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妖が見た夢  作者: 柊ノキ
9/12

春雪 ~ordeal~

(1)


 夜が明けた。

 日が昇り、沈み、一日が過ぎ去る。

 それは、幽子に死が近づいていることを意味していた。

「お通夜じゃないんだから、幽子様も妖夢も、なにかしゃべってよ」

 黙々と食事を口に運んでいた妖夢と幽子は、箸を動かすのをやめた。

「なにか……、って?」

 妖夢の頭の中には、気の利いた洒落など入り込む余裕が無い。

 昨夜以来、今後どうするべきかを考えるので、いっぱいいっぱいなのである。

「なんでもいいよ。なにもしないでいたら、残りの日数が無くなっていくだけでしょ」

 残りの日数。というのは、言うまでも無く、幽子の自害までの猶予だ。

「葵、私は、その気持ちだけで充分だわ」

「なんでそんなことを言うんですか」

「私が葬ってしまった死者の魂を私が鎮めるのは、業というものでしょう」

「業を背負って生き続けることもできます」

「死者たちが暴れ出そうしているのよ。この忌まわしい能力で、それを封印することができるのなら本望よ」

 運命を受け入れる覚悟。という崇高なものでは無い。

 すぐにでも自分の人生を手放したい。そんなふうに妖夢には見えた。

 望みもしないのに、忌まわしい能力を持って生まれてしまった人生。

 そんな人生に執着してどうなるだろう。それに生き続けたところで、また誰かにこの能力を悪用されてしまうかもしれない、意図せずして、また誰かを傷つけてしまうかもしれない。

「この能力ごと怨霊を封印することが、私にとっても、周りの人間にとっても最善なのよ」

「幽子様は、幸せを味わったことが無いから、人生を捨てるほうを選択してしまうんです。生き延びて、穏やかな日々を経験したら、きっと価値観が変わります」

「葵、私は、貴女の父君の命を奪ったのよ。それなのに、どうして私を生かそうとするの?」

「言葉にしないと、わかりませんか? 幽子様をお慕いしているからです。これからもずっと、お仕えしたいから……、だから……。幽子様に生きてほしいんです」

 その想いは、まっすぐだった。

 葵は、自分がこうしたいと思うほうへと、まっすぐに進もうとしているのだ。

「幽子様。どうか、生きてください。お願いします」

 畳に両手をついて、頭を下げる。

 その姿に、妖夢の心が動かされそうになった。






(2)


「この屋敷には、いざというときのための、隠し道があります」

 幽子だけで無く、妖夢も顔色を変えた。

「小さいころ、父から聞かされていたんですけど、場所は教えてもらっていなかったんです。でも、こないだようやく見つけました」

「もしかして、葵がたまにいなくなってたのって……」

「そうよ。ずっと、その隠し道を探してたの」

 葵は、得意げにうなずいてみせた。

「そんなものがあったなんて……」

「屋敷の裏の、おんぼろの納戸。幽子様も知っていますよね」

「ええ。使いみちの無い、古い納戸よね」

「そうです。そこに井戸があったんです。封鎖されていたから気がつかなかったんですけど、井戸は枯れていました」

「その、枯れた井戸の中に隠し道が?」

「入って確かめたから、間違いありません。井戸の底から、洞窟が続いていました。そこから外に出ることができるはずですし、洞窟に身をひそめることだってできます」

「でも葵、逃げると言っても、私たちだけでは……」

「私たちには、妖夢がいます」

 背中を叩かれて、妖夢の体が跳ね上がる。

「わ、私はまだ、葵に協力するとは言っていない」

「まだ迷ってるの? ちゃっちゃと決断してよ」

「そんなこと、言われたって……」

「葵、無理強いはいけないわよ」

「幽子様。もう、猶予は無いんですよ」

 葵は疑っていないのだ。

 自分が進もうと決めた先に、素晴らしい未来が待っていることを。

 その心根は、清々しくて好ましい。

「道は示されました。神仏が、幽子様を生かそうとしているんです。あとは踏み出すだけじゃないですか」

 葵は息を巻いていた。

「そんなに急かしたら、幽子様がお困りになるだろう」

「もー、なによ二人とも、煮え切らないわね。考えるのはいいけど、時間が無いってことは、覚えておいてよね」

 膳を片づけて、葵はいなくなった。

 残された妖夢と幽子は、苦笑をするばかりだった。






(3)


