決別 ~lost dream~
(1)
(強い御方だ……)
藍は、幽々子に感心をした。
紫、藍、橙、そして幽々子は、白玉楼の主客殿に顔をそろえていた。
紫のスキマ空間には、妖夢と妖忌が斬り結んでいる様子が映し出されている。
幽々子はその様子を凝視して、座を正したまま、微動だにしない。
これは、真剣での斬り合いだ。
決着のときには、妖忌か妖夢、どちらかが倒れることになる。どちらも、幽々子にとって大切な人だ。
それでも幽々子は、身じろぎひとつもしない。
顔つきも変わらない。
こわばっているわけでもなく、柔和なわけでもなく、悲壮さも感じられないし、意地になっているようにも感じられない。
ただ、そこに居るだけ。
そのことが、どれほどの精神力を要するか。
紫ですら、額にうっすらと汗を浮かべ、落ち着き無く、人さし指で組んだ腕をとんとんと小刻みに叩いているというのに。
そして、その横には……。
(すべては、この方の来訪から始まったのだったな)
もう一人の、八雲紫が控えていた。
彼女もまた、紫と同じように、そわそわと落ち着かない様子で、体を左右に揺らしていた。
和服を着ているので、辛うじて、本来の主人と区別をつけることはできるけれど、声も姿も、紫そのもの。
紫の、強い後悔が生み出してしまった妖怪だった。
(2)
(いま、何合だ?)
不意に妖夢は、そんなことを考えた。
老年と若年という違いこそあれ、いままで十合も打ち合えなかった妖忌と、数えきれないほど刀を交えていた。
仕掛けるのか、受けるのか、躱すのか、いったん様子を見るのか。
相手との間合いは?
自分の立ち位置をどこに置く?
常に動きながら取捨選択をし、最善の解を選び続けなければならない。そうでなければ、すぐにも命を落とす。
そんな逼迫した環境が、妖夢の集中力を最大限に引き出してくれて。
そんな逼迫し環境が、妖夢の、これまでの鍛錬が間違いでは無かったことを教えてくれる。
一念。
己が、なにをするべきか、ということにすべての力を注ぐ。
一心。
己が、なにを成したいのか、ということにすべての神経を注ぐ。
白楼剣と楼観剣が、幾度も惹かれ合う。
(なんとなく、分かった気がします。師匠)
事前にうち合わせたかのように、妖夢と妖忌が、一つの無駄も無く切り結ぶ。
熟練の芸者たちが、舞台で舞っているかのよう。
そしてこの舞が終劇を迎えるときには、妖夢か妖忌、どちらかが命を落としている。
ただ、一度きりの舞だ。
散りゆく桜の花のように、儚い。それが美しい。
妖夢と妖忌の一騎打ちは、異質な魅力を放っていた。
妖忌がわずかに腰を低くした。あれは、下段からの斬り上げを狙っているときの癖だ。刀を弾かれては敵わない。ここはいったん身を躱す。
びゅおっ……!
目の前の空気が割れた。
今度は、妖忌が、わずかに右足を退いた。上段からの強烈な袈裟斬りを繰り出すために、力を溜めているときの癖だ。ここは先に仕掛けて、溜めた力を分散させる。
「むぅっ……!」
妖夢の太刀を受けた、妖忌の表情が歪んだ。
老年の妖忌よりも太刀さばきは力強いが、精錬さでは大きく劣る。
歳を重ねるにつれ、わかりにくくなっていったであろう癖も、いまの妖忌からは、容易に読みとることができた。
―――私には、私にしか持ちえぬ能力がある。そなたにも、そなたにしか持ちえぬ能力があるのだ―――
師匠は、はにかみながら、妖夢に助言した。
相手の動きを良く観察し、過不足の無い読みを入れて、先に先に動く。
何度と無く妖忌の腕力に屈し、力では適わぬと悟った妖夢が、ずっと磨き続けてきたことだった。
二人はいったん距離を置いた。
妖忌はあいかわらずなにも言ってこないが、その瞳が、なかなかやるなと語りかけてくる。
そして、極端に腰を低くし、楼観剣を横にして構えた。
(あれは……?)
あんな構えをした妖忌は知らない。
あれは、なにを狙っている。
妖夢が分析を済ませないうちに、妖忌は猛烈な勢いで突進してきた。
(突きだ!)
