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紅い世界に雪が降る  作者: ハデス
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〈シェイラ〉It Passes ,Her Days 3

『みんな消えちゃえばいいんだ』


 そう、わたしは望んだ。

 自分を苦しめるもの、そんな全てがなくなってしまえばいいと思った。

 そして、その望みをその少年に口にした。


『わかったよ』


 そして、少年はにっこりと笑った。


『僕が、消してあげるよ』


 淡い金髪の少年の言葉通り、わたしを苦しめていた全ては、町ごと消え去った。

 わたしを大切にしてくれなかった大人達も。わたしの友達になってくれなかった子供達も。

 みんなみんな、消えてなくなった。

 その時から、彼が自分の全てとなった。

 彼が、わたしの王子様になった。


 ――レンヴィス。

 彼はヒトではなかった。

『吸血鬼』と呼ばれる存在がいる。

 人間の血を啜り、時に異形の存在へと変えて弄ぶ鬼がいる。

 ヒトにとって圧倒的な、そして忌むべき存在として君臨する吸血鬼達。

 彼は、その者達の王のように語られる存在だった。

 だけど、そんなことは自分にとってはどうでもよかった。些細(ささい)なことでしかなかったんだ。

 彼は、初めて自分に笑いかけてくれた人だった。

 初めて自分に手を差し伸べてくれた人だった。ずっとずっと求めていて、与えられなかったものを初めて与えてくれた人だった。


 やがて、自分もヒトであることをやめる。他ならぬ彼の手によって。

 恐怖はなかった。

 嫌悪もなかった。

 不安もなかった。

 後悔もなかった。

 自分も、彼に近い存在になれることがただただ嬉しかった。

 彼は、自分を愛してくれた。

 自分も彼を愛した。

 そうやってずっと一緒にいられるものだと――思っていた。


 だけど、後になって知る。

 それが、全部間違いであったことを。

 自分がどれだけ愚かであったかを――思い知る。


 彼には、きっと何もなかった。

 長く長く生きていて……だけど、だからこそ何もなかったんだ。がらんどうで空っぽで。

 だから、戯れに人間の真似をしてみる。気紛れに、吸血鬼の所業をしてみる。

 わたしを助けたのも、きっとそうに違いなかった。


 彼とは長い間一緒にいた。

 その間、たくさん見てきたはずだ。

 彼の戯れによって苦しむ人々。今思えば、わたしが消してくれと望んだ町の人達だってその犠牲に違いなかった。

 だけど、わたしは目をつむってきた。

 だけど、その人々の声には耳をふさいできた。

 わたしは、ただ彼を慕い、彼に抱きしめられて、彼に酔い続けていた。

 そうやってい続けて――


 アルーヴァと出会った。


       ◇


 とある小さな町を選び、人々が逃げ出せないように結界で覆い尽くした上で、数十人ほどをグールに変える。後は高見からそのグール達に人々が襲われていくさまを眺める。

 それがこの時、彼が行った『遊び』だった。

 逃げ場の無い空間で逃げ惑う人々。

 目の前で母親が食い散らされていく光景に泣き叫ぶ小さな子供。恋人に見捨てられ、その逃げていく背に向かって恨みの声をあげながら食べられていく少女。

 人外なる雄叫び。阿鼻叫喚。恐怖の絶叫。絶望の慟哭。悲哀の断末魔。

 それらを唄に奏でられる地獄絵図の狂想曲はしばしの間、彼を楽しませたはしたが、すでに興味を失っていた。

 ヒトならざる者達の饗宴(きょうえん)の跡。()せるような血の臭い。

 半壊した街並に転がるおびただしい死体は、ほとんど人としての原型を留めてさえいない。

 だけど、この時もわたしの目には映らなかったし、その耳には届きはしなかった。


 わたしの意識は、彼にしかなかったから。


「あれ?」


 ふと、彼が声を上げた。

 わたしと彼は教会の尖塔に座っていた。下の光景に、目を引くものでもあったのだろうか。

 つられて、見る。

 男の子と女の子がグールに囲まれていた。年は、十歳前後の幼いふたりだった。

 男の子が女の子を守ろうと、立ちはだかろうとしたその時。女の子が、男の子を突き飛ばしたんだ。

 普通の女の子。

 まだ小さくて、ただのか弱い女の子に違いなかった。それでも、彼女は男の子を守ろうと、その身を投げ捨てたんだ。

 その光景に、その時のわたしは――何を思ったのだろうか。

 男の子が絶叫する。

 男の子はそのまま半狂乱になって、グール達に飛びかかろうとする。

