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第三章:人形の追放

 王太子からの婚約破棄宣言の翌朝、別荘領地に向かう準備も整わぬまま、オリヴィアは王城の尋問室へと呼び出された。


(まあ療養地送りは、まだ陛下が口頭で仰られただけの仮決定だったけれど…良い呼び出しとは思わないわね…)


 やたらと大きな窓が並ぶ廊下。壁には王家の紋章を刻んだ重厚な扉が並び、日焼けを防ぐために全て重たいカーテンを閉めている。


 メイドや職員たちは元々目に付かないように控えているものだけれど、それにしても意図を感じるほどに視線を合わせようとしなかった。噂は既に広まっている。時々聞こえてくるのは楽しそうな声。


 「大勢の前で王太子に捨てられた惨めな令嬢」

「予言の乙女をいじめていたんですって」

「王太子と予言の乙女の仲に嫉妬したんでしょう?」

ゴシップに浮き足立って不幸を喜ぶ興奮が伝わる。


(まるであのバカ二人の恋物語の悪役ね)


 うわべだけの礼儀をまとった貴族たちは、今やオリヴィアの名をあざ笑い、王太子妃の椅子を我が子のために狙う腹黒い狼の群れだ。薄汚れた人間たち。


 呆れを顔に出さぬよう上下の歯をしっかり噛み締め入場した、尋問室の中は薄暗く、正面奥の椅子に王太子アルヴェインが腰かけていた。

 その隣には、「予言の乙女」アイラが控えている。


 今日は陛下のお姿は見えなかった。いるのは今まで王太子の面倒を見ていたーー恐らく王太子は自分の味方だとでも思っているのだろう面子ばかりだった。


 涙に潤む茶色の瞳で、アイラは震える声をあげた。

「オリヴィア様……どうして……あんな酷いことを……!」

 嗚咽混じりの演技。


 少なくとも城で働いている廷臣たちは皆、哀れむような視線をオリヴィアに向けている。


 (ひどい茶番ね。)


廷臣たちは分かっている。オリヴィアはこの王大使に嫉妬するような感情を持ち合わせていなかったことを。


 王太子は椅子から立ち上がると、オリヴィアを見下ろし、薄く笑った。

「これまでの君の行いが全て明らかになったんだ。アイラを虐め、貶め、王妃の座を守ろうとした。その醜い嫉妬心が、君をここまで堕としたんだ」


(このバカは…昨日の騒ぎで懲りずに、自分が正しいことを主張するためだけに呼び出したのね…)


 オリヴィアは冷たい瞳で彼を見つめ返す。

「証拠はどちらに?」


 その一言で、王太子の顔がわずかに歪むが、手にした書類を印籠のように掲げた。

「これだ!アイラを虐める君を見た者が複数いる!」


複写された書類を、集められた貴族や廷臣たちが読み始めるが、あまり表情は芳しくない。


 「…まず、証言だけでは証拠になりませんわ。しかも、この証言者は全て我が家と距離のある派閥の貴族ばかりではなくて?」


 声を張り上げた王大使に対して、オリヴィアの静かな声の方が部屋に響く。


(距離がある、と言うより敵対派閥しかいないじゃない)


 部屋の空気が夜の波のように静かにざわめき、王太子は苛立ちに顔を赤く染める。


「またそうやって詭弁を弄する!君はいつもそうだ!冷たくて、感情がなくて、まるで……」

 まるで人形だ、と言いかけて、彼は口を噤む。


 オリヴィアは小さく笑った。

(それはそうね、 私はずっと“人形”だったのよ)


 人格が封印されているから、何をされても、誰に罵倒されても、ただ従うだけの空っぽの器だった。

 しかし今ここにいるのは、魔界で育った“本当のオリヴィア”だ。


(仕方ないわね。言葉をサポートしてあげましょうか。)