(葵の言うとおりでも、あるんだよなー)

 箒で、杉の葉っぱを払いのける。

 杉の木は、冬になっても葉っぱが枯れはてることは無い。

 だから、掃除をしても、翌朝になれば、門の周りに葉っぱが落ちている。

 それを、当然のことだと、文句を言わずに掃除するのが妖夢。

 せっかく掃除したのにキリが無い、いっそのこと、掃除なんてしなくていいんじゃないかと、愚痴を垂れるのが葵。

「でも、誰か訪ねてくるかもしれないから。そのときに、門先が汚れているよりも、きれいだったほうが、気持ちがいいじゃないか」

「来るわけ無いでしょ。こんな山奥の屋敷に。妖夢はあれこれ気を回しすぎなのよ」

 今日もそんなやりとりをして、結局、掃除をするのが妖夢の仕事になる。

 どっちが正しいわけでも無い。葵の言いたいことも理解できる。

(幽子様が、救われる未来か)

 そんな可能性は、考えてもみなかった。

 富士見幽子は自害し、西行寺幽々子へと生まれ変わる。

 正しいとか、間違ってるとかじゃない。それは定められたこと。ただそれだけのことだと思っていた。

 定め、運命、業。

 誰しも、そんなものに従いたくないと、逆らってみたくなるときはあるだろう。

 妖夢みたいに、ああだこうだと悩んで立ち止まっているくらいなら、直情的に、自分がこうしたいと思う方向に足を踏み出すほうが、人間らしいかもしれない。

(どうしたものかな)

 考えてみる。

 考えても、答えなんて出てこないのに。

(幽々子様は、紫様は、私になにをさせたいのですか?)

 灰色の雲がおおっている寒空。

 あの雲を抜け、遠くの空にまで飛んで行けは、そこに幻想郷はあるのだろうか。

 そこに、妖夢の想いは届くのだろうか。

 空から落ちてきた白い粒を、てのひらに乗せた。

 人肌のぬくもりで、粉のような雪の粒は、すぐに溶けて無くなった。

「御免」

「はっ!?」

 妖夢は、客人に挨拶を返すことができなかった。

 理由はいくつかある。

 雪に見とれて、ぼけっとしていたこと。

 誰か来るかもしれないと言いながら、誰かが訪ねてくることは無いだろうなと油断していたこと。

 そして来訪者が、「彼」であったこと。これが一番の要因だった。

「いいっ、いらっしゃいませ。妖忌様」

 顔を隠すように、がばっと頭を下げる。

 この顔を妖忌に見られると、イカサマをしているみたいな罪悪感を覚えてしまうのだ。

「うむ。この寒いのに掃除とは、精が出るな」

「いえ。どうぞお通りください」

 体を滑らせて道を譲る。顔は下げたままだ。

 それが慎ましいという印象を与えたのであろうか。妖忌は好ましそうに笑んでみせた。

「そなた、妖夢と申されたか」

 妖夢の前を通りすぎようとした妖忌が、足を止めた。

(うっわぁ……。立ち止まっちゃったよ……)

 できることなら、あんまりこの人にかかわりたくない。

 というよりも、この人と、どういうふうにかかわればいいのかがわからないのだ。

「は、はい」

 とりあえず、返事だけはしておく。しかし、努めて、言葉にぜい肉をくっつけるようなことはしない。下手に会話が広がらないようにするためだ。

「奥の庭を整えているのは、そなたと聞いたが、違い無いか?」

 しかし相手は、妖夢の都合なんて考慮してくれなかった。

「いや、なかなか見事な手際と感心したものでな。どこぞで、名のある庭師殿に師事を受けられたのかな?」

 貴方です。

 剣術も庭の整えかたも、ぜんぶ貴方に教え込まれました。

(って言ったら、どんな反応が返ってくるんだろう)

