第ニ十五章:手遅れ
報せは、シャーロットの首元から始まった。
突然の灼けつくような痛み。
「かはっ⁉︎ーーーっ‼︎⁉︎」
首元の布を引きちぎらんばかりの勢いで捲り、確認すれば、奴隷紋は焼きごてで押したように黒く膨れ上がって、周囲は赤く腫れていた。
「ーーハッ、うう…。オリヴィア様!」
だが大祈祷の夜には、このような痛みではなかった。眠気も吹っ飛ぶような痛みではあったが、ここまでのものではない。紋様の浮かび方も違う。
今回はまるでーー。
「オリヴィア様が危ない‼︎」
死んでしまうことが確定しているかのような、不吉な赤黒さだった。
身体中がビリビリ痺れた。シャーロットの周りをシャボン玉のような虹色がパチリパチリと取り囲んでいる。
「どうして、どうして転移しないの⁉︎」
大祈祷の夜は、王家の儀式上に強制転移させられた。
今回だって主人危機に転移し、命を懸けて守るよう、奴隷紋は指示するはずなのに。
オリヴィアの医室は空で、見張りは死んでいた。
「くそっ!」
シャーロットは近衛たちにオリヴィアの危機を知らせた。今この状況でオリヴィアが何者かに殺されでもしたら、国は大荒れになる事間違いない。
大祈祷に巻き込まれた家族の対応、王都を中心に小規模な暴動や、あちこちの公的機関からの問い合わせ、身勝手な貴族たちからの過度な要求など、軍も警察も人手がない中、それでも多くがオリヴィアを探しに出てくれた。
「シャーロット殿!鎮痛剤と冷魔布です。こちらお使いください!」
そう言って袋を手渡したのは、以前に奴隷紋の話をした近衛だった。
「シャーロット殿が首元を痛がって負傷しているようだと伺い、お役に立つかと…」
「有難うございます…ふっ、うぅ…」
シャーロットの堪えきれない涙に近衛が動揺する。
「どどうなさったのです⁉︎あ、いえオリヴィア様が行方不明と聞きましたが、ご心配ですよね、申し訳ない。」
「転移しないのです…オリヴィア様の元に。奴隷紋は発動しているのに。私は役立たずです…。」
「なんと…」
二人は知らなかった。
エルフォード家の魔術師は、一度目の失敗の後、侯爵から酷い罰を受けていた。
心身には醜い傷跡が残り、外を歩く際には目深にフードを被らねばならなかった。
魔術師は自身の姿を鏡で見る度に思った。
「次こそは成功させよう」
魔術師が儀式の最中、誰にも邪魔をさせないという強い意思のもとに敷いた結界は戦争でも行うのかというほど強固なものだった。
大祈祷の夜は中から逃げ出そうとした国家魔術師たちがいたことで結界が揺らいだが、今回の参加者ではそうはいかない。
やがて儀式が失敗に終わり、陣の爆発や術者の集中が途切れたことで、結界が揺らぐと、シャーロットは一瞬でエルフォード家へ転送された。
しかしもう手遅れだった。
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冷えた石段に転送され、強かに尻を打った。
「ーーっ、オリヴィア様!」
苔や滑りのある石段を駆け下りる。たいまつの橙揺れ、鼻腔には薬草と煤と血の匂いが貼りついた。
円形の儀式場に踏み入った瞬間、シャーロットは息を呑んだ。
床の陣は焦げ、一部は捲れ上がっている。爆発を起こしたような穴が空き、異形のような何かが複数蠢いている。
正面にぶら下がる鎖には、オリヴィアとは違う少女が吊られており、あちこちズタズタに切り裂かれていた。足元には血溜まりが出来ている。
「…何て惨い…」
その時何かを感じた。
シャーロットはゆっくり振り返る。
もう片側の鎖に、白い静寂の中に――オリヴィアが吊られていた。
蝋燭の柔らかな灯りの中で、幻想的なまでに美しく、在った。
シャーロットは膝から崩れる勢いで駆け寄り、手袋を外して頬に触れた。冷たい。胸に耳を当て、聞こえるはずのない音を探す。
「……オリヴィア様、起きてください!お願い、目を開けて!」
