第3話
「旅のお方だったんですね。大変お見苦しい物をお見せしてしまい、すみません……」
少女は小屋の後ろに隠れていた家屋に私達を案内して、もてなしてくれた。小屋内の絵面より酷い物があったとはさすがに言えず、曖昧に笑って差し出されたお茶に口をつける。
緒光香も物言いたげな顔はしているものの、キュッと下唇を噛んで我慢している。そういう分別はあるらしい。
「吾はハクトウと申します。花笑みの香料店の現店主で、この辺りの草花の自然神です」
ハクトウさんは控えめな様子でそう言った。
自然神というのは本当だろう。自然神はヒト型になっても、魂花の気配が外見と合わないものだ。老成している、と感じたのは、ハクトウさんが一帯の草花を長く見守ってきた不老不死の自然神だからだろう。
「少し前まで……ええと、ほんの八十年程度前まで、桜木の里はこの外れの方まで栄えておりました」
時間の感覚が人間とは大きくずれているのも、悠久の時を生きる自然神の特徴だ。普通の感覚だと、八十年をほんの、とは言わない。
ハクトウさんの話によれば、この香料店の元店主は非常に優秀な調香師であり、草花を愛でて大切にする人だったらしい。ハクトウさんは調香材料である草花に対して慈愛を向けている元店主に感銘を受けて、良縁が店に集まるようにと干渉していた。
しばらくこっそりと店を支えていたハクトウさんだったが、あまりの大盛況っぷりに不思議に思った元店主は(もしや店を見守っている存在がいるのでは)と勘づいた。
それからハクトウさんは姿を現して、店の手伝いをする一方で、調香の勉強をし始めたらしい。
「彼の作る香料は、ヒトを温かく満たされた笑顔にするものでした。吾はそれを、後世に残したかったんです」
ハクトウさんは湯呑みを両手で包みながら、訥々と話した。
「だけど吾にはとんと才能もなく……。彼がこの世を去ってから、彼の作った匂いの記憶も日に日に薄れてしまって……」
「いくつか当時の香料を残さなかったのか?」
緒光香が尋ねると、ハクトウさんはゆるゆると首を振った。
「どうしても彼の作る香料が欲しいというお客様が多数いらっしゃったので、彼が手がけた試作品も含め、全て売ってしまいました。それほど彼の作る香料は、人の心に響く大切なものだったんです」
ハクトウさんの声は後悔が滲んでか、やや大きくなって震えた。だけど膨らんだ感情の迸りは、そこで失速してしまったように落ち込んだ。
「……大切なものを販売していたお店が、今やこの有様です。この辺りには他にお店もないから、ヒトも離れて行っちゃって……吾、何しているんでしょうね」
ハクトウさんは苦しそうに、無理して私達に笑顔を向けた。私は視線だけを緒光香に向けた。何かを察したのだろう緒光香も、スッと私に目を向けた。
いびつな笑顔を浮かべるハクトウさんの周囲には、暗い紺色のモヤのような物が浮かんでいる。これは明らかに枯れ魂花だ。これが邪気になって集まると、泣き鬼になる。
どうやらお店の中に枯れ魂花が充満しているせいで、ハクトウさんの魂花もそれにつられて枯れてしまっているらしい。このままではハクトウさんもお店も邪気に飲まれ、取り返しがつかない事になる。
「ここは枯れ魂花が充満してる」
私が言うと、緒光香は大きく頷いた。
「放っておくのは良くないよな」
「大義名分ならある」
「よし!」
緒光香は笑って立ち上がると、袖を捲り上げた。
「まずは店の掃除だな!」
私も頷きながら立ち上がった。
今の状態のまま灯しの風で浄化しても、一時的な浄化になって根本の解決にはならない。言ってしまえばカビだらけの部屋を換気するようなものだ。そこにある汚れを物理的に排除してから浄化しないと、やってもあまり意味がない。
小屋の中の物を廃棄して、掃除して、部屋を磨いてから浄化する。そうするのが一番だ。緒光香もそれをわかっているからそう切り出したのだろう。こういう時は息が合うから助かる。
「え、えっ?」
ハクトウさんは何が起きているのかついていけない様子だった。旅人が急に掃除したがっていると思うと確かにおかしな事だけど、だからってやらないわけにはいかない。ここまで事情を知って、ハクトウさんを放っておきたくもないし。
「枯れ魂花……つまり、あなたの調子を狂わせる物は、散らかった部屋に溜まりやすいの。掃除して室内の空気の流れを整えれば、浄化もしやすくなる。まずは……」
パン!と私は両手を打った。
「腐敗した香料の素材と、調香の失敗作を捨てる!」
「おうっ!」
緒光香は拳を突き上げて笑顔を見せた。もうとっくに眠気は吹き飛んだようで、やる気満々だ。
「ま、待ってください! 何故そんな事をなさるんです⁉︎ あなた方はうちの近くにいらした旅人さんでしょう⁉︎」
そこまでやる必要がない、と気遣わしげにハクトウさんは私達を見やった。私は髪を結んで頷いた。
「うん、その通り。だけどただの旅人じゃない。私達は風渡しだよ」
手早く髪を纏めた私は、ポンとハクトウさんの両肩に手を置いた。
「あなたと同じように、人の安らぎを尊ぶ者」
「……!」
ハクトウさんは息を詰めた。大きく見開かれた目はつやつやときらめいて、木々の間から漏れる日差しのように輝いていた。
ハクトウさんは元店主の香りだけを大事に思っているんじゃない。その香りが生んだ元店主とお客さんたちの繋がりや、その場に満ちていた笑顔を愛していたのだろう。
だから必死になる。魂花が枯れてしまっても、ポツンと一人だけになってしまっても、香りの再現の模索をやめられないくらいに。
そんなハクトウさんの思いを汲むのもまた、風渡しの仕事の一環だ。
「さっ、始めましょう!」
「おー!」
緒光香とハクトウさんが元気良く返事した。そこから私達の大掃除は始まった。




