罪 ~destiny~
(1)
「そこをどきなさい!」
紫が叫んでも、相手はひるまない。静かな瞳で、紫を見据える。
これでは、負け犬が吠えているみたいだ。
「幽子が哀れだと思わないの!?」
「思慮の外」
という応えに、紫はさらに激高する。
「富士見の家に仕える身でありながら、なんて言いぐさ! 話にならないわ、どきなさい!」
「押し通ると言うのならば、お相手いたす」
相手は、二本の刀に手をかける。
隙無く、堂々とした構え。熟練の剣士だけが醸し出せる、泰然たるたたずまい。
紫といえど、易々とは攻めかかれない。
「貴方の価値観が、わからないわ。賊からは幽子を護るくせに、自害は止めようとしない。なぜ……、なぜ、その力を、正しく使おうとしない」
「正しさなど、求めぬ。私は、己をまっとうするのみ」
どっしりと腰を下ろし、門のまえに立ちはだかる様は、山のようだった。
「くっ……」
一歩でも踏み出せば、その瞬間に斬られると確信した。
(勝てない)
紫には、勝てない。越えることができない。
覚悟が違う。
底にあるものが、違いすぎる。
※
紫は、布団から這い出た。
「魂魄、妖忌」
大きな男だった。
「己を、まっとうするだけ」
彼が言い放った言葉は、いまでも心に刺さっている。
「言うのは易い。でも、実践するためには、重い覚悟がいる」
それは、迷いを断ち切った者だけが辿り着くことができる境地だ。
あの妖忌の弟子に、紫は賭けた。
妖忌から薫陶を受けた妖夢であれば、「越えて」くれるかもしれない。
何度と無く繰り返された、あの悪夢の先へ。
「私も、そろそろ動かないといけないわね」
いつまでも、妖夢にだけ背負わせるわけにはいかない。
(2)
「これは……」
早朝。
息を吐けば、霊魂のような白い煙が、自然と口から漏れてしまう時刻である。
妖夢は屋敷を出て、山中を散策していた。
「どういうことだ」
山道から外れ、少し歩くと、目の前の景色が揺らいでいる。
先日、遠くの山の峰が、蜃気楼のようにぼんやりと揺れているのを見つけたが、それに似ていた。
青白い煙が立ち上り、景色を見とおすことができなくなっている。
「この先は、どうなっているんだ」
「よしなさい。戻って来られなくなるわよ」
「……!」
「その先は、無。比喩では無く、ただの無。この世界に、必要の無い場所。そんな場所に足を踏み入れたら、貴女も必要とされなくなるわよ」
「紫様……」
そこに、妖夢の見知った顔が立っていた。
金色の髪と、紫水晶のような神秘的な瞳。
妖怪の賢者と畏れられている、八雲紫その人だった。
ひさしぶりに会ったためだろうか。妖夢の記憶の中にある紫とは、少し違っている。それはたぶん、紫が和服を着ているためだ。
「紫様。この世界は、なんなのですか。私は、なぜここにいるのですか」
疑問をぶつけた。
紫がここにいるということは、妖夢をこの世界に送り込んだことに、紫も一枚嚙んでいるはずだ。いや、もしかしたら、紫が主犯格ということも考えられる。
「貴女のことは、ずっと見ていた」
紫は、ゆっくりと唇を動かす。
「貴女は、幽子を見捨てないでね」
「なんのことですか」
紫は、腹の底を見せることをしない。回りくどい言いかたをしてはぐらかし、本音を隠すのだが、今日は特にひどい。
「じきに、選択するときが来るわ。貴女が正しい道を選ぶことを、私は祈っている」
どこかへ行こうとする紫の後を、妖夢は追おうとした。
「おい! なんで姿を見せねぇ!」
「!?」
大音声が響いた。
そちらに気をとられているうちに、紫は消えていた。
(なんの騒ぎだ?)
