その記憶、直しましょうか?
それは日常に潜む小さな恐怖だった。
俺はひとりキッチンの前で立ち尽くす。いや、厳密に言うとキッチンに入ろうとして扉を開けたところで立ち止まっていた。別にキッチンに入ることが怖いという特殊な恐怖症を持っているわけでも、扉を開けた瞬間に黒くツヤツヤと光り、カサカサと動くあいつを発見したわけでもない。その恐怖とは―――
「あれ?今何しようとしてたんだっけ?」
―――物忘れである。
『キャーーーッ!』
「やべっ」
甲高い悲鳴がリビングから聞こえてくる。どうやら見ている途中だった映画のCMが終わったらしい。俺は小走りでリビングへと戻りソファーに座る。だが胸の中のモヤモヤは晴れないままだ。
(何しようとしてたんだっけなぁ。映画がCMに入ったからその間にキッチンに何かを取りに行こうとしてたことは覚えてるんだけど)
このままでは今見ている映画にも集中できやしない。せっかく自分好みのホラー映画を見つけられたというのにあんまりだ。さっさとあきらめて映画に集中したいところだが、いかんせん俺は気になったことは解決するまで気になる性分なのだ。
「それにしてもこの映画めっちゃ怖いやつじゃないですか。よくこんなの見れますね」
気が付けば頭を悩ませている俺の横に見知らぬスーツ姿の男が立っていた。驚きのあまりソファーから転げ落ちる。
「うわぁ!誰だお前は!」
「私は記憶修理人の清水と申します。...ところでお客さん、マンガみたいないいリアクションしますね。いや、このシチュエーションに合わせるなら『映画みたいな』って言った方がよかったでしょうか」
俺は手をついて勢いよく立ち上がるとその記憶修理人とやらから距離を取る。
「勝手に家の中に入るなんて不法侵入だぞ!」
「何言ってるんですか。あなたが私を家に入れてくれたんじゃないですか」
「そんなこと絶対にしてない!」
「ひどいなぁ。忘れちゃったんですか?」
そんなふざけた話があるか。その言葉は喉元で止まった。おぼろげながらに浮かんできたのだ。俺があいつを家に入れた記憶が。
『ピンポーン』
いきなりインターホンが鳴った。
「くそっ。なんなんだよ」
その音はモヤモヤしていた俺の不機嫌に拍車をかける。俺は乱暴にドアを開けた。
「なんですか?」
そこに立っていたのは男だった。身にまとったスーツや整えられた髪が『営業マンです』とアピールしてくる。嫌なことは続くものだ。まさか映画鑑賞を二度も阻害されるとは。こんなやつさっさと追い返してしまおう。
「私、記憶修理人の清水と申します。何か記憶に関することでお困りごとはありませんか?」
前言撤回。こんなふざけたことを言うやつには俺の怒りの捌け口になってもらおう。
「ふーん。記憶修理人ねぇ。記憶を修理するなんてできないと思うけど」
「いえいえ。実はできるんですよ」
「どうやって?」
「それは企業秘密ってやつです」
「はぁ⁈そんなこと言われて信じれるわけないだろ!やってみろよ。今、ここで」
こうやって言えば困って言い訳をし始めるだろう。どうせできるわけないのだから。だが返ってきた返事は予想と違った。
「承知しました。少々お待ちください」
そう言うと男は俺の額に指をあて、目をつぶった。
「なにすんだよ!」
俺が男の手を振り払うと同時にさっきまで忘れていたキッチンでの用事を思い出した。バッと男の顔を見ると満足げにニヤついていた。
「どうですか?これで信じてもらえましたかね」
その瞬間俺の中の苛立ちは好奇心に塗り替わっていた。
「よかったらうちで休憩していかないか?疲れているだろう。もしよければ話を聞きたいんだが」
男は感謝を述べると家に上がり込んできた。
そんな存在しない記憶――いや存在していたはずの記憶がよみがえってきた。
「もしかして思い出してくれましたかね」
顔を上げると清水のニヤニヤとした顔があった。
「思い出したかなんて白々しいな。あんたが記憶を消したんだろ」
「おや。気づかれてしまいましたか」
「当たり前だろ。それよりもなんで記憶を消したんだよ」
「記憶を修理するときにあなたが苛立ちを私にぶつけようとしていたのが視えたのでつい」
「直した記憶が消えているのは?」
「まぁあなたも苛立ちを私にぶつけたのでお互い様ですよね」
そんな返答とも言えない濁した言葉が返ってくる。それに少しイラっと来るが、清水の言うことにも一理あるので今回は水に流すことにする。
「とりあえずお茶くらいは出すよ。俺の忘れた『キッチンでやろうとしていたこと』の記憶が直っていないことについてはその後に追及するからな」
俺はキッチンに立ってお湯を沸かした。お湯が沸くのを待っている間にダージリンの茶葉を準備する。ここで清水が興味深そうにこちらをのぞいているのが目に入った。
