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紅い世界に雪が降る  作者: ハデス
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〈シェイラ〉It Passes ,Her Days 1

 それは……

 わたしが、まだヒトだった頃の話――


 低い天井は、小柄なわたしですら頭がつかえてしまうほどだった。  

 ちょっと歩くだけで、床はぎしぎしと鳴いた。

 昼間でもろくに光の差し込まない、薄暗い屋根裏部屋。 

 そこが、一日の労働を終えて帰る、わたしの部屋だった。その部屋で、まるでぼろみたいな粗末な毛布にくるまって眠る。

 寂しくても、子守唄を歌ってくれるお母さんはいなかった。

 寝付けなくても、絵本を読んで聞かせてくれるお父さんもいなかった。

 お父さんもお母さんも、わたしを置いてどこかへ行ってしまったから。

 わたしは捨てられて、親戚の夫婦に引き取られたから。

 そこでは宿屋を兼ねた酒場をやっていて、わたしはそこで一日中手伝いをしていた。

 殊更にいじめられたわけじゃない。

 意味もなく、殴られたわけでもない。お給料ということで、いくらかのお金もくれた。本当に、ちょびっとでしかなかったけれど……。


 遊ぶ時間だってない。

 仕事はとても忙しくて、仕事でない時間はいつだってくたくただった。

 ろくに友達もいない。友達を作ろうとどんなに頑張っても、大人達がわたしを遠ざけた。ろくでなしから生まれた、厄介者。それが、わたしに貼られたレッテルだったから。


 今になって思う。

 あの頃は、何が楽しくて毎日を生きていたんだろう。

 誰も愛してくれないのに。

 誰も大事にしてくれないのに。

 ずっと、ずっとひとりぼっちだったのに……。


(ねえ――わたしが望むものは、そんなにも贅沢だったのかな?)


 肩車をしてもらいたかったんだ。

 優しく、頭をなでてほしかったんだ。

 ぎゅうっと、力いっぱい抱きしめてほしかったんだ。

 たわいもないおしゃべりに夢中になりたっかし、おしゃれだってしてみたかった。

 気になる男の子の前で、ちょっとおすまししたりもしたかった。


 わたしは……そんなにたくさんのものを欲しがっていたのだろうか?


 わたしは待っていた。

 いつか――

 いつか。


 たった一冊の、古ぼけた絵本。

 物心ついた時から、持っていたただひとつのもの。

 それは、わたしの宝物。

 その物語の中の少女みたいに、いつか自分を救ってくれる、自分のことを愛してくれる自分だけの王子様が迎えに来てくれるのだと――いう。


 そんな都合のいい夢物語を、夢想していたんだ……。


 そして何時しか、わたしは世界を呪っていた。

         〈シェイラ〉彼女の旅路


「わたしは、しばらく彼女と一緒にいるよ」


「……え?」


 わたしの申し出に、その少女――リーザは困惑した。


「彼女は成り立てだよ? このまま放り出すのは無責任だと思う。それに、彼女が望むのなら、吸血に代わる魔力補給も教えてあげたい」


「ふむ、確かにそいつはおまえの方が適任だ。俺の柄でもないしな。それで――」 


 ふと、アルーヴァの瞳が細くなる。まるで鋭いナイフ。ぞっとする亀裂のような笑みが、そこに浮かぶ。


「仮に、こいつが身も心も化け物と成り果てた時の、始末も任せられるのか?」


「…………!」


 その言葉に、彼女の身体が硬直した。

 わたしは、彼女を見る

 決断は、彼女自身に委ねたい。そう思ったから。わたしは、何も言わなかった。


「わ……」


 彼女は、渇いた喉を飲み込むつばで湿らし、言った。


「……わかりました。お願い、します……」


 そうして――わたしは、彼女のそばにいることになった。


 村から離れた森の中に、ふたりで暮らすことになった。


      ◇ 


「そんなことないよ! その……シェイラ、かわいいし……そばにいてくれると安心できるし……!」


 わたしに向かってまくしたててくるリーザ。うまく言葉にならないまま、口に乗せている。

 でも。だからこそ、彼女の一生懸命さが伝わってくる。彼女の本心だってわかる。


「えと……それから、それから……!」


 だから――


「ありがとう」

 

わたしはそう言って、きっと素直に笑顔になれたはずだ。

 その気持ちが、とてもとても嬉しかったから。

 本当に、心の底から嬉しかったんだから。


 ――泣きたいくらいに。


 リーザと過ごす日々は、幸福だった。

 苦しむ彼女を見るのは辛かったけれども、だけど克服しようと頑張る彼女を、純粋に応援してあげたいと思った。

 その気持ちは、嘘じゃなかった。

 彼女と過ごす日々はとても楽しくて、だけど同じくらいに切なかった。


 ――わたしがヒトであった頃を思い出すから。

 そうして。あの頃には、なかったものを思い出させるから。


「待っているって約束したんだ……」


 そう言ってはにかむように微笑んだその笑顔。どこか恥ずかしそうに。だけど、誇らしそうに。その笑顔はとても輝いていて、とても眩しかった。


「そう……」


 わたしはその眩しさに目を細めて――


「それじゃあ、頑張らないとね」


 胸の内に沸き起こった痛みを押し殺しながら、笑いかけた。



 ――そして。

 そんな理由もないのに、人間をやめたわたし自身を思い知った。

 ちっぽけで愚かな自分。どうしようもない、くだらない自分。

 死んでいればよかったのに、と思う。

 消えていればよかったのに、と考える。

 だけど、今はもう死ねない。

 死んでもよかったのは、ずっとずっと昔のことだ。まだ、わたしがヒトであった頃のことだ。


 ヒトでなくなった今――死ぬことは、許されない。


 わたしも、きっと赦さない。


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