぶりだね」
大きな机。ゆったりとした豪華な椅子に腰掛けて、分厚い本を開いていたその人が声をかけてきた。
丈の大きなローブに身を包む。服装こそ違うけれども、その人は、わたしと同じ姿をしている。
声も同じ。
きっと、リーザには彼女自身と同じ姿として映っているだろう。その声も、自分のものとして聞こえるはずだ。
ただ、直接に自分の口から発せられる声と、他の場所から聞く声では違いはあるだろうけど。
その人は、そういう存在だった。相対する当人の姿と声を借りて、向かい合う。
「……? リーザ?」
つないでいた手の感覚がない。となりにいるはずの彼女の姿がそこにはなかった。
「リーザ!」
「安心していいよ」
慌てて周囲を見回すわたしに、その人は穏やかに言う。
「彼女は、無事に元の場所にいるはずだから」
「……え?」
「あの子は、まだここには来れないようだね」
「……どういうこと?」
その人は軽くため息をついて、
「どうやらぴんとこないみたいだけどね。ここにやってこれるのは、それなりの魔力のレベルが必要なんだよ」
「でも……リーザはアルーヴァの」
血を引いているのだから、相応の魔力は持っているはずだと思う。
「まだなり立てでしょう? 魔力が落ち着くまでは無理だよ」
「……そう」
どうしよう。彼女がここに来れないとなると、ちょっと困ったことになる。
「どうして、彼女をここに連れてくるつもりだったんだい?」
「その……わたしと同じ理由。彼女もヒトの血を吸いたくないっていうから……それに代わる魔力補給の方法を学ばせてあげたくて……」
かつて、ここでわたしも学んだのだ。
「ああ、なるほど。書が必要だってことだね」
「うん……」
「わかった。いいよ、持っていって」
「え?」
「貸してあげる」
「平気なの? ここの書はあちらに持っていったら……」
「まあ、モノによっては危険な知識もあるからね。でも、目的がはっきりとしているし……君のことは信用しているから。ただ、向こうの彼女、リーザかい?
――を座標として固定、具現化するから彼女自身と……まあ、君は大丈夫だと思うけど。それ以外の人には見えないけど、問題ないよね」
「ええ」
「それじゃあ……」
その人が指を動かすと、本棚から一冊の本が浮かんでくる。
その人が何ごとかつぶやくと――その中にリーザの名前も聞こえた――本に光り輝く文字のようなものが走る。
「はい」
光が消えた本が、わたしの前に来る。腕を伸ばすと、そこに落ちた。
分厚く、金色の箔押しのある豪華な本。見覚えがあった。アイレウス写本。ずっと昔、わたし自身もその本の内容から学んだのだから。
「ありがとう……それじゃあ」
「あ、ちょっと待ってよ」
背を向けようとするわたしを、その人が引きとめた。
「何?」
「せっかくひさしぶりに会ったんだよ? 少しは話し相手になってくれてもいいじゃないか」
「……でも」
「大丈夫。ここでは時間の流れなんて無意味に近い。君がここに来た次の瞬間には、帰れるよ」
「……わかった」
「やれやれ。君もアルーヴァも本当に冷たいよ。そちらの都合がある時にしか来ないんだから」
「ごめんなさい」
「はは、まあ謝る必要もないよ。ただ、わたしも時々は誰かと言葉を交わしたいんだ。文字を相手にするのも楽しいけどね」
その人が手を動かすと、わたしの前に椅子があらわれた。その人と向かい合う形で、わたしは腰掛ける。
「ゲームでもしようか」
その人は小さな小箱を取り出した。その中には、カードがぎっしりと詰まっている。
「ポーカー、知ってる?」
「知らない」
わたしは首を振った。
「そう、それじゃあ教えるよ」
「どうせだったら、チェスがいいな」
「……う~ん、まあ何回かはわたしに付き合ってよ。それから」
「うん」
わたしは頷く。
「よし」
その人は嬉しそうにカードを切り始めた。流れるような手つき。姿は同じでも、わたしとは違う。相変わらず、奇妙な気分だった。
「だけど……もうどれくらいになるかな?」
目の前に配られるカードを見ながら、わたしは言った。
「百年……には満たないと思うけど」
「でも……まあ、久しぶりだよね」
「そうだね」
その人――ダンタリアンと会うのはこれで二度目。一度目は、アルーヴァに連れられてきた時だった。
マスターと盲信していた少年と袂を分かった後のこと。
わたしが、今のわたしにたどり着くための第一歩を踏み出す前のことだった――
〈シェイラ〉彼女の剣
夢を見ていた。
それは、夢だった。
夢の中で、繰り返す。
マスターに抱かれている。マスターと口付けを交わしている。何度も何度も。マスターとマスターとマスターとマスターとマスターとマスターと。
ああ……
マスター。
マスター。
わたしの全て。
わたしにとっての全部。
マスターといられれば幸せだった。
わたしは、幸せだったんだ。
他には何もいらない。
何も望まない。
他には、どうでもいい。
そう。
たとえ、誰が苦しんでも。
誰が死んでも。
どれだけ死んでも。
どれだけ――
わたしには――関係のないことだったんだ。
目を覚ます。
じっとりとした不快感が身体中にはりつている。どうしようもない恐怖感がこびりついて、離れない。
「……あ、あふ……」
荒い呼吸が、あえぎとなって漏れる。意味もなくわめきちらしたくなるのを、何とか押し殺す。
まただ。
また、見ていた。
わたしが見ていた。
彼らも見ていた。
マスターに殺される人達を、わたしは見ていた。冷たく、突き放すように。
マスターに殺される人達が、わたしを見ていた。燃え上がる恨みと憎悪に狂った瞳で。
「あ、ああう……」
何度も繰り返して。
もう、何度もそんな悪夢を繰り返して――
わたしは、少しも慣れていなかった。