返事は来ない。呼気の代わりに、髪飾りの金具が微かに鳴った。
シャーロットの首元が輝く。
「ああ⁉︎そんな…やめて……やめて!やめて‼︎」
主人の死去に伴う奴隷の解放だった。
「いやあぁああああああ‼︎オリヴィア様ああああぁあぁあ‼︎」
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オリヴィアの生家であるが、王太子派であることから、家を捜索させてほしいと門番に頼んでいた警官たちは、突然現れた爆発音と家屋の揺れによって怪我をした使用人の対応をしていた。
門をガシャガシャと掴み、開けてくれ!と何人もが縋っている。
「旦那様が!旦那様と奥様が、儀式場で魔術師と何か行っています!痛い!早く開けて助けて!」
「オリヴィア様が!オリヴィア様が生贄に!怪しい男たちがオリヴィア様を儀式場に運び込んでいました!」
「何だと⁉︎」
警官が儀式場に踏み入ると、シャーロットの慟哭が響いていた。
警官たちは状況を記録する魔法をすぐさま展開し、異形の四名と、蘇生の可能性があるとしてオリヴィアとアイラも病院に運んだ。
急ぐあまり、民に知られぬようにとまで連絡が行き届いておらず、オリヴィアが消えたことは聞き込みの警察などから市民に伝わっていた。
エルフォード邸から爆発音があれば人々が集まるのは自然だった。
そして正気のないオリヴィアが運ばれて行くのを見て群衆の怒りが爆発した。
「聖女オリヴィアが殺された!」
「予言の乙女アイラじゃないか⁉︎」
「なんて事!血だらけ…ああぁあ…」
「ひでぇ…」
「子供に見せるなよ!表に出すな!」
聖女として国を信じられなくなった人々の心を繋ぎ止めていたオリヴィアの死
殆ど信じている者はいなかったが、それでも予言の乙女として祀られたことのあるアイラの無惨な死。
――二つの喪失は、崩れかけていた柱を一気に折った。
「子の血で繁栄を買う者に、王冠は似合わぬ」
裁判判決は早かった。王と王太子、エルフォード公爵夫妻、エルフォード家の魔術師は斬首刑となった。
王も車椅子に乗っての裁判だったが、他の四名は悲惨であった。このまま楽に死なせてはならぬという医師たちの執念とも言える治療のおかげで、死ぬほどの怪我ながら生きていた。
痛み止めの効き切らない全身の痛みを抱え、無くした皮膚を補う薬剤ジェルを塗りたくり、裁判の間は辛うじて病衣に近い布を着けているような状態だった。
息を吸う度に喉と肺が痛む。それでも必死にエルフォード夫人は訴えた。
「殺して…早く殺して…」
罪状とともに名が読み上げられる。
処刑の日、広間は祭りのような熱気と人で埋まった。刃が鈍い光を吐いて落ちる。
首が石畳に転がるや、民衆は石を投げ、歓声を上げた。
長年押し殺してきた憤怒が、ついに行き場を得たのだ。
アルヴェインだけは異質だった。斬首台前で民の投石が幾つも当たり血を流していた。そろそろ執行の邪魔になるというところで、係が民衆を押さえると、その時、アルヴェインの身体から赤い煙が立ち上った。
「ぎゃあああぁあぁああああああああ!!!!!」
喉から血を噴くような絶叫に、広場中がどよめいた。
アルヴェインの頭上には大きな蝙蝠のような翼の悪魔が、嗤いながら浮いていた。
「殿下、後払いとは言え、死ぬまでには払っていただかないと……」
身体中の血液を搾り取られたアルヴェインは枯れ木のようだった。
係が両脇を支え、抱えるようにして、まだ息があるのを確かめた。
「まだ息がある…!」
「良かった!」
アルヴェインの目が笑顔の係を捉えて新しい涙を浮かべた。
「死なれちゃ執行できないもんな」
そう言ってアルヴェインの首を断頭台に置いた。
(助けて……)
アルヴェインは救いの手を思い浮かべる。
国王である父、完璧な婚約者オリヴィア、予言の乙女アイラ、
だが全て既にこの世にいなかった。




