違和感~mystery~
(1)
「そろそろ、はっきりした返事をしてほしいわね」
「考え直す気は無いの?」
「くどい」
彼女は座を立った。
「西行妖の場所は特定したわ」
「それは、脅し?」
「お好きなように解釈したらいいわ。私は、私のやりたいようにやるだけよ」
部屋から出て行こうとする。
「わかったわ。協力する。その代わり、この幻想郷で、表立って動くのはやめて」
「ようやく腹を決めたみたいね。ずいぶん慎重になったのね」
「おかげさまで」
皮肉を込めて、言う。
「といっても、不確定因子を出すくらいしか、できることは無いわよ。それがどういう結末をもたらすのかは、わからない」
「結構よ」
彼女は口角を上げ、自信満々に笑む。
「それで上手くいかなかったら、上手くいくまで繰り返せばいいのだから」
それまで、こいつにつき合わないといけないのかと思うと、紫はめまいがしそうだった。
(2)
「私は悪くありません! 輝夜さんが強情なのが悪いんです!」
「なに言ってるのよ! もとはと言えば、阿求が変なことを言い出したんでしょ!?」
「あー、もう。うるさいうるさい」
二人の女性に板挟みになっていた霊夢は、両手の手のひらで、耳を塞いだ。
「なんの騒ぎ?」
紫がやって来ても、蓬莱山輝夜と稗田阿求は気がつかない。
人里から離れ、竹に囲まれた閑静な場所であるはずの永遠亭に、二人の怒声が響き渡る。
言い合いを続けている輝夜と阿求の足元で、一匹の猫が大きなあくびをしていた。
「あら。いつから猫を飼い始めたの?」
紫は猫を抱き、頭を撫でた。
かわいい。
表情にこそ出さないが、実に癒される。
「あら?」
猫は、紫の腕にくるまりながら、姿を変化させた。
それまでは、小さな茶トラ猫だったのに、肌はみるみる白くなり、かわいらしく動いていた小さな耳は、にょきっと長くなる。
この生きものは……、
「兎ね」
「兎よ」
耳にあてがっていた両手を、腰に移動させて、霊夢。
「なんなの、この子」
「こいつらが生み出しちゃったのよ」
霊夢の言う、こいつら、とは、消去法で、延々と言い争いを続けている、阿求と輝夜しかいないだろう。
しかし解せない。
「生み出したって……、蓬莱人と人間とが交わって、猫か兎かどっちつかずの動物が生まれたってこと? まるでおとぎ話だわね」
「紫、あんたボケてんの?」
「だって、生み出したということは、そういうことじゃない」
生命が生まれるには、愛の営みが必要不可欠。
であるから、輝夜と阿求の共同作業によって、この不思議な生きものが生まれたとしか解釈のしようが無い。
「共同作業って言えば、そうかもしれないわね」
ただしそれは、愛の営みなどとは真逆の行為であった。
阿求は現在、永遠亭で居候生活を送っていた。
ところが、阿求と輝夜はことのほか折り合いが悪く、毎日のように口喧嘩をしていた。
それが、どちらの意見が正しいかを決めるものならば、まだいい。
この二人の場合、気に食わない相手のことを言い負かしたいだけだから、ひとたび喧嘩が始まってしまえば、収拾がつかなくなるのである。
「で、今日は、天井の木目よ」
「はぁ、木目」
「天井の木目が、猫の形に見えるか、兎の形に見えるかで揉めてたんですって」
言われて紫は、靴を脱いで、輝夜と阿求が寝起きしている、奥の間の天井を見上げた。
そこには、シミのような木目があって、なるほど、動物かなにかに見えないことも無い。ただそれは、言われてみれば、という程度で、パッと見てこれだと断定することはできない。
だが輝夜と阿求の二人は、自分の見立てこそが正しいと、激しく主張してしまったのだ。
「やっとわかったわ。二人の言霊が、この子に自我を与えてしまったのね」
紫は、その子……、いまは兎の姿をしている妖怪の、つぶらな瞳をのぞき込んだ。
命を吹き込まれたばかりの幼い妖怪は、紫はいったい、なんのことを言っているのだろうと言いたげに、きょとんとしている。
「生まれちゃった子に、罪は無いわねぇ。幻想郷で受け入れるほかに無いでしょう」
