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妖が見た夢  作者: 柊ノキ
11/12

決別 ~lost dream~ 

(1)


(強い御方だ……)

 藍は、幽々子に感心をした。

 紫、藍、橙、そして幽々子は、白玉楼の主客殿に顔をそろえていた。

 紫のスキマ空間には、妖夢と妖忌が斬り結んでいる様子が映し出されている。

 幽々子はその様子を凝視して、座を正したまま、微動だにしない。

 これは、真剣での斬り合いだ。

 決着のときには、妖忌か妖夢、どちらかが倒れることになる。どちらも、幽々子にとって大切な人だ。

 それでも幽々子は、身じろぎひとつもしない。

 顔つきも変わらない。

 こわばっているわけでもなく、柔和なわけでもなく、悲壮さも感じられないし、意地になっているようにも感じられない。

 ただ、そこに居るだけ。

 そのことが、どれほどの精神力を要するか。

 紫ですら、額にうっすらと汗を浮かべ、落ち着き無く、人さし指で組んだ腕をとんとんと小刻みに叩いているというのに。

 そして、その横には……。

(すべては、この方の来訪から始まったのだったな)

 もう一人の、八雲紫が控えていた。

 彼女もまた、紫と同じように、そわそわと落ち着かない様子で、体を左右に揺らしていた。

 和服を着ているので、辛うじて、本来の主人と区別をつけることはできるけれど、声も姿も、紫そのもの。

 紫の、強い後悔が生み出してしまった妖怪だった。





(2)


(いま、何合だ?)

 不意に妖夢は、そんなことを考えた。

 老年と若年という違いこそあれ、いままで十合も打ち合えなかった妖忌と、数えきれないほど刀を交えていた。

 仕掛けるのか、受けるのか、躱すのか、いったん様子を見るのか。

 相手との間合いは? 

 自分の立ち位置をどこに置く?

 常に動きながら取捨選択をし、最善の解を選び続けなければならない。そうでなければ、すぐにも命を落とす。

 そんな逼迫した環境が、妖夢の集中力を最大限に引き出してくれて。

 そんな逼迫し環境が、妖夢の、これまでの鍛錬が間違いでは無かったことを教えてくれる。

 一念。

 己が、なにをするべきか、ということにすべての力を注ぐ。

 一心。

 己が、なにを成したいのか、ということにすべての神経を注ぐ。

 白楼剣と楼観剣が、幾度も惹かれ合う。

(なんとなく、分かった気がします。師匠)

 事前にうち合わせたかのように、妖夢と妖忌が、一つの無駄も無く切り結ぶ。

 熟練の芸者たちが、舞台で舞っているかのよう。

 そしてこの舞が終劇を迎えるときには、妖夢か妖忌、どちらかが命を落としている。

 ただ、一度きりの舞だ。

 散りゆく桜の花のように、儚い。それが美しい。

 妖夢と妖忌の一騎打ちは、異質な魅力を放っていた。

 妖忌がわずかに腰を低くした。あれは、下段からの斬り上げを狙っているときの癖だ。刀を弾かれては敵わない。ここはいったん身を躱す。

 びゅおっ……!

 目の前の空気が割れた。

 今度は、妖忌が、わずかに右足を退いた。上段からの強烈な袈裟斬りを繰り出すために、力を溜めているときの癖だ。ここは先に仕掛けて、溜めた力を分散させる。

「むぅっ……!」

 妖夢の太刀を受けた、妖忌の表情が歪んだ。

 老年の妖忌よりも太刀さばきは力強いが、精錬さでは大きく劣る。

 歳を重ねるにつれ、わかりにくくなっていったであろう癖も、いまの妖忌からは、容易に読みとることができた。

―――私には、私にしか持ちえぬ能力がある。そなたにも、そなたにしか持ちえぬ能力があるのだ―――

 師匠は、はにかみながら、妖夢に助言した。

 相手の動きを良く観察し、過不足の無い読みを入れて、先に先に動く。

 何度と無く妖忌の腕力に屈し、力では適わぬと悟った妖夢が、ずっと磨き続けてきたことだった。

 二人はいったん距離を置いた。

 妖忌はあいかわらずなにも言ってこないが、その瞳が、なかなかやるなと語りかけてくる。 

 そして、極端に腰を低くし、楼観剣を横にして構えた。

(あれは……?)

 あんな構えをした妖忌は知らない。

 あれは、なにを狙っている。

 妖夢が分析を済ませないうちに、妖忌は猛烈な勢いで突進してきた。

(突きだ!)

