春雪 ~ordeal~
(1)
夜が明けた。
日が昇り、沈み、一日が過ぎ去る。
それは、幽子に死が近づいていることを意味していた。
「お通夜じゃないんだから、幽子様も妖夢も、なにかしゃべってよ」
黙々と食事を口に運んでいた妖夢と幽子は、箸を動かすのをやめた。
「なにか……、って?」
妖夢の頭の中には、気の利いた洒落など入り込む余裕が無い。
昨夜以来、今後どうするべきかを考えるので、いっぱいいっぱいなのである。
「なんでもいいよ。なにもしないでいたら、残りの日数が無くなっていくだけでしょ」
残りの日数。というのは、言うまでも無く、幽子の自害までの猶予だ。
「葵、私は、その気持ちだけで充分だわ」
「なんでそんなことを言うんですか」
「私が葬ってしまった死者の魂を私が鎮めるのは、業というものでしょう」
「業を背負って生き続けることもできます」
「死者たちが暴れ出そうしているのよ。この忌まわしい能力で、それを封印することができるのなら本望よ」
運命を受け入れる覚悟。という崇高なものでは無い。
すぐにでも自分の人生を手放したい。そんなふうに妖夢には見えた。
望みもしないのに、忌まわしい能力を持って生まれてしまった人生。
そんな人生に執着してどうなるだろう。それに生き続けたところで、また誰かにこの能力を悪用されてしまうかもしれない、意図せずして、また誰かを傷つけてしまうかもしれない。
「この能力ごと怨霊を封印することが、私にとっても、周りの人間にとっても最善なのよ」
「幽子様は、幸せを味わったことが無いから、人生を捨てるほうを選択してしまうんです。生き延びて、穏やかな日々を経験したら、きっと価値観が変わります」
「葵、私は、貴女の父君の命を奪ったのよ。それなのに、どうして私を生かそうとするの?」
「言葉にしないと、わかりませんか? 幽子様をお慕いしているからです。これからもずっと、お仕えしたいから……、だから……。幽子様に生きてほしいんです」
その想いは、まっすぐだった。
葵は、自分がこうしたいと思うほうへと、まっすぐに進もうとしているのだ。
「幽子様。どうか、生きてください。お願いします」
畳に両手をついて、頭を下げる。
その姿に、妖夢の心が動かされそうになった。
(2)
「この屋敷には、いざというときのための、隠し道があります」
幽子だけで無く、妖夢も顔色を変えた。
「小さいころ、父から聞かされていたんですけど、場所は教えてもらっていなかったんです。でも、こないだようやく見つけました」
「もしかして、葵がたまにいなくなってたのって……」
「そうよ。ずっと、その隠し道を探してたの」
葵は、得意げにうなずいてみせた。
「そんなものがあったなんて……」
「屋敷の裏の、おんぼろの納戸。幽子様も知っていますよね」
「ええ。使いみちの無い、古い納戸よね」
「そうです。そこに井戸があったんです。封鎖されていたから気がつかなかったんですけど、井戸は枯れていました」
「その、枯れた井戸の中に隠し道が?」
「入って確かめたから、間違いありません。井戸の底から、洞窟が続いていました。そこから外に出ることができるはずですし、洞窟に身をひそめることだってできます」
「でも葵、逃げると言っても、私たちだけでは……」
「私たちには、妖夢がいます」
背中を叩かれて、妖夢の体が跳ね上がる。
「わ、私はまだ、葵に協力するとは言っていない」
「まだ迷ってるの? ちゃっちゃと決断してよ」
「そんなこと、言われたって……」
「葵、無理強いはいけないわよ」
「幽子様。もう、猶予は無いんですよ」
葵は疑っていないのだ。
自分が進もうと決めた先に、素晴らしい未来が待っていることを。
その心根は、清々しくて好ましい。
「道は示されました。神仏が、幽子様を生かそうとしているんです。あとは踏み出すだけじゃないですか」
葵は息を巻いていた。
「そんなに急かしたら、幽子様がお困りになるだろう」
「もー、なによ二人とも、煮え切らないわね。考えるのはいいけど、時間が無いってことは、覚えておいてよね」
膳を片づけて、葵はいなくなった。
