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【第8話】残された者と、進むべき道

 炎の龍が消えた場所には、何も残っていなかった。


 灰すらない。ただ、焦げた空気の中に、ほん

のわずかに甘い匂いが混じっている。


 それだけが、ミリムの存在を感じさせた。


 彼女が消えたのと同時に、胸を締めつけていたあの強烈な恋情も、嘘のように消えていた。


 それでも涙は止まらなかった。


 作られた想いだったとしても、共に笑い、触れ合い、夜を過ごした記憶まで偽物だとは思えなかった。


 彼女が生きた証を探すように、地面を、空気を、何度も見渡す。


 だが、何もない。


 本当に、何一つとして残っていなかった。





――その時だった。


「何があった!」


 怒声と共に、武装した兵士たちが町へとなだ

れ込んできた。


 ラズベリ城の兵士だ。


 その声に我に返り、改めてフシミの町を見渡す。


 先ほどまで燃え広がっていた炎は、嘘のように消え失せていた。


 焼け焦げた家屋と道だけが、ここで何かが起きたことを物語っている。


……ミリムの、覚悟。


 そして、あの一瞬の決断が、町を完全な破滅から救ったのだろう。


 だが、そんな事情を兵士たちが知る由もない。


 騒ぎを見ていた町の人々が、見慣れない存在――ケントを指差すのは、あまりにも自然な流れだった。


「そいつだ」 「知らない顔だ」 「一緒に逃げていた」


 次々と向けられる視線と声。


 弁明する気力すら湧かないまま、ケントは兵士に囲まれた。


 抵抗はしなかった。する理由も、意味もなかった。


 そのまま、ラズベリ城へ。


 夕陽に照らされる城壁が、やけに遠く、冷たく見えた。


――こうして、ケントは“重要参考人”として城へと連行された。












 ラズベリ城に着くと、ケントはそのまま地下へと連れて行かれた。


 石段を下るたびに、空気が冷たく、重くなっていく。


 鉄格子の向こうに押し込まれ、すぐに事情聴取が始まった。


 兵士は事務的に問いを投げかける。


 何があったのか。


 炎の龍はどうやって現れたのか。


 なぜ、あの場にいたのか。


 だが、ケントの頭はうまく働かなかった。


 異世界に来て初めて失った、大切な人。


 その死が、まだ現実として飲み込めていなかった。


 言葉を選ぼうとするたび、喉が詰まり、視界が揺れる。


 思い出してしまうのだ。


 燃え盛る炎の中で、ミリムが見せた、あの穏やかな笑顔を。


「……分からない」 「覚えて、いない……」


 途切れ途切れの答えしか返せないケントを見て、兵士は小さく舌打ちした。


「もういい」


 冷たい声でそう言い放つと、兵士は背を向け、何も言わずに出ていった。


 鉄の扉が閉まる音が、地下牢に重く響く。


 一人きりになった牢の中で、ケントは壁に背を預け、ゆっくりと座り込んだ。


 ミリムのことを考えるなという方が無理だった。


 あの夜、彼女が口にした言葉。


「これはね、私の贖罪なの」


 その真意を、結局聞くことはできなかった。


 なぜあんな寂しそうな顔をしていたのか。


 なぜ、あんなにも自分を責めるような言葉を選んだのか。


 分からないことばかりだ。


 脳裏に焼き付いて離れないのは、最後に見たミリムの笑顔。


 恐怖でも、後悔でもない、覚悟を決めた人の表情。


――まただ。


 胸の奥で、そう呟く。


 また、自分の力のなさで、大切な人を失った。


 ミリムのおかげで、確かに強くなれた。


 彼女の加護があったから、ここまで生き延びてこられた。


 それでも、守れなかった。


「……俺は」


 これから先も、同じことを繰り返すのだろうか。


 強くなっても、誰かを得ては、失って。


 そのたびに、後悔だけを積み重ねていくのか。


 答えの出ない問いを、何度も何度も頭の中でなぞり続ける。


 地下牢の夜は、長く、静かで、重かった。










 次の日の朝、重い足音と共に牢の前に兵士が現れた。


 鉄格子越しに、事務的な口調で町の状況が告げられる。


「被害状況を伝える」


 幸いにも、死者はいなかったという。


 その言葉に、ほんの一瞬だけ胸の奥が緩む。


 だが、続く言葉がそれをすぐに打ち消した。


「重傷者が二人。剣を持った男と、ハンマーを持った男が、広場で相討ちの状態で倒れていた」


 アルとロックだ。


 二人とも一命は取り留めたが、意識不明の重体。


 治療班が総出で手当てに当たっているらしい。


 ケントは何も言えず、ただ俯いた。


 あの場で止められなかった自分の姿が、嫌でも思い出される。


 兵士は一度言葉を切り、少しだけ声を低くし

た。


「それからもう一人……」


 町の人々の証言だという。


 泣きながら杖を握っていた青年がいたこと。


 炎が消えた瞬間、その青年もまた、まるで役目を終えたかのように崩れ落ち、その場で灰になって消えたこと。


 チーズ。


 その名前を口にされなくても、分かった。


「……そうか」


 絞り出すように呟く。


 ミリムだけじゃない。


 チーズまで、あの時に全てを失ったのだ。


 彼の歪んだ想いも、後悔も、叫びも。


 すべてが、灰になって消えた。


 兵士は淡々と話を終えると、踵を返した。


「このあと、別の者が事情聴取に来る。今度はしっかり話せ」


 それだけ言い残し、足音は遠ざかっていった。


 



