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妖が見た夢  作者: 柊ノキ
7/12

罪 ~destiny~

(1)


「そこをどきなさい!」

 紫が叫んでも、相手はひるまない。静かな瞳で、紫を見据える。

 これでは、負け犬が吠えているみたいだ。

「幽子が哀れだと思わないの!?」

「思慮の外」

 という応えに、紫はさらに激高する。

「富士見の家に仕える身でありながら、なんて言いぐさ! 話にならないわ、どきなさい!」

「押し通ると言うのならば、お相手いたす」

 相手は、二本の刀に手をかける。

 隙無く、堂々とした構え。熟練の剣士だけが醸し出せる、泰然たるたたずまい。

 紫といえど、易々とは攻めかかれない。

「貴方の価値観が、わからないわ。賊からは幽子を護るくせに、自害は止めようとしない。なぜ……、なぜ、その力を、正しく使おうとしない」

「正しさなど、求めぬ。私は、己をまっとうするのみ」

 どっしりと腰を下ろし、門のまえに立ちはだかる様は、山のようだった。

「くっ……」

 一歩でも踏み出せば、その瞬間に斬られると確信した。

(勝てない) 

 紫には、勝てない。越えることができない。

 覚悟が違う。

 底にあるものが、違いすぎる。










 紫は、布団から這い出た。

「魂魄、妖忌」

 大きな男だった。

「己を、まっとうするだけ」

 彼が言い放った言葉は、いまでも心に刺さっている。

「言うのは易い。でも、実践するためには、重い覚悟がいる」

 それは、迷いを断ち切った者だけが辿り着くことができる境地だ。

 あの妖忌の弟子に、紫は賭けた。

 妖忌から薫陶を受けた妖夢であれば、「越えて」くれるかもしれない。

 何度と無く繰り返された、あの悪夢の先へ。

「私も、そろそろ動かないといけないわね」

 いつまでも、妖夢にだけ背負わせるわけにはいかない。






(2)


「これは……」

 早朝。

 息を吐けば、霊魂のような白い煙が、自然と口から漏れてしまう時刻である。

 妖夢は屋敷を出て、山中を散策していた。

「どういうことだ」

 山道から外れ、少し歩くと、目の前の景色が揺らいでいる。

 先日、遠くの山の峰が、蜃気楼のようにぼんやりと揺れているのを見つけたが、それに似ていた。

 青白い煙が立ち上り、景色を見とおすことができなくなっている。

「この先は、どうなっているんだ」

「よしなさい。戻って来られなくなるわよ」

「……!」

「その先は、無。比喩では無く、ただの無。この世界に、必要の無い場所。そんな場所に足を踏み入れたら、貴女も必要とされなくなるわよ」

「紫様……」

 そこに、妖夢の見知った顔が立っていた。

 金色の髪と、紫水晶のような神秘的な瞳。

 妖怪の賢者と畏れられている、八雲紫その人だった。

 ひさしぶりに会ったためだろうか。妖夢の記憶の中にある紫とは、少し違っている。それはたぶん、紫が和服を着ているためだ。

「紫様。この世界は、なんなのですか。私は、なぜここにいるのですか」

 疑問をぶつけた。

 紫がここにいるということは、妖夢をこの世界に送り込んだことに、紫も一枚嚙んでいるはずだ。いや、もしかしたら、紫が主犯格ということも考えられる。

「貴女のことは、ずっと見ていた」

 紫は、ゆっくりと唇を動かす。

「貴女は、幽子を見捨てないでね」

「なんのことですか」

 紫は、腹の底を見せることをしない。回りくどい言いかたをしてはぐらかし、本音を隠すのだが、今日は特にひどい。

「じきに、選択するときが来るわ。貴女が正しい道を選ぶことを、私は祈っている」

 どこかへ行こうとする紫の後を、妖夢は追おうとした。

「おい! なんで姿を見せねぇ!」

「!?」

 大音声が響いた。

 そちらに気をとられているうちに、紫は消えていた。

(なんの騒ぎだ?)