「茶葉からやるんですね。てっきりペットボトルか作り置きのお茶かと」
「俺の母さんがお茶好きでこだわりが強いからな。いつ来てもいいように常備してるんだ。というか今知ったのか?さっき記憶を視たって言ってたじゃないか」
「あなたが私の手をすぐに振り払ってしまいましたからねぇ。そんなに前まで記憶をたどれなかったんですよ。記憶ってのは道みたいなものなんです。時間があればあるほどあなたのたどってきた道をたどることができるし、その逆もまたしかり。私が視えたのはあなたが映画を見始めたあたりまでです」
そのたとえは妙にしっくりきた。努力とか経験の積み重ねを『軌跡』と言うことがあるがそんな感じなのだろう。
「つまりあんたは時間さえあれば人の過去を全部知ることができるってことか。どうやってるんだ?」
「人の脳に近い部分、まぁおでこですね。に触れると脳から記憶が読み取れるんですよ。あなたの脳から私の腕を伝って私の脳に情報が送られてきます。いやぁ最近の技術ってすごいですよね」
すごいどころの話ではない。そんなものがあればいとも簡単に人間を掌握できる。それに応用すれば記憶の捏造もできるんじゃないか?当然欲しがる人もたくさんいるだろうし、俺も知っていれば欲しいと思っていたに違いない。だが俺はそんな話を見たことも聞いたことも無い。商売をする以上その存在は徐々に世界に知れ渡っていくはずだ。その疑問をそのまま投げかけてみようとしたところでやかんがシュンシュンいっており、お湯が沸いたことに気づく。
あらかじめ茶葉を入れておいたティーポットとカップにお湯を注ぎ、カップを温めつつ茶葉を蒸らす。3分ほど待ったところでカップのお湯を捨て、ティーポットの中をスプーンでひと混ぜ。そして『ベスト・ドロップ』と呼ばれる最後の一滴まで丁寧に注ぐ。
「どうぞ」
まだ湯気の立ち上っている温かいうちに清水の前に置く。
「ありがとうございます。それにしても手際がいいですね。見ていて非常に興味深かったですよ」
清水は猫舌なのかフーフーとよく冷ましてから一口飲んだ。
「味も茶葉の香りが立っていておいしいですね」
俺の入れたお茶をほめてもらえるのはうれしいが、それよりももっと優先したいことがある。
「それでさっきの話に戻るんだけど、俺はあんたが言っているような技術はこれっぽっちも聞いたことがない。そんなすごい技術ならもっと噂になっているんじゃないか?」
「その通りです。ですがこれの開発者が『危険なことに使われるといけないから』と社外秘にしているんですよ」
「あれ?それなら俺に教えてるのマズくないか?」
「ええ。そうですね」
俺はぎょっとする。そんなことを涼しい顔で俺に教えていたのか。さらに追及しようとしたところで清水がティーカップを置く。
「ごちそうさまでした。いやぁ、つい長居してしまいましたね。そろそろ仕事に戻らないと」
「ちょっと待てよ!俺はまだあんたに聞きたいことがたくさんあるんだよ」
そんな俺の言葉が聞こえていないかのように清水は立ち上がり、カバンを持つ。
「あ、そうそう。これはお茶をごちそうになったお礼です。」
引き留めようとする俺の手をつかんだかと思うと、額に指をあてられる。
気が付くとテレビにはエンドロールが流れていた。どうやら俺が悶々と悩んでいる間に映画は終わっていたみたいだ。結局忘れたことも思い出せなかったし最悪だ。ため息をついてソファーから立ち上がるとフッと『お茶』という単語が頭をよぎる。
「あぁっ!思い出した!俺はお茶を飲もうとしてキッチンに行ったんだった!」
もう映画は終わってしまったが、まるで誰かと話していたみたいに喉が渇いていたためキッチンでお茶を入れることにした。だがいつもの位置にティーポットとカップがない。不思議に思いキッチンを見回すとシンクの横に丁寧に洗われてピカピカになった状態で置かれているのを見つける。
「俺使ったっけ?」
最近使った記憶はないし、洗った記憶もない。だが誰かに自分の入れたお茶がおいしいとほめてもらいうれしかった記憶が浮かんでくる。
「一体どういうことだ?せっかく思い出せてすっきりしたところなのにもやもやするなぁ~」
だがいくら考えても思い出せない。
「もし記憶を修理できたら思い出せるのにな」
そんな独り言は沸かし始めたお湯に溶けて消えていった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。初心者が趣味で執筆したものですが、少しでも面白いと思っていただけたのなら幸いです。これからもサクッと読める短いお話を投稿できたらいいなと思っているので応援していただけると嬉しいです。




