発端 ~fastconnect~
(1)
「右大臣殿が亡くなられたと!?」
「うむ。急な病であったそうな」
宮中では、謀略謀殺は日常である。
出世のための障害を排除できるのならば、他者を陥れることためらう者はいないと言っても、過言ではない。
「大納言殿が亡くなられたばかりと言うに……。妖の仕業ではあるまいか」
「帝もたいそう心を痛められておられるそうな。遷都もお考えとか」
「さもあろう……」
近ごろは、異常なほどに大臣たちの逝去が相次いでいた。
巷で病が流行っているわけでも無し、これはいよいよ、呪術の類か、妖怪の仕業ではないかと、臣下たちはささやきあっている。
この物語は、まだ妖怪や不思議な力の存在が信じられていた時代に、端を発している。
※
幻想郷。
我々が生活をしている社会とは隔離された別天地をそう呼ぶ。
その世界では、山も、森も、のびのびと緑を茂らせ、川の水は汚れを知らない。
雲を隠す無粋な建物はこれ無く、大空は遥かに遠い。
澄んだ空気に、少しの人間が混じる
そして妖怪は、人間の命を奪って穢れを払う。
かつての世界が、そうして均衡を保っていたように。
―――ねぇ、紫―――
いつか聞いた、彼女の言葉。
いまでも鮮明に思い出すことができる。
―――どうして、桜は散るのかしら?―――
彼女は、紫に問うた。
―――美しく咲いたままでいることは、できないのかしら―――
それは、独りごとにすぎなかったのかもしれない。
紫が勝手に、曲解をしただけなのかもしれない。
(私は、余計なことをした……?)
自問する。
正解を教えてくれる者はいない。
確かなことは、〝八雲紫には、彼女の命を救うことはできない〟ということ。
そして月日は流れた。
科学が発展して、世界の在り様が変わっていった。
妖怪と人間とが共存していた、かつての世界の匂いが失われていく。
紫は、幻想郷を世界から隔離させた。
強い思念さえあれば、妖怪でも生きることができる世界。
思念が世界を形作る、もろくて、はかない箱庭。
幻想郷は、かつて彼女が生きた世界の香りが、色濃く残る世界であった。
幻想郷を創ること、護ることは、紫にとっては、罪を背負うことに等しかった。
いつまでも、いつまで経っても、彼女のことを忘れることができないから。
(どうすれば良かったっていうの? どうすれば、あの子を救うことができたの?)
ずっと後悔に苛まれ続けた。
その強い想いが、紫の苦悩を、より深くするとも知らずに。
ひらり。
ひらり。
儚く美しく舞う桜の花びらは、雪にも似て。
ややか細い、美しい声。
彼女の声が、耳に入ってくる。
思い返せば、彼女は桜の花のようだった。
ふわり。
ふわり。
所在無く空を彷徨う雪は、人魂にも似て。
すぐにでも溶けて消えてしまいそうな、彼女のはかない顔立ち。
思い返せば、彼女は雪のようだった。
いま、紫の目のまえには、彼女がいた。
(これは、夢の中ね)
なぜ夢とわかったか。
すでに彼女は、この世にいないから。
彼女は、若くして命を落としたから。
表向きは、自刃ということになっている。しかし実態は……。
彼女は、独りだった。
いつも、独り。
妖怪の賢者と呼ばれる紫よりも達観した表情で、庭の桜の木を眺めていた。
話し相手は、使用人の老夫婦のみ。
それも、事務的な日常会話しか交わさない。
たぶん最初は、優越感のような感情だったと思う。
哀れみとは違う。施しを与えているのだという優越感が、紫を動かしていた。
そして少しずつ、紫は彼女にのめり込んでいく。
この後どうなるかは、よく知っている。
嫌になるくらい、何度も何度も繰り返し見てきた夢であり、現実だから。
―――紫様。あの娘に執着しすぎではありませんか?―――
藍に忠告される。
―――誰が執着しているですって? 私は妖怪の賢者よ。自制の術くらいわきまえているわ!―――
高い自尊心が、忠告を受け入れることを拒んだ。
もうこの時点で、紫は正常な思考を失っていた。
あとは、坂道を転がるように、事態が進んでいく。
彼女を救おうと奔走したが、彼女は自らに刃を突き立てて、絶命した。
墓の前で脱力している紫の姿を、俯瞰視点で見ることができた。
ひどい顔だ。
その形相を、ひとことで言い表せば、憤怒。
世の中が彼女の命を奪ったことへの怒りでは無い。いまなら断言できる。
彼女を悼む気持ちを口実にして、自分の思い通りに事が成らなかったことに、憤っているだけだ。
雨が降り始めた。
無様に墓のまえで立ち尽くす一匹の妖怪は、たちまちずぶ濡れになった。
妖怪の賢者などとうそぶいてみたところで、天の意思には敵わぬ。
そのことに気づくまでに、さほど時間は要さない。
この後、頭が冷えた紫は、自身の無力さに絶望して、ちょっとだけ大人になった。
(えっ?)