「そういうことよ」
霊夢は、めんどうくさそうに前髪をかき上げて。
「こうなったからには、あんたたちが責任をとってこの子のめんどうを見なさいよ!」
口論をしていた輝夜と阿求を一喝した。
「まったく……、なんであいつら、仲が悪いのに同居してるのかしら」
「でも霊夢。あのくらいなら、かわいいものじゃない」
幻想郷では、強い思念が具現化し、自我を持つことがある。輝夜と阿求の口論によって生まれた、あの小さな妖怪のように。
それが、善い妖怪であっても、悪い妖怪であって、幻想郷は受け入れる。
幻想郷は、残酷なまでに、すべてを受け入れてしまう。
そんな世界だからこそ、妖怪たちは姿形をとどめていられるのだ。
眉をしかめる霊夢を、紫がなだめる。
「そう言うけどね。幻想郷の連中は、自分が強い力を持ってるって自覚が無いのよ。本人は、ちょっとしたことだって思ってても、それが大きな異変の引き金になることだってあるわ」
「そう……、かもしれないわね」
「?」
それまで、怒りをぶちまけようとしていた霊夢だが、紫の顔を見るなり、急に冷静になった。
「紫、あんた、なんかあったの?」
反射的に、紫は霊夢と目を合わせないようにした。
「それに、永遠亭くんだりまで出張ってくるなんて、なにか用事だったんじゃないの?」
矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「博麗神社に行ったら、貴女がこっちにいると言われたのよ」
それは質問に応えているようで、答えてはいない。
霊夢もそれを察しながら、深掘りをしなかった。
底無しの紫の腹を覗こうとしたら、どんな深淵が顔を出してくるかわからないからだ。触らぬ神に祟りなし、である。
「霊夢の顔も見れたし、私はここで失礼するわ」
紫は一方的に会話を終わりにしてしまった。
「あいかわらず、なにを考えてるかわからない奴」
スキマの中に消える紫を、霊夢は涼やかな表情で見送った。
(2)
妖夢は夢を見ていた。
師である妖忌と自分が、剣術の手合わせをしている。
実際に師と木刀を交えているのは、別の妖夢だ。
本物の妖夢は、そこにはいない。
師に声をかけることも、自分に助言することも叶わず、ただ、二人が手合わせをしているのを眺めているだけだ。
妖忌とは、十合以上も打ち合えたことが無い。妖忌が手加減をしてくれたにもかかわらず。
案の定、夢の中の妖夢は、あっさりと木刀を弾き飛ばされていた。
(私の動きは拙いなぁ……)
あれは昔の自分だ。
もし、いまあの自分と交代できたなら、もっとまともな戦いができるのだろうか。
そんなことを考えても、栓の無いことだ。
もはや妖忌とは、手合わせどころか、会うことすらできないのだから。
だが、妖夢にとっては、師匠とどれだけ打ち合えるかが、実力を図る唯一のものさしなのだ。
だから、あの自分と交代して、師匠と相まみえてみたいという欲求を抑えることができなかった。
稽古が終わると、妖夢は妖忌に聞いた。
「私に足りないものはなんですか?」
師匠は応えた。
「すべてだろうな」
と。そして、
「私も、すべてが足りない」
そう付け加えて穏やかに笑った。
「うぅん……?」
師の真意が理解できず、妖夢が悩まし気に声を漏らす。
するといつしか、過去の自分と重なり合っていて、一人の妖夢になっていた。
師の言葉の意味は、あのころから今に至るまで、理解できていない。
(そうか。だから、過去の私と重なったのか)
ぼんやりとした意識の中、妖夢は、過去と現在の自分の区別が無くなった理由を、そう解釈して納得した。
「ん……。うぅ……」
また声を漏らした。
その声に自分で反応をして、眠りについていたことに気づく。
ゆっくりと目が開いていくと、景色が霧のようにかすんでいる。眠るまえの景色にそっくりだ。
「あっ。やっと起きたー」
妖夢の耳に、いかにも奔放で、天真爛漫そうな声が入って来た。
その雰囲気に、一瞬、
(幽々子様?)