 木の陰から顔を出して、声がしたほうを覗き見る。

「あの男、たしか、葵と話をしていた奴だな」

 いつぞや、屋敷の裏手で葵と密談していた、ガラの悪い男だった。

(こんな山の中で、なにをしている)

 刹那。

 どこからともなく矢が飛来して、男の足に突き刺さる。






(3)


「ぐぁっ!?」

 なにが起きているのかわからぬままに、男が片膝をつく。

 足に矢が刺さっているのを見て、やっと痛みの正体を知る。

「な、なぜだ! なぜこんなマネをする! 俺は、右大臣様の命で……、がぁっ!」

 違う方向から矢が飛んできて、胸に命中する。

 妖夢は思わず、顔をそむけた。

「そうか。右大臣の奴め、俺が不要になったか。人間の面をかぶった妖怪め! 成仏しねぇで恨み続けてやるからな!」

「伏せろ!」

 木陰から飛び出した妖夢は、男を押し倒した。

 彼をねらった矢が、木の幹に突き刺さる。

(刺客……、数は三人か)

 目には見えぬ気配を探る。

 空気がざわめいている。刺客たちは、思わぬ助っ人の登場に、当惑しているようだった。

「借りるぞ」

 男の脇差を抜く。

 一刀流は、妖夢の得意とするところではないけれど、真剣であるぶん、賊と戦ったときよりはましだ。

 地面に伏している男は、弱々しく妖夢を見上げる。

 考えるよりも早くに体が動いて、男を助けていた。

 この男とて、周囲の刺客たちと同じ穴の(むじな)で、善人であろうはずが無い。

 しかし、集団で、よってたかって一人の人間を痛ぶるのを、黙って見過ごすことはできなかった。

 殺気が、妖夢に集中してきたのがわかる。

 木の上、あるいは木陰から、妖夢を射抜こうとしている。

「甘いっ!」

 飛来した矢を、刀で叩き落す。

 気を集中し、周囲の空気と、自然と一体化する。

 そうすれば、刺客たちが放つ不自然な殺気を、たやすく察知することができる。

 あとは、己を信じて動けばいい。

 いや、信じるとか、動くとか、そういう意識すら捨ててしまう。

「!?」

 刺客が移動をしようとしたとき、そこに妖夢がいた。

(やられた!)

 刺客がそう悟ったときには、右の手の甲に痛みが走っていた。

 続けざま、別の刺客の右肩を斬る。

「は、早い……」

 違う。

 妖夢が早いのでは無い。

 妖夢の目には、刺客たちの動きが、止まっているほどに遅く映っているのだ。

 だから、常に先手をとることができる。

 跳躍。

 木の上に隠れていた刺客の首に、刀の切っ先を突きつける。

「傷ついた仲間を連れて、帰れ」

 刀を鞘に納め、木から降りる。

 すぐに抜刀。

 木の上から飛んできた矢を、まっ二つにする。

「もう言わないぞ。帰れ」

 納刀した妖夢に矢が飛んで来ることは、無かった。

「大丈夫か」

 そう声をかけたものの、刺客に襲われた男の目からは、生気が失われつつあった。

(助からないな)

 男も、死が近づきつつあることを感じているようだった。

「人の道から外れた生きかたをしてきたからな……。こんな辺鄙な場所で最期を迎えるのは、あたりまえだな……」

「言い残すことはあるか」

「すまねぇ。手間をかけるが、この山の屋敷に住んでいる娘に、右大臣は約束を違えたと伝えてくれ」

 娘とは誰のことか、妖夢はすぐに理解した。

「それと、懐に証文がしまってある。それを娘に渡してくれ。なんの役にも立たねぇかもしれねぇが、あいつらに渡すよりはマシだ」

「たしかに、聞き届けた」

「嬢ちゃんは、慈悲深ぇな。俺みたいなクズを助けて、死に際を看とってくれるなんてよ。いい死にかたをするぜ」

 男は陽気に笑い、息をしなくなった。 






(4)


「妖夢。どこ行ってたの? 私一人で朝餉の準備したんだからね」

 台所に行くと、葵がみそ汁の味見をしていた。

 あんまり怒っていないのは、自分も、たびたび仕事をさぼっている自覚があるからだ。

 それでも、自分一人に仕事が集中しているのが気に入らなくて、口にしてしまう。

 本質的に、葵は妖夢と、ものの感じかたが違うのだなと思った。

「ごめん。目がさえちゃったから、ちょっと散歩でもしようと思って外に出たら、遠出になっちゃって」

「だから、山道から外れたらだめだって、こないだ言ったでしょ」

「うん。気をつける」

 こないだ、といえば、こないだ盗賊と闘ってから、葵の接しかたが元に戻った。

 葵がついて来たのは、企みあってのことと思っていたけれど、変わった様子も無く、妖夢と協力して人足を助けてくれた。

(そりゃ、食料と燃料が届かなかったら、葵だって困るだろうからな)

