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妖が見た夢  作者: 柊ノキ
8/12

禁じ手 ~irregular~

(1)


 幽々子は、桜に見入っていた。

 数えきれないほどの、桜の木。

 幽々子が冥界の管理人になると決まったとき、白玉楼をとり囲むように桜の木を植えてもらった。

 永遠を生きる幽々子は、幾度と無く春を迎える。

 春を迎えるたびに、桜の花を愛でることができるようにと、紫が強く望んだのだ。

 桜の花を見ることが叶わぬままに逝ってしまった、彼女への手向けだった。

「私の身から出た、(さび)なのよ」

 紫は盃を傾けた。

 残酷なほどにすべてを受け入れる、幻想郷。

 思念体である妖怪が生息できるこの世界こそが、もっとも強力な思念体なのだ。

 息づく者たちの思念を吸い上げて、具現化してしまう。

 それを熟知しているはずの紫なのに、いつまでも後悔を断ち切ることができず、ずるずると過去をひきずっていたことが元凶。

「紫にも、他人に知られたくない弱みがあったのね。初めて知ったわ」

「幽々子、貴女、楽天家もほどほどにしなさいよ」

 紫はまじめに話しているのに、幽々子は、おもしろい世間話を聞いたみたいに、にこやかに酒をたしなんでいた。

 酒なんか呑んでいる場合じゃないのに。

「でも、私たちにできることなんて、お酒を呑みながら、妖夢の行く末を見守ることくらいでしょう」

「貴女ね……」

 こんな話を聞いて、そんなふうにのほほんとしていられるのは、幽々子くらいだろう。

「夢が自我を持つ。浪漫(ロマン)のあるお話だわ」

「善い夢なら、浪漫に想いを馳せていられるけどね」

「それが、妖怪の賢者の、哀しい過去では、浪漫なんて言っていられないわよね」

「他人事みたいに言うけれど、幽々子にも関係があることなのよ」

「そう……、そうなのよね……」

 目を伏せて、指先でお猪口を弄ぶ。

「私のことなのに、他人のことみたいで。でも、自分のことだという自覚もある」

 どれだけ探しても、その記憶は幽々子の中には無い。

 ところが、自分の身に起きたことなのだと、すんなり受け入れることもできてしまう。

「紫は、私のことを楽天家と言ったけれど、それは違うわ。私は、うれしいのよ」

 なぜか既視感を覚えてしまう、白玉楼では無いどこか。

 存在しているような、いないような、自分とは切り離された記憶。

 いままでは、それが不気味だった。

 私は私なのか、私は何者なのか、私がどこから来たのか、はっきりしなかったから。

「うれしい?」

 紫はあきれて肩をすくめる。

「この話は、哀しい結末で幕を閉じる。そう運命づけられている。それをありがたがって、うれしいだなんて……」

「あら? 哀しい結末が待っているとは限らないでしょう」

 すました顔になって、藍にお酒のお代わりを催促する。

「妖夢が、なんとかしてくれるわよ」

 運ばれてきた酒を、紫はぶんどって、言った。

「幽々子。貴女はやっぱり、とんでもない楽天家だわ」






(2)