残された妖夢と幽子は、苦笑をするばかりだった。
(3)
(葵の言うとおりでも、あるんだよなー)
箒で、杉の葉っぱを払いのける。
杉の木は、冬になっても葉っぱが枯れはてることは無い。
だから、掃除をしても、翌朝になれば、門の周りに葉っぱが落ちている。
それを、当然のことだと、文句を言わずに掃除するのが妖夢。
せっかく掃除したのにキリが無い、いっそのこと、掃除なんてしなくていいんじゃないかと、愚痴を垂れるのが葵。
「でも、誰か訪ねてくるかもしれないから。そのときに、門先が汚れているよりも、きれいだったほうが、気持ちがいいじゃないか」
「来るわけ無いでしょ。こんな山奥の屋敷に。妖夢はあれこれ気を回しすぎなのよ」
今日もそんなやりとりをして、結局、掃除をするのが妖夢の仕事になる。
どっちが正しいわけでも無い。葵の言いたいことも理解できる。
(幽子様が、救われる未来か)
そんな可能性は、考えてもみなかった。
富士見幽子は自害し、西行寺幽々子へと生まれ変わる。
正しいとか、間違ってるとかじゃない。それは定められたこと。ただそれだけのことだと思っていた。
定め、運命、業。
誰しも、そんなものに従いたくないと、逆らってみたくなるときはあるだろう。
妖夢みたいに、ああだこうだと悩んで立ち止まっているくらいなら、直情的に、自分がこうしたいと思う方向に足を踏み出すほうが、人間らしいかもしれない。
(どうしたものかな)
考えてみる。
考えても、答えなんて出てこないのに。
(幽々子様は、紫様は、私になにをさせたいのですか?)
灰色の雲がおおっている寒空。
あの雲を抜け、遠くの空にまで飛んで行けは、そこに幻想郷はあるのだろうか。
そこに、妖夢の想いは届くのだろうか。
空から落ちてきた白い粒を、てのひらに乗せた。
人肌のぬくもりで、粉のような雪の粒は、すぐに溶けて無くなった。
「御免」
「はっ!?」
妖夢は、客人に挨拶を返すことができなかった。
理由はいくつかある。
雪に見とれて、ぼけっとしていたこと。
誰か来るかもしれないと言いながら、誰かが訪ねてくることは無いだろうなと油断していたこと。
そして来訪者が、「彼」であったこと。これが一番の要因だった。
「いいっ、いらっしゃいませ。妖忌様」
顔を隠すように、がばっと頭を下げる。
この顔を妖忌に見られると、イカサマをしているみたいな罪悪感を覚えてしまうのだ。
「うむ。この寒いのに掃除とは、精が出るな」
「いえ。どうぞお通りください」
体を滑らせて道を譲る。顔は下げたままだ。
それが慎ましいという印象を与えたのであろうか。妖忌は好ましそうに笑んでみせた。
「そなた、妖夢と申されたか」
妖夢の前を通りすぎようとした妖忌が、足を止めた。
(うっわぁ……。立ち止まっちゃったよ……)
できることなら、あんまりこの人にかかわりたくない。
というよりも、この人と、どういうふうにかかわればいいのかがわからないのだ。
「は、はい」
とりあえず、返事だけはしておく。しかし、努めて、言葉にぜい肉をくっつけるようなことはしない。下手に会話が広がらないようにするためだ。
「奥の庭を整えているのは、そなたと聞いたが、違い無いか?」
しかし相手は、妖夢の都合なんて考慮してくれなかった。
「いや、なかなか見事な手際と感心したものでな。どこぞで、名のある庭師殿に師事を受けられたのかな?」
貴方です。
剣術も庭の整えかたも、ぜんぶ貴方に教え込まれました。
(って言ったら、どんな反応が返ってくるんだろう)
興味はあったが、それを試す度胸は、妖夢にはなかった。
(4)
「い、いえ。いまだ未熟の身で……。お見苦しいものをお見せして、お恥ずかしい限りです」
ああ気まずい。
どういう距離感で、この人と接したらいいのだろうか。
この人は、妖夢が知っている妖忌でありながら、それとは別人なのである。
まだこの世界の妖忌は、妖夢の師匠では無いのだから。
ということは、弟子として、かしこまった態度で接することも無いのだが……。
(無理無理無理。師匠を相手にして、くだけた態度をとるなんて、絶対に無理!)
