〈シェイラ〉It Passes ,Her Days 2
アルーヴァのことを、リーザに訊かれた。
彼を好きなのか――そう、訊かれたその日。
わたしは、寝付けなかった。
「…………」
ベッドから起き上がる。
そっと足音を忍ばせて、となりのベッドに近づく。
リーザはよく眠っていた。さっきは悪夢に魘されていたけれど、今はもう大丈夫みたいだ。
安らかな寝顔。無防備な寝顔。
それは、わたしを信頼しきっているからなのだろうか。
わたしのことを好きだと言ってくれた。
だけど、わたしの過去を知っても、彼女は同じ言葉を言ってくれるのだろうか?
問わない問い掛けに、当然のように返答はなかった。
考えても、埒は明かない。
夜明けまで、まだもう少しある。
わたしはそっと部屋を出て、外に出ることにした。
時には、ひとりで散歩をするのも悪くないと思う。
そう思った。
月が出ていた。
夜空をくり抜いて、誰かがこの世界をのぞきこんでいるみたい。そんなことを考える。
優しい月明かり。満月にはちょっと欠けていて、だけどそれでもいいと思う。
川辺に座って、ひとり夜空を見上げる。
虫の声を、遠くに聞きながら。森の中の生き物達の鼓動をかすかに感じながら。
――あの人のことを、考えていた。
「ひとりで月見か?」
不意に、声。
湖面が、かすかに揺れ動いた。
振り向くと、あの人が立っていた。
「アルー……ヴァ?」
驚きが声となって漏れる。
夜闇の中でさえ、尚引き立つ真っ赤な服をまとい、アルーヴァは薄く笑った。
「久しいな。シェイラ」
「……ど、どうして?」
ちょっと声が上ずっていたかもしれない。だって、ちょうど彼のことを考えていた矢先だったのだ。狙い済ました不意打ちにも、程がある。
「驚くこともあるまい」
アルーヴァはわたしのとなりに立つ。
「娘の様子を見に来た。おかしいか?」
リーザのことだ。
確かに、自分の血を与えた彼女はアルーヴァにとって娘みたいなものかもしれない。そうだとすると――わたしもそうなのだろうか。
わたしは、リーザの姉になるのだろうか。
そうかもしれない。
でも、少し違うと思う。
「その途中で、おまえの魔力を感じ取ってな……」
「そう」
殊更に素っ気なく答えて、わたしは、アルーヴァから視線を逸らす。
「それで、どうなんだ? まあ、余程のことがあれば俺にもわかるだろうがな」
アルーヴァとリーザはつながっている。普通の主人と奴隷のそれに比べれば、そのつながりは薄いだろうけど、仮にリーザが死ぬか、自我を失った吸血鬼と化せばわかるはずだと思う。
そこに嫉妬をしているかもしれないと思うわたしは、神経質だろうか。
ただの気のせいだろう。
嫉妬、憎悪、怒りの感情。とうの昔に、枯れ果ててしまった。
それがきっと、ヒトをやめるということだ。
「大丈夫だよ。もうこの森の気をもらって魔力を合成できる。それに、わたしやアルーヴァと違って、強い魔力を持つわけでもないから……」
吸血鬼として強くあれば強くあるほど、それだけの魔力を必要とする。
「……そうか」
アルーヴァは静かに、薄く笑った。
きっと満足そうに。きっと安心したように。
そこで、会話が途切れる。
わたしは月を見上げる。そのとなりで、アルーヴァも月を見上げる。
同じ場所で、同じ月を眺めて。でも、ふたりの心はきっと違う。
「――あのね」
それがもどかしくて、わたしは口を開いた。
「今日、リーザに訊かれたの。アルーヴァのことが好きかって」
返事はない。
わたしは、続ける。
「そう――訊かれたよ」
わたしは視線を逸らしたままで、ためらいながらも続ける。
「わたしは……好きだって、答えた」
声が、乾くのが自分でもわかる。
恐怖に似た感覚に、身体が震える。
それは、多分告白だった。言葉で、自分の想いを告げる。思いの丈を打ち明ける。それを告白と言うならば、紛れもなく告白だった。
けれども。
「ごめんなさい。わたし……」
だけど、決して甘くはない。あまりにも苦くて、せつなくて、凍て付いた告白。それは、きっと懺悔にも近しい。きっと慟哭にも似ている。
わたしは立ち上がって、それでもわたしよりもずっと高い彼を見上げて――
「あなたのことが、好きです」
――そう、言った。
「…………」
静かに、わたしを見返してくるアルーヴァ。どこか凍て付いた表情で、何を思うのか。その瞳は、何を見るのか。
――ちょっと複雑なんだ。わたしとアルーヴァの関係はね。
わたしはきっと彼にとって姉で、妹で、娘で……
出会った時は、敵だった。
殺し合うほどまでに憎む、敵同士だった。
互いに仇で、復讐相手。
それが、わたし達の始まり。