 しかし、葵への疑念は深まるばかり。

 刺客に襲われた男は、ひとまず杉の葉で隠してきた。後で火葬してやるつもりだった。

 刀は、そのまま拝借してきた。遺品を盗んだみたいで悪いと思ったけれど、この先、なにが起きるかわからないのに、武器が無いのでは心もとない。

「どうしたの? 元気、無くない? 具合が悪いんだったら、休んでていいよ」

 迷いが、顔に出てしまっていたのだろう。葵が心配してきた。 

 盗賊を退治して以来、葵は妙に、妖夢に優しい。

 なにかあれば、妖夢を持ち上げたり、気遣ったりしてくる。

 それもまた、不審。

 そしてその不審は、男から託された証文を読んで、確かなものになった。

(このことを、葵に言うべきか)

 葵は、あの男を通じて、右大臣の謀略に加担している。

 右大臣が約束を反故にするつもりだということを葵に教えないと、葵は、幽子に危害を加える機会をうかがい続けるだろう。

(でも、なぁ)

 刀と一緒に隠してきた証文をつきつけ、葵の非を打ち鳴らすことは、すぐにでもできる。

 だが、そうなったときに、やけになった葵が、なにをしでかすかわからない。

「どうしたのよ。呆けちゃって。やっぱり具合が悪いんじゃないの?」

 葵は、鼻歌を歌って、味噌汁に菜っ葉を入れた。

(あの男、やっかいなものを託してくれた)

 でも性格上、知らないふりをするという選択肢が浮かんでこない、妖夢なのであった。






(5)


 石段を踏みしめる。

 ゆっくり、というよりも、重い足どりで。

(とうとう、来てしまったわね)

 来てしまったもなにも、紫自身が決めたことである。

 決めたのに、いまだに迷っている。

 紫は、望んだ場所に移動できる能力をもっている。

 だが、捨て去ることができない迷いが、自分の足で歩くことを選ばせる。

 無駄な抵抗だ。

 どれだけ遅く歩こうとも、この石段を登って行った先には、白玉楼がある。

 そこに、幽々子がいる。

 会って、話す。

 話さなければならない。

 紫に、妖夢に、幽々子に、なにが起きているのかを。



「しばらくだったわね、元気してた?」

 紫の来訪を、幽々子はことのほか喜んだ。

「そうね、ご無沙汰していたわ」

 勝手知ったるなじみの場所なのに、数年ぶりにこの客殿にやって来たようだった。

 それは、紫が悩んでいる時間の長さ、悩みの深さが、そう思わせるのだ。

 いまだって、親友をまえにして悩んでいる。

 なにから話せばいいのか。

 どう話せばいいのか。

 一番の悩みは、紫が、どんな結末を望んでいるのか、自分でわかっていないことだった。

 どうなるのが最も望ましいのか。

 誰かに喜ばしい結果になったとき、必ず誰かが犠牲になる。

 今回の事件は、丸く収まることは、絶対にありえないのだ。

(それでも、妖夢なら……)

 妖忌から教えを受けた、あの妖夢なら、もしかしたら、この困難を乗り越えてくれるかもしれない。

「紫、お酒が来たわよ」

「ええ……」

 藍が、徳利を運んできた。

「紫と呑むのも、ひさしぶりね」

「ええ……」

「今日は、ゆっくりと呑みましょう。時間は、たっぷりあるもの」

 長い酒席が始まった。






(6)


 朝食を摂っている最中、葵はよくしゃべっていた。

 それを幽子が穏やかに見守り、妖夢は黙って食事をしていた。

「妖夢も、そう思うでしょ?」

「あっ、うん、そうだね」

 葵は頻繁に、妖夢に話題を振ってきた。

 幽子を見本にして、できるだけ穏やかに対応しようと心がけたが、うまくいっているかは不安なところだ。

 葵に対して思うところがありすぎて、彼女に純粋な好意を向けられなくなっている。

 それは、葵に責任があるのだけれど、こういうときにも、妖夢は自分を責めてしまう。

 食事のかたずけをしているときも、食器を洗っているときも、葵は上機嫌だった。

(右大臣との約束を果たせば、家の復興とやらが叶うと思っているからか)

 その旨が記された証文が、妖夢の手にあることを、葵は知らない。

 相手が約束を違えていることも、知らない。

(幽子様のお耳に入れるしかないよな)

 事は、妖夢だけの問題に収まらない。

 一人で抱えていたところで、解決のしようが無い。

「気が重いなぁ」

「なにが?」

「な、なんでもない!」

 危うく食器を落としかけた。

 気鬱さが容量を超えて、体内からこぼれてきてしまった。

(だいたい、私は、駆け引きとか隠し事とか、苦手なんだよ!)