 しばらくして、地下へと続く階段を軋ませながら一人の老人が降りてきた。


 長い白い髭を胸元まで垂らし、年季の入った眼鏡の奥から、静かな視線でケントを見る。


「わしは城付きの研究者じゃ」


 そう名乗った老人は、兵士に促されるまでもなく牢の前に立ち、ゆっくりと口を開いた。


「フシミの町で起きたことを聞かせてほしい。

特に……“炎の龍”についてじゃ」


 ケントは一瞬だけ目を伏せ、それから知っていることを整理するように話し始めた。


 炎の龍は、チーズが“魔力をすべて使う魔法だ”と言っていたこと。


 現れた後、他の誰にも目もくれず、ミリムだけを執拗に追っていたこと。


 そして――ミリムが命を落とした瞬間、龍もまた消えたこと。


 言葉にするたび、胸の奥がひりついた。


 老人は黙って頷き、すべてを聞き終えると、ゆっくりと語り始めた。


「それは……禁術じゃな」


 禁術。その言葉に、ケントは顔を上げる。


「禁術とはな、遥か昔に魔女たちが編み出した大魔法の総称じゃ。あまりにも強力すぎてな、その代償があまりにも重い。」


「ゆえに、すべて使用を禁じられ、歴史の闇に葬られた」


 老人は眼鏡を指で押し上げ、続ける。


「お主が見た炎の龍……それはおそらく“嫉妬の炎”という禁術じゃ」


 かつて、一人の魔女がいたという。


 愛した男に裏切られ、その憎しみと嫉妬のすべてを込めて生み出した魔法。


「強い憎しみを特定の対象に向けて発動させると、その対象の命を燃やし尽くすまで消えぬ炎の龍が現れる」


 逃げ場はない。止める術もない。


「そして……代償としてな」


 老人の声が、わずかに低くなる。


「対象が消えると同時に、術者自身もまた、存在ごと消える」


 ケントの脳裏に、灰になったチーズの姿がよぎった。


「……闘技場でも、あの魔法を使っていた」


 ケントの言葉に、老人は深く頷く。


「その時はな、強い憎しみを込めておらんかったのじゃろう。嫉妬の炎は、感情が揃わねば真に発動せん」


 本来なら、そんな禁術が表に出ることはない。だが――。


「おそらく闇市じゃな。知識も覚悟もない者が、触れてはならぬものを手にしてしまった」


 牢の中に、重い沈黙が落ちる。


 やがて老人は一歩下がり、穏やかな目でケントを見た。


「お主は多くを失ったな。じゃが……人生は、まだまだ長い」


 その声は、慰めというより、事実を告げるようだった。


「希望を捨てては、あかんよ」


 それだけ言い残し、老人は静かに踵を返す。


 白い髭が揺れ、足音は再び階段の向こうへと消えていった。












 それから一週間、牢屋での日々は淡々と続いた。


 時折兵士が訪れては事情を聞きに来るが、ケントが答えられることは最初から何一つ変わらない。


 炎の龍、ミリム、チーズ、逃げ惑う町――語るたびに胸の奥が軋んだが、状況が動くことはなかった。


 そして、牢に入れられてから十日目の朝。


 鉄格子の向こうで、いつもより足音が多いことに気づいた。


「ケント、出ろ」


 短く告げられ、鍵が外される。


 理由も分からぬまま外へ出ると、兵士が事務的に説明した。


 アルとロックが意識不明から目覚め、証言したこと。


 ケントは事件に直接関与しておらず、ただ巻き込まれただけだということ。


 牢を出たケントに、兵士は続けて言う。


「解放だ。ただし、先に医療室へ行け。 身体と……精神状態の確認だ」


 逆らう理由もなく、ケントは頷いた。


 城内を案内されながら歩く。


 久しぶりに見る天井の高い廊下、窓から差し込む光がやけに眩しかった。


 自分が十日間、地下にいたのだと改めて実感する。


 やがて、白い扉の前で立ち止まる。


「ここだ」


 兵士に促され、ケントは一度深く息を吸い、扉に手をかける。


 静かに開けると――


 そこは、薬草の匂いが漂う医療室だった。









 医療室のドアを開けると、室内には一人の女性がいた。


 椅子に座り、書類に目を落としていたその人物は、足音に気づくとゆっくりと椅子を回し、こちらを向く。


 白衣をまとい、眼鏡をかけた黒髪の女性。


 整った顔立ちをしているが、年齢は読み取れない。不思議と若さも老成も同時に感じさせる雰囲気だった。


「……君がケント君だね」


 静かな声だった。


「私はね、ルールブック。 長いから、ルールさんって呼んでくれていいよ」