木の陰から顔を出して、声がしたほうを覗き見る。
「あの男、たしか、葵と話をしていた奴だな」
いつぞや、屋敷の裏手で葵と密談していた、ガラの悪い男だった。
(こんな山の中で、なにをしている)
刹那。
どこからともなく矢が飛来して、男の足に突き刺さる。
(3)
「ぐぁっ!?」
なにが起きているのかわからぬままに、男が片膝をつく。
足に矢が刺さっているのを見て、やっと痛みの正体を知る。
「な、なぜだ! なぜこんなマネをする! 俺は、右大臣様の命で……、がぁっ!」
違う方向から矢が飛んできて、胸に命中する。
妖夢は思わず、顔をそむけた。
「そうか。右大臣の奴め、俺が不要になったか。人間の面をかぶった妖怪め! 成仏しねぇで恨み続けてやるからな!」
「伏せろ!」
木陰から飛び出した妖夢は、男を押し倒した。
彼をねらった矢が、木の幹に突き刺さる。
(刺客……、数は三人か)
目には見えぬ気配を探る。
空気がざわめいている。刺客たちは、思わぬ助っ人の登場に、当惑しているようだった。
「借りるぞ」
男の脇差を抜く。
一刀流は、妖夢の得意とするところではないけれど、真剣であるぶん、賊と戦ったときよりはましだ。
地面に伏している男は、弱々しく妖夢を見上げる。
考えるよりも早くに体が動いて、男を助けていた。
この男とて、周囲の刺客たちと同じ穴の狢で、善人であろうはずが無い。
しかし、集団で、よってたかって一人の人間を痛ぶるのを、黙って見過ごすことはできなかった。
殺気が、妖夢に集中してきたのがわかる。
木の上、あるいは木陰から、妖夢を射抜こうとしている。
「甘いっ!」
飛来した矢を、刀で叩き落す。
気を集中し、周囲の空気と、自然と一体化する。
そうすれば、刺客たちが放つ不自然な殺気を、たやすく察知することができる。
あとは、己を信じて動けばいい。
いや、信じるとか、動くとか、そういう意識すら捨ててしまう。
「!?」
刺客が移動をしようとしたとき、そこに妖夢がいた。
(やられた!)
刺客がそう悟ったときには、右の手の甲に痛みが走っていた。
続けざま、別の刺客の右肩を斬る。
「は、早い……」
違う。
妖夢が早いのでは無い。
妖夢の目には、刺客たちの動きが、止まっているほどに遅く映っているのだ。
だから、常に先手をとることができる。
跳躍。
木の上に隠れていた刺客の首に、刀の切っ先を突きつける。
「傷ついた仲間を連れて、帰れ」
刀を鞘に納め、木から降りる。
すぐに抜刀。
木の上から飛んできた矢を、まっ二つにする。
「もう言わないぞ。帰れ」
納刀した妖夢に矢が飛んで来ることは、無かった。
「大丈夫か」
そう声をかけたものの、刺客に襲われた男の目からは、生気が失われつつあった。
(助からないな)
男も、死が近づきつつあることを感じているようだった。
「人の道から外れた生きかたをしてきたからな……。こんな辺鄙な場所で最期を迎えるのは、あたりまえだな……」
「言い残すことはあるか」
「すまねぇ。手間をかけるが、この山の屋敷に住んでいる娘に、右大臣は約束を違えたと伝えてくれ」
娘とは誰のことか、妖夢はすぐに理解した。
「それと、懐に証文がしまってある。それを娘に渡してくれ。なんの役にも立たねぇかもしれねぇが、あいつらに渡すよりはマシだ」
「たしかに、聞き届けた」
「嬢ちゃんは、慈悲深ぇな。俺みたいなクズを助けて、死に際を看とってくれるなんてよ。いい死にかたをするぜ」
男は陽気に笑い、息をしなくなった。
(4)
「妖夢。どこ行ってたの? 私一人で朝餉の準備したんだからね」
台所に行くと、葵がみそ汁の味見をしていた。
あんまり怒っていないのは、自分も、たびたび仕事をさぼっている自覚があるからだ。
それでも、自分一人に仕事が集中しているのが気に入らなくて、口にしてしまう。
本質的に、葵は妖夢と、ものの感じかたが違うのだなと思った。
「ごめん。目がさえちゃったから、ちょっと散歩でもしようと思って外に出たら、遠出になっちゃって」
「だから、山道から外れたらだめだって、こないだ言ったでしょ」
「うん。気をつける」
こないだ、といえば、こないだ盗賊と闘ってから、葵の接しかたが元に戻った。
葵がついて来たのは、企みあってのことと思っていたけれど、変わった様子も無く、妖夢と協力して人足を助けてくれた。