「人形、でしょう?」

 失礼で幼稚なその言葉を先回りする。


  青い瞳が氷のように冷たく輝く。


「そうですね。私は、ただ王家と侯爵家のためだけに育てられた存在ですもの。殿下にとっても都合のいい人形だったでしょう?でも──」


 オリヴィアは中央の席を立ち、ゆっくりと王太子に向けて一歩前へ出る。

「もう人形はやめた方が良いみたいですわね」


 王太子は怯えたように一歩後ずさる。

 まるで動くはずのない人形が動いたかのような、不気味な物でも見たかのような表情で。


 アイラは震え、助けを求めるように王太子の袖を掴んだ。

「殿下……オリヴィア様が怖いです……!」


 周囲の廷臣も貴族たちも静まり返り、ただ彼女の言葉を聞いていた。


(この程度で怯えるの?)


「…たしかアイラ様は私に」

更に一歩。

「貴族学校で、このように壁際に追い詰められて…」


「ひぃ‼︎」

「アイラに近付くな化け物‼︎」

証言書によれば、貴族子女が通う学校で、アイラはオリヴィアに壁際に追い詰められた後、頬を張られたり、罵詈雑言を聞くまで耐えられた筈なのだが…。


(呆れちゃうわね。そんな覚悟で私を呼び出さないでほしいわ。こっちは早く魔界に帰る方法を探さなくちゃいけないっていうのに)


「殿下、お言葉ですが、今も今までも、私は何もしておりませんよ……」

さすがに無感情なオリヴィアのままでいられず、呆れが全面に出ていたように思う。


 アイラが本気で王太子の伴侶になりたいのなら、意地悪の一つや二つそよ風のように対応できなくてはならないことは常識だ。


 ただ一二歩の距離、令嬢が近寄ってきたくらいで泣いて王太子の腕に縋るなど…。この程度で大騒ぎしていたのかと、呆れは部屋中に伝播していった。


 尋問は、早々に一時中断となり、オリヴィアは護衛に連れられ尋問室を後にした。


 護衛──近侍という方が正しいそうだ。王城警護課より警護技能も修めた使用人として、昨日の女性──シャーロットが付き添っていた。


「オリヴィア様……」

 彼女はオリヴィアの顔を見つめ、そっと唇を噛みしめた。

 「…やはり痛みますか?」

女性は私の顔を見て、なんだか自分が叩かれたような顔をしていた。


 「問題ない範囲です。お気になさらず。」


 口の中から口唇を噛み切ってしまったので、殴打の痕と混じって派手に赤く、口の周りが赤と紫の斑らになっている。

 父上は右利きなので、左側が酷い。


 目の下から口元までの赤み、強い衝撃があった頬に中心あたりは針で突いたような赤い点状の痕が広がっている。

 目の周りは皮膚が薄いせいか口紅を塗ったような見事な赤と紫が額の方に伸びている。


 肌の白さが災いして大分派手な色になっているが、昨日診てくれた医者によれば、医療魔法を使うまでもないらしい。しばらく魔法を込めた薬を塗れば治るそうだ。


 「…常々、思っておりました。差し出たこととは存じますが、エルフォード侯爵の暴力は目に余ります…。その、確かに今は整形医療魔法や高度医療魔法も発展していますが、だからと言って、このように痛みを伴う傷を負わせて良いわけでは…。」


そういえば派手な顔になっている割に、シャーロット以外は誰も声をかけてこなかった。

この身体にはよくあることだったのだろうか。

 (まあこの身体がどうなったって構わない。魔界へ帰る道さえ見つけるまで、問題なく機能してくれれば良い)


休憩用の個室で、普通の令嬢なら卒倒するような悲惨な顔の映る鏡を見ても、慣れたように眉一つ動かさないオリヴィアを見て、シャーロットは胸が苦しくなった。


 尋問はアイラが心労のために継続できなくなったそうで、中止になった。

(阿呆らしい!)


