〈アルーヴァ〉Dog Eat Dog Of The Battlefield 2
サリナと連れ立ち、森の中を歩む。
互いに無言。
刺々しい空気がわだかまる。あちらが一方的にぶつけてくるものではあったが。
成り行きで共闘に近い状況とは言え、やはり俺は彼女にとっては敵視すべき存在なのだろう。
「おい」
いい加減この状況に我慢できなくなったか、サリナが声をかけてきた。
立ち止まる。俺はあえてすぐには反応せずに、数歩ほど彼女の前に立ってからゆっくりと振り返った。
「何だ?」
笑みを浮かべ、言う。
サリナはすぐには返答をしなかった。声をかけるにはかけたが、まだ続けるべき言葉を見つけていなかったのか。それとも、その言葉にためらっているのか。
「名前……」
「ん……」
「きさまの名前、まだ訊いていなかった」
うつむき加減に、そう口を開く女騎士はなかなか可愛らしくもあった。
「吸血鬼の名を知って、どうする?」
俺は、からかうように答える。
「…………だが、きさまはわたしの名を知っているのだろう?」
確かに。彼女の腑抜けな仲間が俺の前で呼んでいたからな。
「それでは……不公平だ」
「アルーヴァ」
素っ気無く言い放つ。
「な?」
その物言いが、意表を付いたのか。サリナは戸惑いの様子を見せる。
俺はもう用はすんだ、とばかりにさっさと歩き出そうとするが――
「ま、待て」
「何だ? まだ何かあるのか?」
「わたしは……サリナだ」
「知っている」
何を改まって、名乗る必要がある。
「そうではない。わたしは名乗ってはいない。それでは、納得できなかったからだ」
「……は?」
一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。我ながら、間の抜けた声を漏らした。
「……く、くはははは」
理解が追いつくと、思わず笑いがこみ上げてくる。
つまりは、そういうことだ。
彼女なりに納得できない道理があったということだ。確かに、騎士であれば、互いに『名乗らない』というのは道義に反するのだろう。
何だ。なかなかどうして――
「おまえ、可愛いところもあるじゃないか」
「な! ぐ、愚弄するか」
騎士としての仮面が外れ、年相応の娘の表情になる。
彼女には悪いが、純粋に愉快だった。
「ああ、すまん。すまん」
「く……」
顔を背けるサリナ。やれやれ、怒らせてしまったようだな。
だが、弁論する必要もあるまい。下手な言葉は、余計に彼女を苛立たせるだけだろう。
と。
「――アルーヴァ」
ふと、サリナの口調が変わった。真摯な響きを帯びる声音へと転じる。
「何だ?」
釣られて、俺の笑みも消える。
「勇んでついて来たのはいいが……きっと、わたしはただの足手まといになるだろう」
淡々と言おうと努めてはいるようだが、その裏には押さえきれない苦悩がにじんでいる。
うつむいた顔の半ばはかかる髪で隠れ、その噛み締める唇だけが見える。自分自身で、自身をそう言い切るには、彼女はあまりにも誇りが高いのだろう。
だからか――
「そうか? おまえから感じる霊力はなかなかのものだと思うぞ」
それは、別段世辞でもない。
素っ気無い口調で。それでも、俺は彼女を慰めるような言葉を吐いていた。
「確かに、低級な吸血鬼や幽霊風情に後れを取るつもりはない。だが、イエンド副隊長達を退けるほどの者だとしたら……とてもではないが、わたしでは歯が立たないだろう」
イエンド副隊長。先行した実質的な戦力のことなのだろう。俺には、彼らがどれほどの実力を誇るかは知らなかったが――まあ、彼女が言うならばそれが事実なのだろう。
「だから――」
顔を上げる。苦悩と歯がゆさがない交ぜになったその表情は、どこか泣き笑いのようにも映った。
「アルーヴァ……あなたに頼む」
『貴方』と俺を呼び――
「…………」
「あなたならば……きっと、わたしよりも頼りになるだろう」
そう言って、彼女は俺に頭を下げた。
人外が、ヒトに対するならば――
「吸血鬼に頼るのか?」
侮蔑の響きこそが、むしろ慈悲であったか。嘲笑じみていれば、それが優しさであったか。
しかし。
俺はその瞳を見据えながら、彼女に真っ向から問うていた。何とも残酷に。この上もなく無慈悲に。
「騎士が、吸血鬼に頭を下げるのか?」
「…………」
言葉に詰まるサリナ。俺の発した言葉は曲らぬゆえに、その胸に真っ直ぐに突き刺さる。深々と、容赦なく、貫いたはずだ。
ためらい、戸惑い、絞り出す――
「……そうだ。あなたに頼む」
唇はわなないていた。瞳は揺れていた。
それでも、彼女は俺から瞳を逸らしはしなかった。