 このまま誰にも相談しなかったら、いずれボロが出てしまうのは明白である。

(すぐにでも、幽子様に話したほうがいいな)

 妖夢は、そう決めた。






(7)


「そうなのね」

 これは、どう反応するのが良いのだろう。

 妖夢の脳が、活動を停止した。

「えーと、ですね……」

 信用していた従者が、裏切りの機会をうかがっていたなんて知ったら、幽子は落胆するに違いない。

 それでも、幽子の耳に入れずにはおけないと、清水の舞台から飛び降りる覚悟で幽子に証文を見せたのだ。

 ところが幽子ときたら、晩御飯の献立を知らされたくらいの反応しかしない。

 この幽子との温度差は、どうやったら埋めることができるのだろう。

「幽子様。この証文は、右大臣とやらの直筆で、葵が事を成した暁には、家の復興を約束するということが記されておりまして……」

 どうしていいかわからなくなった妖夢は、一から証文の説明を始めていた。

「いやだわ。そのくらい、読めばわかるわよ」

 そんな妖夢の様子がおかしかったらしく、幽子は笑った。

「なぜ、お笑いになるのですか。葵は、幽子様の命をねらっているのですよ」

 そして、幽子の命を奪った対価として、没落した家の再興を、葵は願い出ていたのだ。

 幽子を慕っている素振りを見せておきながら、裏では、黒い取引を交わしていた。

 こんな裏切りがあっていいものか。

「妖夢。お願いを聞いてもらいたいの」 

 憤りを抑えきれない妖夢に、幽子は涼やかに言った。

「この証文、刺客に襲われた殿方と一緒に、燃やして。私は、なにも見なかったことにするわ」

「幽子様!」

 とうとう妖夢は、大声を出してしまった。

「いいのよ。葵が、私の命が欲しいというのなら、好きにすればいい」

 それが定めだから。

 と、どこまでも冷静に、とつとつと語る幽子に、妖夢の感情も鎮まり始めた。

(そうだった。どれだけ同情しても、この方は、お亡くなりに……)

 定め。

 人であれ妖怪であれ、抗うこと、変えること、叶わぬもの。

 富士見幽子は、業を背負いながらその生涯を終え、西行寺幽々子へと転生する。

 そして冥界の管理人として、転生すること無く、永遠を生きる。

 それが決まった運命。

 ならば幽子の境遇に同情することは、偽善ではないのか。

(私は、この人に、どんな感情を向ければいいんだ)

 妖夢の心に迷いが生じた。

「葵は、先の大納言様の、娘なのよ」

 幽子の話を、おぼろげに聞いていた。まるでこの世界のことでは無いかのように。

 それでも頭は働いていて、点と点だった情報をつなぐ。

 葵が約束していた家の復興というのは、大納言の家のことだったのだ。

 突如、大黒柱である家の主人が亡くなってしまったため、跡を継ぐ者も決まらぬまま、政事の表舞台から退場させられた。

「葵の父を、先の大納言様を害したのは、私なの」

 それが、幽子が背負っている業であった。






(8)


「葵の父だけでは無いわ。先の右大臣様も害した」

 幽子の告白は続いた。

 小鳥が、屋敷の屋根にとまってさえずってる。

 太陽がてっぺんまで昇ると、暖かな日差しが屋敷の庭に降り注いでくる。

 季節の変動を感じる。

 庭に一本だけ生えている桜の木は、小さいながら、花のつぼみをふくらませていた。

 幽子は縁側から、あの桜の木を眺めている。

 あの桜が花を咲かせるところを見ることは、できないだろう。

「信じられないかもしれないけれど、私は、特殊な力を持っているの」

 それは幽々子に引き継がれる能力だった。

「幼いころから、死霊を見ることができたわ。それがおもしろくて、死霊たちと遊んでいるうちに、死霊を従えることができるようになっていた。そしてある日、死霊の一人が私にささやいた。憎い相手はいませんか、と。もしいるのなら、こちらの世界に引き込んでさしあげましょうか、と」

