とある物語の続き
とある女性高生が、とある魔法のあるファンタジーな世界へ召喚されてしまったことで物語は始まる。
のだが、ここら辺は割愛したい。話せば長くなる。
とにかく、惑星地球にある日本国在住の女子高生が異世界へ召喚されて、何らかの障害を仲間たちと一緒に取り除き、世界の平和を取り戻した。
ただそれだけの話を長々と語る必要もないだろう。
この世界には数多ある物語の内の一つにすぎないのだから。
そして問題は、これからのこと。
物語が「そうして世界は平和を取り戻したのでした。めでたしめでたし。」で締めくくった後。
召喚された女子高生はどうなったでしょうか。
「っだー!! マ ジ う ざ い !」
宿屋の裏手にある井戸から甲高い女の子の声が響き、周りにいた数羽の小鳥が一斉に飛び立つ。
飛び立った小鳥たちを恨めし気に睨み、この世界では珍しい黒髪黒目をもつ彼女は両手を腰にやって声を張り上げた。
「いくらいわれてもお断りだって言ってんでしょ!」
うがー!と眦を吊り上げ頬を膨らませながら、彼女は馴れた手つきで井戸の中に桶を落とす。
滑車にかかっている縄を引いて桶を持ち上げると、足元にある、洗濯物が入った大きな桶へ水を多少乱暴にぶちまけた。
元から入っていた水とぶつかり合って、派手に水しぶきが飛んで彼女の顔も濡らしたが、頭に血が上った状態の彼女をクールダウンさせるにはまだまだ足りないようで、ぶちぶちと独り言をこぼす。
「まったく。ただでさえこっちの意思とは無関係に呼び出されてこき使われて、挙句の果てに帰してももらえずにお払い箱にされたっちゅーのに、なんで今更になって呼び出されなきゃいけないのよ。」
そう、そもそも彼女はこの世界の住人ではない。前述のとおり、女子高生だった、普通の女の子だ。
そんな彼女が馴れた手つきで井戸水をくみ上げ、洗濯をしている姿から、この生活をしてだいぶ経っていることが知れる。
「ただいま帰りました、ユイ」
しゃがみこんで洗濯物を馴れた様子で洗いながらも、愚痴に夢中で周りがみえていなかった彼女、ユイはすぐ近くから聞こえた優しい声に驚いて顔を上げる。
「セイロス!」
目の前に立つ男性が自身の夫だと気づき、それまで眉間に寄っていた皺が一気に消え去り、ユイの顔いっぱいに笑みがあふれた。
セイロスと呼ばれた、金色の髪を首の後ろで緩やかに結んだ男性は端正な容姿の中でも一際目立つ空色の瞳を微笑ましげに細めて、ユイの隣へ、彼女と同じようにしゃがみこむ。
「産着…お仕事ですか」
「そう。今日はリール姉さんのとこの洗濯物と、お掃除と料理のお手伝い。赤ちゃんが産まれたばかりだし、旦那さんは仕事で町に行っちゃってて家のことまで手が回らないんだって」
「あぁ、産まれたのですね」
「先月、セイロスが村を出てすぐくらいだったよ。男の子。ふっにゃふにゃで可愛いんだー」
「今度町へ行ったらお祝いの品を買ってきますよ」
「あ、そうしてもらえると助かる。手作りもするけど、限界があるからねー」
ポンポンと会話をしながらも、ユイとセイロスの手は洗濯物を丁寧に揉み洗いをしている。大人の洗濯物なら踏みつけて洗うのだが、産まれたての赤ん坊が使うものだからいつもより優しく洗わないとすぐに毛羽立ってしまい肌触りが悪くなって、赤ん坊が不機嫌に泣いてしまうのだ。
ようやく洗い終えた洗濯物を物干し場へ運ぶために二人は立ち上がる。ユイはしゃがみ続けて固まった腰の筋肉をほぐすように大きく伸びをして、ついでに先ほどの怒りを鎮めるために深呼吸を数度繰り返す。
彼女は伸びをしている間にセイロスは洗濯物を運び、手慣れた様子で干し始めていた。
「あ、ごめん。ありがとう」
「いえいえ。これが終わったら、一緒にお昼ご飯の準備をしましょうか。メニューはどうします?」
「あたしが作ったアスパラとキャベツが収穫できそうだから、春野菜のスープにしよっか」
「ベネ爺さんが鶏肉を分けてくださるそうなので、それもいれましょうか」
「やった!お昼から豪華だ!」
手を叩いて喜ぶユイにセイロスはそうですね、と頷き返す。
ベネ爺さんは、ユイがこの村へ来て右も左も、それこそ水の組み方もわからなかったときに不器用ながらも丁寧に普通に生きることを教えてくれた、この世界の父親のような存在だ。
ここのところ体調不良で会っていないから一緒にベネ爺さんの家へ鶏肉を取りに行こうと決めて、ユイは小さく、自嘲気味に苦笑した。
「この村に来て…毎日の生活が大変なことを思い知ったよ。洗濯もそうだし、ご飯、着るもの、お風呂だって準備するのが大変だってわかった。あたしは何でも魔法で済ませてたけど、前にセイロスがそれだと味気ないって言葉の意味も、今ならなんとなくわかるよ」
以前はスーパーで売られていた鶏肉や豚肉、牛肉なんかが元々が生きていた動物だという知識はあったが、実感なんてなかった。
この世界へ来てからだって、ユイに提供されたのは調理済みのそれら。
村へ来て初めて、動物たちを食べるということを知った。殺して、解体をして、肉片にする。酷く残酷に見えるそれらの行為はトラウマになるかと思うくらいで、しばらくは肉が食べられなかった。
