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紅い世界に雪が降る  作者: ハデス
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〈イクス〉He Identified Himself As The “SAMURAI” 4

 悪夢に魘されて、目を覚ました。


 目の前に、浮かんだ恨めしそうな誰かの顔が消えていく。

 誰だったのか。 

 それは、何時か俺が殺した誰かか。俺のすぐとなりで、死んだ誰かか。それとも、つい先ほど目を合わせた男だったのか。


「はあ、はあ……」


 息が、苦しい。

 びっしょりとかいた汗は、冷たくて、突き刺さる。


「……悪い夢でも見たか?」


 向かいの木に背を預けた、あいつが聞いてきた。

 まだ夜明けには早い、薄闇に覆われる世界だった。 


「ああ……」


 俺は、額に手を当てる。

 答えは、呻きに違いなかった。


「……そうか」


 あいつは、それだけを言った。夢の内容を、聞いてはこなかった。


「なあ――」


 俺は口を開く。


「あんたは……どのくらい殺したんだ?」


 どうして、そんなことを訊いたのだろうか。自分の中の感情の共感が欲しかったのか。それとも――


「さあ、な。覚えてねえよ」


 自分以上の相手を知って、安堵したかったのだろうか。


「もう何年も戦場にいるからな」


 言いながら、腕に抱えた剣――あいつはカタナと言っていた――を動かす。


「俺は、もうどっぷり戦場に漬かっちまってる。それこそ、骨の髄までな。おまえは違う。だから、帰れ。帰れるうちにな……」


 そう言う声は、ただ静かだった。 



 旅をしたのは、たった半月だった。



「ここで、お別れだな」


 遠くに村を臨む場所で、そいつは言った。


「なあ……」


「何だ?」


「俺の村に、来ないか?」


 しばらく前から考えていたことを口にする。


「ん……?」


「きっと、男手も足りなくなっているはずだから。歓迎してくれると思うから」


 その方がいいと思った。

 このままずっとさすらって生きるよりも、その方がそいつにとっても正しいと思ったから。


「――悪いな」


「どうして……?」


「俺には、合わない」


 相変わらずの静かな声。

 自嘲もなく、自虐もない。ただ事実を言葉にする。乾いた声で。自分は、戦場でしか生きられない。

 だからこそ、哀しかった。


「……だけど……!」


 言い募ろうとした言葉は、唐突に途切れた。

 喉元にひんやりとした感覚。あいつが、カタナを抜き放って突きつけていた。

 俺を――黙らせるために。

 それ以上の言葉を、続かせないために。

 射るようなその瞳。

 俺を真っ向から見据えてくる。俺は唾を飲み込み、だけど視線は逸らさなかった。


 それだけは、したくなかった。


 震えを押し殺し、視線を返す。

 どのくらい、そうしていただろうか。強張る身体は、きっと何倍にも感じていたはずだ。

 不意に、その瞳が和らぐ。薄く笑う。あいつは剣を鞘に納めた。

 チン……と。

 鍔鳴りの音が、やけに耳に残った。

 そして――


「じゃあな」


 あいつからの別れの言葉は、たった一言。


「ああ……」


 軽く手を振りながら去っていくその背中を、俺は見送った。

 結局――あいつは、ほとんど自分のことを話しはしなかった。

 それでも、あいつといる時間は結構楽しかった。グレウスを失った心の隙間をつかの間だったけど、埋めてくれた。

 戦場で傷ついた心の痛みを、わずかでも忘れることができた。

 間違いなく、友人だった。

 少なくとも、俺はそう思っているし、リーザにもそう話す。

 リーザがシェイラという少女を話すのと、きっと同じように。


 俺は、戦場で出会った男のことをそうやって話す。


      ◇

 