 そう言われ、促されるまま彼女の前の椅子に腰を下ろす。


 簡単な問診と身体の確認が始まったが、特に異常は見つからず、検診はすぐに終わった。


 ルールさんはペンを置き、ふっと視線を上げる。


「ミリムちゃん、亡くなったみたいだね」


 突然の名前に、ケントの喉が詰まる。


「……知ってるんですか」


「ここら辺の子供はね、私がだいたい診てるからね」


 淡々とした口調だった。


「ミリムちゃんのことも、小さい頃から知ってるよ」


 少し間を置いてから、続ける。


「あの加護を持った子は、これまでにも何人かいた。 でもね、みんな最後は……不幸な終わり方をしてる」


 ミリムは誰にも加護のことは話していないと言っていた。


 それでも、この人は知っていた。


「どうして……」


 ケントの疑問を察したように、ルールさんは眼鏡を押し上げる。


「あの加護が現れるのは、決まって少女だよ。幼い頃に、十分な愛をもらえなかった子」


「強い祈りと一緒にね、加護は生まれる」


 そして、静かに結論を告げる。


「最後はたいてい、異性絡みの嫉妬や恨み、感情のもつれで人生を終える」


 「ミリムは、自分の加護のことは誰にも話してないって言ってました。」


 その言葉に、ルールさんは少しだけ視線を細める。


「私はね、人に“かかってるもの”が分かるんだ」


「かかってる……もの?」


「重み、って言った方がいいかな」


 ルールさんは続ける。


「この世界で言われてる加護や呪い、 それだけじゃなくて、後悔、執着、願い、喪失…… そういう全部を含めた、その人自身にかかっている重み」


 そして、ケントを見る。


 「ケント君。君もね、重みを抱えてる」


 ミントがステータスを視認できるように、この人は加護そのものを“感じ取っている”のだと、ケントは理解した。


「ミリムちゃんは、とても軽い子だった」


 ルールさんの声は責めるでも、慰めるでもなかった。


「自分を削ることでしか、誰かと繋がれなかった。 だから加護が育って、そして――人生を食べられた」


静寂が医療室を満たす。


「でもね」


ルールさんは、はっきりと言った。


 「君は違う」


「核はまだ君の中にある。 “自分で選んで強くなりたい”っていう意志だよ」


 ケントは顔を上げた。


「……それって」


 「加護に使われる側じゃない、ってこと」


 ルールさんは椅子から立ち上がり、棚に並ぶ器具の間を歩きながら続ける。


「ミリムちゃんは、加護に人生を委ねてしまった。 君は――これから先、加護を“使う”側にもなれる」


 椅子から立ち上がり、背を向けたまま言葉を重ねる。


「強くなりたいなら、覚悟がいる。 優しさも、躊躇も、捨てなきゃいけない場面が必ず来る」


 振り返り、ケントを見る。


「私はね、それを止めない。 むしろ……知ってる限りのことは教える」


「次は、君が選ぶ番だよ。ケント君」


 覚悟――


 俺には、まだ覚悟が足りないというのか。


 優しさを捨てる。強くなるためには、手段を選んではいけない。


 ルールさんの言葉が、頭の中で何度も反芻される。


 それが正しいのかどうか、今の俺にはまだ分からない。


 それでも、何もせずに失い続けるよりは。





 礼を言い、医療室を出ようとした時だった。


「相談があればね、いつでも来ていいよ」


 背中越しに、ルールさんの声がかかる。


 そして、付け加えるように言った。


「君の友人のアル君とロック君。 この先の病室にいるよ。もう意識も戻ってる。 面会していくといい」


 その言葉を聞いた瞬間、考えるより先に足が動いていた。


 早足で、教えられた病室へ向かう。


 扉を開けると、そこにはベッドに横たわる二人の姿があった。


 物音に気づき、二人がこちらを見る。


「……ケントか」


 声は弱々しいが、意識ははっきりしているようだった。


 傷は深い。それでも会話はできる。


 二人は、まず後悔の言葉を口にした。


 互いに刃を向けてしまったこと。


 感情に任せて争ったこと。


 そして、アルが恐る恐る尋ねてきた。


「……ミリムと、チーズは……どうなった?」


 ケントは、逃げずに答えた。


 ミリムが命を落としたこと。


 チーズも、禁術を使った代償として命を失ったこと。




 