(そりゃ、食料と燃料が届かなかったら、葵だって困るだろうからな)
しかし、葵への疑念は深まるばかり。
刺客に襲われた男は、ひとまず杉の葉で隠してきた。後で火葬してやるつもりだった。
刀は、そのまま拝借してきた。遺品を盗んだみたいで悪いと思ったけれど、この先、なにが起きるかわからないのに、武器が無いのでは心もとない。
「どうしたの? 元気、無くない? 具合が悪いんだったら、休んでていいよ」
迷いが、顔に出てしまっていたのだろう。葵が心配してきた。
盗賊を退治して以来、葵は妙に、妖夢に優しい。
なにかあれば、妖夢を持ち上げたり、気遣ったりしてくる。
それもまた、不審。
そしてその不審は、男から託された証文を読んで、確かなものになった。
(このことを、葵に言うべきか)
葵は、あの男を通じて、右大臣の謀略に加担している。
右大臣が約束を反故にするつもりだということを葵に教えないと、葵は、幽子に危害を加える機会をうかがい続けるだろう。
(でも、なぁ)
刀と一緒に隠してきた証文をつきつけ、葵の非を打ち鳴らすことは、すぐにでもできる。
だが、そうなったときに、やけになった葵が、なにをしでかすかわからない。
「どうしたのよ。呆けちゃって。やっぱり具合が悪いんじゃないの?」
葵は、鼻歌を歌って、味噌汁に菜っ葉を入れた。
(あの男、やっかいなものを託してくれた)
でも性格上、知らないふりをするという選択肢が浮かんでこない、妖夢なのであった。
(5)
石段を踏みしめる。
ゆっくり、というよりも、重い足どりで。
(とうとう、来てしまったわね)
来てしまったもなにも、紫自身が決めたことである。
決めたのに、いまだに迷っている。
紫は、望んだ場所に移動できる能力をもっている。
だが、捨て去ることができない迷いが、自分の足で歩くことを選ばせる。
無駄な抵抗だ。
どれだけ遅く歩こうとも、この石段を登って行った先には、白玉楼がある。
そこに、幽々子がいる。
会って、話す。
話さなければならない。
紫に、妖夢に、幽々子に、なにが起きているのかを。
「しばらくだったわね、元気してた?」
紫の来訪を、幽々子はことのほか喜んだ。
「そうね、ご無沙汰していたわ」
勝手知ったるなじみの場所なのに、数年ぶりにこの客殿にやって来たようだった。
それは、紫が悩んでいる時間の長さ、悩みの深さが、そう思わせるのだ。
いまだって、親友をまえにして悩んでいる。
なにから話せばいいのか。
どう話せばいいのか。
一番の悩みは、紫が、どんな結末を望んでいるのか、自分でわかっていないことだった。
どうなるのが最も望ましいのか。
誰かに喜ばしい結果になったとき、必ず誰かが犠牲になる。
今回の事件は、丸く収まることは、絶対にありえないのだ。
(それでも、妖夢なら……)
妖忌から教えを受けた、あの妖夢なら、もしかしたら、この困難を乗り越えてくれるかもしれない。
「紫、お酒が来たわよ」
「ええ……」
藍が、徳利を運んできた。
「紫と呑むのも、ひさしぶりね」
「ええ……」
「今日は、ゆっくりと呑みましょう。時間は、たっぷりあるもの」
長い酒席が始まった。
(6)
朝食を摂っている最中、葵はよくしゃべっていた。
それを幽子が穏やかに見守り、妖夢は黙って食事をしていた。
「妖夢も、そう思うでしょ?」
「あっ、うん、そうだね」
葵は頻繁に、妖夢に話題を振ってきた。
幽子を見本にして、できるだけ穏やかに対応しようと心がけたが、うまくいっているかは不安なところだ。
葵に対して思うところがありすぎて、彼女に純粋な好意を向けられなくなっている。
それは、葵に責任があるのだけれど、こういうときにも、妖夢は自分を責めてしまう。
食事のかたずけをしているときも、食器を洗っているときも、葵は上機嫌だった。
(右大臣との約束を果たせば、家の復興とやらが叶うと思っているからか)
その旨が記された証文が、妖夢の手にあることを、葵は知らない。
相手が約束を違えていることも、知らない。
(幽子様のお耳に入れるしかないよな)
事は、妖夢だけの問題に収まらない。
一人で抱えていたところで、解決のしようが無い。
「気が重いなぁ」
「なにが?」
「な、なんでもない!」
危うく食器を落としかけた。
気鬱さが容量を超えて、体内からこぼれてきてしまった。
(だいたい、私は、駆け引きとか隠し事とか、苦手なんだよ!)