 興味はあったが、それを試す度胸は、妖夢にはなかった。






(4)


「い、いえ。いまだ未熟の身で……。お見苦しいものをお見せして、お恥ずかしい限りです」

 ああ気まずい。

 どういう距離感で、この人と接したらいいのだろうか。

 この人は、妖夢が知っている妖忌でありながら、それとは別人なのである。

 まだこの世界の妖忌は、妖夢の師匠では無いのだから。

 ということは、弟子として、かしこまった態度で接することも無いのだが……。

(無理無理無理。師匠を相手にして、くだけた態度をとるなんて、絶対に無理!)

 どんな妖忌であろうとも、妖忌は妖夢の師匠なのである。

 尊敬する人であり、恐れるべき人でもある。脳髄に、そう刷り込まれてしまっているのだ。

「若いのに、慎み深い方だ」

 妖忌は、ほがらかに笑いながら、屋敷の中に消えて行った。

 姿が見えなくなったのを確認してから、膝に両手をついた。

 額に、どっと脂汗が浮かんでくる。

(ききっ、緊張したぁ~……)

 あの妖忌は、妖夢のことを知らない。それが厄介だ。

 妖夢に対して、年下の女性として接してくるので、対応に苦慮してしまう。

「なに話してたの……?」

「うわぁっ!」

 門の陰から、葵の顔の上半分だけが現れた。

 嫌疑をかけるような瞳で、にらみつけてくる。

「な、なんでもないよ」

「ふーん」

「本当に、なんでもないってば。軽く与太話をしてただけ」

 嘘は言っていない。それ以上、説明のしようも無い。

 しかし、葵の瞳の色は変わらない。

「まぁ、いいんだけどさ。とにかく妖夢、あの人と、あんまり仲良くしないでよ」

「なんで?」

「なんでって、あの人、幽子様に自害を勧めてるのよ」

「あの人が、積極的に勧めてるわけじゃないでしょ」

「屁理屈は聞きたくないの!」

 葵は、地団駄を踏んだ。

 貴族のお姫様の一面が、顔をのぞかせる。

「あの右大臣の言いなりになってるんだから、あの人は、私の敵。だから、仲良くしないで」

「はいはい。善処しますよ、お姫様」

 皮肉を添えて、軽くあしらう。

 葵は不満げに、唇をとがらせていた。

 思いどおりにならなければ、憤る。

 自分の意志に逆らうものは、敵で悪。

 自分の望むことは正しくて、善。

(そんなふうに、単純に考えられたら、楽なんだろうな)

 さて、掃除掃除……、と、箒を握る。

「妖夢の意地悪!」

「痛い!」

 妖夢の腕を、葵はおもいっきりつねってきた。

 べーっと舌を突き出して、走り去って行く。

「大納言の娘だってことがバレてから、遠慮が無くなってきたんじゃないか?」

 つねられた腕をさすった。

 なんで妖夢の周りには、お嬢様とかお姫様とか、高貴な身の上の人が集まってくるんだろう。

 






(5)


 雪が舞う。

 無数の白い粒が、地面を覆っていく。

 冬の未練だ。

 冬が、過行くのを惜しんでいる。

「積もってきたな」 

 綿のような雪を、箒で払う。

 掃除をしていたつもりが、いつしか雪かきになっていた。

「この季節の雪だし、本降りにはならないだろう」

 とはいっても、雪が降っているわけだから、寒さは厳しい。

 ほーっと息を吐くと、口から白い息が漏れ出した。

(人の想いのようだ)

 吐き出された白い息も。

 降りしきる雪も。

 迷い。

 悩み。

 願い。

 人々の想いは、数限り無く降りしきる雪のよう。

 無念無想。

 妖夢には、妖忌はそれを体現しているように映った。

 迷いや悩みとは無縁で、無欲。あるがままに生きていた。

 そして彼は、いつも正しい答えにたどり着いていた。

(なにが、足りない? 私は、なぜあの境地に至れない?)

