〈アルーヴァ〉Dog Eat Dog Of The Battlefield 7
足音に、俺は振り返る。
そこには、ひとりの男が立っていた。
まだ若い。
少年と言ってもいいだろう。
その顔には見覚えがあった。ここに向かう前に、サリナが視線を投げかけた少年だった。
怯えたように俺を見てから、その足元に横たわるサリナに気が付いて、鋭く息を飲んだ。その胸には短剣が突き立ち、もはや息をしない彼女の姿を知って顔色を失った。
しばらくの間呆然と立ち尽くし――
そいつは、腰に帯びた長剣を抜き放った。
「おまえが……殺したのか?」
震える切っ先。
その両足はみっともないくらいに震えている。その顔も恐怖に歪んでいて、まったく勇ましくはない。
「おまえが……殺したのか? 姉さんを、殺したのか!」
荒げる声も、情けない悲鳴に近かった。
だが、それでも――
そいつは紛れもなく俺の前に立ち、その手にした剣をかざしていた。
たったひとりで。無様でも、圧倒的な人外たる俺の前に立ちはだかっていたのだ。
少しだけ、時間が過ぎる。
新しい足音が、近付いてくる。
俺の耳は、確かに捕えていた。複数だ。
「……ほう」
思わず、声が漏れた。
少年に続いて、姿を見せたのは――先ほどまで震えて、醜態を晒していた騎士達だった。人数が増えている。応援が駆けつけてきたのだろう。
頭数を増やしたそいつらは、ようやくこの場へ馳せ参じた。
今頃になって。
だが、そのことを嘲る気にはならなかった。
「成程」
俺は、少年に並んで立ちはだかる騎士――団を前にして、小さく頷いた。
「おまえ達にも、矜持があったか。先ほどの暴言は、取り消そう」
戸惑う男達。
ひとりが、歩み出る。
老齢の男。他の者とは、マントの意匠が違っている。腰に帯びた長剣も、一際豪奢だ。
先ほどは見かけなかった男だ。後続の隊長格だろう。
鋭い瞳は――往年の戦士を思わせた。
この男は、なかなかにやる。
男は少年の肩に手を置く。
瞳を揺らす彼に頷いてから、俺と女騎士の骸、その近くにわだかまる血溜まりを見比べた。
「サリナ君を殺したのは、彼ではないだろう」
冷静な男だ。
見透かされる前に、先手を打つことにした。
「まあ、見殺しにしたのは事実だがな」
俺は静かに言った。
「……!」
少年が――勇ましき女騎士の弟が、息を飲む。
男の瞳は、俺を真っ直ぐに見据えていた。
構わず、俺は続ける。
淡々と。静かに。哀れみも、憐憫もそこにはない。吸血鬼に、そんなものは必要ない。
「手を出すなと、彼女は言った。その結果、相打ちとなった。それから、もはや助からぬことを悟り、自害した」
これでいい。
吸血鬼をかばい、犬死したなどという事実は葬り去ればいい。
俺だけが、知っていればいいことだ。
それ以外の誰も知らなくていいことだ。彼女の死は、勇ましく、誇らしく、雄々しいものとなれば――それでいい。
「ただ黙って見ていたのか……!?」
「同族にすれば、よかったか?」
俺は笑った。
確かに。そうすれば、彼女がそのまま死ぬことはなかっただろう――
「望めば、そうしてやってもよかった。だが、彼女は拒み自ら死を選んだ」
――そんなことは、彼女が望まなかっただろうし、ならばまた俺も望むことはなかった。
「…………」
反論を失い、唇をかみ締める。
俺は一歩を踏み出す。後ずさりかける少年。
だが尚、その足は踏みとどまっていた。
「姉を看取るか?」
更に一歩。
「姉を慕うか?」
ゆっくりと、歩み寄る。
「姉を、誇るか?」
やがて、そのすぐとなりに俺は立った。
弱く、か細い少年がそこにいる。その表情には恐怖が張り付いている。 俺が軽くなぎ払えば、呆気なく死ぬだろう。今は、ただそれだけの存在だ。
「ならば――強くなれ!」
それならば、強くなればいいだけのことだ。
「もっと強くなれ。情けないおまえ自身を葬り去れ。そうして、その手にした剣を振りかざせ!」
一方的に言葉を叩きつけ、俺は歩き出す。
騎士達が、道を空けた。
横切っていく、その背中に――
「僕は……!」
俺は、もはや振り返らない。
もはや、言葉は続けない。
ヒトの死を悼むのは、同じヒトこそが相応しい。
ヒトでない存在は、ただこうやって去っていけばいい。
「僕は……強くなる!」
しかし――
投げかけられるその声に。
「絶対だ! 絶対に、強くなる!」
――荒げる、少年の言葉に。
一瞬だけ立ち止まり、肩越しに振り返るのは、俺がかつてはヒトだったからか。
「……ああ」
そこで薄く笑ったのは――俺が、もはやヒトではないからだろうか。
俺は、騎士団達から立ち去っていく。
老齢の男の静かな視線を、確かに感じ取りながら。
◇
見上げる空は、真っ赤に染まっていた。
夕暮れを迎える世界。
広がる大地も、血を流したかのように赤い。何もかもが赤く染まるその光景は、不気味でありすぎて、禍々しくありすぎて、吸血鬼には相応しい。
だが、ふと思い出す。
油断したのか、思い出してしまった。
その紅い世界の中で、いつか言っていた言葉があったこと。
いつか聞いた言葉があったこと。
「……雪、か」
(……雪、降らないかなあ)
赤い空を見上げて、そうつぶやく少女がいたことを。
悪くはない。
それも、悪くはないか。
そう思ったとき――ふと。
「!?」
目の前に、何かが舞い降りてきた。
それは、咄嗟に差し伸ばした右手の中に落ちて、掻き消える。
赤い世界に、瞬く間に溶けてしまう。
見上げるが、空は突き抜けるように赤いだけだった。
気のせいだったのか。
今のは、幻だったのか。
俺の手の中に舞い降りた、白く、淡い花びらは――
「……ふっ」
笑いが、漏れた。
それは、およそ俺には相応しくない笑いだった。
嘲るものではなく。
憤るものではなく。
讃えるものでもなく。
寂しげな、懐かしげな、哀しげな……そんな笑いだったはずだ。
ああ、だから――
同族喰らいには、滑稽すぎる。
吸血鬼には、不釣合い過ぎる。
あまりにもヒトでありすぎて、笑えない。
だが――
時には、いいだろう。
「ああ、そうだな……」
勇ましい女騎士の死にざまに、その同胞達を前に、ひとりの少女を思い出した時くらいは――
どうせ、長い時間の中のほんの刹那だ。
時にはヒトであった頃を思い出し、幻の声を聞くくらいはいいだろう。
時には、少女の幻影に、声をかけても構わないだろう。
どうせ、すぐに獲物を見つける。
餌は見つかる。
人害たる人外は、腐るほどに転がっている。
そうして、同族喰らいは動き出す。
その前のわずかな時間くらいならば、せめて――この紅い世界に。
「雪が降るのも、悪くない」
――そんな夢を見ても、いいだろう。
アルーヴァ編終了、次回は、少女吸血鬼です。




