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紅い世界に雪が降る  作者: ハデス
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〈シェイラ〉It Passes ,Her Days 6

「殺してやる……」


 ゆらり、と一歩踏み出す。

 わたしの彼への慕情を紡ぐ言葉は、アルーヴァの心を逆撫でる。


「殺してやるよ……」


 わたしの彼を肯定する言葉は、アルーヴァの激情を燃え上がらせる。

 その時、アルーヴァはわたしもまた(かたき)として見なしたに違いない。憎むべき相手として認識したに違いない。

 だから――


「殺して……やる……よ・お・おおおおオオォ……!」


 紡いだ言葉の最後をそのまま絶叫へと変え、ほとばしらせ、わたしへと跳びかかってきた。


「わかるか!? きさまらが奪ったんだぞ!」


 吼え、鋭い爪を突き出してくる。ごり……! と言う音。わたしの頬の肉がをごっそりと抉り取られた。


「……!」


 ほんの一瞬、呆然とする。


「顔……わたしの顔……マスターが綺麗だって言ってくれた……わたしの顔ををを……!」


 悲鳴の代わりに、わたしは憎々しげに叫んだ。


「顔だと? それがどうした!」


 怒鳴り返してくるアルーヴァ。


「そんなものがどうだというのだ? おまえ達がしたことが、そんな程度で償えるとでも思っているのかああ嗚呼ぁぁ……!」


「アルーヴァぁぁ!」


 繰り出すわたしの鉤爪が、アルーヴァの右肩を抉る。


「ぐ……!」


 激痛に表情をゆがめるアルーヴァ、だけど、次の瞬間には違う理由にその表情が歪む。


「はは、何だ? その顔は……その言葉は? ふざけるなあああぁぁ……!」


 殴りかかってきた。


「そんな表情をするな! そんな言葉を吐くな! おまえは、おまえ達は、ただ泣き叫んで、はいつくばって、俺に引き裂かれていろ……!」


「ああああああああ……!」


 今だったら――きっと。


 おとなしくアルーヴァにやられていたと思う。

 きっと、それが正しいから。

 アルーヴァの怒りは、憎しみは、きっと正しかったはずだ。

 でも、その時のわたしはまだ間違っていたから――

 お互いに引き裂き、嬲り、殴りつけ、蹴り飛ばしあった。憎悪の言葉を吐き、呪いの言葉を投げつけた。ともに人外として戦い、吸血鬼として殺し合った。


 お互いに、生贄(いけにえ)を求めた。

 醜く表情をゆがめ、汚い言葉を吐く男。この男が自分の幸せを壊そうとしている。それが、その時のわたしの心を支配するものだった。


(――アルーヴァ……!)


 許さない!

 許せない!


 だから――


(殺す……!)


 肉の一片すら残さずに、その存在を抹消する。


(殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す!)


 完全に否定してやる! 血の一滴までも、残すものか!

 そうすれば…


(そうすれば、きっとマスターはまたわたしを見てくれる。わたしだけを愛してくれる)

 また……お互いに(むさぼ)るような口付けを交わそう。お互い、溶け合うほどに。激しく。狂おしく。切なく。荒々しく。愛情に、溺れよう。愛情に、酔いしれよう。

 ――きっと、心の底からそんなことを思っていた。

 愚かにも。

 浅ましく。

 意味もなく。



 戦いは、長かった。


 その時は、お互いにまだ未熟だったから。アルーヴァは吸血鬼になってまだ若すぎて、わたしは戦うにはまだ幼すぎた。

 戦力はほとんど互角で、決着はつきそうになかった。決定打にならない攻撃を繰り返し、再生を繰り返す。何度も何度もくりかえした。

 だけど――


「はああ……!」


 わたしの放った鋭い鉤爪がアルーヴァの肩口を深々と抉った。

 いや、ほとんど切り裂いた。

 だらり、と垂れそうになるものの、断面から細い触手のようなものが幾筋も伸び、つなぎ合わせてしまう。完全に傷が癒えたわけでなく、ぼたぼたと赤い血が流れるものの、致命傷には至らない。


「が、うあああ……!」


 負けじと膝蹴りを放つアルーヴァ。先ほどまでなら、まともに決まったではずのその一撃は狙いをわずかに逸れ、わたしの脇腹をかすった。

 それは、最初はほんのわずかだった。

 けれども、次第にその変化は確実なものとなっていった。

 青かった空が赤く染まる頃には、わたしが圧し始めてきていた。

 わたしはアルーヴァと違い、今の今までほとんど戦闘経験がなかった。

 だけど、この先ほどより続くの戦いの中で、戦い方を学んでいった。

 もちろん、つけ焼き刃程度のもので、アルーヴァには遠く及ばない。でも、お互いの能力と技術の差にて保たれていた微妙な均衡をくずすには、それでも充分だった。


「はあ……!」


 アルーヴァのすくいあげるような手刀の一撃。そろえられた鉤爪が一枚の刃みたいに、わたしの顎下に向かう。届く前に、その手刀を腕ごとがっちりとつかんで止めた。

 アルーヴァに向かって膝蹴りを繰り出す。腕をつかまれたままの格好ではかわせない。可能な範囲で身体を逸らして、幾分衝撃を和らげたものの、それでもアルーヴァはえずいた。

 わたしはつかんだ腕を勢いよくねじる。

 べきぼき、と骨の折れる音。めきめき、と腱がひきつれる音。二回転ほどねじられたその右腕は、ほとんど肘の辺りで、ちぎれかかった。


「ぐ、ああ……」


 続けざまに襲い掛かる激痛に、アルーヴがのけぞりかける。

 左の拳でわたしの顔面めがけて殴りかかってきたけれど、今一力のこもりきらなかったその拳は、わたしの口に受け止められた。それでも前歯が何本か砕けたけれど、躊躇(ちゅうちょ)することなく鋭い犬歯でアルーヴァの拳を解き、人差し指と中指を食いちぎった。

 渾身の体当たりを前面から喰らい、アルーヴァは倒れた。勢いあまってわたしも一緒に倒れる。図らずもわたしがアルーヴァを押し倒すような格好になった。


 ぎりぎり……と。

 わたしはそのまま、のしかかり、地面に押し付けたまま、アルーヴァの首をつかみ、その両腕に力をこめはじめた。

 窒息死させるなんて生半可なものじゃない。そもそも吸血鬼がそのような方法で死ぬはずもない。首の骨をへし折るつもり……いや。


「ぐ、あ・あ・あああ……」


 絞り出すような息を漏らすアルーヴァ。わたしはその首をひきちぎるつもりだった


「……うふふ」


 苦悶に歪むアルーヴァの表情を見て、わたしは満足そうに薄く微笑んだ。きっと少女の表情に、わたしは狂気をはりつかせて、残酷な色を彩ったに違いない。


「あは・ははははは……」


 声を上げて、笑い出す。


「あはははははは……死んじゃえ……死んじゃえ……死んじゃえ……死んじゃえ死んじゃえ」  

 乾いた声で、わたしは狂ったようにくりかえす。


「………………」


「あは、あはは……死んじゃえ……死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃ……! ……え?」


 突然。

 わたしの言葉が止まった。


「…………!」

 アルーヴァもその瞬間憎悪を忘れ、呆然とそれを見た。

 わたしも同じように、視線をそこに落とす。


 

 自分の胸。

 そこから、細い腕が生えていた。


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