 己の未熟さが、情けなかった。

 箒を、両手で握りしめ、正眼に構える。

 息を整えて、越えていくべき相手を見据える。

(うん……? 師匠じゃ、無い)

 体躯が妖夢の倍はあろうかという、がっしりとした師匠の影は、そこに無かった。

 背丈も恰好も、妖忌とは比べるべきも無い。小さな影が、まっすぐに妖夢と対峙していた。

(もしや……、もしかして……。私が最後に越えるべきは、師匠の境地にたどり着くために越えないといけないものは、師匠では無いのか)

 そのことに気づくと、影の姿が、徐々にあらわになっていく。

 やはり、あれは……。

「む。降ってきたか」

 妖忌は、あじろ笠の紐をあごの下で結わえた。

「そなた、剣術も使えるのか」

「ああいえ! ほんの真似事でして……」

「はっはっは。いかに謙遜しようとも、構えを見れば、熟達した剣士であることは明白」

「うぅ……」

 妖忌に、ごまかしは通用しなかった。

 若かりしころから、ものを見る目が優れていたのだ。

「なにが見えたかな?」

 妖夢は、依然として正眼に箒を構えたままだった。

 影は消えていた。

「わたしが、越えるべきものが見えました」

 正直に答えていた。

 その返答に、妖忌はたいそう満足したようで、短く切りそろえている顎ひげを撫でた。まだ、あごの髭にも髪の毛にも、白いものは混じっていない。

「それを視ることができるということが、そなたが優れた剣士であることを物語っておる。これからも、精進なされよ」

「しかしっ……」

 門から出て行こうとした妖忌の背中に、語りかけていた。

「わたしが、なにかを成そうとして、後に凶事を招くとしても、それでも、この先に進まねばならないのでしょうか。このちっぽけなわたしの、先に進みたいという想いのために、災いを招いてしまったとしても、己を貫いたのだと、胸を張っても良いのでしょうか」

 妖忌はこちらを向いて、

「思案の外」

 と、短く応えた。

「思案の外ですか? そのような、いい加減なことで良いのでしょうか」

「己がなにかを成すことで、後に、どのような影響をもたらすか。そこまで読むことが、できようか」

「それは…、そうですが」

「己には、己の人生があり、余人には余人の人生がある。それらが絡み合い、ときに慶事をもたらし、凶事ももたらす。それを意のままに操ることができたなら、世の中の、なんと味気無いことか」

 そう言って妖忌は、雪を降らせている空を指さした。

「天気ひとつとっても、人間の身ではどうすることもできぬ。雪や雨が降れば傘をかぶる。我らには、そのくらいのことしかできぬのだよ」

 妖忌の、「師匠」の説教が妖夢の心に染み入ってくる。綿が水を吸うように、あまりにも自然に。

「この世には、己と他のものがあるのみ。私とて、こうして偉そうに講釈を垂れておるが、そなたの人生を操ることはできぬ。この講釈の先に進むのは、そなたの仕事であるからだ」

 この身、ひとつ。

 ひとつしか無いこの身ができることは限られている。

 だから、できることをやるだけ。

 たったそれだけのことだけれど、迷いや、悩みや、願望が、たったそれだけのことを成そうとするのを邪魔してしまう。 

「ではな。若いうちに思い悩むのは大事なことだが、悩みすぎて、己が準ずるべきものを誤ってはならぬぞ」

「はい。ご指南、ありがとうございました」

 改めて思う。

 あの人は、どこにいても、どんな姿であっても、妖夢の師匠なのだ。

 深く頭を垂れた妖夢が頭を上げたとき、妖忌の姿はもう無かった。

 代わりに。

「ずいぶん、長話をしてたみたいじゃない」

「あ、葵……」

「あの人と、仲良くしないでって言ってるのに」

「いや別に、仲良くなんか……」

「知らない! 妖夢のばか!」

「痛い!」

 妖夢のすねを、脚のつま先で蹴飛ばして、葵は雪の中を走り去って行った。

「荒れるかも、しれないな」

 雪の粒は、先ほどよりも大きくなっていた。






(6)


