第1話
妖怪を祓った私達は、森の側にあった人里、桜木の里で夜を越した。風渡しは集落に立ち寄っては浄化活動を行うのが常で、人々から歓迎されやすい。昨晩も無償で良い宿に泊まらせてもらったから、私は浄化に向かおうとしっかり早起きをしていた。
……のだが。
「ね〜思草さぁん……もうちょっと、もう〜ちょっとでいいから寝かせてよぉ……あと半日でいいからぁ……!」
相方がこれである。もたもたとした声色だし寝ぼけてるんだろうけど、半日のどこがちょっとだというのか。その間、私は宿の人から、いつになったら浄化しに行くんだろうと訝しげに見られるじゃないか。
灯しの風を見せたから本物の風渡しだと伝わっているけど、あまりにも行動がそぐわないと疑われるかもしれないし。緒光香を置いていってもいいけど、それはそれで里の人に良くしてもらったのに不義理である。
つまり私は、今、緒光香を引っ張ってでも浄化に連行したいのだ。
「どこがちょっとなの、もう。昨日いつまで起きてたの? ほらさっさと起きる、浄化しに行くよ!」
「そんなぁ〜!」
ペイッと布団を引っ剥がすと、緒光香は丸まったまま情けない悲鳴を上げた。構わず起こして朝食を詰め込ませて、宿から出た。
そこまでしても緒光香は、まだ寝てたいのにぃ、とピイピイ半べそをかいている。どうやって生活してきたんだろうか、この人は。
昨日の勇姿とまるで繋がらない様子を見ていると、この先が不安になる。だけどこれでいて、単にだらしないわけでもなさそうなのだ。この土地を流れる風が清々しい魂花を乗せているのは、緒光香のおかげだからだ。
命あるもの、大地や星々、岩や建造物。この世界に存在するあらゆるものには魂が宿っていて、それはほのかに外へと漏れ出ている。それを私達風渡しは、魂花と呼んでいる。
人の出入りが激しい所はあらゆる魂花が入り交ざっているのが常態化していて、土地もそういうものだと認識している。
だけどこういう森の外れにポツンとある集落の土地は違う。私達のようなよそ者……つまり土着の民以外の魂花を感知すると、縄張りを荒らす者が来たと土地そのものが警戒してくる。
その警戒の気が集まると、元々その地域に満ちていた豊かな魂花は潤いを失い、徐々に邪気へと変化してしまう。
邪気が集まると人の精神が蝕まれていったり、病を引き寄せたりしてしまう。だからそういう場所に入ったら、出来るだけ早く土地に害意がない事を灯しの風伝いに示すのが定石だ。
私は昨晩、桜木の里に入る時、必要最低限程度にしかそれが出来なかった。私の風渡しの力は陽光の力を借りているから、夜になると力が制限される。
その制限されて残った力は、緊急の戦闘時に使えるようにしたい。だから可能な限り、消費する力を抑えたかったのだ。
起きてからきちんと土地に挨拶をしようと思っていたけど、目覚めて外からの冴え冴えとした風を浴びた瞬間、その必要がないくらい土地に歓迎されているのがわかった。
甘く瑞々しい草花の香りを乗せた風は、丁重な挨拶に対する土地からのお礼だと感じ取れたのだ。土地の魂花は、キラキラと輝いていた。
研鑽を積んだ玄人は、夜でも昼と同等の力を使えると聞く。恐らく緒光香はその類いなのだろう。
(こんなペソぺソしてても、凄い人なんだろうな……)
「ほら、もうそろそろ目的地に着くから、シャキッとして」
眠気でフラフラと左右に揺れている緒光香に声をかけた頃には、里の外れに来ていた。
桜木の里からは邪気や枯れ魂花――邪気になりかけている魂花――の気配がほとんど感じられなかった。しかし一箇所だけ、妙な気配がする場所があった。そこに近付くにつれて風に乗る魂花が枯れ始め、肌がゾワッと逆立っていた。
次第にその妙な気配が強くなっていく。それどころか、こう……臭い。臭いのだ。風に乗って鼻がひん曲がりそうな臭気が流れてくる。
「うっわ何この臭い! くっせ‼︎」
あんなに眠そうにしていた緒光香もさすがに耐えられなかったようで、大声を上げながら鼻を摘んだ。
どうもかろうじてまだ邪気にはなってないものの、邪気になる寸前まで枯れに枯れた魂花が集まっているらしい。私達の前に現れた小屋が発信源だ。
それにしても臭すぎる。鼻が曲がるどころか一回転しそうなくらいだ。酷すぎる。こんなのをずっと嗅いでいたら、目に染みる臭気で泣き鬼にでもなりそうだ。
なんとか扉の前に立ったはいいけど、開ける勇気がない。開けたらもっと酷い臭いが出てきたらどうしよう。
そう思い、微かな希望を抱いて振り返ると、緒光香は遠くで「がんばれ!」と身振り手振りで伝えてきた。はっ倒したくなった。
頼れる味方がいない悲しさと、イラッとした感覚のおかげで踏ん切りがついた私は鼻を押さえて息を止め、一気に扉を開いた!
「ヒィッ⁉︎」
扉が開いた瞬間、小屋の中から悲鳴が上がった。恐る恐る中を見てみると、腐敗した何かが床と壁を埋め尽くしている中央に、何やら小さな影があった。振り返って私を見つめたその人は、どこか老成した雰囲気のある小柄な少女だった。
少女は椅子からピョンと降りると、いそいそと私の側に歩み寄ってきた。
「は、花笑みの香料店にようこそ……! ……お、お客様……ですよね?」
「……」
――香料店から漂う臭いじゃない‼︎
心の底からそう叫びそうになったけど、少女は私に期待の眼差しを向けているから、舌を噛みちぎる勢いで噛んで我慢した。
かくして枯れ魂花の集会所と化している、腐り落ちた果実臭で充満した香料店に、私達は辿り着いたのだった……。