 その時――

 呆気なく、あまりにも呆気なく……グール達は灰となって、その形を失い、四散した。


「え……?」


 足を止め、思わず立ち尽くす男の子。 

 状況が飲み込めない。きっと悪い冗談のように思ったに違いない。

 たった今、目の前で女の子を貪り、無残に食い荒らした化け物達はほんの一瞬でその姿をかき消してしまったのだから。


「やあ」


 入れ替わりに、目の前に立つ見知らぬ少年――彼が、にこやかに微笑みかけていた。


「な? あ……」


「僕はレンヴィス。君は……?」


「…………?」


「名前だよ。君の名前、教えてよ」


 友好的に名乗り、男の子に名前を尋ねる彼。

 あまりにも場違いすぎる。男の子は、その異様な雰囲気に流されて、ほとんど無意識に名乗ったのだと思う。


「アルーヴァ……」


 それが、男の子の名前だった。


「ふうん、アルーヴァかあ」


 彼はその名前を繰り返して、肩越しに背後の血溜まりを見やり、


「ひどいねえ、これは」


 混乱するアル―ヴァをさておき、言った。その言葉の内容には反し、いかにも楽しそうな口調で。


 そして――


「僕なんだよ?」


 向き直り、


「え……?」


「これはね、僕の仕業なんだよ?」


 悪びれもせず、無邪気に告白していた。その様子は、まるで子供がとっておきの秘密を打ち明けるとでもいった雰囲気だった。

 だけど、その秘密は何て残酷だったんだろう。


「……?」


 彼の言葉が、すぐさまアルーヴァには理解できない。

 ある種の冗談の様な空気のせいで、混乱し、麻痺した思考。だけど、徐々に少しづつ、その空ろだった瞳に光がともっていく。

 理解の色が、浸透していく。


「おまえ、が……?」


 ぽつり、とつぶやく声。


「うん」


 彼は笑顔で、頷いた。

 満面の笑顔で、にっこりと頷いて見せた。


「おまえが……」

 その唇から、掠れ、ささやくような声が漏れる。

 それは、氷の声。きっと聞く者の背筋をそそけ立たせるほどに凍て付いた声だった。


「おまえが…………?」


「うん。そうだよ」 


「おまえが…………おまえが……!」


 がたがた、と震え出す。それは恐怖じゃなかったはずだ。

 彼のとなりに、わたしは降り立つ。わたしが何か言いかけるのを、彼は制した。何と言おうとしたのかは、よく覚えてはいない。

 ただ彼の瞳が、アルーヴァから離さなかったのは覚えている。


「ぐ・あ・あ・ああああああああ……!」


 アルーヴァは獣みたいな声を荒げて、彼に飛びかかった。

 殴りかかる。

 のしかからんばかりに、彼に肉薄して、無茶苦茶に殴りかかる。


「ぁぁああ! うあああ! ……っああ!」 


 まったくの無防備で、彼は殴られていた。見た目には、どちらも子供同士。


「あはは」


 軽く笑い、彼は無造作に片腕を振るった。それだけで――


「が、う……!?」


 アルーヴァの身体は勢いよく弾かれ、地面に叩きつけられ、転がった。


「は、ああ……うう……」


 うつぶせになり、両手両足を突っ張って起き上がろうとするけど……むなしく痙攣(けいれん)するだけだった。

 見れば、その下の地面から赤いものがにじみ出ている。

 左腕も、明らかに捻じ曲がっていた。

 ヒトである身と、そうではないものの差。脆弱な肉体は、ひと薙ぎで壊れてしまう。両者の圧倒的なその違いが、明確な形となった。 

 それでも――


「……う・があうう……!」

 アルーヴァは、わずかに頭をもたげ、自分を見下ろす彼を睨みつける。弱々しくはなっていたけれど、その喉から絞り出す唸り声は威嚇(いかく)のものだった。

 その瞳には――未だ、憎悪の炎がともっていた。激しい怒りに、爛々と輝いていたのだ。


「ふふ……」


 彼は薄く笑うと、アルーヴァの細い首を右腕一本でつかみ、そのまま引き起こした。


「……が……ぁあ」


 さすがに首をしめられては、たまらなかったんだろう。苦しそうな声を漏らした。

 彼は空いた左手の手首を、自分の口元に持っていく。

 開いた口からは、鋭い犬歯が生えていた。続いて、手首を噛み千切る。噴出す鮮血が、アルーヴァの顔にびちゃびちゃとかかる。

 顔色を変えるわたしに構わずに、彼は何やら考えをめぐらす面持ちで、どくどくと流れ出す自分の血液を眺め――


 何を思ったか、その血液を、アルーヴァの口めがけて零し始めたのだ。


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