このまま誰にも相談しなかったら、いずれボロが出てしまうのは明白である。
(すぐにでも、幽子様に話したほうがいいな)
妖夢は、そう決めた。
(7)
「そうなのね」
これは、どう反応するのが良いのだろう。
妖夢の脳が、活動を停止した。
「えーと、ですね……」
信用していた従者が、裏切りの機会をうかがっていたなんて知ったら、幽子は落胆するに違いない。
それでも、幽子の耳に入れずにはおけないと、清水の舞台から飛び降りる覚悟で幽子に証文を見せたのだ。
ところが幽子ときたら、晩御飯の献立を知らされたくらいの反応しかしない。
この幽子との温度差は、どうやったら埋めることができるのだろう。
「幽子様。この証文は、右大臣とやらの直筆で、葵が事を成した暁には、家の復興を約束するということが記されておりまして……」
どうしていいかわからなくなった妖夢は、一から証文の説明を始めていた。
「いやだわ。そのくらい、読めばわかるわよ」
そんな妖夢の様子がおかしかったらしく、幽子は笑った。
「なぜ、お笑いになるのですか。葵は、幽子様の命をねらっているのですよ」
そして、幽子の命を奪った対価として、没落した家の再興を、葵は願い出ていたのだ。
幽子を慕っている素振りを見せておきながら、裏では、黒い取引を交わしていた。
こんな裏切りがあっていいものか。
「妖夢。お願いを聞いてもらいたいの」
憤りを抑えきれない妖夢に、幽子は涼やかに言った。
「この証文、刺客に襲われた殿方と一緒に、燃やして。私は、なにも見なかったことにするわ」
「幽子様!」
とうとう妖夢は、大声を出してしまった。
「いいのよ。葵が、私の命が欲しいというのなら、好きにすればいい」
それが定めだから。
と、どこまでも冷静に、とつとつと語る幽子に、妖夢の感情も鎮まり始めた。
(そうだった。どれだけ同情しても、この方は、お亡くなりに……)
定め。
人であれ妖怪であれ、抗うこと、変えること、叶わぬもの。
富士見幽子は、業を背負いながらその生涯を終え、西行寺幽々子へと転生する。
そして冥界の管理人として、転生すること無く、永遠を生きる。
それが決まった運命。
ならば幽子の境遇に同情することは、偽善ではないのか。
(私は、この人に、どんな感情を向ければいいんだ)
妖夢の心に迷いが生じた。
「葵は、先の大納言様の、娘なのよ」
幽子の話を、おぼろげに聞いていた。まるでこの世界のことでは無いかのように。
それでも頭は働いていて、点と点だった情報をつなぐ。
葵が約束していた家の復興というのは、大納言の家のことだったのだ。
突如、大黒柱である家の主人が亡くなってしまったため、跡を継ぐ者も決まらぬまま、政事の表舞台から退場させられた。
「葵の父を、先の大納言様を害したのは、私なの」
それが、幽子が背負っている業であった。
(8)
「葵の父だけでは無いわ。先の右大臣様も害した」
幽子の告白は続いた。
小鳥が、屋敷の屋根にとまってさえずってる。
太陽がてっぺんまで昇ると、暖かな日差しが屋敷の庭に降り注いでくる。
季節の変動を感じる。
庭に一本だけ生えている桜の木は、小さいながら、花のつぼみをふくらませていた。
幽子は縁側から、あの桜の木を眺めている。
あの桜が花を咲かせるところを見ることは、できないだろう。
「信じられないかもしれないけれど、私は、特殊な力を持っているの」
それは幽々子に引き継がれる能力だった。
「幼いころから、死霊を見ることができたわ。それがおもしろくて、死霊たちと遊んでいるうちに、死霊を従えることができるようになっていた。そしてある日、死霊の一人が私にささやいた。憎い相手はいませんか、と。もしいるのなら、こちらの世界に引き込んでさしあげましょうか、と」
幽子が望みさえすれば、生者をたちどころに、あの世へ送ることができる。