 話し終えた後、しばらく沈黙が落ちた。


 やがて、アルがぽつりと口を開く。


「……やっぱり、そうか」


「ミリムへの気持ちがね、急に軽くなったんだ。 ふっと、目が覚めたみたいに」


 ロックも、低く息を吐く。


「……そうか。そうか……」


 二人の目から、静かに涙がこぼれ落ちる。


 きっと二人は、自分たちが加護を受けていたことすら知らない。


 それでもいい、とケントは思った。


 歪められていたとしても、彼らが抱いていた想いと、過ごした時間は本物だ。


 それを否定する必要はない。


 アルが、少し間を置いてケントを見る。


「頼みがある」


 真剣な目だった。


「ミリムとチーズの弔いをしてほしい」


 「町の外れに、大きな木があるんだ。 僕ら、よくそこに集まって話してた」


「そこに……二人の墓を作ってあげてほしい」


 ケントは迷わず頷いた。


「分かった。必ずやる」


 そう答えると、二人は少しだけ安心したように目を閉じた。


「また、見舞いに来るよ」


 そう告げて病室を後にする。


 城を出て、フシミの村へと戻る道すがら、

ケントの胸には、重たいものが残り続けていた。








 村に戻ると、フシミの町にはまだ、あの日の爪痕がところどころ残っていた。


 黒く焦げた壁、歪んだまま修理されていない柵。


 完全に元に戻るには、きっとまだ時間がかかる。


 アルに教えられた、町の外れへ向かう。


 なだらかな坂を越えた先に、一本だけ、ひときわ大きな木が立っていた。


 枝を広げ、長い年月この場所を見守ってきたであろう木だ。


 その根元で足を止める。


 チーズの杖だけは残っていた。


 炎がすべてを焼き尽くした後も、それだけは形を保っていたらしい。


 アルから託されたその杖を、静かに地面へ置く。


 ミリムの持ち物は、何一つ残っていなかった。服も、装身具も、痕跡すらも。


――人は、死んだら何も残らない。


 ふと、そんな考えが胸をよぎる。


 だからこそ、残された者たちは忘れないようにするのだろう。


 言葉にし、記憶に刻み、形として残すために。


 ケントは黙々と土を掘った。


 大きくはない、二つの墓。


 一つには杖を。


 もう一つには、町で摘んできた花を。


 土をかぶせ、手を合わせる。


 一緒に過ごした時間は短い。


 せいぜい、二週間ほどだ。


 それでも――


 ミリムと、チーズと過ごした日々は、確かにここにあった。


 笑ったことも、迷ったことも、痛みも、後悔も。


 それらすべてが、これから先も消えることはない。


 大きな木の葉が、風に揺れる。


 その音を背に受けながら、ケントはしばらく、その場を離れずにいた。







 その夜、ケントは天井を見つめながら、ルールさんとの会話を何度も思い返していた。



――加護を使われる側じゃなく、使う側に。



 その言葉が、胸の奥で重く反響する。


 これまでの自分は、いつだって受け身だった。


 与えられ、流され、気づけば取り返しのつかないところまで来ていた。



 きっと、このままじゃ駄目なんだ。


 加護に振り回されるままでは、何も守れない。


 ミリムの時と同じことを、また繰り返すだけだ。



 使う側にならないと。


 強くならないと。


 明日、ルールさんに会いに行こう。


 相談しよう。逃げずに、正面から。



 あの人は加護のことを知っている。


 誰よりも冷静に、誰よりも現実を見ている。



 自分がこの力とどう向き合い、どう生きていくべきなのか。


 その道を示してくれるかもしれない。


 ケントはそう心に決め、静かに目を閉じた。





 次の日、ケントはフシミの町を出て、ラズベリ城へと向かった。


 手には、アルたちへの見舞いの品を抱えて。



 城門の前に立つと、すぐに兵士に呼び止められる。


「何の用だ」


「ルールさんに会いに来ました」


 そう告げても、兵士の表情は変わらない。


「許可のない面会は認められていない」