それでもいつかは馴れるものだし、ユイはまだ若いし元板世界でもほぼ毎日食べていたということもあり、肉が食べたくて仕方がなくなり、意を決して食べた。
その肉は、なんだか以前よりも美味しく感じられた。
「ユイがこの世界の都合で召喚されてしまったこと…とても申し訳なく、そしてこの世界に生きる一人として、己を力不足を不甲斐なくも思っています。これは何度言っても、何度謝っても足りないくらいだとわかっています。…それでも」
パタパタと洗濯が風にはためく音だけが暫く響く。
「それでも、ユイがこの世界に来てくれたこと、わたしと出会ってくれたこと、想い合えていることに、とても感謝しています」
「うん。…あたしも」
勝手に召喚をされて、訳もわからず。
求められるがまま、周りがちやほやとしてくれるのをいいことに、なにも知ろうともしなかった。
いつか帰れると信じていたし、周りの大人もそういってくれた。
鳥籠にかこわれて諾々と生きて、心に浮かび上がる不安や疑問も見ないふりをして蓋をした。
紙に与えられたという不可思議な能力で知れた真実がどれほど凶悪で、心を打ちのめすものか、察していたから、目をそらして。
いつも寝るときに、次に目を覚ますときは自宅のベッドであることを祈っていた。
「セイロスがいてくれたから、頑張れたよ」
周りにいた大人はいつだって優しい言葉でユイを甘やかして、騙してくれていたのに、ただ一人彼だけは何も言わなかった。
帰れるとも、帰れないとも。
沈黙を守り、常に彼はユイの近くにいた。
甘やかしてくれないこの人に腹が立つこともあったけれど、全てが終わった後も変わらずにいてくれた人は少なく、急激に変化していく周囲の環境の中でも、セイロスは変わらずに近くにいてくれた。
「いつかあたしに聞いてきたよね。この世界をどうしたいのか、なにがしたいのか。」
物干し場に、赤ん坊の小さな小さな服が、いくつも並んでいる。
風に揺れて、太陽の日差しを浴びて乾いていくそれらは、幼気な命をやさしく包むもの。
「あたしは世界に対して悪意も善意もないし、たぶん何もできないけど…貴方と……この子が生きる世界が優しく幸せであれば」
「この子?!」
マイの言葉が途切れる前にセイロスは驚きの声を上げた。
ゆっくりと彼女の、ふくらみの全くない腹部へ視線をおろし、勢いよく彼女の顔を見る。
「あぁ……ユイ…」
夢に浮かされたような足取りで、彼女の元まで歩くと、セイロスは徐に両膝を地面につけて跪いた。
「私の女神。春の息吹。私に人性を与えてくれた特別な女性。」
「ちょ、ちょっ、セイロス!」
慌てるユイの両手を大切に包み込み、頂くように額に寄せた。
「貴女こそが私の生きる活力。この子こそが、私たちが生きた証。」
己の持つ身体的な事情から、子供には恵まれないと思っていたセイロスにはまさしく奇跡だった。
世界の不調和によって押しつけられた高い魔力と引き換えに奪われた、諸々を目の前の少女は、取り返しただけではなく、さらには次なる幸せも与えてくれる。
人として生きること、その幸せを教えてくれる。
「本当に…ありがとう…」
彼女の小さな手を額に当てたまま、セイロスはハラハラと涙をこぼした。
後日、彼らの住まう国の要人数名が何者かに襲われ、国政の一線から身を引いた。
彼らは口をそろえて、金色の残像を見たといっていたが、その証言を聞いたものは誰もが口をつぐみ、やがて誰もそのことを口に出すことはなかった。
登場人物の事情紹介
【ユイ】
元女子高生。受験目前で異世界へ召喚されてしまう。異世界のことをノイローゼからの妄想世界だと思い込み、一時はかなり病んでいた少女。
世界のために、と召喚されたため下にも置かない扱いをされて傲慢になりつつも、多感な年ごろ特有な不安定さも病んでしまったことに追い打ちをかける。
王宮から離宮へ療養という名目で追いやられたときに、後の夫であるセイロスが正式に護衛に任命される。(それまでも時折護衛任務で顔を合わせていた)
少人数でゆっくりとした僻地での暮らしで、ようやく心の安寧を取り戻す。
セイロスには癇癪をおこした時も、泣き続けているときも近くにいてくれてとても感謝していた。
やがて王位が継承され、新王即位と同時に王宮へ戻る頃にはすっかり憑き物が落ちたように落ち着く。
落ち着いた彼女に対して手のひらを反して言い寄る男が増えたが、心は開かない。
すったもんだの末、セイロスと結ばれて辺境の村へ引っ込んでいた。
時折、王宮の貴族から彼と離縁して嫁にこいだの養子にならなかだの、手を組んでひと儲けしようだのの伝言が小鳥を使って寄越されていた。
【セイロス】
とある世界の住人で、魔力が不安定な影響を抑えるため、まだ母親の腹の中にいた彼や数人が人身御供として世界樹へ差し出された。
その影響で、産まれた時から性別を持たない。
身を守るためにあらゆる魔法と武術を叩きこまれていたので彼のような存在は特別部隊として編成されていた。
ユイが召喚されて、世界の安定のために彼らの部隊は彼女の近くにいるのがよいと判断されて、よく護衛の任務を任されていた。
金髪と空色の瞳。端正な容姿で、男性とも女性とも見れるが、ユイと結ばれたことにより男性化していく。