そして、彼女は俺に頭を下げた。
だが、
「頼む必要はない」
俺は、唇の端を吊り上げた。
笑ったわけではない。唇を笑みの形に歪めただけだ。だが、それでは視線を合わさない彼女には『見えまい』。
「俺は、俺の意志で吸血鬼を狩る。だから騎士殿よ、わざわざ頭を下げることもない」
続ける声で、今度こそ俺は笑う。彼女に『聞こえるように』。
「……なぜだ?」
面を上げて、サリナは訊いてきた。戸惑いの中に、疑問と好奇があった。
「何がだ?」
白々しく、俺は返す。
「……なぜ、あなたは吸血鬼を狩る?」
「ヒトだって、ヒトを殺す」
同胞を殺す者がいる。
ならば――
「吸血鬼を殺す吸血鬼がいても、おかしくはあるまい」
「………………」
サリナはまだ釈然としないようではあった。
だが、これ以上に語るつもりも俺にはなかった。
たとえば、力を持つ吸血鬼の戯れによって、吸血鬼に変えられた哀れな少年がいた。大切な少女を護れず、泣き喚きながら、ぶざまに這いつくばるしかなかった。
そんな昔話をすれば、納得いくだろうか。
しかし、そんな話を彼女にしたところで――どうなるというのだ。
同情が欲しいか。
共感が望みか。
くだらない。
全くもって、くだらない。
むしろ俺にはこちらの方が優先事項だ。
「それよりも、『貴方』などとは呼ぶな。背筋がかゆくなるぞ」
歯切れのいい呼び捨ての方が、いっそ小気味よい。
俺は、歩き出す。
彼女もまた歩き出し、ついてくる。『まだ』歩き出し、ついてくる。
「足手まといを自認するならば、どうしてついてくる?」
揶揄する俺の背中に、サリナは毅然とした声で答えた。
「誇りがある。意地がある。自分だけが安全地帯でぬくぬくとしていられるか」
「そうか」
その『安全地帯』でぬくぬくしているだろう連中を思い出し、笑いが漏れそうになったが自制しておいた。それでは、まるで彼女の言葉を笑うようであったからだ。
「それに――せめてもの露払いはさせてもらう」
「グール、か」
「……そうだ」
歯切れが悪かったのは、同胞の成れの果てを思ったか。
吸血鬼の餌食となった人間の末路にはいくつかある。
まず、単純に殺される場合。ある意味ではこれがもっとも幸福かもしれない。
次に、吸血鬼とされる場合。
これには一定時間、吸血鬼が牙を突き立てるなどの儀式的な行為が必要となるので手間がかかる。こうして生まれた吸血鬼は俗に隷属と呼ばれる、主となる吸血鬼に服従する存在となるのだ。
一般に澄んだ魔力を持つ娘、いわゆる生娘がこの末路をたどることが多いが、これはあくまでそういった嗜好の多い吸血鬼が多いだけに過ぎず、それは条件ではない。
三番目が、グールと呼ばれる化け物になる場合だ。
ある程度まで原型をとどめた犠牲者の体内に吸血鬼の牙や爪から与えられた魔力が血液に流れて全身を駆け巡り、その肉体が変貌する。知性はなくなり、ただ血肉を求めるだけの化け物と成り果てるのだ。
例外として、四番目もあるのだが――それは、例外中の例外に過ぎない。
大抵、犠牲者は死ぬかグールになるかのどちらかだ。
「わざわざ貴様の手をわずらわせることもあるまい」
確かに。
吸血鬼の出来損ないなど、いちいちなぎ払うのも面倒だ。
――だが。
「できるのか?」
「見くびるな。これでもわたしは浄化系の功式法術は体得している」
「そうではない」
俺は肩を揺らし、
「かつては同胞であった存在をその手にかけることができるか――そういうことだ」
残酷な物言いであったが、覚悟もなくいざその時になって躊躇されては迷惑だ。だから、確かめておく必要がある。
「手にかけるわけではない」
「ほう?」
彼女の言葉に、興が乗った。
「グールになった時点ですでに死んでいる。わたしは、ただ弔うだけだ」
「なるほど」
全く持ってその通りだ。同胞の死を悼むのは、同胞こそが相応しかろう。
もはや彼女の言葉に、迷いはなかった。そうだ。騎士殿はこうでなくば、間違っている。
「まあ、仮にスレイブとなっていた場合には俺が相手をしよう」
スレイブの能力は、素体となった人間の魔力の高さに大きく左右される。実力を持つ騎士の変貌した存在となれば、それなりに厄介な相手となるかもしれない。
そう考えれば、吸血鬼は多少の手間をかけても、有能な手駒としてのスレイブを創造している可能性もある。
「その時は、頼む」
その声には幾分苦いものが混じっていた。
「ああ、任せろ」
だが、俺はわざわざそのことを指摘はせずに返事を返した。
そこで、会話は途切れた。
それからさしたる間も置かずに、目的の場所へとたどり着いた。