「紫の能力は、無限の可能性を秘めているわね」

 幽々子が茶化した。

「そんなことはないわよ」

「照れちゃって。たまには腹の底を見せたほうがいいわよ」

「照れてなんかないわよ。素直にそう思うわ。たった一人、人間の娘も救うことができずに、なにが無限の可能性よ」

「紫の力をもってしても、救うことはできないの?」

「〝八雲紫には、富士見幽子を救うことはできない〟のよ。これは、あの世界における絶対の法よ」

 だから紫は、同じ夢を見る。

 哀しい夢を。

 大切な人間の友人が、命を落とす夢を。

 その友人を救うことができない、自分の夢を。

 何度も、何度と無く、同じ夢を見続けてきた。

「だから、物語を他の結末に誘導したいのなら、紫以外の誰かがやらないといけないということなのね」

 それを紫は、妖夢に託した。

 親友の幽々子が愛する従者に、重い荷物を背負わせることになった。

 あの、いけ好かない女の言いなりになって。

「ああ、本当に自分が嫌になるわ」

「自分を責めるものじゃないわよ。特異な能力を持つこの身でも、自分でどうすることもできないことのほうが、多いでしょう」

 幽々子は、おおらかな笑みを浮かべた。

 それで、紫の心もいくぶんかやわらぐ。

「でも、そう言えば……」

「そう言えば?」

「こないだ、霊夢が愚痴を言っていたわ。幻想郷の連中は、自分が強い能力を持っているという自覚が無いって」

「生まれたときから持っている力だから、たいしたことは無いと、過小評価してしまうのよね」

「それが、引き金だったのかしらね。私には、幻想郷という、一つの世界を創造する力があるっていうのに」

 徳利を差し出した。

 親友の酌で呑む酒を、幽々子は旨そうに呑んだ。

「こうして、紫からお酌を受けることも、無くなるかもしれないのね」

「一つの可能性にすぎないわ。実際になにが起こるのか、私も『あいつ』もわかっていない」

「なにが起こるかわからないのに、幽子……、って私が言うのは変ねぇ。でも、私って呼ぶのもおかしいわよね。だけど間接的には私なのだから、やっぱり私……?」

 どうしたらいいのかしらぁ。と考え込む幽々子。

 天然である。

 紫の頭脳をもってしても、幽々子の本心を見抜くことは難しいのだ。

 幽々子が言ったとおり、紫は、腹の底を簡単に見せることをしない。

 妖怪の賢者としての自分に箔をつけるため、意図的にやっていることだ。

 ただ、己をまっとうするのみ。

 妖忌が言っていたことを、紫は紫なりにかみ砕いて、実践してきた。

 昔の紫は、持って生まれた才能を、ことさらにひけらかし、優越感に浸るためだけに能力を使っていた。

 そうした、卑下た虚栄心と縁を切り、己を世界に溶け込ませ、世界のためにのみ、己の能力を行使する。

 それは、美しいことではない。

 結果、紫が得た評価は、油断のならない妖怪とか、冷徹だとか、好ましいものではない。

 でもそれでいいのだ。

 紫には、自負がある。

 自分は、誰よりも幻想郷を愛しているという、強烈な自負が。

 なによりも幻想郷が大事であり、幻想郷を守ることが使命だと思っている。そのためについてまわる評価なんて、塵あくたのように無価値なものである。

(だけど、今回の件は、本末転倒なのよね)

 紫の幻想郷への執着心は、そのまま、幽子への愛情の重さにつながる。

 紫は、幽子が存在した世界の香りを残したくて、幻想郷を創造したはずだった。

 それなのに……。

「ほら、また」

「な、なにが?」

「そうやって、一人で考えて、なにも言わなくなる」

「そうね……、ごめんなさい」

「いいわよ。紫は、考えごとをしているときが、一番きれいな顔をしているから」

「よしてよ」

 妖怪にとっての外見なんて、相手に自分の存在を認識してもらうための、手段にすぎない。

 美しい容姿も、妖怪の賢者という肩書きも、すべて、自己を演出するもので、それ以上の価値を紫は認めない。

「幻想郷は、みんなが思っている以上に、もろい世界だものね。紫がうろたえたり、悩んだりしている姿を見せたら、みんなが動揺する。だから紫は、深い思考に沈むとき、もっとも美しい顔になる」

 他者を不安にさせぬため。また、妖怪の賢者としての面子を保つため。

「よくわかっているわね」

「それはね。長いつき合だもの。でも、生前からのつき合いだったなんてね」

 幽々子は、両手を組んで、ぐーっと前に伸ばしてみせた。

「紫の夢が具現化しつつあるあの世界は、幻想郷に、どんな影響をおよぼすの?」

「いまはまだ、夢と現のはざまにある。でも、一つの世界として独立するのは、時間の問題だわ。幻想郷と同じ質量をもった世界に自我が芽生えたとき、あの世界と幻想郷は密接につながるでしょうね」