成長して大人になるにつれて、幽子の能力も成長していたのだ。
いっさいの抵抗を許さずに、他人の生死を思うままに操ることができる。それが幽子と幽々子が持つ、特異な能力だった。
「こんな能力、なんの役にも立たない。人を害することしかできない。私は、この能力は絶対に使わないと決めた」
「では、なぜ……」
「いまの帝様は、政事に興味がおありでは無いの。民草が飢餓に飢え、多くの命が失われているのに、官僚たちの間では賄賂が横行して、民の生活など顧みずに贅沢をしている。そして民衆に配るべき食料を役人が横領しても、咎める者はいなかった」
哀しそうに、幽子は言う。どれほど構造が歪んでいても、正しくない行いが公然とまかりとおっていても、権力の無い者には触れることができない世界がある。それが、この時代の宮中だった。
「あの方は、おっしゃった。私が地位を得た暁には、政事を正してみせましょうと。たった二人の命と引き換えに、幾千の民を救うことができるのだと」
「あの方というのは、この証文をしたためた、右大臣ですか?」
「そのとおりよ。民の憤りを代行できるのは、私しかいないと誘ってきたの。詭弁だし、偽善だわ。命を天秤にかけることなんて、人間がしていはいけないことだったのよ」
幽子は侮蔑していた。右大臣をではなく、右大臣の口車に乗ってしまった自分をだ。
その後、右大臣は、幽子の力を利用して政敵を排除し、権力を得たとたんに、態度を変えた。
さらに幽子の力を恐れ、この屋敷に幽閉し、自分の名に傷が付かぬよう、葵を使って幽子を亡き者にしようと画策し始めたのだ。
刺客に襲われたあの男も、幽子も葵も、権力者に振り回され、人生の歯車が狂った。
「そんな話、あんまりです」
いけない。
この人に、こんな感情を抱いてはいけない。
(だから私は、幽子様に近寄らないようにしていたのに)
こうして、幽子から細かな事情を聞いてしまったら、手を差し伸べずにはいられなくなってしまうかもしれないから、幽子には近づかないようにしていたのだ。
冷静にならなくてはいけない。
運命を受け入れなければならない。
定めに、従わなくてはならない。
だけど、情念が湧き上がってくるのを、止めることはできなかった。
「悪いのは私なのだから、自業自得よ。民の生活のことなんて、本当はどうでも良かった。心のどこかで、死霊の誘いに乗ってみたい、能力を使ってみたいと思っていたんだわ。だから、悪い誘を断ることができなかった」
「ご自分を責めすぎです」
「いいのよ。どんなにとりつくろっても、私が葵の父を害したことは変わらない。だから、葵に葬られるのなら、本望だわ」
幽子は、あきらめきった顔をしていた。
「葵が、懐に短刀をしのばせているの、知っている?」
「短刀というと、人足を助けたときに使っていた……」
「そう。あれは、葵の家に伝わる家宝なのよ。あの短刀で、いつか私のことを……」
「知っていたんですか」
廊下の奥から声がした。
幽子の話に聞き入っていたので、他人の気配にまったく気がつかなかった。
「幽子様。知っていたんですか」
小刻みに、葵の体が震える。
秘密を知られてしまった恐怖というよりも、悲しんでいるように感じた。
「葵。私は、とり返しのつかないことをしたわ。こんなちっぽけな命で葵の気が済むのなら、いつでも差し出すわ」
葵は、目じりに涙を溜めていた。
「幽子様なんて、嫌いっ!」
目から光るものを流しながら、葵は駆け出した。
(9)
「葵!」
「幽子様、私が」
妖夢は葵の後を追ったが、すでに葵の姿は消えていた。
台所をのぞいてみたが、そこには誰もいなかった。
「まさか、屋敷の外に出たのか?」
じゅうぶんに考えられることだった。
じきに日が暮れる。
急いで捕まえないと、夜になってしまう。
「きゃぁっ!」