どんな妖忌であろうとも、妖忌は妖夢の師匠なのである。
尊敬する人であり、恐れるべき人でもある。脳髄に、そう刷り込まれてしまっているのだ。
「若いのに、慎み深い方だ」
妖忌は、ほがらかに笑いながら、屋敷の中に消えて行った。
姿が見えなくなったのを確認してから、膝に両手をついた。
額に、どっと脂汗が浮かんでくる。
(ききっ、緊張したぁ~……)
あの妖忌は、妖夢のことを知らない。それが厄介だ。
妖夢に対して、年下の女性として接してくるので、対応に苦慮してしまう。
「なに話してたの……?」
「うわぁっ!」
門の陰から、葵の顔の上半分だけが現れた。
嫌疑をかけるような瞳で、にらみつけてくる。
「な、なんでもないよ」
「ふーん」
「本当に、なんでもないってば。軽く与太話をしてただけ」
嘘は言っていない。それ以上、説明のしようも無い。
しかし、葵の瞳の色は変わらない。
「まぁ、いいんだけどさ。とにかく妖夢、あの人と、あんまり仲良くしないでよ」
「なんで?」
「なんでって、あの人、幽子様に自害を勧めてるのよ」
「あの人が、積極的に勧めてるわけじゃないでしょ」
「屁理屈は聞きたくないの!」
葵は、地団駄を踏んだ。
貴族のお姫様の一面が、顔をのぞかせる。
「あの右大臣の言いなりになってるんだから、あの人は、私の敵。だから、仲良くしないで」
「はいはい。善処しますよ、お姫様」
皮肉を添えて、軽くあしらう。
葵は不満げに、唇をとがらせていた。
思いどおりにならなければ、憤る。
自分の意志に逆らうものは、敵で悪。
自分の望むことは正しくて、善。
(そんなふうに、単純に考えられたら、楽なんだろうな)
さて、掃除掃除……、と、箒を握る。
「妖夢の意地悪!」
「痛い!」
妖夢の腕を、葵はおもいっきりつねってきた。
べーっと舌を突き出して、走り去って行く。
「大納言の娘だってことがバレてから、遠慮が無くなってきたんじゃないか?」
つねられた腕をさすった。
なんで妖夢の周りには、お嬢様とかお姫様とか、高貴な身の上の人が集まってくるんだろう。
(5)
雪が舞う。
無数の白い粒が、地面を覆っていく。
冬の未練だ。
冬が、過行くのを惜しんでいる。
「積もってきたな」
綿のような雪を、箒で払う。
掃除をしていたつもりが、いつしか雪かきになっていた。
「この季節の雪だし、本降りにはならないだろう」
とはいっても、雪が降っているわけだから、寒さは厳しい。
ほーっと息を吐くと、口から白い息が漏れ出した。
(人の想いのようだ)
吐き出された白い息も。
降りしきる雪も。
迷い。
悩み。
願い。
人々の想いは、数限り無く降りしきる雪のよう。
無念無想。
妖夢には、妖忌はそれを体現しているように映った。
迷いや悩みとは無縁で、無欲。あるがままに生きていた。
そして彼は、いつも正しい答えにたどり着いていた。
(なにが、足りない? 私は、なぜあの境地に至れない?)
