表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅い世界に雪が降る  作者: ハデス
15/38

〈アルーヴァ〉Dog Eat Dog Of The Battlefield 7

 足音に、俺は振り返る。


 そこには、ひとりの男が立っていた。

 まだ若い。

 少年と言ってもいいだろう。

 その顔には見覚えがあった。ここに向かう前に、サリナが視線を投げかけた少年だった。

 怯えたように俺を見てから、その足元に横たわるサリナに気が付いて、鋭く息を飲んだ。その胸には短剣が突き立ち、もはや息をしない彼女の姿を知って顔色を失った。

 しばらくの間呆然と立ち尽くし――

 そいつは、腰に帯びた長剣を抜き放った。


「おまえが……殺したのか?」


 震える切っ先。

 その両足はみっともないくらいに震えている。その顔も恐怖に歪んでいて、まったく勇ましくはない。


「おまえが……殺したのか? 姉さんを、殺したのか!」


 荒げる声も、情けない悲鳴に近かった。

 だが、それでも――

 そいつは紛れもなく俺の前に立ち、その手にした剣をかざしていた。

 たったひとりで。無様(ぶざま)でも、圧倒的な人外たる俺の前に立ちはだかっていたのだ。


 少しだけ、時間が過ぎる。

 新しい足音が、近付いてくる。

 俺の耳は、確かに捕えていた。複数だ。


「……ほう」


 思わず、声が漏れた。

 少年に続いて、姿を見せたのは――先ほどまで震えて、醜態を晒していた騎士達だった。人数が増えている。応援が駆けつけてきたのだろう。

 頭数を増やしたそいつらは、ようやくこの場へ馳せ参じた。

 今頃になって。

 だが、そのことを嘲る気にはならなかった。


「成程」


 俺は、少年に並んで立ちはだかる騎士――団を前にして、小さく頷いた。


「おまえ達にも、矜持があったか。先ほどの暴言は、取り消そう」


 戸惑う男達。

 ひとりが、歩み出る。

 老齢の男。他の者とは、マントの意匠が違っている。腰に帯びた長剣も、一際豪奢だ。

 先ほどは見かけなかった男だ。後続の隊長格だろう。

 鋭い瞳は――往年の戦士を思わせた。

 

 この男は、なかなかにやる。


 男は少年の肩に手を置く。

 瞳を揺らす彼に頷いてから、俺と女騎士の骸、その近くにわだかまる血溜まりを見比べた。


「サリナ君を殺したのは、彼ではないだろう」


 冷静な男だ。

 見透かされる前に、先手を打つことにした。


「まあ、見殺しにしたのは事実だがな」


 俺は静かに言った。


「……!」


 少年が――勇ましき女騎士の弟が、息を飲む。

 男の瞳は、俺を真っ直ぐに見据えていた。

 構わず、俺は続ける。

 淡々と。静かに。哀れみも、憐憫(れんびん)もそこにはない。吸血鬼に、そんなものは必要ない。


「手を出すなと、彼女は言った。その結果、相打ちとなった。それから、もはや助からぬことを悟り、自害した」


 これでいい。

 吸血鬼をかばい、犬死したなどという事実は葬り去ればいい。

 俺だけが、知っていればいいことだ。

 それ以外の誰も知らなくていいことだ。彼女の死は、勇ましく、誇らしく、雄々しいものとなれば――それでいい。


「ただ黙って見ていたのか……!?」


「同族にすれば、よかったか?」


 俺は笑った。

 確かに。そうすれば、彼女がそのまま死ぬことはなかっただろう――


「望めば、そうしてやってもよかった。だが、彼女は拒み自ら死を選んだ」


 ――そんなことは、彼女が望まなかっただろうし、ならばまた俺も望むことはなかった。


「…………」


 反論を失い、唇をかみ締める。

 俺は一歩を踏み出す。後ずさりかける少年。

 だが尚、その足は踏みとどまっていた。


「姉を看取(みと)るか?」


 更に一歩。


「姉を慕うか?」


 ゆっくりと、歩み寄る。


「姉を、誇るか?」


 やがて、そのすぐとなりに俺は立った。

 弱く、か細い少年がそこにいる。その表情には恐怖が張り付いている。 俺が軽くなぎ払えば、呆気なく死ぬだろう。今は、ただそれだけの存在だ。


「ならば――強くなれ!」


 それならば、強くなればいいだけのことだ。


「もっと強くなれ。情けないおまえ自身を葬り去れ。そうして、その手にした剣を振りかざせ!」


 一方的に言葉を叩きつけ、俺は歩き出す。

 騎士達が、道を空けた。

 横切っていく、その背中に――


「僕は……!」


 俺は、もはや振り返らない。

 もはや、言葉は続けない。

 ヒトの死を(いた)むのは、同じヒトこそが相応しい。

 ヒトでない存在は、ただこうやって去っていけばいい。


「僕は……強くなる!」


 しかし――

 投げかけられるその声に。


「絶対だ! 絶対に、強くなる!」


 ――荒げる、少年の言葉に。

 一瞬だけ立ち止まり、肩越しに振り返るのは、俺がかつてはヒトだったからか。


「……ああ」


 そこで薄く笑ったのは――俺が、もはやヒトではないからだろうか。


 俺は、騎士団達から立ち去っていく。

 老齢の男の静かな視線を、確かに感じ取りながら。



       ◇


 見上げる空は、真っ赤に染まっていた。


 夕暮れを迎える世界。

 広がる大地も、血を流したかのように赤い。何もかもが赤く染まるその光景は、不気味でありすぎて、禍々しくありすぎて、吸血鬼には相応しい。


 だが、ふと思い出す。

 油断したのか、思い出してしまった。

 その紅い世界の中で、いつか言っていた言葉があったこと。

 いつか聞いた言葉があったこと。


「……雪、か」


(……雪、降らないかなあ)


 赤い空を見上げて、そうつぶやく少女がいたことを。


 悪くはない。

 それも、悪くはないか。



 そう思ったとき――ふと。


「!?」

 目の前に、何かが舞い降りてきた。

 それは、咄嗟に差し伸ばした右手の中に落ちて、掻き消える。

 赤い世界に、瞬く間に溶けてしまう。


 見上げるが、空は突き抜けるように赤いだけだった。

 気のせいだったのか。

 今のは、幻だったのか。

 俺の手の中に舞い降りた、白く、淡い花びらは――


「……ふっ」


 笑いが、漏れた。

 それは、およそ俺には相応しくない笑いだった。

 嘲るものではなく。

 憤るものではなく。

 (たた)えるものでもなく。

 寂しげな、懐かしげな、哀しげな……そんな笑いだったはずだ。

 ああ、だから――

 同族喰らいには、滑稽すぎる。

 吸血鬼には、不釣合い過ぎる。

 あまりにもヒトでありすぎて、笑えない。


 だが――

 時には、いいだろう。


「ああ、そうだな……」  


 勇ましい女騎士の死にざまに、その同胞達を前に、ひとりの少女を思い出した時くらいは――

 どうせ、長い時間の中のほんの刹那だ。

 時にはヒトであった頃を思い出し、幻の声を聞くくらいはいいだろう。 

 時には、少女の幻影に、声をかけても構わないだろう。

 どうせ、すぐに獲物を見つける。

 餌は見つかる。

 人害たる人外は、腐るほどに転がっている。


 そうして、同族喰らいは動き出す。

 その前のわずかな時間くらいならば、せめて――この紅い世界に。


「雪が降るのも、悪くない」


 ――そんな夢を見ても、いいだろう。


 アルーヴァ編終了、次回は、少女吸血鬼です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