 季節外れの雪は、夕方ごろには大きな粒になっていた。

 屋敷の庭は、白い衣をまとったように、雪でおおわれていった。

「こんな季節に、これほど雪が降るなんてなぁ」

 雪は、夜になっても止む気配が無かった。

 いっそう冷え込みが厳しくなり、次から次から降り注いできた。

 急遽、物置にしまっていた火鉢を引っ張り出してくることになった。

「もう足首くらいまで積もってたよ。明日は、表門まで雪かきをしないといけないな」

 妖夢は、火鉢を葵に渡して、頭に積もっていた雪を払った。

「そうとう冷えるから、火鉢に炭を入れるだけじゃなくて、湯を沸かしたほうがいいな。空気が乾燥するのを防ぐことができるし。あ、でも、水を絶やさないように気をつけないといけないよ。空焚きは火事の元だから」

「一緒に寝ましょう、って」

「うん?」

「幽子様が、一緒に寝ましょうって。火鉢も鉄瓶も、一個しか無いから」

「んー……?」

「なに呆けてるのよ。妖夢に言ってるの」

「えっ、えええっ!?」





                       ※





 ということで、この晩は、妖夢も、幽子と葵と、枕を並べることになった。

 といっても、実際に枕を並べているのは幽子と葵だけで、妖夢は、二人から離れて布団を敷くことになった。

(そうか。葵め、火の番を、私一人に押しつけるつもりだったんだな)

 幽子にもっとも信頼される従者としての自負がある葵は、妖夢が、幽子と親しくすることを快く思っていない。

 それなのに、一緒の部屋で寝ることに不快感を示さなかったので、違和感があった。

 謎が解けたのは、幽子の部屋に布団を移動させたときだった。

「妖夢は、そっちに布団を敷いて」

「いいけど……」

 隣同士で敷かれている布団から、離れた位置を葵は指さす。

 幽子と葵の、二人っきりであるはずの寝室に招いてもらった身だ。居場所を選り好みする権利があるとは考えていない。だから、それはいい。

 だが、次に葵が発した言葉で、妖夢は渋い顔になった。

「隣で寝てる人が、火の番で何回も起きたら、幽子様の眠りを妨げちゃうわよね」

 それはつまり、幽子の隣で寝ている自分は、火の番をしない。という宣言であった。

(こいつ……)

 火鉢で暖をとることができる部屋で寝る代わりに火の番をするか、寒い部屋で、自らの体温だけを頼りに寝るか。どちらか選べということだった。

「わかったよ」

 人間よりも頑丈な体を持っている妖夢だけど、凍えながら寝るよりも、暖をとりながら寝たいに決まっている。

「まったく……、こういう悪知恵を働かせたら、一級品だな」

「なにか言った?」

「悪知恵を働かせたら一級品だって、褒めたの」

「誰が?」

「葵の他に、誰かいると思うの?」

「あー! そういう意地悪を言うんだ?」

「あらあら。にぎやかね」

 妖夢と葵が、口喧嘩を始めたところに、寝間着に着替えた幽子がやって来た。

 それで、いったんは矛先を収めた二人だったけれど。

「幽子様。妖夢が火の番をしてくれるそうですよ」

 幽子の腕に両手を絡めて、葵は言う。そしてこっそりと、妖夢に向けて、舌を出してみせた。

「あら。甘えてもいいのかしら?」

「は、はい。慣れてますから……」

 幽子を味方につけられては、反抗のしようが無かった。

 この夜、妖夢は温かい部屋で布団に入ることができた代償として、あまり快適でない睡眠を得ることになってしまった。






(7)


