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紅い世界に雪が降る  作者: ハデス
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〈イクス〉He Identified Himself As The “SAMURAI” 1

 それは、まるで夢に見たそのままの光景だった。


 俺を出迎えてくれる彼女。

 夢の中の彼女は、あの日のまま。

 当然だ。

 彼女の姿を見た記憶は、そこで止まっている。

 だから、現実は違うはずだった。

 きっと俺のことを涙ぐみながら、出迎えてくれるはずだった幼馴染の少女。

 二年……。

 そう、俺の旅立ちから二年だけ年月を重ねた彼女がそこにいるはずだった。

 そこだけが、夢と違うはずだった。


 ……だけど。


 俺を出迎えた彼女の姿は……まるで、夢の通りだった。

 その姿は、二年前と変わりはしなかった。彼女は、もう年を取らない。 

 二年前……正確に言えば、その二週間後に、彼女が生まれ変わったその時から。ヒトをやめた、その日から。

 何て、出来のいい演出だろう。

 何て、皮肉がきいた現実なんだろう。

 神様とやらは、どこまで気まぐれで残酷なのだろう。

 首筋に突き立てられる牙の感覚を、まるで他人事みたいに思う。

 罰せられたかったのかもしれない。

 断罪してほしかったのかもしれない。

 だけど――

 それは、誰も喜ばない。

 それでは、誰も救われない。


 ただ、俺自身が楽になりたいだけの身勝手な贖罪でしかなかった。


       〈イクス〉サムライの男


「どうして……抵抗、しなかったの?」


 ベッドに横たわる俺に、彼女は訊いてくる。

 首には白い包帯。彼女が巻いた。

 牙を突き立てた彼女はすぐに俺から離れて、半狂乱のままに、だけど的確に処置を施した。

 吸血鬼に血を吸われた者は、同じ吸血鬼となる。

 だけど、それは吸った吸血鬼の唾液が犠牲者の体内に入り込み、それが体中の血液を流れてめぐることによって変容する。そうやって完成する魔術の儀式。

 だからその前に、傷口から唾液を吸い出し、適正な解毒を施せば……吸血鬼になることはない。彼女は解毒剤となる聖水も持っていた。

 後に、それは彼女の世話をやいた吸血鬼の少女が残していったものと聞いた。

 その吸血鬼の少女は、この事実を予想していたのかもしれない。


「どうして……?」


「ロゼッタから……全部、聞いたよ」


 戦場から帰って来た俺は、彼女の親友のロゼッタから全ての事情を聞いていた。

 彼女が生きるために、ヒトであることをやめたこと。

 そうまでして……今はひとり、森の中で俺を待っていること。


 ……だから?


「血を吸われようと……思ったんだ」


 俺の口を突いて出る。


「リーザが……吸血鬼になったと聞いて……そうまでして俺を待っていてくれて……吸われても、いいって思った……」


 ――違う。

 彼女のためじゃない。


「どうして……!」


 彼女の声は、悲痛だった。

 その声は、紛れもなく俺を責めるものだった。


「リーザ?」


「わたしは……吸わない! 絶対、吸うもんか! わたしは……わた……!」


 泣きじゃくる顔。

 繰り返す拒絶の意志。ようやく、今更になって俺は自分の言動が彼女を追い詰めたのだと知った。

 はねおきて、抱きしめる。

 荒々しい抱擁。それは、少しも優しくない一方的な押し付け。

 俺は、かけるべきうまい言葉すら見つからない。

 だから……きっと、そうやって黙らせる。ああ、俺は何て卑怯なんだろう。


「イクス……」


 膝を折っていた彼女を、俺は見下ろす格好になる。


「俺……」


 ささやく声は、震えていた。自分でも情けないくらいに、震えていた。

 だからこそ、俺にぴったりだ。


「俺さ……」


 ああ、最低だ。俺は何を言っている。言おうとしている?


「俺は、さ…………」


 だけど、止まらない。

 女々しい涙も、腰抜けな告白も、俺の意志なんてあっさり塗りつぶして流れていきやがるんだ。ちくしょう。


「――ヒトを、殺したんだ」


 それは……多分、血を吐くような告白だった。


       ◇


 ふりかぶって、勢いよく振り下ろす。

 鉄製の刃がざくりと地面に突き刺さる。それを振り上げて、また降り下ろす。

 その繰り返し。砂が舞って、落ちる。

 その繰り返し。飛沫(しぶき)が舞って、地に振る。



「ふう……」


 俺は首にかけていたタオルで、滴る汗をぬぐう。

 それから、腰を逸らして背伸びをする。


「あっちいなあ……」


 まだ春だというのに、まるで夏の陽気だ。俺は背負っていた(くわ)を地面に突き立てる。


「うう、腰いてえ」


 こうしていると、時々夢みたいに思う。

 あの日々はつかの間の悪夢で、俺はずっとこうして平凡に農作を続けていたのだと思う。

 ……いや、そんなのものは都合のいい思い込みだ。

 今は鍬を握るこの手に剣を握り、畑を耕す代わりに、人を傷つけた。素朴な土の匂いではなく、噎せ返るような血の臭いに囲まれた。

 その日々は……嘘ではなかった。

 あの日々は、揺ぎ無い現実だった。 

 二年間を、俺は戦場で過ごした。

 だけど生き抜いて、生き延びて、俺は帰って来た。

 一緒に狩り出された親父とは戦場ではぐれて、それっきり。

 親友だったはずの男は裏切って、それっきり。

 もうひとり、あいつとも別れて――

 俺だけが帰ってきた。


『そうだな……』


 あいつは片方の眉だけを跳ね上げて、おどけるようにそう言った。


『俺は……サムライとでも呼んでくれ』


 この国の人間ではない、黒髪と黒い瞳。黄色身を帯びた肌の色。

 刀身の反った異国拵(こしら)えの剣を持った男は、自分をそう名乗った―― 

 