葵に結んでもらった、たすき掛けの結びめの近く、左の鎖骨の下。
刀の痛みに慣れるために、ここを何度か刀で突かれたときも、妖忌は、あんなふうに刀を横たえていた。
妖忌は刀を突き出してきた。
その刀は、妖夢の心蔵を捉えている。この一撃で、勝負を決めるつもりだ。
「うらぁっ!」
妖忌の狙いを看破したと同時に、妖夢もまた、妖忌の左胸めがけて、楼観剣を突き出していた。
相打ち覚悟の、決死の攻防手だった。
「なんと!?」
妖忌は、とっさに楼観剣の軌道を変えて、妖夢の突きを受けた。
しばし、つばぜり合いの後、刀が離れる。
仕切り直しだ。
(葵。助けられたよ)
妖夢は、たすき掛けの結びめに手を添えた。
もし、ここに結びめが無かったら、あるいは、昔のことを思い出せなかったかもしれない。
(そして、師匠の影だけを追いかけていたなら、いま私は命を落としていた)
師匠から学ぶことはできる。だが、妖夢は妖忌になることはできないのだ。
真に越えて征くべきは、己自身。
己自身を越えていかないといけない。
そしてその道は、果てしなく、どこまでも続いている。
(それって、さ)
楼観剣と白楼剣を構え直す。
それって、とても幸せなことだと妖夢は思った。
だってそれは、いつまでも、愛刀たちと一緒にいることができるっていうことだから。
(3)
「もうよい!」
牛車の暖簾が開いた。
直垂烏帽子をかぶった、細目の男が姿を見せると、兵たちがざわめいた。
いかにも狡猾そうな狐顔が、紅潮している。
「誰ぞ、富士見の娘の息の根を止めよ! それで片がつく!」
妖夢と妖忌の勝負を見守っていた右大臣は、決着が見えない一騎打ちに、業を煮やしたようだ。
「早い者の勝ちぞ。褒美は意のままじゃ」
兵たちは、互いの顔を見合わせる。
いずれも、妖忌に見込まれた武辺者たち。自害の立ち合いや警護ならば命令だと割り切ることができるが、無抵抗の女性を手にかけるなど、言語道断であった。
「早うせんか!」
しかし、命を下しているのは、権力をほしいままにする右大臣である。歯向かえば、自分だけでなく家族にも罪が及んでしまう。
他の者の刀を穢すくらいなら、自分が犠牲になろう。
すべての兵たちは、まったく同じ想いを抱き、腰の刀に手をかけた。
そのときだった。
「なんだ!?」
地鳴りがした。
妖夢は膝を折って、体の均衡を保った。
西行妖の根本から、光の筋が立ち上る。
結界の中でうごめいていた怨念が、西行妖が放つ光に、吸い込まれていった。
光が収まる。
つい先刻まで、妖しく狂い咲いていた花弁が、散り始めた。
「妖の桜が、散っているというの?」
幽子が、よく目をこらしてみると、散っているのは、桜の花では無かった。
「どうして、蝶々が……」
桜の枝には、蝶々がとまっていた。
蝶は、羽を虹色にきらめかせて、飛び立っていく。
「幽子様、いったい、なにが起きているのでしょう」
「信じられないけれど、怨念が、自ら成仏しようとしているとしか思えないわ」
「まさか!」
だが、禍々しい気配が薄れ、場が浄められていくのが、妖夢にも感じることができた。
「楼観剣と、白楼剣の力よ」
「うわぁっ! ゆ、紫様!」
妖夢は、尻もちをついてしまった。
さっきからここにいましたというような顔で、紫は、妖夢の後ろに立っていたのである。
「迷いを断ち切る白楼剣、そして、十体の幽霊の力を秘めると謳われる楼観剣。決して交わるはずが無い刀たちが交わって生まれた力が、怨念の未練を断ったのよ」
「なんと。では、やはりそなたが扱っていたのは、白楼剣と楼観剣であったのか。いったい、どのような因縁なのだ」
「あー……、いえ、それはですねー……」
妖夢は、どうにか濁そうとした。
魂魄家の家宝である白楼剣と楼観剣は、この世に二つと存在してはいけない代物だし、二刀を扱えるのは、魂魄家の者だけなのである。
当然、妖忌から見れば、では、妖夢はどこの誰なんだという話になる。
「たしかなことは、貴女が自害をせずとも、怨念は鎮められた。ということよ」
紫は、幽子から短刀を取り上げた。
「ばかな!」
右大臣は、よろめきながら西行妖にすがりついた。
「ばかな! ばかな! こんなことがあるか! 勝手に成仏などいたすな!」
しかし、いかに権力者といえど、死者を思いのままにすることはできなかった。
桜の枝にとまっている蝶は、次々に天界へと飛び立っていく。
「右大臣殿」
妖忌が、慇懃無礼に頭を下げる。
「もはや、幽子様が自害なされる必要は無くなり申しました。故に、勅令も効力を失ったと解釈いたすが、よろしいか」
否とは言わさぬ威圧であった。
「良きに、計らえ……」
口いっぱいに苦虫を詰め込んだような顔だった。
葵が、右大臣のあんな顔を見たら、さぞご満悦であったろう。
「ひ……!? そなた、先の大納言の娘!」
「あんたみたいな外道のせいで、父上も、私も、幽子様も……」
牛車に乗り込もうとした右大臣を、葵が待ち構えていた。
手には、家宝の短刀が握られている。
(まさか、やるつもりか!?)
