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紅い世界に雪が降る  作者: ハデス
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The Fragment Of The Red World Ⅳ――断章其の四

 ――わかった。

 じゃあ、約束だよ? ぜったい、ぜったいに約束だからね。


 それは、幼い約束だった。

 十歳を数えたばかりの少年と、十にも満たない少女の微笑ましい約束。

 時が流れれば、薄れてしまうかもしれない淡い恋だった。


(それでも……)


 守りたいと思った。

 ずっとそばにいて、その笑顔を見ていたいと思っていた。そう願っていた。


 守るのは自分だったはず……。

 それが……


 走る。

 自分とミアは駆けていた。

 ……頑張れ。ミア。

 その細い腕を掴みながら、駆けている。逃げている。

 唐突に。理不尽に。

 突如として地獄と化した街並みを、自分達は駆けていた。彼女はぼろぼろと泣きべそをかきながらも、懸命についてくる。

 逃げ切れる。

 自分達を追ってくる者達の歩みは決して早くはない。


(逃げ切れる)


 どうしてこんなことになったのだろうか。今朝までは何時もと何ら変わらない一日だったはずなのに。

 学校の休日。

 ミアの買い物に付き合ってふたりで歩いていた。楽しそうに彼女は笑っていた。

 唐突に響いた引き裂かれるような悲鳴。

 それが合図となって、平凡な日常は変溶したのだ。

 突如として姿を現したグールと呼ばれる化け物――見るのは初めてだった――が町の人々を襲い始めたのだ、混乱した人々は押し合いへし合い逃げ遅れ、すぐさまその餌食となった。

 自分とミアが、とっさに裏路地へ逃げ込めたのは運がよかったとしか言いようが無い。


「……あ」


 その時、つまづいてミアが転んでしまった。

 腕を離さなかった自分も体勢をくずして、立ち止まってしまう。


「……ミア?」


「……う、うん、大丈夫、だから……」


 立ち上がらせようとする。

 そこへ近くの扉を破って何かがまろぶように現れてきた。

 人型を保ちながらも、もはや決してヒトではありえぬ異形の存在。四体のグールである。

 自分とミアの姿を認めると唸り声をあげるグール達。

 開いた口からは凶悪な犬歯が飛び出し、悪臭を放つよだれをしたたらせている。獲物を見つけた、とでも。

 咄嗟にミアを庇うように立つ。

 抱えられた腕に彼女の震えが伝わってくる。その震えが萎えそうになる自分の心を叱咤する。


「……ミア」


 ささやくように呼びかける。


「俺が突っ込んで、道を作るから」


(守るって誓った)


 ……おまえが先に行け。


(俺が、守るって……)


 守りたいと、思った。

 ずっとそばにいて、その笑顔を見ていたいと思っていた。そう願っていた。

 守るのは自分だったはず……。

 それが……


 そのはずだったのに――


 飛び出そうとした瞬間、自分を払ったその小さな手。

 それから自分の前に立ちはだかったのは――小さなその背中だった……。


 悲鳴は、聞かなかった。


 悲鳴を上げる間もなく、彼女は死んだのか。それとも、自分の意識が聞くことを拒んだのか。

 わからない。

 わからない。

 空っぽになって、がらんどうになる。心が、粉々に砕け散る。

 ただただ呆然と立ち尽くして――

 ゆっくりと現実が侵食してくる。


「ミ、ア……?」

 

 瞳が、焦点を取り戻す。

 目の前の光景を、思い知る。化け物どもに群がられて、貪り食われる彼女の姿。血溜りの中に、ちぎれた腕が転がる。


「う……う、あ・あ・あ・あ・あ・ああああああああああああ……!」


 猛毒に(むしば)まれて。激痛に(さいな)まれて。

 その口から絶叫がほとばしった……。


「あああああああああああああああああああああああああああああああアアアアァァァ……!」


 あらん限りの声を振り絞って――絶叫した。


「ミアアアァ……!」


 そして――

 自分の絶叫に、わたしは目を覚ました。



「……大丈夫?」


 目を開くと、ミアの姿があった。

 この紅い世界で、わたしを心配そうに見ている。


「リーザちゃん」


 そして、わたしの名前を口にした。


「今、のは……?」


「え?」


「夢、だったのかな……あなたが殺されて……男の子、そう……男の子をかばって……!」


 まとまりのないわたしの言葉。支離滅裂だったけど、ミアにはわかったようだった。

 辛そうな顔をして、それでも微笑んで――口を開いた。


「そうか……見たんだ」


「……どういう、ことなの?」


「リーザの見たのは、多分アルの記憶だと思うよ」


 わたしは起き上がって、膝を抱えて座る。そのとなりにミアも並んだ。

 アル――アルーヴァさんの記憶。


「あれは……昔にあったことなの?」


「うん。わたしはアルを庇って、殺されちゃったんだと思う」


 哀しそうに、悔しそうに、ミアは言った。


「だけど……気が付いたら、ここにいたの。この紅い世界にひとりでいたんだ」


「ここは……あの世なの?」


 背筋が寒くなる。言葉にして訊くのには、抵抗があった。


「よく……わからない」


 ミアは空を見上げる。

 わたしも釣られて、見上げる。相変わらずに、気分が悪くなるくらいに真っ赤に染まる空だった。


「ずっと、ここにいたの?」


「……うん」


「どのくらい、なの?」


「わかんない。でもたくさんかな……」


 そういうミアは、見た目の幼さを裏切って、わたしよりもずっと年上に見えた。多分、それは間違いではないと思う。

 彼女はわたしと同じように、そのままの姿で、ずっと――


「寂しく……ないの?」

 

 こんな世界に、ずっと独りでいて。


「大丈夫」


 ミアは微笑んだ。


「だって、ここは雪が降っているでしょ?」


「……ええ」


 確かに、ここだけは。わたしとミアのいるほんのわずかな場所だけは、雪が降っていた。

 でも、それがどういう意味を持つんだろう。


「きっとアルが降らせてくれているんだと思う。だから、この雪が降り止まない限りは待っていられる」


「……待っている?」


「うん。何時か、きっと帰ってきてくれる。そう信じてるんだ。約束したから。アルと、約束したから」


 真っ直ぐな瞳で。

 真っ直ぐな言葉で。

 ミアは、健気(けなげ)に笑ったんだ。


 ――約束、だって。


 わたしはミアと出会った理由を、知ったような気がした。

 わたしと同じだった。

 苦しくても。寂しくても。辛くても。

 大好きな人を待っている。

 思って、願って、待ち続けている。



 彼女は――わたしと同じだったんだ。


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