 グレウスの墓に手を合わせてから、ロゼッタは立ち上がった。

 振り返って、俺に言う。


「これから、村に行くんでしょ?」


「ああ」


「その前に、ちょっといい?」


 村の共同墓地から少し行くと、ちょっと開けた川辺に出る。

 子供の頃は、四人でよく遊んだ。だけど、今ここにいるのはそのうちのふたりだった。


「リーザは?」


「あいつは、今日は来ないよ。気を遣っているんだろう」


「まあ、仕方ないか」

 リーザがもはやヒトでないことは村の誰もが知っている。

 この村は、かつて吸血鬼に救われた。

 だから、他の場所よりは吸血鬼に対する否定的な感情は薄い。それでも、全くないわけじゃない。

 それ以上に、五年前から時が止まってしまった彼女の姿は異邦のものとして映るのだろう。

 だから、リーザは村を出て、あの森の中で暮らすことを選んだ。

 昔のようにリーザを思うのは、思おうと努力をするのは、俺とロゼッタ。それから、俺の母さんくらいだろう。

 きっと受け入れてくれるはずだったリーザの両親は、もうこの世にいない。


 たった三人。百人以上の人間の中で、たったそれだけだ。


「あのさ……」


 ロゼッタは口を開きかけて、ためらった。


「ん……」


 俺は特に促すこともなく、待つ。言いづらいことだったら、無理に聞き出すこともない、そう思ったから。

 それとも、俺が聞きたくなかったのかもしれない。


「グレウスは、どうやって死んだの?」


「どうって……」


 跳ね上がった心臓を、押さえつける。


「俺と一緒に戦って、死んだんだ……」


 前にも彼女に言った言葉を、繰り返す。

 戸惑いが漏れていたかもしれない。

 だけど、白を切り通す。どうして、またそんなことを訊くんだ――そういう理由で戸惑ったことにすればいい。


「助けが来たんだけど、間に合わなかったんだ。あいつが受けた傷は深くて……その、ごめん。俺が、もっとしっかりしていれば――」


 視線を逸らしながら、詫びるように言う。

 そういうことにしておいた。

 彼女には、そう伝えた。

 グレウスが俺を裏切って、逃げたこと。その事実は、俺とあいつしか知らない。リーザにも話していない。

 きっと……

 きっと、大して変わらない。

 グレウスは死ななかったら、引き返してきたはずだ。俺のもとに。そしてふたりで生き延びてから、俺に謝ったに違いない。

 そうだったと、俺は思う。

 俺の中でのグレウスは、そうなっている。



 だから――


「ごめん、ロゼッタ」


 彼女には、そう伝える。


「あのさ……覚えてる?」


「え?」


 ロゼッタの声の空気が変わる。俺は顔を上げた。

 彼女は背中を向けていて、その表情は分からない。

 静かな声で、思い返すように言う。


「ずっと昔、四人で肝試ししたよね?」


「え、ああ……」


 おぼろげながらも、思い出してきた。

 四人で夜遅くに抜け出して、森の中に入った。その時突然に飛び出してきた何かに俺達は驚いて――あいつだけが逃げ出した。

 影の正体は、何かの小動物で、俺達三人は無事だった。

 その後、森の入り口付近でグレウスと、彼が案内してきた父さん達と出会った。それは、あまり思い出したくない思い出のひとつだった。

 父さん達にはこっぴどく叱られたけど、それ以上に――ずっと辛かったことだから。


「それが、何?」


 だけど、俺は気付かないふりをする。

 そのことは、思い出していないふりをする。


「…………」


 ロゼッタは振り返り、俺を見る。

 その瞳は、俺の心を見抜いているのかもしれない。


「ううん、何でもない」


 やがて、そう言って微笑む。どこか無理をするように。

 きっと、俺の思い違いではなかったと思う。


「ねえ、イクス」


 一転して明るい声で、突然に、


「今日は帰るの?」


 訊いてきた。


「え……どっちのことだよ?」


 帰る場所と言われても、ふたつあるのだ。


「あ、そのリーザのとこ」


「今日は実家に泊まる。リーザに言われたんだ。たまには親孝行してこいって」


 気を遣ってくれたんだ。俺の、母さんのことを。


「そっか。リーザ、優しいね」


「当然だろ」


 俺は臆面もなく、そう答える。


「俺の自慢の妻なんだからな」


 胸を張って、言葉にする。

 そう、彼女は確かに俺の妻だった。

 彼女は、もう人間ではないけれど。子供も作れないけれども。一緒に年老いていくことだって出来ないけれども――


 それでも、俺達は確かに夫婦だった。


「あはは~、のろけられちゃったわね」


 けらけら笑いながら、ぱたぱたと手を振るロゼッタ。


「じゃあ、明日あなたの家に行くよ。一緒にリーザのとこに行こう」


「わかった」


「ん……」


 ロゼッタはそこで一瞬だけ息を飲んで、


「じゃあ、またね」


 背を向けた。肩にかかる髪が、舞う。

 その髪が、去り際の彼女の表情を隠した。

 そうして、走り去っていった。

 もう振り返らずに、こちらを見ようとはせずに。


「…………」


 俺はひとり残されて、(たたず)む。


「……これで、いいさ」


 自分に言い聞かせる。

 それは、言い訳だったかもしれない。

 それでも、俺はそう決めたから。

 あの事実は、俺の心の中に葬ろう。それでいいじゃないか。



 ふと見やるその水辺に――

 俺は、仲良く遊ぶ子供達の姿を見た。

 男の子がふたり。女の子がふたり。

 その先を知らずに、無邪気にはしゃいでいたあの頃。

 それはきっと幻で。

 もう、ずっと遠い昔の思い出だけど。

 それでもいいって――


 俺は思えるから。


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