第十九章:大祈祷の夜
王都に夜の幕が下りる。
それは獣が息を潜めているような沈黙だった。外縁から順に夜灯が落とされ、今や王都と言うより森の中のように真っ暗だった。
何故か親たちが固く抱いていても、ドアに釘を打っても、子供たちは消えた。
路地では、親たちが灯りを掲げ、警邏とともに名を呼んで駆け回る。
「ミラ! ミラ!」
「オリバー!お願い返事をして!」
「いやあああああ!ジョージ!エバ!ノア!」
返事はない。濡れた石畳を靴音が打つ。警邏たちは事情を知らず、必死に子供たちを探していた。
「こんなに子供たちが消えてるってのに、どうして今灯りを消すような工事を止めないんだ?」
「普通は灯りを付け替えないか?消えるばかりで…」
「子供の捜索に王家から援軍が出てないのも変だろう」
子供の靴が片方、桶の影に転がっていた。犯人に抵抗したのか血が滴っている。
「早く見つけてやらないと…!」
王城は煌々と明かりが灯っていた。城門には多くの父母が押し寄せていたが、王城の地下の儀式場は喧騒と離れ、張り詰めた空気の中、誰も声を出せずにいた。
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儀式場の吹き抜けを囲む回廊。
オリヴィアは暗がりに身を寄せ、息を整えた。
(癒しの魔術、重ねが消しておくべきかしら……。いえ、魔力を残しておいた方が良いわ。
大丈夫。私は悪魔の娘ーー。こんな晴れ舞台、あいつらの練りに練った計画を、あと少しと言うところで潰してあげるなんて、楽しみで仕方ないじゃない。
出来るわよ、根性根性!よし!)
背筋を正す。
視線の先で大きな扉が開き、神官たちが祭器を並べる。床石には赤い魔方陣が四重、五重と編まれ、中央で檻に入れられた子どもたちの肩が痙攣のように震えている。
(あんなにたくさん…‼︎数百人?嘘でしょう…)
「手を貸すよ」
横合いから気怠げな声がした。
振り向けば、暗がりに金の瞳――フィンレイが柱にもたれていた。
「あなたの“手”は、代償付きでしょう。
残念だけど、今の私は物理的に渡せるものがないわよ。もう血も肉も美味しそうじゃないもの」
オリヴィアの棘ある言い方に、彼は肩を竦めた。
そして懐から出したのは古めかしい鍵だった。
「……⁉︎何の冗談?」
「仕方ないだろう。他に悪魔の誠意を見せる手段はない。両手を上げても口を塞いでも、俺たちは魔術が使える」
「だからって…いえ、これが本当だって証拠は?」
フィンレイは黙ったまま、右手で炎を燃やすと鍵に翳した。
途端にフィンレイの肩から煙が出る。
「っ待って!疑って悪かったわ!」
フィンレイはわざわざ呪文を唱えながら自身に治癒魔術を施す。
「誓って契約じゃない。申し出だ。……仕事とは言え、あんたには悪いことをしたと思っている。」
「……何をしてくれるの?」
「あんたは、あいつらの前に出ていって、儀式の邪魔をするんだろう?
だが多勢に無勢だ。人間どもが忘れてしまった古代魔術を、あんたが使えるからと言っても、神官だの国家魔術師だの魔法が使えるやつは大勢いる。
檻にいる子供だって解放しなきゃならない。いやむしろ人質に取られたらどうする?」
「ーー。大丈夫。この子供たちを囲んでいる魔法陣、血で描かれているから、姿を消して私の血を混ぜに行ったのだけど、違和感がなくて助かったわ。」
「成程。子供たちを外部から隔離する呪いを掛けたな。」
「ええ、そして転送先は私によくしてくれた土地なのよ。彼らは国に恩を感じていないから、王家が何か言っても聞かないわ。
きっと子供にも良くしてくれるはずよ。」
「それに、今日私がこの国の“皆んな”に、本当のことを教えてあげるから、きっと遠くまで生贄を探しに行くことも圧力を掛けることも出来ないわ。」
「ほう。丁度灯りがないから、よく“見える”だろうな。では俺は自分の仕事を。アイラの幸運の回収をさせていただこう。
ーーしかし子供と民についてはよく考えたようだが、自身を守る工夫はザルだ」
「…それは、体力が足らなかったのよ。思いつかなかったわけじゃない。それに、“皆んな”に暴露すれば、すぐに殺されはしないわ。王家のイメージが悪くなるもの」
「どうかな、この国の王太子殿も、予言の乙女も阿呆としか言いようがない」
フィンレイに言われてオリヴィアは唇を咬んだ。
自分でも詰めが甘いことくらい分かっている。だが、短い時間で酷い体調で、魔術で誤魔化しながら出来ることは限られていた。
「アイラの幸運を代償に、王太子がアイラを王妃に相応しいと思うよう誘導した。まだ代償は支払いきれていない」
「そう……。」
フィンレイの言う、悪いこととは、オリヴィアの身体に残った魂のカケラが消滅したきっかけを作ったことだった。
婚約者の決定的な裏切り。その動揺が傷付いた魂に最後の一撃を与え、空の身体は魔界からオリヴィアを呼び出してしまった。
(フィンレイがアイラの幸運を回収する。ーーアイラにとっての不幸が、つまり私にとって都合が良いことが起こると考えて良いのだろうけど…。
関わっているのはアイラだけではないし、儀式の内容から関係者を極小数にしたようだけど、それでも確かに私一人では難しい…念のため護符を…)
魔法陣の外側に並んだ国家魔術師達が低い声で悪魔召喚の詠唱を始めた。赤い血の紋がギラギラと輝いた。
子供たちが恐怖に泣き叫ぶ。
床に敷き詰められた石の隙間からごぼごぼと泡立つ何かが溢れ出す。
慣れているのかフィンレイの声は穏やかだ。
「忠告をひとつ。ここを見逃せば、君が集めてきた分を上回る“絶望”が一晩で流れ込む。門は早く開くだろう。……楽だ」
「楽は嫌い。あれは私に要らない絶望よ」
言い切ると、フィンレイは薄く笑って「了解」とだけ返し、慇懃に礼をして一歩退いた。
王族席の中央、老王は座したまま、虚ろな目で儀式を見ている。
アルヴェインは些か疲れているようだが、満足気に口元が微笑んでいた。その横にいるアイラは、アルヴェインの美しい容貌に見惚れていた。
(最低ね。フィンレイの言う通り。この国の王族も予言の乙女も、自分たちのことしか考えてない頭すっからかんばかり。)
王宮お抱えの魔法使いである、国家魔術師たちは、人体実験を厭わなかった魔導師長がオリヴィアに粛正されて以降、残った“まとも”な者たちは、王命と倫理の板挟みに立っていた。
(こんなもの……祈祷ではない)
誰かが唇を噛み、別の誰かが目を伏せる。だが自分が逃げたところで儀式が止まるわけではない。震える手で祭器を持つ。
「開始」
主神官の低い声。赤い円陣が一斉にに輝き、甘い香りが放たれそしてーー。
強烈な爆発音が鳴り響いた。魔法陣に沿って地面が捲れ上がり、石床は砕けて飛び、もうもうと煙が立ち込めた。
「何だこれは⁉︎」
「失敗です!儀式に失敗しました!」
「おい!贄の子供は無事か?!死んだら儀式のやり直しが…」
オリヴィアはわざと踵を踏み鳴らし、回廊から堂々と歩み出た。靴音が石床で高く鳴る。視線が一斉に集まった。