       ◇


 ざあざあと雨が降る。


 昨日までの快晴が嘘みたいな天気だった。

 しばらく、窓を上げて眺めていて……雨が吹き込んでくることに気が付いて窓を下ろした。


「ふう……」


 ため息が漏れる。

 ようやく畑を耕したばかりだというのに……ついてない。せめて程々にしておいてくれと天に祈るしかない。

 それともうひとつ。その祈りを聞いてくれる神様が慈悲深いことも祈るしかない。


「イクス」


 声をかけられて、振り返る。

 彼女にはむしろこの暗澹たる天気の方が歓迎らしい。

 俺の不機嫌に気が付いてか、ふと表情を曇らせた。やばい……顔に出てたかな。


「何?」


 殊更明るく聞き返す。

 彼女はそれ以上の追及はしてこなかった。


「ん……その、紅茶でも淹れようかなって思ったんだけど」


「ああ、そうだな」


 俺は肩をすくめた。


「いただくよ」


 ――俺が戦場から帰ってから、もう三年が過ぎていた。


(……三年、か)

 それが、長いのか短いのかはわからない。

 年を経ないままの、彼女を見ているとそれこそほんの数日の時間だと錯覚する時もあるし。却って、そのことが非現実なほどに長い時間を思わせることもある。

 彼女はもう年を取らない。

 きっと、これからもずっと。

 代わりに、俺は年を取る。

 時間を重ねて、老いていく。

 一緒にいればいるだけ、お互いの隔たりを知っていく。

 

 だけど……これはふたりで決めたことだった。


 俺は、彼女に言った。

 俺も吸血鬼にしてほしいと。同じ存在になって、ともに生きようと。

 でも、彼女は首を振った。そして、言った。

『それは……わたしに、人を殺してほしいってことと同じ意味になるんだよ?』と。

 そういうことだ。

 彼女と同じにならなければ、俺には彼女の苦しみはわからない。

 だけど、逆を言うならば……彼女も俺と同じにならなければ俺の辛さはわからないということだった。


 ――それを言われたら、反す言葉なんて見つからなかった。


「うん、やっぱりリーザの淹れるお茶はうまいよ」


 お世辞じゃない。

 ワインやリキュールなんぞより、よっぽどうまい。

 そもそも俺は昔からアルコールの類は苦手だった。

 それに、これは吸血鬼になった彼女と共有できるほとんど唯一と言ってもいい嗜好だ。それだけで、何倍もうまいに決まっている。


「えへへ……そりゃあ、シェイラに教わったんだから」


 そう言って笑う彼女――リーザは上機嫌だ。

 変わらない、少女のままの笑顔。俺の大好きになった笑顔。だから……この一瞬くらいは、彼女の不老にも感謝しよう。

 せめて、つかの間でも。それが、ただの一時であっても。


「シェイラ……か」


 それは、幾度となくリーザの口から聞いた名前だった。

 吸血鬼でありながら、あれこれとリーザの世話をやいてくれた少女。それこそ、吸血鬼らしくなかった吸血鬼。

 だけど――

 そもそも、吸血鬼とは何なのだろう。

 血を啜る鬼。

 命そのもである血液を糧に生きる、悪魔。


「俺も一度くらい会ってみたいな」


 ――人だって、人を殺すじゃないか。


「そうだね……あ、でも、ちょっとやだかな」


「何でさ?」


「だってさ」と、リーザは含むところがあるような笑みを浮かべながら、


「彼女、ほんとかわいいんだよ。ちっちゃくて、すごく綺麗な銀髪でさ。まるで御伽話(おとぎばなし)のお姫さまみたいだったもん」


 言いながら、リーザは肩にかかる栗色の髪をもてあそぶ。


「何か妬けちゃうよ」


「ふうん」


「な、何よ?」


 今度は、俺が含むような相づち。眉をひそめるリーザ。


「リーザさ……もしかしてそういう趣味あったりしないよな?」


「え? ……そ、そんなわけないでしょ!」


 つまり同姓趣味でもあるのではないか、という俺のからかいの意味を知ると、リーザは真っ赤になって否定する。


「どうだかな~、だってさ。リーザ、子供の時に俺にリボンつけてかわいいとか言ってたことあるじゃんよ」


 あの時は本気になって嫌がったけど、今となっては他愛のない思い出のひとつだ。そう、涙が出るくらいにちっぽけで平凡な思い出だった。


「あ~あ~、リーザはシェイラ嬢にご執心か~。まったく、妬けちゃうね」


「ち、違うって言ってんでしょー!」



『リーザ、か』


 あいつは、俺の口にした名前を繰り返した。


『じゃあ、絶対に生きて帰らなくちゃならねえな』


 そう言って、あいつは笑った。




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