第七章:蛾の群れ
予言の乙女アイラの過去のお話です。
予言の乙女視点のお話はこれで最後です。
貴族用の学校で、予言の乙女の担当教師たち曰く、権力に群がる蛾と称された級友たちは、堅苦しいオリヴィアを追放するようアイラに勧めた。
それはオリヴィアがアイラと違って御しづらいからであり、あの完璧な人形が追い詰められれば面白いからというエンターテイメントだった。
この年頃の女子特有の無邪気な悪意だった。
ありもしない証拠を作って、アイラの鞄が荒らされていた、オリヴィアがアイラの影口を吹聴しているなどと吹き込んだ。
「オリヴィア様ひどいっ!」
目に涙を溜めるアイラに、周囲の子女たちは目配せした後で同意した。
「ええ本当に。」
「あんな人格の方が王太子姫になるなんてゾッとするわ」
「アイラ様こそ王太子姫に相応しいのに」
うんうんと頷きあながらも、袖で隠した口元は笑っている。
級友たちの囁きに、アイラは頷いた。
以前から、王太子の側で何事も完璧にやり遂げるオリヴィアが苦手だったのだ。
廷臣や教育係たちは何かにつけアイラとオリヴィアを比較し、オリヴィアを褒め称えた。
(うるさい!私は神に選ばれたのよ!誰かと比べないで!”私は特別なの‼︎“)
(私は今まで牢屋みたいな教会に押し込められていたのに、貴族の所作だの分かるわけないじゃない!配慮ってものはないの⁉︎)
王太子だって理由は分からないが、オリヴィアを苦手にしているみたいだった。
「そうよね……。あんなの、アルヴェイン様にふさわしくないわ」
彼女の一言を合図にするように、級友たちは小さな嫌がらせを加速させた。
オリヴィアの机に墨をこぼしたり、教科書を隠したり。
アイラ自身も、筆先でオリヴィアの袖を汚した。
「ごめんなさい、手が滑ったの」
周囲はクスクスと笑い、オリヴィアは静かに布で拭った。
――その沈黙が、アイラの心を奇妙にざわつかせた。
ある日、アイラの鞄から切れた制服のリボンが出てきた。
「ま〜あ、こんなに汚れて……誰かの仕業かしら」
級友の一人がわざとらしく声を上げる。
「きっとオリヴィア様じゃない? だってあの人、地味だから。アイラ様の飾りを羨ましがってたのよ〜」
「そうそう、昨日も睨んでたもの〜」
根拠のない声が広がり、気づけばそれが“事実”のように扱われた。
反対に、オリヴィアの机に傷がつけられたときも、
「アイラ様が怒ってやったんだわ」と思う者がいた。
「あの方、すぐに感情を露わにされて」
「はしたないわね」
「本当に予言の乙女なのかしら」
無邪気な悪意が矢のように飛び交った。
冷静な意見もあったが、それはアイラに届かない。何故かそうした“縁”が出来なかった。
「あんな酷いことばかりする人を野放しに出来ないわ」
級友たちとのランチ。アイラは口を裂いたような歪な笑みを浮かべた。すっかり嗜虐の楽しみに溺れていた。
今朝、通りすがりにオリヴィアの靴を踏んだことも、オリヴィアの教科書を裂いたことも、アイラの頭からは綺麗に消えている。
級友たちと口裏を合わせて、オリヴィアが来ると同時に階段下で「オリヴィアに突き落とされた!」 と騒いだことも。
級友たちと「オリヴィアに呼び出されて脅された」と先生に訴えたことも。
パーティーでは取り巻きの中で一番家格の低い者が、オリヴィアに近づいて自ら果実水を被った。
「きゃあっ!オリヴィア様、何をなさるの⁉︎」
「まあ!オリヴィア様ともあろう方が!」
「私、今オリヴィア様が果実水を掛けたのを見ましたわ!」
そうしてオリヴィアを複数人で卑怯だの冷血だのと責め立てたことも全て都合良く忘れ、アイラの頭は日々の刺激に支配されていた。
「このあと、お友達のエミリー様のお家でパーティーなの。この前と違うドレスを出して」
「アイラ様、以前にも申しましたが、予言の乙女様には被服費はそんなにないのです。何故なら…」
「修道服を着てパーティーに行けって言うの⁉︎信じられない!」