 そのとき、富士見幽子が存命であったなら、幽子と幽々子の身になにが起きるのか、予想できない。

「もしかして、紫が妖夢を選んだのは……」

 紫は、人差し指とキスを交わした。

 それを受けて、幽々子は、伸ばしていた手を口にあてがい、口に封をした。

 奴はいまや、幻想郷とあちらとを、自由に行き来している。どこで聞き耳をたてているのか、わかったものではない。

(私の腹の中を、知られるわけにはいかない)

 妖夢は切り札なのだ。

 ずるずると紫がひきずっていた過去。

 悪しき因縁。

 それらを、断ち切るための。

 実力者がそろう幻想郷にあっても、それを成し遂げることができるとしたら、魂魄妖夢をおいて、他にはいない。





(3)


 妖夢は、極度の緊張を味わっていた。

 座っているだけで冷や汗が垂れ、のどが乾いてひりひりする。

 空せきをしたくなったが、我慢した。

 妖忌は、幽子のまえに正座をしていた。

 まっすぐに背筋を伸ばし、わずかの身じろぎもしない。

 岩のようである。

 妖夢が知っている妖忌よりも、やや硬い印象だった。

 筋肉の成熟期にあるのか、体全体がごつごつしていて大きい。

 若さと力強さは感じるけれど、妖夢に稽古をつけてくれた妖忌よりも、精錬さでは劣るように感じた。

 だが、発する気迫のすさまじさは変わらない。

 そこにたたずんでいるだけで他者を圧倒してしまう。

 忘れかけていた緊張感だった。

 妖夢は身動きすることも、言葉を発することもままならない。

「今日は、一大事をお伝えに参上いたしました」

 おごそかな声である。

 それが例え、飼い猫が子どもを産んだという報告であっても、彼は同じ声色で話すだろう。

「あの……、私は外します」

 やっと言葉を発することができた。

「私は居候の身ですから」

 それは本音でもあり、口実でもあった。

 妖夢が発言すると、妖忌がこちらを見つめてきて、目が合う。

 恥ずかしいやら、ひさしぶりに会えてうれしいやらで、感情がぐちゃぐちゃになる。

 一刻も早く、ここから逃げ出したかった。

「遠慮することは無いわ。貴女が信頼に足りる人であることは、私も葵も、良く知っているわよ」

「恐縮です……」

 ささっと退席したかったが、幽子からの信頼が重しになって、動くことはかなわなかった。

 妖夢は居住まいを正す。

 場が整ったところで、妖忌は話を始めた。

「幽子様。先の右大臣殿と大納言殿の供養塔をご存じでしょうか」

「ええ。いまの右大臣様が、供養を依頼して、供養塔と共に、桜の木を奉納したと聞いたわ」

「偽善だわ。本当は、政敵がいなくなってうれしいくせに」

 葵は憮然と言い放った。

 目上の人間たちの会話に、平然と割って入れる葵を、妖夢はすごいと思った。

(どこか尊大さがある子だと思ってたけど、そうか、貴族の娘だったのか)

 主君に仕える宿命を背負った妖夢とは違い、葵は、他人を従えるお姫さまなのだ。そりゃ、妖夢と価値観がすれ違うわけだ。

「為政者というのは、そういうものです」

 妖忌は、無表情のまま言う。

 話の腰を折られて気を悪くしたふうでも無いし、権力者への嫌悪感も無い。

 彼は、そういう人だ。

 世の中を、あるがまま受け入れる。

 それが、妖夢が尊敬してやまない師匠の、芯の太さだった。

「供養塔に祀られた霊魂ですが、いまだ成仏できていないようなのです。それどころか、怨念の強さは日に日に増していき、他の怨念も取り込んで、いまや寺の住職でも抑えきれないほどだとか」

