第十八章:予言の乙女の力
城の外縁から、夜灯の数が目に見えて減った。見回りの足音は多く、人々の警戒や不安を緩める祈祷歌の楽譜を抱えた教会の従者があちこちに派遣された。
アイラは窓辺で白い外套を羽織り、香油を一滴。
「今日も、私の出番なのよね」
神から祝福された予言の乙女には、予言以外にも祝福の影響があるらしく、アイラの祈りは周囲の人の祈りを強めるらしい。
今度行う大祈祷とやらのために、国家魔術師たちの祈りの力を増すよう願うよう依頼されていた。
彼らは“何故か”必死な様子で、縋るように、硝子細工のようにアイラを扱ってくれた。
(乙女様って言われるのは嬉しいわよね。国家魔術師たちって良いところのお坊ちゃんばかりだし。ちょっと祈るだけで良いんだもの。「助かりました!」って感謝されて……)
鏡に微笑むと、胸の奥でわずかな違和感があった。
(なに? 疲れかしら)
すぐに忘れる。そう思い込む。
今日も拍手が、彼女の違和感を上塗りするはずだから。
廊下に出ると、侍女たちが蒼白い顔で言った。
「乙女様……昨夜、城下でまた子供が五人も……」
「田舎の方では更に酷いとも聞きます…」
「乙女様宛に嘆願書もこのように…」
「なぁに?私は予言しか出来ないんだから、助けてって言われたって何も出来ないのよ?」
「ですが、王太子殿下に進言出来るのは予言の乙女様しか…何か対策を講じてくださるかもしれません…」
「そうです、それに乙女様には祈りの力を強めるお力もございます。子を守るまじないの力もきっと強められます!」
「被服費にされました予算は本来、乙女様が民をお救いしていることを知らしめるため行事について使用する予定で…」
「あの、そろそろ子供たちの行方について予言を…」
「もう!後にして!そんな病人みたいな顔でピーチクパーチク言わないでよ!殿下をお待たせできないわ」
侍女たちの口がつぐまれる。
アイラは裾を持ち上げ、踵を鳴らして歩いた。
(予言、予言って……! だってすごく疲れるんだもの! あいつらは何も知らないで簡単に言うけれど!)
――予言の乙女として召喚されたばかりの数か月前の記憶が、彼女の中に鋭く残っていた。
祈祷場で無理に魔力を絞り出させられたあの夜。
「乙女、まだ何も予言出来ておりません!もっと集中なさいませ!」
「早く予言を!」
(うるさい!うるさい‼︎あんたたちがそうやって声を掛けて邪魔するから出来ないのよ!)
硬い石床に座らされ、額から汗を流しながら震えた。
アイラは集中することが苦手で、予言の祈りを初めて魔力を少し使っては中断してしまったので、結局何も成果が出ないまま、時間と魔力が想定よりも費やされていた。
「もう、無理……」と愛らしい顔で泣いて告げても、老人たちは取り合わなかった。
「お願いです乙女様!国のためです!」
「幼子たちが飢えているのです!」
老人たちはアイラの心にどうにか火を付けようとしたが逆効果だった。
(国なんか知らない!知り合いでもない子供なんてどうだって良いわよ!それより“私を助けなさいよ”)
次の瞬間、力が途切れ、視界が白く弾け――気づけば倒れていた。嘔吐と、失禁した。
王太子だけでなく、国王も功を焦った担当者たちを諌めた。
アイラを介抱した医療魔術師たちにとって嘔吐も失禁も見慣れたもので、噂を聞いた者も可哀想だと思うばかりだった。
「私は貴族なの!予言の乙女なの!特別なの!あんな汚いの、死ぬより恥だわ‼︎」
その時はまだ、貴族令嬢としては許せぬ穢れであったかもしれないと、まだ周りは彼女を丁重に扱った。
元の性分に加えて、トラウマは彼女の努力を凍らせた。
予言の才は本物だった。神の祝福もあった。修練を重ねれば力を発揮できたはずなのに――。
アイラは以後、努力そのものを拒絶した。
それでも許されてしまったが故に増長した。
(何だ、パーティーや行事でニコニコ笑ってれば良いんじゃない!)