アイラたちは愚かだった。自分たちが貴族で、その行動が親に影響を与え、国に影響を与えることを、本当の意味で理解していなかった。
オリヴィアは常に、何をされても何も感じないかのようにーー或いはまるで相手にしないかのように、表情を崩さなかった。
場を収めるために、自分に落ち度があったと認めるときでさえ、微塵も悔しさを滲ませなかった。
アイラの心は荒れた。
(私を無視するんじゃないわよ‼︎‼︎“私を見なさいよ!”私は、特別なの‼︎)
ある夜、温室の片隅にフィンレイを呼び止めた。
「ねぇ……お願いがあるの」
「何でしょう、乙女様」
「殿下に婚約破棄させてあげて。このままじゃ嫌々オリヴィア様と結婚しなくちゃいけなくなるわ。
それに、私が王太子妃に相応しいんだって認めさせてあげてほしいの。きっと自分からは言い出せない方だから」
フィンレイは一瞬だけ黙したが、やがて細い笑みを浮かべた。
「……心を操るには“燃料”が要ります。急激な心の変化は周りにも怪しまれますよ」
「何でも差し出すわ」
アイラは熱っぽく言った。
「それに心の変化じゃないわ、オリヴィア様じゃなくて、私のことを好きなのは変わらないでしょう。」
頬に手を当てて、恥ずかしそうに俯くアイラと反対に、フィンレイは天を仰いでいた。
「では、貴方様の類稀な幸運の一部を代価に。王太子様とオリヴィア嬢の婚約破棄と、あなたが王太子妃に相応しいという考えを彼の中でーー、あー強めましょう……。」
数日後、アルヴェインの言葉はさらにアイラに甘く注がれるようになった。
「君こそが僕の光だ。…思うのだが、君がオリヴィアにされてきたことを皆の前で告げようと思う。彼女には“一人で”反省する時間が必要だ」
「オリヴィアとの婚約を破棄し君を選ぶ。隣にいてくれるか……アイラ」
その囁きに、アイラは満足げに頬を染めた。
――自分が何を差し出したのか、深く考えもしないまま。
(フィンレイの言うことはいつも難しくてよく分からないけど、今こうやって凄く幸せなんだから、ちょっとくらいの幸運はあげても良いかなっ)
ーーーー
アイラの長所は良くも悪くも素直で、何事も信じやすいことだった。
「アイラ様、次期王太子妃になられるんですもの。こうして“楽しく”お茶をするだけでなく、社交の駆け引きも覚えなくては」
ある時、取り巻きのーアイラにとっては級友のエミリー侯爵令嬢が言った。
「ええっ…私、そういうの恐いわ」
「大丈夫です!アイラ様が王太子妃に、ゆくゆくは女王陛下になられても私たちは“ずっと”お支えしますわ」
既に駆け引きは始まっていた。
「アイラ様ぁ、王太子妃ともなると、国のために清濁併せ呑むことも必要になりますわ」
「我々貴族も、国のために、涙を飲んで辛い決断をすることもございますが、アイラ様は予言の乙女に選ばれる清らかなお方ですし、教会におられたので“そういった”ことはあまりご存知ないと思います」
「私たちが、アイラ様にお教えして差し上げますね」
「有難う!皆さん!」
間違ってはいない。王太子妃となれば、特にこの国では、暗殺の対象になったり、そうした動きを見せる貴族を先に牽制したり、時には始末することも致し方ない可能性もあるだろう。
級友たちは、オリヴィアの家と対立する貴族である親からの使命を帯びて、その後も清濁の濁の意味について、アイラに教えてあげていた。
だが、アイラがを”級友に教えてもらった“暗殺者をオリヴィアに差し向けたのは、どう言い繕っても単なる私怨でしかなかった。
暗殺は未遂に終わったが、アイラは人の命の価値すら、分からなくなっていた。
(上手くいかないものね、しぶといわ。)
しくじった暗殺者は級友の家が巻き込まれては敵わないと秘密裏に処理した。
その報告を受けてもアイラは何とも思わなかった。
「そう、有難う。また良い人がいたら紹介してっ!」
そう殺しを笑顔で要求するアイラに、取り巻きですら笑顔が引き攣っていた。