と思ったが、ちょっと考えれば、声質がまったく違うことに気づけたはずだ。どうも思考がはっきりとしない。
これは、かなり深い眠りについていたようだ。
「おはよう。って言っても、もうお日さまが高いけどね」
「ん……」
身を起こした妖夢は、声がするほうに顔を向けた。
ぼやーっとだが、青空のような、鮮やかな水色が目に飛び込んで来る。その人の着ものの色だった。
次に妖夢は、天井を見つめ、そして周囲をきょろきょろと見渡した。
和室だ。
(でも、白玉楼じゃない。別の場所だ)
意識がはっきりとしてきたおかげで、それはすぐにわかった。
でも、空気とか、匂いとか、雰囲気とか……。肌で感じるなにかが、懐かしさを覚えさせる。
妙な感覚だった。
(3)
「起きられる?」
その女の人は、妖夢が寝ている布団の隣に正座していた。
体を起こそうとしている妖夢の背中に手を回してくれた彼女は、澄んだ青空みたいな、綺麗な瞳が印象的だった。
背丈は妖夢よりも少し低くて、 年齢もかなり若い……、というか、幼さすら感じさせる顔立ちだった。妖夢のように、髪が肩まで届かない、切りそろえたぱっつん頭がよく似合っていた。
「お茶でも持って来ようか? どこか悪いなら、薬湯も用意できるよ」
「ありがとう。だいじょ……」
言いかけてやめた妖夢は、手をついて、ゆっくりと立ち上がってみた。
大丈夫というのは、深い眠りにつくまでの自分なのであって、いま、自分がどういう状態なのか、まだ把握できていない。
しっかりと二本の足で立ち、寝間着を整えてから、まだ少しだけ頭がぼーっとすること以外は、特に問題が無いことを確認した。
「うん。どうやら大丈夫みたい」
「そう。良かった」
その子は、ころころと無邪気に笑った。
「あっ……」
「どうしたの?」
「いや……」
落ち着きをとり戻した妖夢の頭には、様々な疑問が湧き上がってきた。
目のまえにいるこの子は、誰なのか。
自分は、なぜここに居るのか。
どのくらい眠っていたのか。
そもそも、ここはどこなのか。
様々な選択肢がある中で、妖夢が選んだのは……。
「私の刀は?」
という質問だった。
なぜだか、二振りの愛刀が恋しかった。祖父の夢を見たからかもしれない。
「刀?」
彼女は、ほっぺに人差し指をあてて考え込んだ。
「そう。刀。一緒じゃなかった?」
妖夢が質問を重ねると、彼女は黒髪を揺らしながら首を振った。
「貴女は、昨日の夜、屋敷の前で倒れてたの。少なくてもそのときには、なにも持ってなかったよ」
「そっか……」
「荷物……、っていうか、貴女のものは、それだけ」
その子が指をさした先を見てみると、枕元に、妖夢の稽古着が綺麗に畳んで置かれていた。
「えっ? これ?」
「そうよ」
「念のために聞いておくけれど、私が倒れていたとき、服は着ていた?」
「まだ寝ぼけてるの?」
幼子らしく、邪気の無い笑みを浮かべていた彼女の顔が、一気に曇った。
眉間にシワを寄せて、変なものを見るような視線を妖夢に送ってくる。
妖夢自身、変なことを聞いている自覚があったので、そんな顔をされるのはしかたが無いのだけれど……。
ただ、彼女のその反応で妖夢は確信した。
彼女が妖夢を見つけたときに着ていたのは、この稽古着なんだと。
でも、眠るまえは、間違い無くいつもの服を着ていたはずだ。
(いったい、どういうことだ?)
どうにもこうにも、妖夢の頭だけでは理解できないことばかり起きる。
(4)
「貴女、名前はなんていうの?」
「えっ? こっ……、妖夢。あやかしに夢って書いて、妖夢」
妖夢は咄嗟に苗字を隠した。
まだ自分の置かれた立場は理解できていないが、不可思議なことが起きているのは間違い無いので、不用意に素性をあかすべきではないと思ったのだ。
だから本当は、名前も偽名を使いたかったのだけれど、急に聞かれたものだから、そこまでは気が回らなかった。
「へー。不思議な名前だねー。私は葵」
「葵か。いい名前だね」
「それじゃ、お茶を持って来るからゆっくりしてて」
「いや。目を覚ましたいから、風に当たってるよ」
「そう? それじゃ、開けたままにしておくねー」
そうして葵が障子を開け放つと、懐かしい匂いがする風が、部屋に舞い込んで来た。
妖夢は縁側に出た。
風が冷たい。
幻想郷は、もう春になるはずだ。
だが「この場所」はどうだろう。
空をおおっている灰色の雲から、いまにも雪が降ってきそう。
屋敷の庭の草木は、冬眠についたままで、開花の気配を感じられない。
春の気配が近づいている幻想郷とは、まったく異なる季節感であった。
「やっぱり、おかしいよな」
ぐるぐると肩を回した妖夢は、ぐーっと伸びをして、体で空気を感じた。
幻想郷と似ているけれど、どこか違う。
自分が本来、存るべき場所のような懐かしさを覚えながら、この世界を拒絶している自分もいる。
「お待たせ。気分はどう?」
妖夢が状況を整理していると、葵がお茶を運んで来た。
「おかげさまで、だいぶすっきりしてきたよ」
「そっか。良かったね」
妖夢は、久々に他人が煎れてくれたお茶を飲んだ。
こうして他人に世話をしてもらうなんて、いつぶりだろうか。
嬉しさと共に、不安も湧いてくる。
「あのさ……」
「ん?」
「ここ、どこ?」
湯飲みを置いて、妖夢は尋ねた。
「知らないの? 本当に?」
葵の澄んだ瞳が、嫌疑をかけてくるような眼差しに変化した。
さっきも思ったけれど、純なように見えて、ちゃんと警戒心を持ち合わせているようだ。もしかしたら、見ためよりも年齢が高いのかもしれない。
「あっ……、その……、倒れたときに、頭でも打ったのかな? ちょっとこう……、記憶が曖昧っていうかなんていうか……」
しどろ、もどろ。
身振り手振りを交えながら、妖夢はなんとかとり繕おうとした。
すると、それで納得したのか、嘘をつけるような器用さは持っていないと判断されたのか、葵の顔から警戒の色が引いた。
「葵。あの子の様子はどう?」
廊下を渡って来る足音が聞こえてきて、妖夢と葵が座っている部屋の前で、ぴたりと止まった。
「ああ、起きたのね。良かったわ」
どこか儚げに笑ったその女性を見上げて、妖夢は息を飲んだ。
(幽々子様……!)
