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紅い世界に雪が降る  作者: ハデス
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〈イクス〉He Identified Himself As The “SAMURAI” 2

 突然の敵襲。

 指揮系統もばらばら。

 寄せ集めの俺達は、ただ逃げ惑うことしかできなかった。

 視界の悪い森の中を、俺とグレウスは並んで駆ける。

 親父とははぐれてしまった。だけど、今は気にかけている余裕なんてない。

 振り返る余裕なんてない。転びそうになりながらも、俺達は無我夢中で走っていた。追ってくる足音が、消えない。

 そいつらは、俺達ふたりよりもはるかに数の多い敵兵達はしつこくしつこく追ってきやがる。 すぐ背後で、まるで巨大な化け物が口を空けてくるような恐怖感。きっと、さして違いはないはずだ。


 それは、偶然だったのか。

 ひゅっと風切り音。

 右足に痛みを覚えて、俺はバランスをくずして転んでしまう。


「あ、ぐ……」


 たまらず地面に突っ伏してしまう。


「イクス?」


 グレウスが声を上げて、立ち止まる。


「大丈夫か?」


 そう言って、俺に差し伸ばそうとした腕を……だけど、そいつはためらった。

 その目は、俺の後ろに向けられている。木々の向こうに、垣間見える敵兵の姿。

 迷いは一瞬。

 その一瞬で、終わる。


「……すまない」


 呻くようにそう言って、グレウスは踵を返した。


「……グレウス?」


「すまない!」


 俺の漏らした声を、荒げる声で振り払い、グレウスは走り去ってしまう。


「…………!」


 友人だった。

 同じ村で育って、仲のよい友人だったはずだ。戦場に向かう時には、一緒に生きて帰ろうと誓ったのに――


 あいつの背中が、俺の視界に突き刺さる。

 心臓に杭を突き立てられるような絶望感。怒りよりも、尚強い衝撃は俺の頭を真っ白に塗りつぶす。

 そして――


 状況は絶望的だった。

 周囲を見回す。

 俺を取り囲む傭兵達。

 全員が全員、にわか兵士の俺なんかより剣を振るってきている。きっと俺の何十倍も、人を斬り捨ててきている。

 だから、俺には勝てない。

 俺がたったひとりで、どうしろというのだ。

 たった独りでどう切り抜けろというのだ。

 ふとひとりの男と目が合った。

 そいつは――笑った。

 笑ったんだ。俺を。

 こうして為す術のない俺を、笑いやがったんだ。 


 ……ふざけるな。

 かあっと頭が熱くなった。

 ふざけるな。ふざけるな! ふざけるな!

 どうして――

 俺が、殺されなくちゃならない。

 理不尽に、憤る。

 こんな奴らに。こんなクソ野郎どもに!

 どうせ生き抜いたって、殺して奪って犯すしか脳のないこんな屑どもに――俺が、殺されてたまるものか!

 俺は――

 約束したんだ!

 生きて帰るって。約束したんだ――

 その約束だけは、その想いだけは、こんな奴らに負けられない!  


「……う、あああああああああああ!」


 俺は叫んで、手近にいた男に斬りかかった。

 ろくに立ち上がらないままで、技も何もあったものじゃない。不恰好で、見苦しい特攻だったに違いない。

 だけど、それでも俺の精一杯だった。

「な!?」

 そいつは驚きながらも、剣を振り下ろしてくる。よけている余裕なんてない。俺は無我夢中でそのまま突っ込んだ。

 頭上すれすれに風が吹き抜けて、背中に鈍い痛みが走る。知った事か! 俺は歯を食いしばしって両手に握った剣を振り回した。鈍い音、悲鳴、手に届く衝撃に剣を手放しそうになるのを必死に堪える。

 視界によぎった赤いものに、覚えそうになる恐怖を押し殺す。込み上げてくる吐き気を、噛み殺す。

 脇目を振る暇なんてない。そのまま転がって、目の前にあった誰かの足をなぎ払い―― 

 その瞬間、頭上を何かが飛び越えていった。


「な、何だてめえ!」


「くそっ!」


 途端に背後でざわめき出す傭兵達。続いて、剣戟と悲鳴。

 俺はそこから這いつくばって少し離れてから、後ろを振り返った。

 眼前で、閃く(しろがね)

 甲高い音が響き――傭兵の手にした剣が根元から切り裂かれていた。 


「……え?」


 まるで冗談みたいな光景だったから、俺は思わずそんな声を漏らしていた。

 自分の目を疑う。 

 剣と剣がぶつかりあい、互いに歯零れて、折れたことなら見たことがある。だけど、剣が剣を切り裂く――そんな一方的な場面は見たことがなかった。

 返す剣の横薙ぎ。

 たった今得物を切り裂かれた傭兵の男は、自分も同じようにその首を飛ばされていた。


      ◇ 


「……大丈夫か?」


 鮮血に塗れる剣を右手に、その男は低い声で訊いてきた。

 突然に現われて、俺の危機を救ってくれたその男。足もとに横たわる傭兵達の死体が、その尋常でない彼の実力を物語っていた。


「え? あ、ああ」


 俺は事態についていけずに、生返事を返すことしかできなかった。

 そいつは、風変わりな男だった。

 年は、俺と同じか少し上くらいで、二十前後に見える。細身で背が高く、端整な顔立ち。ざんばらの髪は真っ黒で、その瞳も真っ黒。肌の色は黄色がかっていている。見慣れない容貌。 