 その一点張りだった。


 ルールさんに話を通してほしいと頼んでも、兵士は首を横に振るだけで、門を開ける気配はない。


 言葉を重ねるうちに、兵士の声量は少しずつ大きくなっていった。


 周囲の視線も集まり始めた、その時だった。


「どうしたのですか」


 城の内側から、澄んだ声が響く。


 振り返った先に立っていたのは、一目で分かるほどの存在感を持つ女性だった。


 腰まで伸びた長い金髪、宝石のように赤く輝く瞳。


 まるで物語の中から抜け出してきたような――姫、そのものの姿。


 その姿を見た瞬間、兵士は背筋を正す。


「サクラ様……!」


「この者が、許可もなく城に入ろうとしておりまして」


 兵士の説明に、サクラは静かにケントの方へ視線を向けた。


「あなたは?」


「ただ、ルールさんに会いに来ただけです」


 ケントがそう答えると、サクラは少し考えるように瞬きをし、そして微笑んだ。


「でしたら、わたくしが許可しますわ」


「ですが、姫様――」


 戸惑う兵士の声をよそに、サクラは一歩前へ出る。


「問題ありません。わたくしの判断です」


 そう言って、ケントに向かって穏やかに告げた。


「どうぞ、中へ。こちらへいらしてください」


 ケントは一瞬ためらいながらも、小さく頭を下げ、城門をくぐった。


 


 サクラはケントの少し前を歩き、城の奥へと進んでいく。

 

 その後ろには、数人の兵士が一定の距離を保ちながら警戒するようについてきていた。


「ルール先生には、わたくしも小さい頃からお世話になっているんです」


 回廊を歩きながら、サクラは穏やかな声でそう話す。


「……あの、あなたは」


 兵士の態度から察しはついていたが、ケントはあらためて確認する。


 サクラは一瞬きょとんとした表情を見せ、すぐに小さく微笑んだ。


「自己紹介がまだでしたわね。わたくしはこの城の王女、サクラと申します」


 立ち振る舞いも、言葉遣いも、すべてが育ちの良さを物語っていた。


 ケントは名を名乗り、フシミの村から来たことを簡単に伝える。


「それで……どうして、俺を中へ?」


 率直な疑問を口にすると、サクラは歩みを止めずに答えた。


「国は民のためにあるべきですもの。民の願いは、出来る限り叶えられるべきだと思っています」


 そう言って、少しだけ振り返る。


「それに、あなたは怪しそうには見えませんでしたし」


 にこやかな笑顔だった。


 疑いよりも、信じることを先に選ぶ――そんな性格が、その一言に滲んでいる。


 やがて医療室の前に辿り着く。


 白い扉の前でサクラは立ち止まり、軽く身なりを整えると、控えめにノックした。


「ルール先生、わたくしです」


 そう告げてから、ゆっくりと扉を開いた。


 声の主に少し意表を突かれたのか、ルールさんは扉を開けた瞬間、こちらをじっと見た。


 サクラと俺――その並びがあまりにも意外だったのだろう。眼鏡の奥の視線が、わずかに揺れる。


「……ケントくんと姫様は、知り合いだったのかい」


 静かな口調でそう尋ねる。


 サクラは一歩前に出て、上品に微笑んだ。


「いいえ。お城の前で困っていらしたので、ご案内しただけです。」


 それだけ告げると、彼女は軽く一礼し、その場を去ろうとする。


「サクラくん」


 背中に、ルールさんの声がかかった。


「君の話も、いつでも聞くからね」


 サクラは足を止め、振り返って丁寧に頭を下げる。


「ありがとうございます、ルール先生」


 そう言い残し、静かな足取りで廊下の向こうへと消えていった。


 扉が閉まり、医療室には俺とルールさんだけが残される。


 一瞬の沈黙のあと、彼女は椅子に腰を下ろし、こちらを見た。


「それで、今日はどうしたのかい」


 その問いに、俺は息を整えて答える。


「……加護のことで、相談があります」


ルールさんは何も言わず、ただ静かに頷いた。


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