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妖が見た夢  作者: 柊ノキ
4/12

以前~long ago~

輝夜と阿求が同居している設定については、別のお話にて。

(1)


 紫は、幻想郷を見つめていた。

 澄んだ空気に混じる、少しの人間(けがれ)

 そして妖怪は、人間の命を奪って穢れを払う。

 かつての世界がそうであったように、幻想郷も、そうして均衡を保っている。

 それが健全な秩序であるかどうかは別だが、紫は、人間と人外の者との匂いが混ざり合う、この世界の空気が好きだった。

 紫は頬杖をつきながら、愛して止まない幻想郷の景色を、飽きもせずに眺めていた。

 青空を、鳥たちがのびのびと泳いでいる。

 その中に、烏天狗や妖精も混じっていて、博麗神社の境内に降り立つと、霊夢となにごとか言葉を交わしている。

 朝からずっと、神社の屋根の上に座っているが、人間が博麗神社に参拝する様子は、まったく見られない。

 霊夢は、不思議と妖怪に人気があった。

 博麗神社には、人外の者ばかりが集まってくる。居候みたいに、神社に居つく妖怪までいる。

 そのため、人間が近寄りにくい場所になってしまった。

 霊夢は、おもしろい人間だ。

 肝が据わっていて度胸もあるし、人間にしておくには惜しい逸材だ。

(いっそ、霊夢に、このことをうち明けてしまおうかしら)

 紫は思いつめていた。

 今回の件は、紫をしても、気の迷いが生じてしまいそうなくらいに重かった。

(情けないわね……)

 妖怪の賢者と称される明晰な頭脳。

 幻想郷という、大きな箱庭を創造することができる、強大な力。

 無敵に見える八雲紫であっても、弱点というものは存在するのだ。

「藍の料理が食べたいわね……」

 妖怪である紫は、文化的な食事を必要としない。だが、思考に耽るのに疲れてきたのか、紫の脳は、楽しいことを求め始めた。

「それに、橙を甘やかしたいわ……」

 ばたばたとどこかに出かけ、かと思ったら、ばたばたと帰って来る。あの気まぐれな猫の妖怪は、実に甘やかし甲斐がある。ただ、こんなに中毒性があるとは知らなかった。 

 いま藍と橙の二人は、白玉楼におもむいている。

 藍は、幽々子の身の周りの世話をするために。橙は、幽々子の精神安定剤として。

 二人がいない家は、がらんとしているので、余計にさみしい。

 だからこうして、博麗神社の屋根の上でたそがれている。

(それにしても……)

 おいしいものを食べたいとか、子どもをかわいがりたいとか、これじゃまるで、人間のようじゃないか。

 これしきのことで頭を悩ませて、心が重くなるなんて脆弱な。賢者の称号なんて返上してしまえ。 

 と自分を責めてみたところで、心が晴れるわけではない。

 空はこんなにも青いのに。






(2)


「紫―。いつまでそんなところにいるのよー」

 たそがれていた紫に、霊夢が呼びかける。

 違う世界から現に戻ってきたことをたしかめるように、霊夢の姿を瞳に映す。

 そしてまた空を見上げる。

 山の向こうに、薄い衣のような雲がかかっている。

(おぼろ雲……)

 雨が降る前兆だった。

 冷たく乾いた風の中に、かすかな湿り気を感じる。

 凍てつくような氷雨が降る時期が終わる。

 じきに、しっとりとした雨が降りそぼる。

 それは、冬が終わる合図。

 そして幻想郷に、春がおとずれる。

 季節の変わりめを示す、かすかな予兆。

 紫はそれを見逃すことは無い。

 なぜならば、紫にとって、幻想郷は絶対的な信仰の対象であり、おおいなる愛情をそそぐべき子どもであるから、変化に気がつかない道理が無い。

 紫は、ふわっとスカートをたなびかせながら、境内に降り立った。

「まるで猫みたいに、ずっと日向ぼっこしてたわね。そんなに屋根の上が気に入ったの?」

「猫といえば、例の、永遠亭の……」

「あの妖怪だったら、珠枝(たまえ)って名づけられて、輝夜と阿求が猫っかわいがりしてるわよ」

 兎にも猫にも姿を変える妖怪を猫っかわいがりとはややこしい。変な妖怪が生み出されたものだ。

「名前が付いたら、いよいよ自我が確固たるものになるわね」

 妖怪は、精神体だ。

 現実に存在しているようでしていない、曖昧な存在なのだ。

 だが、名前が付与され、性格や容姿が認識されれば、強く現世と結びつくことができる。

 そうしてこれまでも、多様な妖怪が生まれてきた。

「そうね。いわゆる、一匹妖怪ってやつね」

「幻想郷じゃ、めずらしくもないけれどね」

 紫は自虐をした。

 一匹妖怪というのは、名前それ自体が種族の名称になる。

 八雲紫という妖怪がそうであるように。

 それだけ聞けば、希少種のように錯覚するけれど、そういう妖怪は、幻想郷にごろごろいる。

「幻想郷の人間たちは、不可解なことが起きたら、妖怪のせいにしちゃうからね」

 例えば、家の鍋が無くなったことを妖怪のせいにすれば、妖怪、鍋隠しという、非常にニッチな妖怪が誕生する。厠に備えつけてある紙が、いつの間にか切れていることを妖怪のせいにすれば、厠の紙を勝手に使い切ってしまう、たいへんに迷惑な妖怪が生まれる。