目は幽鬼のようにすわっている。
これまでの恨みつらみが、一気に噴出したのだ。
「よせ! また怨念が生まれるぞ!」
「黙ってて! こいつのせいで、どれだけの人がひどい目に遭ったか……」
葵は短刀を振り上げる。
「体に刻み込まなきゃ、わからないのよ!」
短刀が、突き立った。
牛車の車輪に。
右大臣は、牛車に背中をあずけ、腰を抜かした。
「その刀、あげるわ。私にはもう、必要の無いものだから。それを見るたびに、いまの恐怖を思い出しなさい」
不敵に笑った葵は、鞘を右大臣の足元に放り投げた。
そして葵は。
「あはははっ! 今日はなんて、素敵な日なのかしら!」
すべての憑きものが落ち、とびきりの笑顔で笑ったのだった。
(4)
「すべて、終わったようね」
「紫様が、もう一人!?」
唐突に姿を現したのは、もう一人の紫だった。
奇怪な光景であるのに、紫が落ち着いていたので、妖夢はさらに動転した。
「お礼は、言わないわよ」
「ええ。かまわないわよ。この世界の行く末に、貴女は責任を負わなくてはならないのだから」
「ふん」
和服姿の紫は、鼻を鳴らしてから、幽子を見つめた。
そして、いずこかへ姿を消した。
「紫様、いったい、なにがどうなっているのですか?」
「後で話すわ。それよりも、白楼剣と楼観剣の力は、この世界と幻想郷とのつながりも断とうとしている。急いで帰りましょう」
スキマ空間が開く。
「白玉楼につながっているわ」
「い、いますぐにですか?」
「二刀が交わって生まれる力がこれほどまでとは、私も予測していなかった。ぐずぐずしていると、幻想郷に戻れなくなるわ」
「そう、なのですか……」
それでも妖夢は、スキマの中に入ることをためらっていた。
「妖夢? なにか、あったの? ねぇ、どこにも行かないわよね」
そうしていると、葵が不安そうに歩み寄って来た。
「時間が無いから、手短に言うね。葵のこと、忘れないから。葵も、私のこと、忘れないでね」
「なに言ってるの?」
「葵に、幽子様がいるように、私にも、生涯を賭けてお仕えしないといけない人がいるんだよ」
「妖夢の言ってること、わかんない!」
ふくれっ面になる葵。
賢い葵ならわかっているはずだ。
お別れの時間が近いことも。この決別は、どんなに駄々をこねても避けることができないことも。
それでも心のままに、イヤなものはイヤだと抗う。
ありのままの葵の姿が、いままで以上にかわいらしく感じた。
別れを惜しんでいる二人に、紫は、申し訳なさそうに顔を伏せてから、
「妖夢。急いで済ませないと、悔いを残すことになるわ」
冷静に、言う。それが自らの宿命なのだと、気丈に、言う。
「そう……。そうなのね」
幽子がやって来て、妖夢と、紫とを交互に見た。
「妖夢は、私たちとは、住む世界が違ったのね」
細かなことは理解できないまでも、幽子は妖夢たちの事情を、なんとなく察したようだった。
その現実を丸のまま飲み込んで、腑に落とす。すこしさみしそうにしながらも、いつもの達観した顔は、変わらない。
(強い方だ)
妖夢は、幽子のその顔を、心に刻みつけた。
「そうであったのか。しかし、まことに惜しいことであるな。そなたと決着をつけることができぬとは」
妖忌が、あごの髭を撫でる。
「いずれ、こちらの世界でもお目にかかることになるかと。そのときを、お待ちください」
「そうか……。そなたも息災でな。言うまでも無かろうが、精進を怠らぬよう」
「はい。ししょ、妖忌様も、お達者で」
妖夢と妖忌が、各々の愛刀を抜いた。
刀身が、春めいてきた日差しを集める。
「待って。待ってよ、妖夢!」
「うわっ! 葵、危ないよ」
「住む世界が違うから、それがなんなの!?」
刀を抜いた妖夢の腕に、葵が体ごと絡みついてきた。
「お願い、行かないで!」
妖夢は、刀を鞘に戻した。
紫の顔に焦りが浮かんでいる。もう、本当に時間が無い。
「葵、ありがとうね。ちょっとの間しか一緒にいなかったのに、そんなに私のことを想ってくれて、ありがとう」
葵の身体を、抱きしめた。
弱々しく、葵がもたれかかってくる。全身が、ふるえていた。
「妖夢ー。妖夢やーい」
「はい。幽々子様。妖夢はここにおります。お呼びとあれば、すぐ御身の元にはせ参じます」
妖夢は、ほのかに葵の体温を感じながら、腕を離した。
「呼ばれた。だから、行かなくちゃ」
楼観剣と白楼剣を、抜く。
「幽子様も、葵も、いつまでも、お元気で」
「ええ。妖夢も」
涙を流して、言葉を発することができない葵の代わりに、幽子が応える。
流せるだけの涙を流している葵に、精一杯、表情を明るくさせてから。
妖夢は、妖忌に合わせて、白楼剣を振るった。
それで、この世界と幻想郷とのつながりは、完全に断たれた。