「そのまま、右大臣を祟り殺しちゃえばいいのよ」

「葵。よしなさい」

「右大臣が祟りに遭えば、幽子様のことを害しようとする者は、いなくなります」

「そうしてまた、新たな怨念が生まれ、負の連鎖は、いつまでも止まらない」

「そんなこと、幽子様が気にすることじゃありません。あいつの因果応報なんですから」

「話を続けてもよろしいか?」

 妖忌が断りを入れると、その圧を受けて葵は口を閉じた。

 彼のひと言は、どんな説教よりも効果があるのだ。

「供養塔から漏れ出した怨念が、右大臣が奉納した桜の木を喰い始めたのです。このままでは、妖の桜が生まれ、人々に害をなすでしょう」

「死者の想いというのは、すさまじいのね」

 死霊と交わることができる幽子は、そのおそろしさをよく知っていた。

「勅命が下りました。妖の桜の下で、自害せよと」

 妖忌は、いまだに表情を変えない。





(4)


 葵は絶句している。

 幽子はあきらめきった顔をしていた。

 妖夢は、とうとうきたかと、息を漏らした。

 居間は静寂に包まれた。

 いつしか、雨が降り始めていた。

 やわらかい小雨が、庭石や草木をしっとりと濡らしていく。

「私の死をもって人柱とし、怨念を封印するのね」

 それが、富士見幽子という哀しい物語の結末。

 彼女の死によって封印された桜の木は、西行妖と名付けられ、幽子の転生に併せて、幻想郷の冥界にやって来た。

 枯れた木の枝に桜が芽吹くことは、無い。

 西行妖に巣食っている怨念を、幽子が封印しているためだ。

「日どりは」

「10日後。当日の警護は、不肖ながら某が務めさせていただきます」

「わかったわ。妖忌が付き添ってくれるのなら、これ以上なく安心だわ」

「恐れ入ります」

「なんで……」

 最初に沸いた感情は、疑問。

「なんで、幽子様も貴方も、そんなに落ち着いていられるの……?」

 いいように利用されるだけされて、自害を命じられて、平然としていられる幽子も、こんな残酷なことを、淡々と主に伝えることができる妖忌も、葵には異様に映った。

「幽子様、死ぬんですよ? 死なないといけないんですよ!? なんで、なんで、なんで幽子様が死ななきゃいけないの!? 命じられたとおりに、山奥の屋敷でひっそりと暮らしているだけなのに!」

 次に沸いた感情は、憤怒。

 やりきれない想いを、葵は爆発させた。

 妖忌、妖夢、幽子は、無言で見守っていた。

 止めることや、なだめることはしない。

 気持ちは、理解できる。

 でも、怒っても叫んでも、どうしようもできないことが、世の中にはあるのだ。 

 富士見幽子は、自刃して果て、死霊をつかさどることができる幽子の能力をもって、西行妖の力を抑える。

 幽子が人間として転生すれば、西行妖の封印が解けてしまうかもしれないし、次の転生先で、幽子と同じ能力をもった人間が生まれ、幽子と同じように、哀しい人生を送ることになってしまう。

 この負の輪廻を断ち切るため、幽子の魂は、転生することを禁じられた。

 そして冥界の管理人、西行寺幽々子として生まれ変わり、前世の哀しい記憶をうばわれた。

(この流れには、逆らってはいけない。抗ってはいけないんだ)

 幽子が自害しなければ、なにも解決しないまま、問題を先送りにすることになる。

「妖夢!」

 葵は、般若みたいな形相で、妖夢をにらみつけてきた。

「貴女、幽子様に誓いを立てたでしょ! 必ずお守りしますって!」

 ちっぽけなものだ。そんなもの。

 歴史という大河の流れに比べ、一剣士の誓いなど、なにほどのことがあろうか。

 決して変えてはならぬもの、決して抗ってはならぬもの、決して触れてはならぬものがある。

「薄情者!」

 非難されようと蔑まれようと、私情を捨て、受け入れなければならないものがある。

(それに、幽々子様はどうなる)