 出で立ちは、軽装だった。肩当てと手甲と(すね)当てくらいしか、防具らしい防具はない。

 そして――

 その手にする剣も、また見慣れないものだった。反りがある刀身。細身で華奢で、すぐに折れてしまいそうなほど頼りないのに、だけど――つい先ほどの大立ち回りは、確かにその剣によるものだった。


「その……助けてくれたのか?」


 警戒が、声に出ていたかもしれない。

 男の鋭い瞳と、右頬と顎に刻まれた傷跡、発する剣呑な空気が、ただの救い手だと思わせるにはあまりにも物騒すぎたからだ。


「警戒しなくていいぜ」


 男の声が和らいだ。

 その声は意外にも優しげで、覚えた警戒心を薄れさせるには充分だったかもしれない。


「おまえ、イクスか?」


 言いながら、手近な男の死体から剥ぎ取った衣服のきれで剣についた血をぬぐう。


「どうして……俺の名前を?」


 警戒が、よみがえる。

 男は平然と、


「頼まれたんだ」


「……頼まれた?」


 怪訝そうに眉をひそめる俺に、そいつは近づいてくる。

 剣を腰に帯びた鞘に納めてから、かがみこむ。俺の右足を見ながら、


「まずは手当てをするか。ちょっと見せてみろ」



 そいつの手当ては的確だった。

 肩を貸すか、という申し出に首を振って、俺はそいつの後についていった。

 鞘に納めた剣を杖代わりに、さして進まぬうちに――

 鼻を突く血の臭いに、顔をしかめる。無論さっきの場所だって血臭は漂っていたけど、そこから離れてまた別のものだとすると仕方がない。

 だけど、どうしてこっちからも血の臭いがするんだ?

 ふと、思い当たった。そいつが飛び出してきた方向。それは、あいつが逃げていった方向ではなかったか?

 嫌な予感がする。

 その予想が煮え切らないうちに、俺は――



「……グレウス」


 その光景を目の当たりにしていた。

 俺を見捨てて逃げた友人は、もはや物言わぬ身体と成り果てていた。


「俺が来たときにはもう致命傷でな……それで、頼まれたんだ。この先にイクスという男がいる。助けてやってくれ、ってな……」


 男の声が、遠い。

 すぐ近くに傭兵らしい死体がふたり転がっている。おそらく、男がやったのだろう。

 逃げたグレウスは、その先で傭兵の仲間と出くわし襲われた。

 あまりにも皮肉な結果だった。

 逃げたそいつが死んで、逃げられた俺が生き延びてしまった。


「…………」


 友人の死体を前に、俺は何を思えばいい。何を感じればいい! わからない。悲しめばいいのか? だけど、見捨てられた瞬間の絶望と怒りがまだ残っている。

 それならば、いいざまだと思えばいいか? 恨みつらみをぶつければいいのか? だけど、友達だったんだ。……確かに、友達だったんだ!


「逃げたんだ……」


 気が付くと、言葉にしていた。

「こいつは、俺を置いて……逃げたんだ!」


 感情を持て余すまま、口を開く。

 持て余した感情は、きっとどんな形にもならなかったはずだ。


「恨めしいのか?」


 その言葉に、俺は振り返った。

 俺は、どんな顔をしていただろうか。

 悲しんでいたのか。怒っていたのか。そもそも、その男からどんな言葉が欲しかったのか。それすらも、わからない。

 だから、わからない。


「もしかしたら、途中で引き返したかもしれない」


「…………」


「もしかしたら、そのまま逃げたかもしれないがな」


 淡々と言うその言葉が、癇に障った。無性に腹が立った。そんな可能性を並び立てたって、どんな意味があるっていうんだ!


「だけど、そいつはもう死んでしまった」


「そんなこと――」


 ――わかっている! 叫びそうになって、だけどその言葉は飲み込んだ。


「だから、その先のそいつはおまえの心次第だ」


「…………え?」


 男の続けた言葉が、俺の心を貫いた。


「死んじまった人間は、そこで終わっちまう。だから、残された人間がどう思うかで、そいつの存在が決定する」


「…………」


 俺は、視線を戻す。もはや物言わぬ友人の身体。

 最期に、彼は何を思ったのだろうか。死ぬ間際に、どんな言葉を残したかったのだろうか。


「なあ……」


「何だ?」


「あいつは、俺を助けてくれと言ったんだな?」


 先ほど聞いたその言葉を、もう一度聞きたかった。

 もう一度、確かめたかった。


「ああ」


 男が答える。


「それと、謝っておいてくれ……そうも言ってたな」


「……そう、か」


 俺を目を閉じて、つぶやいた。


『そう言えば……あんたの名前、まだ聞いてなかったな?』


『俺か?』


 俺の問いかけに―― 


『そうだな……』


 あいつは片方の眉だけを跳ね上げて、おどけるようにそう名乗った。



『俺は……サムライとでも呼んでくれ』


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