 幽子が望みさえすれば、生者をたちどころに、あの世へ送ることができる。

 成長して大人になるにつれて、幽子の能力も成長していたのだ。

 いっさいの抵抗を許さずに、他人の生死を思うままに操ることができる。それが幽子と幽々子が持つ、特異な能力だった。

「こんな能力、なんの役にも立たない。人を害することしかできない。私は、この能力は絶対に使わないと決めた」

「では、なぜ……」

「いまの帝様は、政事に興味がおありでは無いの。民草が飢餓に飢え、多くの命が失われているのに、官僚たちの間では賄賂が横行して、民の生活など顧みずに贅沢をしている。そして民衆に配るべき食料を役人が横領しても、咎める者はいなかった」

 哀しそうに、幽子は言う。どれほど構造が歪んでいても、正しくない行いが公然とまかりとおっていても、権力の無い者には触れることができない世界がある。それが、この時代の宮中だった。

「あの方は、おっしゃった。私が地位を得た暁には、政事を正してみせましょうと。たった二人の命と引き換えに、幾千の民を救うことができるのだと」

「あの方というのは、この証文をしたためた、右大臣ですか?」

「そのとおりよ。民の憤りを代行できるのは、私しかいないと誘ってきたの。詭弁だし、偽善だわ。命を天秤にかけることなんて、人間がしていはいけないことだったのよ」

 幽子は侮蔑していた。右大臣をではなく、右大臣の口車に乗ってしまった自分をだ。

 その後、右大臣は、幽子の力を利用して政敵を排除し、権力を得たとたんに、態度を変えた。

 さらに幽子の力を恐れ、この屋敷に幽閉し、自分の名に傷が付かぬよう、葵を使って幽子を亡き者にしようと画策し始めたのだ。

 刺客に襲われたあの男も、幽子も葵も、権力者に振り回され、人生の歯車が狂った。

「そんな話、あんまりです」

 いけない。

 この人に、こんな感情を抱いてはいけない。

(だから私は、幽子様に近寄らないようにしていたのに)

 こうして、幽子から細かな事情を聞いてしまったら、手を差し伸べずにはいられなくなってしまうかもしれないから、幽子には近づかないようにしていたのだ。

 冷静にならなくてはいけない。

 運命を受け入れなければならない。

 定めに、従わなくてはならない。

 だけど、情念が湧き上がってくるのを、止めることはできなかった。

「悪いのは私なのだから、自業自得よ。民の生活のことなんて、本当はどうでも良かった。心のどこかで、死霊の誘いに乗ってみたい、能力を使ってみたいと思っていたんだわ。だから、悪い誘を断ることができなかった」

「ご自分を責めすぎです」

「いいのよ。どんなにとりつくろっても、私が葵の父を害したことは変わらない。だから、葵に葬られるのなら、本望だわ」

 幽子は、あきらめきった顔をしていた。

「葵が、懐に短刀をしのばせているの、知っている?」

「短刀というと、人足を助けたときに使っていた……」

「そう。あれは、葵の家に伝わる家宝なのよ。あの短刀で、いつか私のことを……」

「知っていたんですか」

 廊下の奥から声がした。

 幽子の話に聞き入っていたので、他人の気配にまったく気がつかなかった。

「幽子様。知っていたんですか」

 小刻みに、葵の体が震える。

 秘密を知られてしまった恐怖というよりも、悲しんでいるように感じた。

「葵。私は、とり返しのつかないことをしたわ。こんなちっぽけな命で葵の気が済むのなら、いつでも差し出すわ」

 葵は、目じりに涙を溜めていた。

「幽子様なんて、嫌いっ!」

 目から光るものを流しながら、葵は駆け出した。






(9)


