なろうの公平・不公平ってなんぞ? 〜この機会にテンプレ持論開陳と検索機能推し活をしてみる〜
オラ! アミーゴ・アミーガ☆
短編エッセイではお久しぶりすぎて、勝手がわからなくなっています。
が、なんだか熱きエッセイが投稿されたらしく。
意見があればエッセイを書け! みたく書かれてもおり。
読んでみてクエスチョンマークがわいたのと、テンプレがあるのはなぜかみたいなところの勝手な思いつきだったりとか、なんやかんや。
を、ついでに魔改造合体させたら一作書けそうな気がするなぁ。
とかふと。
つい、ふと。
思ってしまいまして。
こうしてめっちゃ久々に、短編の筆をとることにしたのでした。
さてさて。
まず軽くツッコミしたく……
偏見の具体例どこやねん!
タイトルにあったのに、そこの伏線回収が少ない……そこへの熱いパッションがもうひとさじ欲しかった……。
もちろん最後に、コンテストが作品に対して偏見をしている! 的に、書いてあります。
しかし、じゃあどうすれば偏見じゃなくなるかや、偏ったせいであぶれた素晴らしい作品とは一体どこにあるのか? という具体例は書いていなかったのです。
コンテスト応募タグは作者さんが元に戻さない限り、コンテスト終了してもタグづけられているかと思うのです。
なのでどうせなら、どれかのコンテストの作品を検索して漁りまくって、この作品なら受賞に足りただろうに!! と思った作品とか紹介すれば論への補強? というか。
賞を贈るに値する作品が他に埋もれている実態の、事例にもなったろうに、だなんてことを思った次第です。
勿体無い。
とまぁ余談はさておき。
この話でのメタってなんだ?? とか、ちょっと理路が私には……多分お約束用語的なものかとは思うのですが……わからなかったですが。
とにかく。
なろうは今公平でない、から公平にすべし。
というのが主論なのだろうなぁ、と受け取りまして。
しかし。
公平、不公平って、一体何の?? と思った次第。
なんとなくはわかったんですよ。
ようは、今こども園等で導入済みの、かけっこ順位付けなし、みたいなことですよね?
ランキング表示一切なし、ジャンル別新着のみ、レビューのみ、みんな沈んでみんないい、ってことですよね。
コンテストは平等に、一応一ジャンル一作品拾い上げて刊行。
ただし、商業出版なのでもちろん、かかる経費を回収できる見込みのありそうな作品に限り、なければ該当作品なしとする。
一ジャンル一作品必ず拾い上げる意気込みの企画なので、当然賞金は会社の経費から出せる金額分だけを全ジャンルで割る感じで。
あと拾い上げる作品数が増えるので、装丁デザインや印刷他諸々かかる諸経費もまぁなるべくコストカットしつつ仲良く分割して頑張って刊行しましょう。
上記の思考実験は多分極端ですが。
公平にとは突き詰めてしまえばボランティア的にもなりえ、その側面を強くすると採算は必ず取れず赤字。
ということは、どこかはきっちり締め黒字化させないと会社経営が危ぶまれそうな……そんな気もしてしまいました。
もちろん、経営なんてしたことないので机上の空論ではあります。
総合ランキングに公平性を! その気持ちはわからないでもないです。
けれど。
そもそもの「総合ランキングにとっての公平性」とは、どの地点から見た何への公平でしょうか?
総合ランキングとは、全部ひっくるめてのランキングです。
ランキングとは、順位です。
なろう全作品においての順位で言えば「星が入った作品をきちんと順番に並べた状態にする」のが、公平な状態ではないでしょうか。
それが例えば、運営による恣意的な操作が入って、星が入った作品があってもランキングに順番通りに載らず埋もれてしまったら?
それが例えば、第三者のハッキング等により、星が入っていないにもかかわらずランキングに順番でなくとも載り露出が増えてしまったら?