夢の中の紫は、豪雨の中で叫んでいた。
(知らないわ、こんなの)
いつもの夢と、違っている。
これは、なんだ。
あの妖怪は、なんと言っている。
しかと聞きとることはできなかったが、異常性は感じることができた。
紫の眼は血走り、首には青筋が浮かんでいた。
「うぅ……」
目が覚めてしまった。
「いまの夢は、なに……?」
ひどく気分が悪い。
障子を開け放つ。
幻想郷は、はや春を迎えようとしている。
庭の桜の木は蕾をふくらませ、開花する日を心待ちにしている。
雪がちらつく季節から、桜が咲き始めようかという季節まで、紫は力を蓄えるために、長い眠りにつく。
そして彼女が亡くなったこの季節に、紫は目覚める。
桜は毎年、違った姿で咲く。
しかし紫には、その違いがわからない。
彼女が亡くなってから、桜の姿は、ずっと同じにしか映らない。
「紫様……」
「ご苦労様。もう部屋から出るわ」
寝間着を直して、自室の戸を開いた。
長い眠りにつくといっても、本当にずっと寝ているわけでは無い。
軽い食事も摂るし、酒も呑む。湯を使って体を拭くことも、着替えることもする。
その世話は、式神である八雲藍がしてくれる。
「どうしたのよ?」
藍の顔は、青ざめていた。
九尾の狐である藍は、紫ほどでは無いにしろ、強い力を持っているし、紫と同じくらい長い歳月を生きてきたので、少々のことでは動じない。
「起きたの? 起きたなら、すぐに居間に来てちょうだい」
「貴女っ……」
「初めまして、と言ったほうが良いのかしら?」
「……」
紫は言葉を飲んだ。
こんな奴と顔を合わせたら、それは藍の顔も青ざめようというものだ。
(2)
「こんにちは、お嬢さん」
そのころの紫は、和風の着物を着用していた。
時代時代に溶け込みながら、時の流れと共に人間を見つめ、ときおり、ちょっかいも出す。
そうして、人間社会の中で、ひっそりと、したたかに、生き長らえていた。
「貴女、妖怪ね」
紫を見るや、即時に断言する。
「どうしてそう思うの?」
「金色の髪に蒼い瞳。私は、貴女のような容姿の人間を、見たことが無いわ」
紫は扇を揺らした。
「お嬢さんが、ものを知らないだけということは無いかしら? 貴女が知らないだけで、この世のどこかには、私のような人間もいるかもしれないわよ」
「それは、そのとおりね。世の中には、私の知らないものが、たくさんある」
「ではなぜ、私のことを妖怪だと?」
彼女はうっすらと笑んだ。
熱の無い笑み。しかし冷笑では無かった。
己の感情を表現するための笑みで無く、あるいは、感情を他者に伝えるための笑みでも無い。
例えば、陽が照れば庭が明るくなるし、陰れば庭は暗くなる。
彼女は、そうした自然の変化と一体となるように努めているのではないかと、紫は思った。
(私は、なにをこんなに熱心に……)
初めて会った人間の娘のことを、熱心に脳内で分析していた。そんな自分に、小さくない驚きを覚えていた。
「私は、もはや世の中から隔離された人間だもの。こんな私に会いに来るのは、妖怪くらいしかいない。そうで無いのなら……」
視線が、紫の瞳をとらえた。
見つめ返す。
娘の歳は、20歳ほどだった。しかし不相応に、達観した瞳を備えていた。
(この娘、おもしろい)
紫は、興味を抑えることができなかった。
悪い癖だった。
自分が好意を抱いたものは、絶対の正義であり、真理であると疑わないのだ。
「名を、聞かせて」
紫が問うと、彼女はこう応えた。
富士見幽子。