 幽子が助かってしまったら、西行寺幽々子は生まれてこない。

 「この世界の富士見幽子」と、幻想郷の西行寺幽々子に、関連性があるのかは不明だ。

 不明だからこそ、うかつなことはできないし、言えない。

「やめなさい、葵。妖夢は、私たちになんのかかわりも無いのよ。それなのに、これまでよく尽くしてくれた。責めたら罰があたるわ」

 心なし、しかるような口調で幽子が言う。それで葵は、黙るしか無くなった。

 葵とて、心の底ではわかっている。

 いくら憤ってみたところで、ちっぽけな人間の身では、なにもできないのだと。

 人間など、本来無力。

 努力し、鍛錬し、挑戦し……、己を磨き続けても、それは自己満足にしかすぎない。運命や宿命といったもののまえでは、なんの役にも立たない。

 それでも……。

「私、あきらめませんから」

 存在するかもわからない、希望に賭けてみたくなるのが、人間の業だった。






(5)


 人間の体というのは、案外に頑丈なのかもしれない。

 時間が経てば、ちゃんと腹が減るし、陽が暮れたら、体をきれいにしないと落ち着かない。

(あんなに、いろんなことがあったのになぁ)

 妖夢は、裸になって浴室に入った。

 貴族の屋敷の風呂だけあって、白玉楼にも劣らない立派な造りだった。

 湯気が立ち込めている。

 幽子と葵は、先に湯あみをすませ、まだ湯が熱いうちに、妖夢が残った湯を使わせてもらう。

 妖夢に残り湯を使わせることを、幽子はためらっていたけれど、白玉楼でも、ずっと幽々子の残り湯を使っていたので、新しい湯のほうが、むしろ落ち着かないのである。

(師匠……)

 妖忌に刀で突かれた、左の鎖骨の下をさすった。

「まさか、師匠にも会うことになるなんて」

 だが、この世界では、幽子が健在なわけだから、妖忌がいることも自然だし、主人である幽子を訪ねてやって来るのも、当然のことだった。

 その、妖忌が訪ねてきた理由というのもまた、一大事。

 幽子が幽々子に転生する転換期に立ち会うことになってしまった。

 妖忌が去った後の屋敷の空気は最悪だった。

「夕餉のときなんか、誰もしゃべらなかったもんなぁ」

 もちろん、妖夢もである。 

 言葉を溜め込むことに疲れたらしく、一人の空間であるのを良いことに、独り言をつぶやいていた。

 かたん……。

「!?」

 脱衣所から、物音がした。

 五感が優れている妖夢である、聞き間違いは無い。

(ま、まさか、お化け……?)

 心臓が、飛んだり跳ねたりしているみたいに揺れまくる。

 浴室の戸が、すーっと横に動いた。

 そのとき、妖夢の思考がすっ飛んだ。

 逃げ場は無い。

 武器も無い。

 しかも、湯あみの最中で、すっ裸ときた。

(やられるまえに、やる!)

 どんな逆境に置かれても、剣士として一矢報いねばならない。

 日々、地道に鍛錬を積んできたのだ。相手がお化けだろうが、無抵抗でやられわけにはいかない。

 死なばもろとも。

 浴室に入ってきた影に組みつき、相手の動きを封じる。

(む、思ったより、やわらかいな。人の肌みたいな感触だ)

 少しずつ、お化けの正体があきらかになる。

 背丈は、妖夢よりも少し低い。顔つきは、幼さが滲んでいて愛嬌があり、髪型は、妖夢と同じく黒髪のぱっつん。

 もう一つ、妖夢と彼女の共通点をあげるならば、二人とも、凹凸が少ない、なだらかな体形をしているということだった。

 妖夢と葵は、浴室の入り口で、抱き合う格好になった。

 というよりも、妖夢が一方的に葵に抱きついている。

「なに考えてんの!? 妖夢の変態!」

 地道に鍛錬を積んできた剣士であっても、葵が繰り出した平手打ちをかわすことは、できなかった。






(6)