それは、公平、と呼べる状態でしょうか。
テンプレートばっかりずるい。
確かにその気持ちもわかります。
ただ、テンプレートってなんでしょうか。
なろうにおけるテンプレート、物語におけるテンプレート。
私個人的には、このテンプレート、ある一つの共通点があるのではと思うのです。
それは「読者が求めた物語の形」であること。
どの、なんという本だったか、はたまた創作論だったり、有名な監督や作家や学者だったか。
人間が根源的に心地よく感じられる物語、その話型には決まりがあり、それはもう出尽くしているというか集約されているというか、兎角そんな話を目にしたことがあります。
でもって。
ここからはちょー持論なんですが。
しかも、与太話なんですけどね。
時代劇が地上波から消えたのが、二〇一一年らしいんですよ。
例えばなろうテンプレのひとつと言われる「俺TUEEE」が広がっていったのがソードアート・オンラインのアニメ化という説を書いてらっしゃる方がいて。
それが二〇一二年なんですよ。
昼ドラが地上波から消えたのが二〇一六年らしいんですよ。
こちらもなろうテンプレと名高い? 「悪役令嬢」の呼称定着がですね。
二〇一五と書いてらっしゃる方がいるんですよ。
ちょー仮説なのですが。
テンプレ的な物語の話型、それは例えば英雄型的なそれとか、不遇からの逆転的ヒロイン型であるとか。
それらお話がメジャーシーンというか、当たり前に誰でもみられる場所から消えつつあったところで。
書きたい欲求と読みたい欲求とがうまくマッチングしたのがたまたま、小説家になろうだった可能性がないかな、と。
そんな他愛もないことをふと、ついふと考えたことがあって。
ある種の本能的なところから湧き出たことならば、まぁ増えるのも当然の帰結っちゃ帰結なのかなとか。
それを書いた本人、読んだ本人でもない他者が、なんやかや理由を引っ付けて、捻じ曲げるのもなんか違うかなぁとか、そんなふうにも感じた次第です。
与太話なんですけどね。
ドラマで言えば、時代劇の灯火は、それを好んだ人たちが次世代につなげようと色々活動をし今年だったかな? 海外で賞を取ったと、報道があったように思います。
昼ドラのドロドロ感で言えば、深夜帯とか配信会社専用番組等のCMでその片鱗を見ることがある気がします。
個々人の作者、その人が描きたいものが書かれている。
個々人の読者、その人が求めるものが供給されている。
読んだ人は満足した、だから星をつけた。
食事処でご馳走様を言うように、読んで満足したよありがとうという、声かけのような評価をした。
心のままに評価する。
というのもまた、各人の心への公平性なのかなと。
それでもその各人の心の公平性へと一石を投じたいと言うならば。
もうちょっとばかし、具体的にどうやったら何についての不公平が何をすれば減るのかとか、行うことのメリット・デメリット両方の観点から、色々検討した内容が必要なのではないかなぁと。
ちょっと思ったのでした。
誰の視点から、というのが時々ちょっと迷子のようだったので。
と書きつつも自分が今書いているこの作品で、主語がとっ散らかった部分がないかしらと慌てて読み返しています。
ないようなあるような、勢いで書くとどうしても文末すらも締まりが悪くなるなぁとか、ぼやきつつ。
最後に。
スコップはイイぞ!
好きな作品への愛をこれでもかと語れますし!!
ジャンル別のランキングとか見ていますか?
結構タイトルだけ眺めても、多彩ですよ!
検索機能もイイぞ!
自分がどんな物語の系譜を好きか、とかの輪郭がはっきりしたり。
これ好き! って話に出会いやすい単語はどれかとか、検索もワザがあったりしますし。
ぜひ、検索マイスターになって自分の推したい作品をプッシュする活動してみてもらえたらいいなぁと思います。
ではでは。
にょきにょきかしこ、雨後の筍〜
三屋城でした。
参考:
悪役令嬢は「小説家になろう」において如何にして生まれたか? https://kazenotori.hatenablog.com/entry/2020/07/11/212312 参照(2025.10.8)
「俺TUEEE」の発生と変遷過程 https://lastline.hatenablog.com/entry/2015/10/16/065428 参照(2025.10.8)