 葵に結んでもらった、たすき掛けの結びめの近く、左の鎖骨の下。

 刀の痛みに慣れるために、ここを何度か刀で突かれたときも、妖忌は、あんなふうに刀を横たえていた。

妖忌は刀を突き出してきた。

 その刀は、妖夢の心蔵を捉えている。この一撃で、勝負を決めるつもりだ。

「うらぁっ!」

 妖忌の狙いを看破したと同時に、妖夢もまた、妖忌の左胸めがけて、楼観剣を突き出していた。

 相打ち覚悟の、決死の攻防手だった。

「なんと!?」 

 妖忌は、とっさに楼観剣の軌道を変えて、妖夢の突きを受けた。

 しばし、つばぜり合いの後、刀が離れる。

 仕切り直しだ。

(葵。助けられたよ)

 妖夢は、たすき掛けの結びめに手を添えた。

 もし、ここに結びめが無かったら、あるいは、昔のことを思い出せなかったかもしれない。

(そして、師匠の影だけを追いかけていたなら、いま私は命を落としていた)

 師匠から学ぶことはできる。だが、妖夢は妖忌になることはできないのだ。

 真に越えて征くべきは、己自身。

 己自身を越えていかないといけない。

 そしてその道は、果てしなく、どこまでも続いている。

(それって、さ) 

 楼観剣と白楼剣を構え直す。

 それって、とても幸せなことだと妖夢は思った。

 だってそれは、いつまでも、愛刀たちと一緒にいることができるっていうことだから。







(3)


「もうよい!」

 牛車の暖簾が開いた。

 直垂烏帽子をかぶった、細目の男が姿を見せると、兵たちがざわめいた。

 いかにも狡猾そうな狐顔が、紅潮している。

「誰ぞ、富士見の娘の息の根を止めよ! それで片がつく!」

 妖夢と妖忌の勝負を見守っていた右大臣は、決着が見えない一騎打ちに、業を煮やしたようだ。

「早い者の勝ちぞ。褒美は意のままじゃ」

 兵たちは、互いの顔を見合わせる。

 いずれも、妖忌に見込まれた武辺者たち。自害の立ち合いや警護ならば命令だと割り切ることができるが、無抵抗の女性を手にかけるなど、言語道断であった。

「早うせんか!」

 しかし、命を下しているのは、権力をほしいままにする右大臣である。歯向かえば、自分だけでなく家族にも罪が及んでしまう。

 他の者の刀を穢すくらいなら、自分が犠牲になろう。

 すべての兵たちは、まったく同じ想いを抱き、腰の刀に手をかけた。

 そのときだった。

「なんだ!?」

 地鳴りがした。

 妖夢は膝を折って、体の均衡を保った。

 西行妖の根本から、光の筋が立ち上る。

 結界の中でうごめいていた怨念が、西行妖が放つ光に、吸い込まれていった。

 光が収まる。

 つい先刻まで、妖しく狂い咲いていた花弁が、散り始めた。

「妖の桜が、散っているというの?」

 幽子が、よく目をこらしてみると、散っているのは、桜の花では無かった。

「どうして、蝶々が……」

 桜の枝には、蝶々がとまっていた。

 蝶は、羽を虹色にきらめかせて、飛び立っていく。

「幽子様、いったい、なにが起きているのでしょう」

「信じられないけれど、怨念が、自ら成仏しようとしているとしか思えないわ」

「まさか!」

 だが、禍々しい気配が薄れ、場が浄められていくのが、妖夢にも感じることができた。

「楼観剣と、白楼剣の力よ」

「うわぁっ! ゆ、紫様!」

 妖夢は、尻もちをついてしまった。

 さっきからここにいましたというような顔で、紫は、妖夢の後ろに立っていたのである。

「迷いを断ち切る白楼剣、そして、十体の幽霊の力を秘めると謳われる楼観剣。決して交わるはずが無い刀たちが交わって生まれた力が、怨念の未練を断ったのよ」

「なんと。では、やはりそなたが扱っていたのは、白楼剣と楼観剣であったのか。いったい、どのような因縁なのだ」

「あー……、いえ、それはですねー……」

 妖夢は、どうにか濁そうとした。

 魂魄家の家宝である白楼剣と楼観剣は、この世に二つと存在してはいけない代物だし、二刀を扱えるのは、魂魄家の者だけなのである。

 当然、妖忌から見れば、では、妖夢はどこの誰なんだという話になる。

「たしかなことは、貴女が自害をせずとも、怨念は鎮められた。ということよ」

 紫は、幽子から短刀を取り上げた。

「ばかな!」

 右大臣は、よろめきながら西行妖にすがりついた。

「ばかな! ばかな! こんなことがあるか! 勝手に成仏などいたすな!」

 しかし、いかに権力者といえど、死者を思いのままにすることはできなかった。

 桜の枝にとまっている蝶は、次々に天界へと飛び立っていく。

「右大臣殿」

 妖忌が、慇懃無礼に頭を下げる。

「もはや、幽子様が自害なされる必要は無くなり申しました。故に、勅令も効力を失ったと解釈いたすが、よろしいか」

 否とは言わさぬ威圧であった。

「良きに、計らえ……」

 口いっぱいに苦虫を詰め込んだような顔だった。

 葵が、右大臣のあんな顔を見たら、さぞご満悦であったろう。

「ひ……!? そなた、先の大納言の娘!」

「あんたみたいな外道のせいで、父上も、私も、幽子様も……」

 牛車に乗り込もうとした右大臣を、葵が待ち構えていた。

 手には、家宝の短刀が握られている。

(まさか、やるつもりか!?)