「入ってくるなら、声をかけてよ」

 妖夢の右頬には、葵の右手の形が、正確に刻印されていた。

 それだけ、もろに平手打ちを食らったということである。

「女同士なんだから、いいでしょ。いまさら遠慮する仲でもないし」

「そうだけど……」

 否定できない妖夢。

 毎日、顔を突き合わせて家事をしてきたし、なんだかんだ、友達みたいな関係になっていた。

 葵のことを、ずっと怪しんできたから気づいていなかったけれど。

 二人して、湯船に浸かった。

 抵抗が無いのが不思議だった。

(葵って、なんなんだろう?)

 妖忌から教えてもらった幽々子の過去には、葵の名は登場しない。

 でも幽子の従者として、ずっと幽子の側にいて。でもそれは見せかけで、裏では、幽子に復讐する機会をうかがっていて。でも……。

(でも、が多すぎるんだよな。葵は)

 でも、幽子の自害に反対していて、幽子を助けたいと思っていて。

 昼間、妖忌のまえで見せた怒りは本物だった。あきらめないと言いきったときの瞳に、偽りは見られなかった。

「今日は、幽子様と一緒じゃないんだ」

 聞きたいことは、星の数ほどあったけれど、当たり障りの無いところから会話を始めた。

「妖夢と話がしたかった」

 葵は早口で即答した。

「なに?」

 妖夢も短く聞いた。

 葵は、早く会話を進めたがっている。そうしないと、湯が冷めてしまうから。

「あの人が持ってた刀……」

「刀? あの人っていうのは、ししょ……、妖忌さんのことだよね」

「ううん。なんでもない。それより、あの人と妖夢と、どっちが強い?」

「勝負してみないと、わからない」

 反射で応えていた。

 本音は、師匠には一生勝てない、適わぬままだと言いたい。どうせ自分なんかと妥協してしまえば、楽ができる。

 だけど、鍛錬に励んだ日々が、楽をすること、甘えることを拒否する。

 越えたい。いつかは。

 あの偉大な影を、越えていきたい。

「妖夢、お願い。幽子様を助けて」

「えっ!?」

「妖夢がいれば、この山から出られる。宮中から追っ手が来ても、妖夢なら退治できるでしょ」

「それは……」

 並みの刺客には負けない自信がある。

 自信があるから、言葉が淀んでしまう。

 葵の言ったとおりだ。

 妖夢の力をもってすれば、幽子をこの屋敷から脱出させることができる。できてしまう。

 それはつまり、幽子の自害を回避するということ。

 定められた運命を、ねじ曲げてしまうということだ。






(7)


「妖夢。お願いよ」

 葵は策士だ。

 浴室という逃げ場の無い状況では、返事をはぐらかすことができない。

 はっきりとした返事をしないと、葵はきっと納得しない。

「そのまえに、聞かせて。葵は、幽子様を恨んでいるんじゃないの?」

 淀みの無い言葉を発するために、わだかまりは滅しておきたい。

 葵の(まこと)を知りたかった。

「恨んでたよ。父上が死んじゃったのも、家が無くなっちゃったのも、ぜんぶ幽子様のせいだって、恨んでた。いつか家宝の短刀で、幽子様に復讐するんだって誓って、従者になりすましたの。でも……」

 葵の言葉に、熱が籠っていく。

 反対に、湯船のお湯が、熱を失っていく。

「本当に悪いのは誰なのか、わかったの。幽子様は、右大臣が権力を握るために利用されただけなんだって」

「それで、幽子様を助けたいんだ」

「始めは、助けるなんて、大それたこと、考えてなかったの。私は非力な人間だから。だからせめて、庭の桜が花を咲かせるまでは、生きていてほしくて……。幽子様は、桜の花が好きだから……」