己の未熟さが、情けなかった。
箒を、両手で握りしめ、正眼に構える。
息を整えて、越えていくべき相手を見据える。
(うん……? 師匠じゃ、無い)
体躯が妖夢の倍はあろうかという、がっしりとした師匠の影は、そこに無かった。
背丈も恰好も、妖忌とは比べるべきも無い。小さな影が、まっすぐに妖夢と対峙していた。
(もしや……、もしかして……。私が最後に越えるべきは、師匠の境地にたどり着くために越えないといけないものは、師匠では無いのか)
そのことに気づくと、影の姿が、徐々にあらわになっていく。
やはり、あれは……。
「む。降ってきたか」
妖忌は、あじろ笠の紐をあごの下で結わえた。
「そなた、剣術も使えるのか」
「ああいえ! ほんの真似事でして……」
「はっはっは。いかに謙遜しようとも、構えを見れば、熟達した剣士であることは明白」
「うぅ……」
妖忌に、ごまかしは通用しなかった。
若かりしころから、ものを見る目が優れていたのだ。
「なにが見えたかな?」
妖夢は、依然として正眼に箒を構えたままだった。
影は消えていた。
「わたしが、越えるべきものが見えました」
正直に答えていた。
その返答に、妖忌はたいそう満足したようで、短く切りそろえている顎ひげを撫でた。まだ、あごの髭にも髪の毛にも、白いものは混じっていない。
「それを視ることができるということが、そなたが優れた剣士であることを物語っておる。これからも、精進なされよ」
「しかしっ……」
門から出て行こうとした妖忌の背中に、語りかけていた。
「わたしが、なにかを成そうとして、後に凶事を招くとしても、それでも、この先に進まねばならないのでしょうか。このちっぽけなわたしの、先に進みたいという想いのために、災いを招いてしまったとしても、己を貫いたのだと、胸を張っても良いのでしょうか」
妖忌はこちらを向いて、
「思案の外」
と、短く応えた。
「思案の外ですか? そのような、いい加減なことで良いのでしょうか」
「己がなにかを成すことで、後に、どのような影響をもたらすか。そこまで読むことが、できようか」
「それは…、そうですが」
「己には、己の人生があり、余人には余人の人生がある。それらが絡み合い、ときに慶事をもたらし、凶事ももたらす。それを意のままに操ることができたなら、世の中の、なんと味気無いことか」
そう言って妖忌は、雪を降らせている空を指さした。
「天気ひとつとっても、人間の身ではどうすることもできぬ。雪や雨が降れば傘をかぶる。我らには、そのくらいのことしかできぬのだよ」
妖忌の、「師匠」の説教が妖夢の心に染み入ってくる。綿が水を吸うように、あまりにも自然に。
「この世には、己と他のものがあるのみ。私とて、こうして偉そうに講釈を垂れておるが、そなたの人生を操ることはできぬ。この講釈の先に進むのは、そなたの仕事であるからだ」
この身、ひとつ。
ひとつしか無いこの身ができることは限られている。
だから、できることをやるだけ。
たったそれだけのことだけれど、迷いや、悩みや、願望が、たったそれだけのことを成そうとするのを邪魔してしまう。
「ではな。若いうちに思い悩むのは大事なことだが、悩みすぎて、己が準ずるべきものを誤ってはならぬぞ」
「はい。ご指南、ありがとうございました」
改めて思う。
あの人は、どこにいても、どんな姿であっても、妖夢の師匠なのだ。
深く頭を垂れた妖夢が頭を上げたとき、妖忌の姿はもう無かった。
代わりに。
「ずいぶん、長話をしてたみたいじゃない」
「あ、葵……」
「あの人と、仲良くしないでって言ってるのに」
「いや別に、仲良くなんか……」
「知らない! 妖夢のばか!」
「痛い!」
妖夢のすねを、脚のつま先で蹴飛ばして、葵は雪の中を走り去って行った。
「荒れるかも、しれないな」
雪の粒は、先ほどよりも大きくなっていた。
(6)
季節外れの雪は、夕方ごろには大きな粒になっていた。
屋敷の庭は、白い衣をまとったように、雪でおおわれていった。
「こんな季節に、これほど雪が降るなんてなぁ」
雪は、夜になっても止む気配が無かった。
いっそう冷え込みが厳しくなり、次から次から降り注いできた。