「葵!?」
妖夢が屋敷から出たとき、正門から、葵の悲鳴らしきものが聞こえてきた。
「どうした、葵。うっ……?」
そこには、数人の男たちがいた。
「離してよ!」
太い腕で手首をつかまれ、葵は身をよじった。
「おまえらは、こないだの賊か……」
「よう。ひさしぶりだな、嬢ちゃん」
賊の頭は、下品な笑いを漏らした。
「夜になってから屋敷を襲おうと思っていたが……」
手下が、これ見よがしに、鉈を葵の顔にあてがう。
「よせ!」
「動くな!」
「っち……」
「こないだは世話になったなぁ? きっちりお返しをさせてもらうぜ」
賊たちは、低く笑って、妖夢をとり囲む。
「待ちなさい」
「幽子様、危険です! 屋敷の中にお戻りください!」
しかし幽子は、悠然と賊たちのまえに歩み出た。
「私が身代わりになります。その代わりに、この子たちには危害を加えないでください」
震える声で言う。
「わかった。じゃあ、姫さん一人で、こっちに歩いてきな」
「頭、いいんですか?」
「ああ。俺たちも、久しく女を抱いてねぇからな。たっぷり楽しんでから、花街に売り飛ばしてやろうぜ」
頭は、下世話な視線で幽子を眺める。
妖夢はそれだけで不快だったが、幽子は、じっと視線を返し、葵のもとへと歩み寄った。
「幽子様……」
葵は涙目で、幽子を見上げる。
幽子は、小さく笑んでみせた。
(くそっ! なにか、武器になるものはないのか!?)
慌てて屋敷を飛び出したため、妖夢は完全に丸腰だった。
周囲に目を配るも、せいぜい、小さな枝とか、石ころくらいしか落ちていない。
(刀を取りに戻る時間も無い……、どうする?)
いよいよとなったら、生身で戦うしかない。
妖夢が覚悟を決めたときだった。
「妖夢っ!」
幽子と交代する形で解放された葵が、懐からなにかを取り出して、投げてよこした。
それがなにかを、頭で理解するよりも早くに、妖夢は地面を蹴飛ばしていた。
短い刀身で、斬りかかる。
「ぐわっ!」
頭は、右腕を押さえた。
ぽたぽたと、朱色の液体が地面にこぼれ落ちる。
「幽子様。こちらへ」
幽子を取り返して、背後にかくまう。
「この女! もう加減はしねぇぞ!」
激高する頭。
手下たちは、依然として妖夢たちを囲んでいる。
逃げるのは難しい。戦うしかない。
妖夢は、眼で賊たちをけん制する。
(さすがに、厳しいか)
こないだと違って、賊たちは油断していない。
葵と幽子をかばいながら、複数の男たちを相手にするのは至難の業だ。
(だが、やるしかない)
妖夢はこないだ、幽子を護ると誓った。
剣士とは、一度立てた誓いを護るものだ。
命を懸けてでも。
「へへっ。いくら腕が立つっていっても、この人数でとり囲めば……、な、なんだてめぇ! ぐぇぇっ!」
刀の鞘が伸びてきて、頭の首を絞めた。
「いい大人が、よってたかって女子をいたぶる様は、見苦しいものだな。このまま、首を掻っ切っても構わぬが……」
力を込めると、頭は目を白黒させた。
「貴様らのような外道を切っては、刀の穢れ」
鞘が離れると、頭は膝をつき、せき込んだ。
「去れ。それとも、なお痛いめを見たいか」
腰に刀を差し、強い眼力で賊たちをにらむ。
「こいつっ……!」
頭はそれ以上、なにも言えなかった。
外道でも、彼がただ者では無いことは、察知することができた。
それほど、彼の構えは迫力があり、かつ、泰然としていて隙が無い。
(あの構えは!)
妖夢の記憶にある影と、彼が構える姿が合致する。
そして、あの人が腰に差している剣と、背負っている剣も、妖夢は知っている。
白楼剣、そして、楼観剣。
魂魄の性を授かった者だけが扱うことができる、二振りの刀。
「妖忌」
「これは幽子様。ご無沙汰しておりました」
賊たちなどには目もくれず、妖忌は深々と腰を折って、幽子に挨拶した。