ーーーーーーーーーーーーーー


 意味があるのか分からない王太子主導の尋問と、その裏で陛下が参加された正式な会議が終わった午後、オリヴィアの処遇は決定した。


「婚約は一旦保留とする。オリヴィア・エルフォードには王家別荘領地にて療養を命ずる」


 王の裁定は、騒動の当日に聞いていたものと同じで、一見穏便なものに見えた。


 だが実際には、政治的な追放処分に等しい。

 水の加護を重視するこの国にとって療養には最適な海のそばの小さな城館。王家の別荘であることを考えれば悪くないが、王都から遠く離れた国境沿いで、王太子が頻繁に見舞いに行く場所ではない。


 王太子との婚約を維持し、二人の仲を改善し、進めるのであれば、もっと近場に候補はあった。


 アイラは一応、王太子主導の国家プロジェクトで迎えられた「予言の乙女」だ。特別な地位にある。


 しばらく表舞台に出さず、妃教育を詰め込み、有能な側近を付ければどうにかなると考えたのかもしれない。


 まあ政略結婚とは言え、国中の貴族の前であれほど派手に振られていながら、オリヴィアとよりを戻して王妃になるストーリーを作るより、そちらの方が現実的という判断か。


 それでももしアイラが妃教育を無事終えられないことがあった場合のスペア、もしくはアイラの尻ぬぐいの愛人としてオリヴィアを遠くの地でキープしておくために、遠く離れた場所に閉じ込めておくのだとしたらー。


「……無様ね」


 淡々と支度を進める自室で、オリヴィアは鏡に映る自分に笑いかけた。

 右頬にはまだ赤黒い痣が残り、口角には切り傷が走っている。


 扉を叩く音がして、近侍のシャーロットが入ってきた。

「オリヴィア様、馬車の準備が整いました」


 黒髪をひとつに結い上げた凛とした姿。

 彼女の瞳にはいつも微かな同情と敬意が混じっている。それが少し困るところだった。


「分かったわ。行きましょう」


 一般的な令嬢と比べれば荷物は少ないが、一人で持ちきれるものではない。

 荷物を運んでくれる他の近侍たちは、無感情でただ己の仕事を忠実にこなしていた。

(こっちの方がいいわ…。余計なことを考えなくて済む。)


 今朝の空は鉛色の雲が低く垂れ込めていた。

最近は陽が差さない日が続いている。


 乗り込んだ馬車の中はひどく冷えていて、湿った空気が肌を刺す。


「寒いですね」

 向かいの席に座ったシャーロットがそう言った。王家の別荘に住む関係なのか、彼女がオリヴィアの今後の生活の世話と警護をしてくれるようだ。


 オリヴィアは答えない。ただ、震える指をそっとドレスの裾に隠した。

 封印解除の影響が現れ始めてしまった。夜中からオリヴィアの身体は断続的に微熱と疼痛に苛まれている。

丁度訪れた痛みの波に、頭を押さえず座った姿勢を崩さないだけで精一杯だった。


「オリヴィア様、これを」


 差し出されたのは、淡い香草の匂いがする薬湯入りの皮袋だった。

 オリヴィアは一瞬だけそれを見つめ、無言で受け取る。


「ご無理なさらないでください。体調が優れないときはお伝えを」


「……ありがとう」


 結局バレてしまってなんだかバツが悪い。

 そういえば魔界では、ありがとうは毎日言っていたのに。人間界では、初めて言った気がする。


 馬車ーー名残でそう呼ばれるが、魔法で自動運転化している、箱と車輪のような乗り物が動き出すと、窓の外の景色が流れていった。


 王都の壮麗な城壁、昼には賑わう商人の通り、まだ多くの子供たちとその親たちが眠る住宅街。

 すべてが遠ざかる。

 その向こうに、うっすらと北の空に黒い揺らめきが見えた。


(……魔界門……?)


 震える胸の奥に、微かな希望が灯る。


(そうよ、大丈夫。あの場所から帰れるかもしれないわ……母さんのところに)


 馬車は北へ、北へと進む。


 その日、オリヴィアの送別に泣いた者はいなかった。

 父も、母も、兄たちも。

 ただ一人、馬車の中でシャーロットだけが、何度も彼女の名を呼んだ。

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