急遽、物置にしまっていた火鉢を引っ張り出してくることになった。
「もう足首くらいまで積もってたよ。明日は、表門まで雪かきをしないといけないな」
妖夢は、火鉢を葵に渡して、頭に積もっていた雪を払った。
「そうとう冷えるから、火鉢に炭を入れるだけじゃなくて、湯を沸かしたほうがいいな。空気が乾燥するのを防ぐことができるし。あ、でも、水を絶やさないように気をつけないといけないよ。空焚きは火事の元だから」
「一緒に寝ましょう、って」
「うん?」
「幽子様が、一緒に寝ましょうって。火鉢も鉄瓶も、一個しか無いから」
「んー……?」
「なに呆けてるのよ。妖夢に言ってるの」
「えっ、えええっ!?」
※
ということで、この晩は、妖夢も、幽子と葵と、枕を並べることになった。
といっても、実際に枕を並べているのは幽子と葵だけで、妖夢は、二人から離れて布団を敷くことになった。
(そうか。葵め、火の番を、私一人に押しつけるつもりだったんだな)
幽子にもっとも信頼される従者としての自負がある葵は、妖夢が、幽子と親しくすることを快く思っていない。
それなのに、一緒の部屋で寝ることに不快感を示さなかったので、違和感があった。
謎が解けたのは、幽子の部屋に布団を移動させたときだった。
「妖夢は、そっちに布団を敷いて」
「いいけど……」
隣同士で敷かれている布団から、離れた位置を葵は指さす。
幽子と葵の、二人っきりであるはずの寝室に招いてもらった身だ。居場所を選り好みする権利があるとは考えていない。だから、それはいい。
だが、次に葵が発した言葉で、妖夢は渋い顔になった。
「隣で寝てる人が、火の番で何回も起きたら、幽子様の眠りを妨げちゃうわよね」
それはつまり、幽子の隣で寝ている自分は、火の番をしない。という宣言であった。
(こいつ……)
火鉢で暖をとることができる部屋で寝る代わりに火の番をするか、寒い部屋で、自らの体温だけを頼りに寝るか。どちらか選べということだった。
「わかったよ」
人間よりも頑丈な体を持っている妖夢だけど、凍えながら寝るよりも、暖をとりながら寝たいに決まっている。
「まったく……、こういう悪知恵を働かせたら、一級品だな」
「なにか言った?」
「悪知恵を働かせたら一級品だって、褒めたの」
「誰が?」
「葵の他に、誰かいると思うの?」
「あー! そういう意地悪を言うんだ?」
「あらあら。にぎやかね」
妖夢と葵が、口喧嘩を始めたところに、寝間着に着替えた幽子がやって来た。
それで、いったんは矛先を収めた二人だったけれど。
「幽子様。妖夢が火の番をしてくれるそうですよ」
幽子の腕に両手を絡めて、葵は言う。そしてこっそりと、妖夢に向けて、舌を出してみせた。
「あら。甘えてもいいのかしら?」
「は、はい。慣れてますから……」
幽子を味方につけられては、反抗のしようが無かった。
この夜、妖夢は温かい部屋で布団に入ることができた代償として、あまり快適でない睡眠を得ることになってしまった。
(7)
「良く降るわね」
幽子は、部屋の小窓の障子を開けた。
いつもは縁側でたたずんでいる幽子だけど、この寒さでは、部屋から出る気にならないようだ。
部屋の中にいても、温もりが恋しくなってしまうほどだった。
「まだ、やみませんか」
妖夢は火鉢に炭を足した。
こっそりと、あくびをする。
火の番をするために、夜中に何度か起きたので、温い火鉢の前にいると、うとうとしてしまいそうになる。
「ええ、でも、見て」
妖夢は、小窓から庭を覗いてみた。
「雪桜ですね」
幽子が、好んで眺めている桜の木の枝に雪が降り積もって、まっ白な花弁を実らせていた。
「綺麗ね」
「はい。風流です」
「死ぬまえに、あの桜に花が咲いているところを見ることができて、良かったわ」
幽子の自害は、あと5日後に迫っていた。
「幽子様。お体が冷えるといけませんから」
妖夢は、障子を閉めた。
幽子は火鉢のまえに正座して、両手を温める。
その様子を、妖夢は複雑な表情で見つめた。
この不遇な女性の、力になりたい。役に立ちたい。
傍観することが正解なのに、でも、手を差し伸べたいと思ってしまう。
「幽……」
ばきばきっ、がらがらーっ!