 目は幽鬼のようにすわっている。

 これまでの恨みつらみが、一気に噴出したのだ。

「よせ! また怨念が生まれるぞ!」

「黙ってて! こいつのせいで、どれだけの人がひどい目に遭ったか……」

 葵は短刀を振り上げる。

「体に刻み込まなきゃ、わからないのよ!」

 短刀が、突き立った。

 牛車の車輪に。

 右大臣は、牛車に背中をあずけ、腰を抜かした。

「その刀、あげるわ。私にはもう、必要の無いものだから。それを見るたびに、いまの恐怖を思い出しなさい」

 不敵に笑った葵は、鞘を右大臣の足元に放り投げた。

 そして葵は。

「あはははっ! 今日はなんて、素敵な日なのかしら!」

 すべての憑きものが落ち、とびきりの笑顔で笑ったのだった。







(4)


「すべて、終わったようね」

「紫様が、もう一人!?」

 唐突に姿を現したのは、もう一人の紫だった。

 奇怪な光景であるのに、紫が落ち着いていたので、妖夢はさらに動転した。

「お礼は、言わないわよ」

「ええ。かまわないわよ。この世界の行く末に、貴女は責任を負わなくてはならないのだから」

「ふん」

 和服姿の紫は、鼻を鳴らしてから、幽子を見つめた。

 そして、いずこかへ姿を消した。

「紫様、いったい、なにがどうなっているのですか?」

「後で話すわ。それよりも、白楼剣と楼観剣の力は、この世界と幻想郷とのつながりも断とうとしている。急いで帰りましょう」

 スキマ空間が開く。

「白玉楼につながっているわ」

「い、いますぐにですか?」

「二刀が交わって生まれる力がこれほどまでとは、私も予測していなかった。ぐずぐずしていると、幻想郷に戻れなくなるわ」

「そう、なのですか……」

 それでも妖夢は、スキマの中に入ることをためらっていた。

「妖夢? なにか、あったの? ねぇ、どこにも行かないわよね」

 そうしていると、葵が不安そうに歩み寄って来た。

「時間が無いから、手短に言うね。葵のこと、忘れないから。葵も、私のこと、忘れないでね」

「なに言ってるの?」

「葵に、幽子様がいるように、私にも、生涯を賭けてお仕えしないといけない人がいるんだよ」

「妖夢の言ってること、わかんない!」

 ふくれっ面になる葵。

 賢い葵ならわかっているはずだ。

 お別れの時間が近いことも。この決別は、どんなに駄々をこねても避けることができないことも。

 それでも心のままに、イヤなものはイヤだと抗う。

 ありのままの葵の姿が、いままで以上にかわいらしく感じた。

 別れを惜しんでいる二人に、紫は、申し訳なさそうに顔を伏せてから、

「妖夢。急いで済ませないと、悔いを残すことになるわ」

 冷静に、言う。それが自らの宿命なのだと、気丈に、言う。

「そう……。そうなのね」

 幽子がやって来て、妖夢と、紫とを交互に見た。

「妖夢は、私たちとは、住む世界が違ったのね」

 細かなことは理解できないまでも、幽子は妖夢たちの事情を、なんとなく察したようだった。

 その現実を丸のまま飲み込んで、腑に落とす。すこしさみしそうにしながらも、いつもの達観した顔は、変わらない。

(強い方だ)

 妖夢は、幽子のその顔を、心に刻みつけた。

「そうであったのか。しかし、まことに惜しいことであるな。そなたと決着をつけることができぬとは」

 妖忌が、あごの髭を撫でる。

「いずれ、こちらの世界でもお目にかかることになるかと。そのときを、お待ちください」

「そうか……。そなたも息災でな。言うまでも無かろうが、精進を怠らぬよう」

「はい。ししょ、妖忌様も、お達者で」

 妖夢と妖忌が、各々の愛刀を抜いた。

 刀身が、春めいてきた日差しを集める。

「待って。待ってよ、妖夢!」

「うわっ! 葵、危ないよ」

「住む世界が違うから、それがなんなの!?」

 刀を抜いた妖夢の腕に、葵が体ごと絡みついてきた。

「お願い、行かないで!」

 妖夢は、刀を鞘に戻した。

 紫の顔に焦りが浮かんでいる。もう、本当に時間が無い。

「葵、ありがとうね。ちょっとの間しか一緒にいなかったのに、そんなに私のことを想ってくれて、ありがとう」

 葵の身体を、抱きしめた。

 弱々しく、葵がもたれかかってくる。全身が、ふるえていた。

「妖夢ー。妖夢やーい」

「はい。幽々子様。妖夢はここにおります。お呼びとあれば、すぐ御身の元にはせ参じます」

 妖夢は、ほのかに葵の体温を感じながら、腕を離した。

「呼ばれた。だから、行かなくちゃ」

 楼観剣と白楼剣を、抜く。

「幽子様も、葵も、いつまでも、お元気で」

「ええ。妖夢も」

 涙を流して、言葉を発することができない葵の代わりに、幽子が応える。

 流せるだけの涙を流している葵に、精一杯、表情を明るくさせてから。 

 妖夢は、妖忌に合わせて、白楼剣を振るった。

 それで、この世界と幻想郷とのつながりは、完全に断たれた。


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