 葵の瞳が、うるむ。

「桜の花を見ることもできないなんて、あんまりよ。いくらなんでも、哀れすぎるでしょ……」

 言葉に詰まって、葵は、湯船のお湯で顔を洗った。

「右大臣と密約を交わしていたのは、時間稼ぎだったのか」

「私も用済みになったら、刺客に襲われた男みたいに、消されちゃうに決まってる。あんなやつとの約束なんて、誰が信じるもんですか」

「すごいな」

 たいした軍師だ。

 この見ためで、時の権力者を騙していたのだから。

 いや、子どもみたいな見ためも、葵は武器にしていたのかもしれない。ずる賢い右大臣も、葵が子どもだと思って、甘く見ていたのだ。

 そしてこの優秀な軍師は、妖夢という強力な手札を得た。

 禁じ手の手札だ。

 本来であれば、妖夢はこの世界、この場面に存在しないのだから。

 賊を退治して以来、葵の機嫌がやたらに良かったり、妖夢に愛想良く接してきたのは、幽子を助けるための手段を得たからだったのだ。

(もしや、紫様のねらいも、ここにあるのでは無いか?)

 先日、山の中で出会った紫は、幽子を見捨てるなと言い残して消えた。

(だが、幽々子様まで巻き込んで、幽子様を助けたい理由はなんだ)

 せっかく葵への懸念が消えたのに、新たな疑問が生まれてしまった。

 すべてがすっきりとつながらない。

 湯が冷めきってしまうまでには、疑問が解消されることは無いだろう。

「考えさせて」

 はぐらかしたのでは無い。

 真剣に、考える覚悟で応えた。






(8)


 あのとき、こうしていれば、こうなっていれば。

 不幸に見舞われたとき、そういう思考に陥りがちだ。

 でも、違う道を選んでいたら、いまよりももっと不幸になっていたかもしれない。

 幽子は哀れだ。

 権力者に利用されるだけされて自害など、不憫でしか無い。

「でも、最後は丸く収まるんだ」

 妖夢は、布団の上で正座していた。

 生と死を操るという、忌まわしい能力を持った魂は、幽子の自害をもって転生することがなくなる。

 権力者の命による自害、という点に目をつぶれば、幽子の魂は救われることになる。

 だから妖忌は、幽子の自害という現実を受け入れる。

 妖忌の選択は、正しい。

 幽子の魂は、哀しい過去を忘却し、冥界の管理人という天職にたどり着く。そこで八雲紫と再会して、二人は生涯の親友となることができる。

「その未来を知りながら、幽子様を助けることに意義があるのか」

 意義があるとするのならば、感情の満足くらいだ。

 哀れな女性を、権力者から救い出す。

 武勇伝としては申し分ないし、心躍る噺ではある。

 しかし、天寿をまっとうした幽子の体から解脱した魂は、転生を続ける。安寧の地を求めて、旅をしなくてはならない。

(幻想郷の冥界以上に、幽子様の魂が安らげる場所など、あるのだろうか)

 無い、と言いきることができない。

 紫は、幽子を見捨てるなと言い残した。

 ということは、紫には、幽子を救った後の成算があるということなのだろう。

(ならば、紫様の言葉に従うか……。いやダメだ。こういうことは、自分で決断しないと)

 灯りを消した部屋は、暗闇に包まれている。

 いまの妖夢の状況を表していた。

 道しるべは無い。だが、どこかには進まなくてはならない。

 選ぶことができる道は、一つだけ。

「いずれにしても、穏便には済みそうに無いな」

 甘んじて幽子の自害を受け入れるのならば、幽子を見殺しにし、葵の嘆願を退けることになる。

 幽子を救うのは修羅の道。上手く逃げることができても、そのあとに、よりよい未来が待っている保証は無い。幽々子への影響も不明だ。

 情か非情か。

 どっちをとっても、誰かが犠牲になってしまう。 

 あちらを立てればこちらが立たず。

 浮世というのは、世知辛い。

「生きるっていうことは、それ自体が修業なのかもしれないなー」

 禅僧みたいなことをつぶやいて、妖夢は布団にもぐりこんだ。


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