第六章:都合の良い世界
予言の乙女アイラの過去のお話です。
予言の乙女視点のお話は次話で最後です。
翌日、王太子アルヴェインの私室。
深紅の絨毯、整えられた書類、窓辺の葡萄酒。
アルヴェインは柔らかな微笑で迎え、椅子を引き、彼女の手を取る。
「来てくれて嬉しい、アイラ。君が微笑むと、城全体が明るくなる」
その声音は甘い。
「城下の祭礼に出てほしい。君がその愛らしい姿を見せれば、民は安心する」
「もちろん!。私の務めですもの」
(やっぱり、殿下は私を愛してくださっているわ。愛らしいなんて…)
彼女の頬は自然と紅潮した。
贈り物は続く。瑠璃の髪飾り、南方の香、絹の手袋。どれも側近が選び、王太子は渡す役に徹しているが、アイラは気づくことがない。
王太子に本来の愛はなくても、言葉と所作は優しい――アイラが信じたい形そのままに。
やがて貴族の声は二つに割れた。
「乙女様は可憐で、王家を支えてくださるでしょう」と囁く野心的な若い貴族。
「乙女様はオリヴィア様と違って、民のために努力なさらなう」と顔を曇らせる保守派の貴族。
アイラは前者の声だけを拾い、後者の声は侍女が事前に摘み取った。
「乙女様の耳に嫌な入らないように気をつけてね」
「ああ、あの人嫌なことがあると八つ当たりがひどいものね…」
「不敬じゃないの?」
「でも、どうせ田舎の男爵家で、しかも親に捨てられた子でしょう?」
「予言だって最近全然しないじゃない」
「無駄に鏡ばかり見てるわよね」
アイラを支える“縁”である筈の侍女たちは、主を陰で嗤った。
祭礼の一幕。
雨でぬかるむ通り、行列の端で子が転び、膝から血を滲ませて泣く。
アイラは瞬きもせず、白い裾が汚れぬよう一歩下がった。
(うん、危ない危ない。この衣装高いんだって侍女長がうるさかったもんね。予言の乙女らしく出来てるじゃない私っ。)
彼女の笑顔は可憐な華のように鮮やかで、その血は底冷えするほど冷たい。
道の端に並んで予言の乙女を見ていた人々はざわついた。
「オリヴィア様は、以前馬車の前に飛び出した子供のために、しゃがんで手当てをしてくれたのに」
「静かに!聞こえるわよ……」
「だってそうだろう?何だあの派手な衣装は。子供より服が大事だって動きだったぜ」
戻ってきた馬車の中、アイラは頬を上気させる。
「たくさん手を振ったわ。殿下も民もきっと喜ぶわねっ」
オリヴィアの身体は、魂の一部が魔界のオリヴィアと繋がっており、感情は次元と時間を超えて共有されていた。
まるで人形のようでも、オリヴィアは人間界で生きていた。
教会の従者も、王城の警備も皆、口には出さないが、同じ空気が流れた。
(国民を救う予言の乙女の行いではない)
フィンレイはときおり姿を見せる。
「お忙しいようですが、ご体調は?」
「うーん。少し疲れることもあるけれど、そんな時はちゃんと休んでいるから、すぐ戻るわ。ねえ、お願いしていた“私が愛され続ける未来”――順調?」
「順調ですとも、アイラ様。それともご不満が?」
「いいえ…」
フィンレイが眉を下げ、見たことのない憂いのある表情にアイラはぽーっと熱に浮かされた。
「ただ、全てに永遠はありません。あなたは全てを差し出したわけではない。…予言の乙女の洞察の全てをいただくわけにはいきません。その可愛らしさも、私がいただいてしまうわけにはいかない」
意味深な忠告だが、アイラは意味を履き違えて舞い上がる。
(あんなに綺麗な人、田舎で見たことないわ。それが、私を可愛いって…‼︎)
私室に戻ると、侍女が告げる。贈り物で被ってしまった櫛を渡してやった侍女だった。
「城下では、乙女様が来られたことで、祭りが更に盛り上がったそうですよ」
「そう。なら良かったわ。みんな喜んだでしょう?」
侍女は一拍置いて、言えない言葉を飲み込む。
――夜灯が減らされて、子どもたちが早く寝かされ、夕刻でも外で遊んでいないこと。誰かが決めた「静けさ」が街を包み始めていること。
ーーそれらを予言してくれず、美しく高価な衣装を着た乙女が祭りで楽しそうに笑っていたことに、民が苛立っていること。
部屋の端で、使用人の子が重い籠を落としてうずくまる。前回と同じ子供だ。鏡に映った姿にアイラはただ呆れた。
(使えないわね)
侍女が助けようとする前に、アイラは指先で制した。
「ねえその子を下げて。私使えない子って嫌いなの」
美しい物語の中で生きているアイラには見えないところで、不満と違和感は波紋のように静かに広がる。
アイラの予言の乙女の修練は遅々として進まず、本来あった筈の洞察は、むしろ喚び出した当初より低下していた。
「鍛えた筈なのに、どういうことなの?」
「鍛えていないのよ、なんだかんだと理由を付けて、全然修練をしないの。教科書に折り目すらついていないわ」
「あんまりだから、貴族用の学校に入れられているのに。他の貴族子女の学問への向き合い方を見れば、頑張らざるを得ないのでは?」
「それが、予言の乙女だからって権力に群がる蛾のせいで周りが見えていないのよ。注意してくる人全てをイジメだって言い張っているらしいわ。」
予言の乙女の担当教師たちは王城の控え室で肩を落とした。
「あの子は駄目ね」
自らの知らぬところで烙印を押されたことなど気付く由もなく、殿下に愛され、級友にも愛される――世界は自分を中心に回っていると信じ込んだ。
あまりにも都合が良い日々だった。