 このくらいならば笑い話で済むが、

「幻想郷に危害を加えるような妖怪が生まれたら、笑っていられないわよ」

 そうなれば、霊夢が退治に乗り出さないといけない。

 だから霊夢は、人外の存在が生まれることを警戒しているのだった。

(本来ならば、霊夢に話すべきなのでしょうけど……)

 今回のことは、紫だけで処理すると決めていた。

 霊夢から視線をそらせば、自然、顔は上に向く。

「そんなに見つめたら、空に穴が開くわよ」

 朝っぱらから、空ばかり見上げている紫が、霊夢はおかしいようだった。

「おぼろ雲ね」

 山の向こうに、薄い雲がかかっているのを、霊夢は見逃さなかった。

 霊夢も、紫と同じ。

 幻想郷の秩序を守る博麗の巫女にとっては、幻想郷は、子ども同然であるのだ。

 だから霊夢も、幻想郷の変化を敏感に感じとることができる。

 だから紫は、霊夢と視線を交わらせることを避けるのだった。






(3)


「藍ちゃーん! お酒お代わりー!」

 幽々子は親指と中指で徳利を弄びながら、酒の代わりを所望した。

 すると藍は、苦々しい顔で主客殿の襖を開けた。見れば、幽々子は足を崩してすっかりくつろいでいて、着ものも鎖骨が見えるくらいにはだけている。

「幽々子様。あまり羽目を外しすぎませんようお願いいたします」

 藍が、机の上に散乱した徳利や料理の皿を、おぼんに乗せながら小言を言う。

 しかし幽々子は、わずかに徳利の中に残っていた酒をお猪口にそそいで、

「いいじゃない。どうせこの身は亡霊なのだから。いくら吞んでも食べても、体を壊すことは無いもの」

 ほがらかに笑う。

「それに、藍ちゃんのご飯、すごくおいしいから、お酒も進んじゃうのよね」

 小鉢の里芋の煮つけを、器用に箸で割きながら、口に運ぶ。

(うぅ……。それは、朝食のために作り置きした煮ものなのに……)

 藍が整えた夕食は、すでに綺麗に平らげられていた。

 それで幽々子が満足しなかったので、藍はしかたなく、追加で里芋の煮ものを膳に乗せたのだった。

「心がけのことを申し上げております。自堕落な生活は、心を蝕みます」

 しかし、これ以上は、いくら幽々子がもっと食べたいと言ってきても、妥協しない覚悟であった。

 煮ものと同じく、明日の朝食用に作り置きしている金平ごぼうは、絶対に死守しなければならない。従者の朝は、忙しいのだから。

「橙も。そんなところで寝ていたら、幽々子様に失礼じゃないか」

 幽々子の膝の上に頭を乗せて、橙がまどろんでいた。

 藍は、橙の体をゆすって起こそうと手を伸ばしたが、

「いいじゃない。気持ち良さそうにうとうとしてるんだから、邪魔しちゃかわいそうよ」

 幽々子がそれを止めた。

「しかし……」

「いいのよ。もう妖夢は、こんなふうに甘えてくれなくなっちゃったし」

 幽々子は、橙の茶色い髪を指先で撫でた。

(そりゃ、そうだろうな)

 妖夢も藍も、いっぱしの妖怪になった。

 たまに精神が不安定になることもあるし、誰かに甘えたい気持ちになるときもある。

 だが、一定に分別がつくようになると、そういう気持ちを、主人に向けることは無くなる。

 主従関係にあるから。ということもあるけれど、それはタテマエも孕んでいて、主人に甘えたり弱みを見せるのが、恥ずかしいのである。

 だから。

「甘えたいときに甘えさせてあげたらいいわよ。まだ幼いと思っていても、すぐ大人になって、私たちから離れていくんだから」

 という幽々子の言葉にも、一理あるなと思えるのだ。

「幼い子たちの成長を見守るのは楽しいけれど、自分は歳を取らないって自覚しちゃうから、さみしくもあるのよね」

 冥界の管理を任されている幽々子は、年齢を重ねることは無い。

 幽々子の体は、時間が止まっているかのように、美しい容姿と豊かな体系を維持し続ける。

 生涯を終えることは無く、魂が転生することも無い。

 不死の体を持つ幽々子は、幻想郷が滅びでもしない限りは、永遠に冥界の管理人を務め続けるのだ。

「たまに、思うのよね」

 幽々子は、自分の手のひらを見つめた。

「私が私になるまえは、なにをしていたのかなーって」

「……」

 藍は、どう応えて良いかわからず、食器を乗せたおぼんを持ったまま、その模様を眺めていた。







(4)