もう、妖夢の思考ははっきりとしていた。
(5)
幽々子はまどろみの中にいた。
お茶をすすっているうちに、いつしか眠気に負けて、そのまま横になってしまったのだ。
感覚は半分ほど眠っているが、半分だけ起きている嗅覚が、主客殿の畳の香りを認識する。
ここは白玉楼。
冥界の管理人のための屋敷。
だがなぜか、幽々子は障子の隙間から、陽の光が漏れてくるのを感じた。
冥界には、陽の光が差し込まない。
だけど、幽々子がおそるおそる目を細めると、たしかに空には太陽が昇っている。
(ここは……、どこ……?)
そこは、幽々子の記憶に無い場所だ。
でも、記憶のどこかに、「この場所」の正体を知るための鍵があるような気がした。
確証は無い。
それでも、違和感はある。
いま幽々子が抱えている記憶は、本当に、正しい記憶だけが詰め込まれたものなのだろうか。
幽々子とは切り離されたどこかに、別の記憶が隠されているのではないか。
ふとしたとき、そんな考えがよぎるようになった。
(私は、誰なの?)
いまこの体は、幽々子のものであるのか。
西行寺幽々子という魂と、この体は正常につながっているのだろうか。
自分の存在が、おぼろげになる。
「妖夢……」
その名を口にしていた。
幽々子だけの従者。
呼べばすぐに駆けつけてくれる従者は、幽々子を幽々子としてたしかめさせてくれる存在だった。
「お目覚めですか?」
「ん……」
にぎり拳の手の甲で、眠い目をこすった。
「妖夢?」
幽々子の体を包むように、毛布が一枚かけられていた。
「温かくなってまいりましたが、風邪などお召しにならないよう、念のために」
幽々子が起きると、手慣れた手つきで毛布をたたむ。
「なんで藍ちゃんが……。ああそっか。妖夢はいないんだったわね」
くぁ……、と、大きくあくびをした。
涙目になる。
昼寝から起きたあと、どこか心細くなるときがある。今日にかぎって、そんな心境。
そこに、妖夢がいないということが加わって、さみしさが増す。
「藍ちゃん。お水、いただけるかしら」
「かしこまりました」
藍は、うやうやしく一礼すると、主客殿から去った。
「妖夢。いつごろ帰ってくるのかしら……」
心無し、主客殿が、いつもより広く感じられた。
白玉楼の厨房は、主客殿から出てすぐのところにある。
お客に効率良く料理を提出するための構造だろうが、白玉楼に客が訪れることは、ほどんど無い。
実情に対して、不相応に厨房は広いし、食器の数も多い。それでも、厨房は綺麗に清掃されているし、食器類も几帳面に、種類ごとに整頓されている。
(妖夢殿の、普段の働きぶりが目に浮かぶようだな)
藍は、感心しきりだった。
白玉楼という広大な屋敷の管理を、妖夢は一手に任せられているが、藍が見たところ、妖夢の仕事には、いっさいの落ち度が無かった。
「これは、留守をあずかるのは大役だな」
世話をする対象が紫から幽々子に変わっただけだから、苦労は無いだろうと油断していた。
幽々子はつかみどころが無くて、なにを考えているかわからないけれど、そんなのは紫も一緒なので、慣れっこだった。
「幽々子様の身の周りの世話だけならば、問題は無いが……」
なんせ白玉楼の広さは、紫の家の比では無い。
それに、和風庭園の手入れは専門外なので、勉強が必要だ。
「なんにしろ、妖夢殿が戻られるまで、しっかりと代役を務めないとな」
藍は水桶のフタを開けて、水差しを水で満たした。
「戻られるまで、か……。我ながら、道化を演じているな」
誰にも聞かれないように、厨房の中で独りごちた。




