二十一時のブルーグリーン
「しっかりしてよ、国見さん。まだ二年目かもしれないけど、こういうことはね、仕事とおなじなの。いくら内輪の飲み会だからって前日に連絡もしないってどういうこと? 大学のときでも飲み会なんていくらでもあったでしょう? 一度も幹事したことないなんてこと、ないわよね?」
総務課の三美人と呼ばれているうちのひとり、自分の四つ上の姉川さんが、疲れたようにこっちを見てため息をついた。
営業課のこの部屋に、今は自分たちふたりしかいない。ここの蛍光灯は部屋半分しか今は点いていないから、昼間とちがって知らない場所にいる気分になる。
姉川さんは首もとにブルーグリーンの石をひからせているけど、今は青くくすんでいる。わりと高いはずなのに趣味はよくないなあ、顔のサイズに石が合ってなくて、石が悪目立ちしてると思う。顔は小さいから、それを活かせばいいのに、残念だ。
つらつら考えていると、彼女の声が大きくなった。
「ちょっと聞いてるの、国見さん!? あなた、よく考えたら二十五じゃない。同期よりも二つ年上なんだから、常識くらいわかるでしょう」
たしかにそのとおりだけど、年齢が高いほうが常識をわきまえてるなんていうのは、それこそもう世の中の常識ではないと思う。
大学院のときにも、いたんだよなあ。自分の研究や論文を鼻にかけてるやつとか、教授のくせに、理不尽なこと辺りに撒き散らして激昂するやつとか。
まあ今回は、自分のせいではないとはいえ確認を怠ったことは事実だ。でもそれを説明するのは労力だなあ、とくに怒っている相手に対しては。しかし姉川さんも大変だな、課の違う人間にこんな時間に説教しにくるなんざ。体よく押し付けられたんだろうな、“姉川さんならしっかりしてるから、任せられる”とかなんとか言われてるだろうし。美人は得だっていうけど、このひとの場合は損してるな――。
「国見さん」
「うっわあ!」
ぬっと、ほんとうに、ぬっと顔が出てきてびっくりした。今のは不意打ちだった。このひと、なまじ綺麗なだけに近づくと心臓にわるい。ちょっとは考慮してくれと言おうか、こちらの意図も含めて。
静かになったと思ったら、姉川さんは腕を組んだまま、まじまじとこっちの顔を見ていた。
……あれ? 怒ったのはさっきだけかな。目の前の姉川さんはいたって冷静に見える。今のところ動いているのは彼女の目と瞼と、あと、首もとの石。姉川さんの呼吸に合わせてかすかに上下している。
石が、やっぱり少し大きいよ、姉川さん。顔は小さくて綺麗なんだから、もっと繊細なデザインのものにしたらいい。ブルーグリーンジルコンは、主張がつよいよ、あなたのその細い首には。
「……ねえ、少しは自分の主張をしようとは思わないの?」
「――は?」
おっと、また心臓がどくりとした。自分の考えてることが漏れたのかと思ったけど、そんなわけはない。それだとこのひとはエスパーになる。ふっ。この時世にエスパーなんて単語を使ってしまった。けれどなれるものなら、彼女にそれくらい超越したものになってみてほしいという願望が、ぬぐえなく心の底に横たわっている。そしたら、こっちの気持ちに気づいてくれるんじゃないか、なんて年のわりに甘酸っぱい考えが浮かぶ。
「さっきからわたしばっかり喋ってるけどね、諦めるまえに、意見ぐらい言いなさいよ。そんなのだと、これからさき我慢ばっかりするはめになるわよ。たしかに忍耐は必要だけど、反論する心意気だって大事なのよ」
綺麗なしかめ面があるなら、こういうのだと思う。迫力があるなあ、昔でいう映画女優みたいだ。
このひとは芯が強いともしかしなくとも自負している、一年このひとを見てたらわかることだ。周りもそういう風にこのひとを扱ってる。
はっきりと存在しているのに、出過ぎない。あざやかだから思わず目が行くのに、佇まいを高言しない、朝霧がはれる瞬間の山茶花の花ってところだ。
でも、もろい。こういう女は、冷笑的な人間や虚実を使い分ける人間には、よわい。
たとえば、ここにいる、俺みたいな。
「姉川さんって、やさしいですね」
猫みたいに相手に映るように、俺は目を細めて見せた。
かわいいひとなんだ、このひとは。かわいくて、もろくて、唇が吸いよせられるようなあまい蜜をもっている。すすれば、どれほどあざやかに、ひらくだろう――――。
「あなたねえ、ふざけてるの?」
彼女の眦が険しくあがった。
「飲み会の幹事をやれって連絡が来たのは、一昨日なんです。俺は飲み会があることすら知らなくて、前日に頼まれたんです。全員に連絡が回ってるか確認しなかったのは、すみません、反省してます。俺に頼んだひとがやってくれてると思い込んでしまってたんです」
さきほどの笑顔から転じて、いかにも殊勝によそおって話した。姉川さんの顔が困惑気味になって、ブルーの石が鈍く目に反射した。
「そ、そう。だったら、わたしもちゃんとあなたの話を聞くべきだったわね。一方的にまくしたてて、わるかったわ」
自分を落ち着かせるように腕組みを解いて、姉川さんはこちらから目を逸らした。
ああ、だめだよ姉川さん。隙だらけですよ、あなたは。
「そのブルーグリーンジルコン、贈り物ですか?」
そう言うと、姉川さんはびっくりしたようにこっちを向いた。
「ブルーグリーンジルコンの宝石言葉は、束縛されない、自由に奔放に生きる……、過去の嫌なことを捨て去る。――――何かありましたか」
また、猫のように目を細めて見せた。
「な……、あなた、変じゃない。なんでそんなことに詳しいのよ」
「俺は、花と宝石はどちらかひとつでいいと思ってます。あなたには山茶花のほうが似合ってますよ」
姉川さんは言葉もなく固まった。珍しくうつむいて、両手はだらりと下がったままだ。
「わたしには似合ってないわよ、わるかったわね」
「……反応してほしかったのは、山茶花のほうだったんだけどな」
「あなたね、ほんとうにさっきからっ……! 真面目に話す気あるの!?」
ぱっと顔をあげた姉川さんの表情に、不快という文字は浮いていない。やっぱり吸いよせられるようだ。どこまでも後輩と向き合おうとする姿勢には、素直に感嘆する。でも、それだけじゃあ足りないな――。
「さっきから、じゃなくてわりと前から俺はそうですけど」
姉川さんは、その言葉にびくりとなった。してやったり、と思った。
つかまったよな、今のは。俺に、彼女はつかまったはず。
彼女はなにも言わない。下手を打ちたくないとその佇まいからにじみ出ている。
「――――話をする気のないひとなんか、大嫌いよ」
少し頬を上気させて、きりりと彼女はこちらを睨んだ。
ブルーグリーンの石が、彼女の瞼のはしにきらりとひかった。
ああ、参ったな。石なんか口にふくんでも味はしないと思ってたけど、彼女からおちる雫なら、なんだってあまいのかも知れない。
――美玉。
二十一時の、あやうい均衡。
ちなみに二人の名前は、姉川匡香・国見令一です。
終わりのほうでやっと主人公の性別を出しました。これのどこが男だ、と思われたかた……作者はぐうの音も出ません。お読みくださってありがとうございました。