「葵!」

「幽子様、私が」

 妖夢は葵の後を追ったが、すでに葵の姿は消えていた。

 台所をのぞいてみたが、そこには誰もいなかった。

「まさか、屋敷の外に出たのか?」

 じゅうぶんに考えられることだった。

 じきに日が暮れる。

 急いで捕まえないと、夜になってしまう。

「きゃぁっ!」

「葵!?」

 妖夢が屋敷から出たとき、正門から、葵の悲鳴らしきものが聞こえてきた。

「どうした、葵。うっ……?」

 そこには、数人の男たちがいた。 

「離してよ!」

 太い腕で手首をつかまれ、葵は身をよじった。

「おまえらは、こないだの賊か……」

「よう。ひさしぶりだな、嬢ちゃん」

 賊の頭は、下品な笑いを漏らした。

「夜になってから屋敷を襲おうと思っていたが……」

 手下が、これ見よがしに、鉈を葵の顔にあてがう。

「よせ!」

「動くな!」

「っち……」

「こないだは世話になったなぁ? きっちりお返しをさせてもらうぜ」

 賊たちは、低く笑って、妖夢をとり囲む。

「待ちなさい」

「幽子様、危険です! 屋敷の中にお戻りください!」

 しかし幽子は、悠然と賊たちのまえに歩み出た。

「私が身代わりになります。その代わりに、この子たちには危害を加えないでください」

 震える声で言う。

「わかった。じゃあ、姫さん一人で、こっちに歩いてきな」

「頭、いいんですか?」

「ああ。俺たちも、久しく女を抱いてねぇからな。たっぷり楽しんでから、花街に売り飛ばしてやろうぜ」

 頭は、下世話な視線で幽子を眺める。

 妖夢はそれだけで不快だったが、幽子は、じっと視線を返し、葵のもとへと歩み寄った。

「幽子様……」

 葵は涙目で、幽子を見上げる。

 幽子は、小さく笑んでみせた。

(くそっ! なにか、武器になるものはないのか!?)

 慌てて屋敷を飛び出したため、妖夢は完全に丸腰だった。

 周囲に目を配るも、せいぜい、小さな枝とか、石ころくらいしか落ちていない。

(刀を取りに戻る時間も無い……、どうする?)

 いよいよとなったら、生身で戦うしかない。

 妖夢が覚悟を決めたときだった。

「妖夢っ!」

 幽子と交代する形で解放された葵が、懐からなにかを取り出して、投げてよこした。

 それがなにかを、頭で理解するよりも早くに、妖夢は地面を蹴飛ばしていた。

 短い刀身で、斬りかかる。

「ぐわっ!」

 頭は、右腕を押さえた。

 ぽたぽたと、朱色の液体が地面にこぼれ落ちる。

「幽子様。こちらへ」

 幽子を取り返して、背後にかくまう。

「この女! もう加減はしねぇぞ!」

 激高する頭。

 手下たちは、依然として妖夢たちを囲んでいる。

 逃げるのは難しい。戦うしかない。

 妖夢は、眼で賊たちをけん制する。

(さすがに、厳しいか)

 こないだと違って、賊たちは油断していない。

 葵と幽子をかばいながら、複数の男たちを相手にするのは至難の業だ。

(だが、やるしかない)

 妖夢はこないだ、幽子を護ると誓った。

 剣士とは、一度立てた誓いを護るものだ。

 命を懸けてでも。

「へへっ。いくら腕が立つっていっても、この人数でとり囲めば……、な、なんだてめぇ! ぐぇぇっ!」

 刀の鞘が伸びてきて、頭の首を絞めた。

「いい大人が、よってたかって女子をいたぶる様は、見苦しいものだな。このまま、首を掻っ切っても構わぬが……」

 力を込めると、頭は目を白黒させた。

「貴様らのような外道を切っては、刀の穢れ」

 鞘が離れると、頭は膝をつき、せき込んだ。

「去れ。それとも、なお痛いめを見たいか」

 腰に刀を差し、強い眼力で賊たちをにらむ。

「こいつっ……!」

 頭はそれ以上、なにも言えなかった。

 外道でも、彼がただ者では無いことは、察知することができた。

 それほど、彼の構えは迫力があり、かつ、泰然としていて隙が無い。

(あの構えは!)

 妖夢の記憶にある影と、彼が構える姿が合致する。

 そして、あの人が腰に差している剣と、背負っている剣も、妖夢は知っている。

 白楼剣、そして、楼観剣。

 魂魄の性を授かった者だけが扱うことができる、二振りの刀。

「妖忌」

「これは幽子様。ご無沙汰しておりました」

 賊たちなどには目もくれず、妖忌は深々と腰を折って、幽子に挨拶した。




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