〈イクス〉He Identified Himself As The “SAMURAI” 3
「じゃあ、ちょっと言ってくる」
リーザに見送られて、俺は家を出る。
「うん、今晩は帰ってこなくていいからね」
「何だよ。冷たいこと言うなあ」
「たまには、親孝行をしてきなさいってことだよ」
今日、俺は村に帰る。
時々はそうやって母親の様子を見に行くのだ。
「俺がいなくて寂しくないのか?」
「そりゃあ、寂しいけどね。大丈夫、一晩くらいならば平気だから」
リーザは笑う。一晩だけならば、平気だって。
「お母さん、大切にしてあげなさい」
年上ぶってそう言った。もう俺よりも幼い少女の姿で、昔のようにそう言う。
「ああ」
俺も胸の痛みを押し殺して、笑った。
彼女の言葉に甘えるのもたまにはいい。昔みたいに。
「じゃあ、明日には帰るよ」
実家に向かう帰り道。
多少遠回りをして、俺は寄り道をする。
昼下がりの日差しを浴びて、佇む墓標達。そこはどこかもの寂しく、やるせない。
それはきっと、思い知らせるからだ。
死んだ者と、生きる者。
そのどうしようもない隔たりを、こうやって突きつけてくるから。
「父さん、ひさしぶり」
墓標のひとつに呼びかける。手を合わせる。だけど、そこに父親はいない。
戦場ではぐれてずっとそれっきり。一年前に、主のいない墓をそこに立てた。
真新しい花が供えられている。墓石も綺麗に磨かれていた。きっと母さんがまめに参っているに違いない。その横に、俺が持ってきた花を供える。
それから――
「よう、グレウス」
少し離れた場所にある別の墓石に呼びかける。
無論、返事はない。
死者は答えない。生きる者の言葉には、もう応えない。答えるのだとしたら、きっと心の中にある幻だけだ。
ふと誰かの気配を感じる。
立ち上がって振り向くと、見慣れた姿があった。
「やあ、ロゼッタ」
花を手に、佇む女性。
栗色の髪を、肩で縛っている。
少女だった面影を残しながら、美しく成長したもうひとりの幼馴染みがそこにいた。
彼女はなぜか言葉につまり、それからかすかに微笑んだ。
「うん、イクス」
それは、どこか痛むような表情だった。
そう見えたのは、気のせいだったのだろうか。
◇
グレウスの死体は、その場に埋めて弔った。
一房だけ切り取った髪を手に、俺はそいつを置いていく。
あいつとはしばらく連れ立つことになった。
俺の面倒を見てくれたのだろう。にわか戦士がたったひとり、それも怪我を負っている状態で、このまま放り出すのは心苦しかったに違いない。
あいつ――自分を『サムライ』と名乗った男。
「サムライってのが、名前なのか?」
ある日、森の中で野営をした時。
俺は、焚き火を囲んで正面に座るあいつにそう訊いていた。
「ん~、まあ違うんだけどな。似たようなもんだ」
そいつは炙った猪の肉をほお張りながら、答えた。
「どういう意味だ?」
「まあ、この国では騎士とか言うだろ? それと同じようなものだ。俺の国での呼び方だと思ってくれていい。だけど、この国ではそんな呼び方はないだろうし、そうやって俺ひとりが名乗っているならば、名前と大差ねえだろ」
「そういう、ものか?」
「細かいことは気にすんな」
二本目の串焼きに手を伸ばすそいつ。
ふと思う。
遠い異国の男。彼はこの国でどうやって生きてきたのだろう。何を思って、顔や腕にくっきりと残る傷を受けて、何を考えて生きてきたのだろう。
見上げる夜空には、無数の星が瞬いていた。
こいつの遠い故郷と、その空はつながっているのだろうか。
――そんなことを考える。
「それよりも、おまえのことを訊かせろよ?」
「俺?」
考え込んでいた俺は、ちょっとだけ反応が遅れた。
「ああ、おまえは傭兵じゃねえ。俺とは違った生き方をしてきたんだろ? そういう奴の話を訊いてみてえな。護衛の代価だ。そのくらいはいいだろう」
確かに、俺はこいつの護衛を受けているようなものだ。それでいて、金は払っていないのだから――まあ、そのくらいならば。
だけど。
「そんな面白い話はないと思うけどな……」
「そうでもねえさ。おまえみたいな奴の話を聞く機会なんて滅多にねえんだ」
「……わかったよ」
俺は話した。
平凡な村での暮らし。そこで一緒に育った幼馴染みの少女。
そして、彼女と約束をしたこと。
生きて帰る。絶対に、生きて帰るって――約束したこと。
さすがに気恥ずかしかったので、旅立ちの前日に交わした口付けのことは触れないでおいたけど……。
「リーザ、か」
そいつは、退屈なはずの俺の話を静かに聞いて。
聞き終えると、笑いながら――
『じゃあ、絶対に生きて帰らなくちゃならねえな』
――そう言った。
その笑顔は温かく、頼もしくて……でも、どこか哀しげに見えたのは、俺の気のせいだったのだろうか。
もしかしたら、自分とはあまりにも違う世界に生きる俺のことを、羨んだのだろうか。それとも――
閃く銀。
あいつの振る一刀が、肉を切り裂き、骨を絶つ。
悲鳴が引き裂いて、血飛沫が舞い踊る。
相手は野党だった。それとも傭兵だったのか。
どちらでも変わりはない。
そいつらのすることと、その末路に。
旅の男がふたり。格好の獲物だと思ったのだろう。だけど、そいつらの選択は間違っていた。
俺はともかく、あいつがいたのだから。
あいつは、十人以上を相手に対等以上に剣を振るう。
木々を利用して、視界を遮り、斬り捨てた死体を蹴り飛ばして、相手の攻撃を妨害する。
ひるんだところをすれ違いざまに切り捨てて、その後ろにいた相手に向かうと見せかけて――横に飛び退る。
背後に迫っていた男と、そいつの先にいた相手とが同士討ちをしかけてしまい、固まる。
そこに、鞘から抜き放つあいつの一閃。ふたりまとめて、切り裂かれる。
半数ほどを失って、そいつらは逃走していった。
俺は、呆然と立ち尽くす。その戦い方はあまりにも見事で、俺にとっては現実離れし過ぎていた。
きっと、そいつは戦士だった。
ただ戦うために戦い、そのために生きる。
だからこそ、強い。
少しずつ現実感が戻ってくる。
その途端、噎せるような血の臭いが鼻を突く。
しばらくぶりの血臭は耐え難く、吐き気を催す。思わず呻いて、身体を折り、その拍子に死体のひとりと目が合った。見開かれた瞳が、恨みをもって語りかけてくる。
その恐怖と嫌悪感。
耐え切れずに、俺は吐いてしまった。