(幽々子様だ……)

 間違い無い。

「体が良くなるまで、ゆっくり休んでいきなさい」

 そう言って、自室に戻って行った女性は、全体的に幽々子よりも線が細く、おしとやかで達観した印象だった。

 容姿こそ、妖夢が知っている幽々子とは別人。

 しかし、内包している気は、幽々子と寸分の違いも無い。

(私が、幽々子さまの気を見間違うはずが無い)

 幼いころからずっと、幽々子に仕えているのだから。

「はぁ……。頭がこんがらがりそうだ」

 幽々子と同じ気をまとっているあの女性は、誰なんだろう。

 状況を整理しようにも、わからないことばかりで、推理のとっかかりが見当たらない。

 布団にくるまって、天井を見上げた。

 手入れが行き届いていないのか、天井の端っこに、小さな蜘蛛の巣ができていた。

(う……、気になる)

 職業病というやつであろう。

 妖夢は、自分の置かれた状況よりも、部屋の掃除が完璧でないことのほうが気になってしまった。

(あと、庭も……)

 さっき、ちょっと縁側に出たときに、屋敷の庭を見てしまった。

 最低限の仕事はしているみたいだけど、秩序のある庭とは、とても言えなかった。

(あの、葵っていう子が従者っぽいけど)

 他に、使用人はいないのだろうか。

 そうだとしたら、女の子一人で、主人の世話から屋敷の手入れまですべてこなすのは大変だ。細かいところにまで手が届かないのは、しかたが無い。

 白玉楼の管理を一手に担っている妖夢には、その苦労がよくわかった。

「手伝うか」

 一宿一飯の恩義。

 倒れていた妖夢を介抱してくれたのだから、なにかしら恩返しをしないといけない。

 それにどうせ、横になっていても、いろんなことが気になって眠れないだろうし。

 布団から抜け出し、縁側を渡って葵を探した。

 それなりに広い屋敷だし、どこになんの部屋があるのかわからないから、見知らぬ街を歩くみたいに、きょろきょろと周囲を見渡しながら歩いた。

「土間は、こっちかな? ……っ!?」

 背後に嫌な気配を感じた。

 反射的に床を蹴って、その気配と距離をとる。

 腰の刀に手をかけようとするが。

(しまった! 白楼剣も楼観剣も無いんだった)

 いまの妖夢は、武器を持たぬ丸腰だった。

(まずいか、これは……)







(5)


「なに……、してるの?」

 そこにいた人は、やっと絞り出して言う。

「あっ……」

 背後に化けものでもいるのではないかと思っていたので、妖夢は困惑した。

 妖夢と同じくらいの背丈の女の子が、それこそ化けものでも見たかのように、恐怖で体を震わせている。

「ご、ごめん」

 葵は、妖夢の尋常で無い反応速度に、びっくりしたのだろう。

 鍛錬を積んでいるうえに、半分、妖怪の体を持っている妖夢だ。その動きは、人間である葵を驚かせるには、充分すぎた。

「なにしてるの」

 葵は、今度ははっきりとした声を発した。

「寝てるだけなのもなんだから、家事を手伝おうかと思って」

 すると葵は、不快そうに眉を動かした。

「いいわよ。幽子さまのお世話は、私の仕事なんだから」

 自分の領分を侵されることを、嫌っているようだった。

「うん。それはわかってるよ」

 でも、葵一人では、細かいところにまで手が回っていないのは、明白だ。

「私は、言われた仕事を手伝うだけにするから。それならいいでしょ」

 葵は、表情を和らげることは無かったが、やがて、はーっと息を吐いた。

「わかったわよ」

 一人だけでは限界があると自覚していたのだろう。案外、すんなりと妖夢の提案を受け入れてくれた。

「それじゃあ、これからお昼ご飯を作るから、手伝って」

「もちろん」

 妖夢がほほ笑みかけると、ようやく、葵の顔から険しさが消えた。

(あれ?)

 ふと、妖夢はいまの会話を振り返った。

「ちょっと待って。幽子さまって言った!?」

「は?」

 葵は、なにを当然のことを言っているんだろうといった様子だった。

 しかし妖夢にとっては、由々しき事態である。

「言ったわよ。だって私は、富士見幽子さまにお仕えしてるんだから」

 幽子。

 富士見、幽子。

 それは、幽々子の前世の名前だった。


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