「良く降るわね」

 幽子は、部屋の小窓の障子を開けた。

 いつもは縁側でたたずんでいる幽子だけど、この寒さでは、部屋から出る気にならないようだ。

部屋の中にいても、温もりが恋しくなってしまうほどだった。

「まだ、やみませんか」

 妖夢は火鉢に炭を足した。

 こっそりと、あくびをする。

 火の番をするために、夜中に何度か起きたので、温い火鉢の前にいると、うとうとしてしまいそうになる。

「ええ、でも、見て」

 妖夢は、小窓から庭を覗いてみた。

「雪桜ですね」

 幽子が、好んで眺めている桜の木の枝に雪が降り積もって、まっ白な花弁を実らせていた。

「綺麗ね」

「はい。風流です」

「死ぬまえに、あの桜に花が咲いているところを見ることができて、良かったわ」

 幽子の自害は、あと5日後に迫っていた。

「幽子様。お体が冷えるといけませんから」

 妖夢は、障子を閉めた。

 幽子は火鉢のまえに正座して、両手を温める。

 その様子を、妖夢は複雑な表情で見つめた。

 この不遇な女性の、力になりたい。役に立ちたい。

 傍観することが正解なのに、でも、手を差し伸べたいと思ってしまう。

「幽……」

 ばきばきっ、がらがらーっ!

 外から、けたたましい音が聞こえてきた。

 幽子も妖夢も、体が浮いてしまうくらいに驚いた。

「な、なんだ!?」

 障子を開けて、外の様子をうかがう。

 あきらかに、なにかが壊れた音だ。

 でも、屋敷が倒壊するほど、屋根に雪は積もっていない。

「幽子様。辺りを見回ってきます」

「ええ、気をつけて」

 縁側に出ると、刺すような寒さに、自然と身が縮こまった。

「いったい、なにが壊れたんだ?」

 元貴族の別荘ということもあり、この屋敷の造りはしっかりしている。ちょっとやそっとのことで破損するとは思えない。

「だけど、建物が崩れた音にしか聞こえなかったけどなぁ」

 玄関で草履を掃いて、屋敷の外へ。

 そこに、葵が突っ立っていた。

「葵、どうしたんだ。風邪をひくよ」

 雪が降る中、葵は、ぼうぜんとしていた。

「妖夢……」

 表情を失っているようだった。

 膝を折って、雪の上にへたり込んでしまった。

「葵! しっかりしろ!」

「納屋が……、納屋が……」

 雪を握りしめる。

「納屋が、崩れちゃったよぉっ!」

 葵は、雪に額を押し付けて、わんわん泣き出した。

「納屋って、隠し道があるって言ってた、おんぼろ小屋のこと?」

 葵を持ち上げるようにして立たせて、雪をはたいてやった。

 雪がぽろぽろと地面に落ちるのと一緒に、葵の涙も地面に落ちる。

「どのくらい、崩れちゃったの?」

 葵は、力なく左右に首を振る。

「もしかして、完全に倒壊……」

 それだと、手の施しようが無い。

 日にちと人数をかければ、倒れた柱や壁をとりのぞくこともできるだろうけど、人が足りないし、それにこの大雪の中で作業するのは厳しい。

「なんで、こうなっちゃうの……?」

 葵は。

 弱々しく妖夢に抱きついてきて、胸に額を押し付けた。

 やがて全身から力が抜けたように、また雪の上にひざまずいて、すすり泣く。

「幽子様……」

 いつの間にか、玄関先に幽子が立っていた。

 死人のように、まるで生気の無い顔だった。

「これが、定め」

 それだけ言って、屋敷の奥に消えた。

「なによ、定めって。誰がそんなこと、決めたのよ」

 忌々しげに、葵は雪にこぶしをたたきつけた。

「誰? 誰なの? 定めなんて決めることができるとしたら、神さまとか、仏さまくらいでしょ? 神さまや仏さまが、なんでこんなひどいことをするのよ!」

 降りやまぬ雪。

 灰色の雲に、葵は嘆いてみせた。

「葵。屋敷の中に入ろう」

 打ちひしがれている葵に、手を差し出した。

 握った葵のてのひらは、氷みたいに冷えきっていた。


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