外から、けたたましい音が聞こえてきた。
幽子も妖夢も、体が浮いてしまうくらいに驚いた。
「な、なんだ!?」
障子を開けて、外の様子をうかがう。
あきらかに、なにかが壊れた音だ。
でも、屋敷が倒壊するほど、屋根に雪は積もっていない。
「幽子様。辺りを見回ってきます」
「ええ、気をつけて」
縁側に出ると、刺すような寒さに、自然と身が縮こまった。
「いったい、なにが壊れたんだ?」
元貴族の別荘ということもあり、この屋敷の造りはしっかりしている。ちょっとやそっとのことで破損するとは思えない。
「だけど、建物が崩れた音にしか聞こえなかったけどなぁ」
玄関で草履を掃いて、屋敷の外へ。
そこに、葵が突っ立っていた。
「葵、どうしたんだ。風邪をひくよ」
雪が降る中、葵は、ぼうぜんとしていた。
「妖夢……」
表情を失っているようだった。
膝を折って、雪の上にへたり込んでしまった。
「葵! しっかりしろ!」
「納屋が……、納屋が……」
雪を握りしめる。
「納屋が、崩れちゃったよぉっ!」
葵は、雪に額を押し付けて、わんわん泣き出した。
「納屋って、隠し道があるって言ってた、おんぼろ小屋のこと?」
葵を持ち上げるようにして立たせて、雪をはたいてやった。
雪がぽろぽろと地面に落ちるのと一緒に、葵の涙も地面に落ちる。
「どのくらい、崩れちゃったの?」
葵は、力なく左右に首を振る。
「もしかして、完全に倒壊……」
それだと、手の施しようが無い。
日にちと人数をかければ、倒れた柱や壁をとりのぞくこともできるだろうけど、人が足りないし、それにこの大雪の中で作業するのは厳しい。
「なんで、こうなっちゃうの……?」
葵は。
弱々しく妖夢に抱きついてきて、胸に額を押し付けた。
やがて全身から力が抜けたように、また雪の上にひざまずいて、すすり泣く。
「幽子様……」
いつの間にか、玄関先に幽子が立っていた。
死人のように、まるで生気の無い顔だった。
「これが、定め」
それだけ言って、屋敷の奥に消えた。
「なによ、定めって。誰がそんなこと、決めたのよ」
忌々しげに、葵は雪にこぶしをたたきつけた。
「誰? 誰なの? 定めなんて決めることができるとしたら、神さまとか、仏さまくらいでしょ? 神さまや仏さまが、なんでこんなひどいことをするのよ!」
降りやまぬ雪。
灰色の雲に、葵は嘆いてみせた。
「葵。屋敷の中に入ろう」
打ちひしがれている葵に、手を差し出した。
握った葵のてのひらは、氷みたいに冷えきっていた。