「あの後だって、どうしてもって言うから、倒れたりするのは怖いけど、何度か予言を“してあげた”のに!それで皆んな助かったんでしょう?贅沢言わないでよ!おまけに予言以外のことまで言ってきて!」
ドスドスと廊下を踏み抜かんばかりに乱暴に歩き、怒りを発散させた。
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大祈祷が近づく。――彼女の机に届いた書類の束。そこに記された言葉は可能な限り柔らかく飾られていた。
街の灯りを消し闇を濃くすることは 「灯を捧げる」とされ、「乙女の祈りによる繁栄の強化」は、祈りで強化した魔術師たちによる幼子を生贄にした悪魔契約の残酷な儀式の隠れ蓑だ。
文官が見逃したのか、それとも誰かに気付いてほしいのか、本当に目を通せば、誰にでも分かる矛盾と異様さが並んでいた。
「贄」「代償」といった神への祈りとは異なる準備。
そして一言も神や天使に触れていない。
けれど、アイラは羽根ペンをくるくると弄びながら、斜めに署名した。
その瞬間に数百もの子供の運命が決定したのだ。
「うーん、この羽ペンじゃなくて、真珠が付いたのってなかった?」
窓の外で、泣き叫ぶ母の声がかすかに届いた。
アイラは眉を顰め、手元の宝石箱の蓋を閉じた。 昼間にあった成り上がり貴族の子息から贈られた政治的意味合いの強い贈り物だった。
「気が散るわね、どれだけ大声で騒いでいるのよ。侍女、窓を閉めてちょうだい」
「サインの前にちゃんと内容をお読みください」と差し出しても、アイラは鼻で笑った。
「こんな難しいの、分かるわけないじゃない。学校でだって習ってないわ。殿下に任せればいいのよ」
(王太子妃になろうというのに、学校の内容で物事を判断するのは間違いに決まっている。
特別な教師を複数付けてもらっておきながら、逃げ回っているから分からないのよ)
侍女たちは心の声に蓋をした。
「ですが、これは私どもには文字が見えません。“特別”な方しか読めない術が施してあります。きっと大事な……」
「なんか毎晩呼ばれて祈ってるから、やることなら分かるわよ、大丈夫」
特別になりたいと言いながら、アイラがその責任に向き合うことはなかった。
やがて私室での語らいの場で王太子が言った。
――王家が行おうとしている残酷な儀式。子供を生贄にする“大祈祷”。
どうせアイラは内容を理解していないだろうという可哀想な推測からだった。
「……国のためなんだ。」
王太子の俯いた、苦渋の決断に見える顔の造りの美しさだけをアイラは見ていた。
「国のためですもの。“清濁を併せ呑む”ことも必要ですわ」
アイラは最近知った言葉をひけらかしながら、王太子に同調した。
王太子はオリヴィアと違って、己を肯定してくれるアイラを選んで良かったと改めて礼を述べた。
「予言の乙女がそんなもののために祈らないと言えば、まともな教会の人間に告発していれば、王太子に苦言を呈していれば、身を張って子供たちを守っていればーー。
子供たちは、守れたかもしれないな。」
ヴァルドがそう言うと、フィンレイは疲れ果てた顔で頷いた。
「ああ…。アイラが目を逸らし耳を塞いでも、アイラが悪意を持っていなかったとしても、アイラが行わなかったことと行ったことのせいで発生した悲劇は、いずれアイラに戻ってくる。」
二人の悪魔は、空中で向きを変えた。
足元の町では、子供の泣き声と母親の慟哭が続いている。
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大祈祷の当日、日が落ちかける頃、フィンレイが最後の確認に現れた。
「たとえば今夜――灯が落ちても、あなたはただ笑っていればいい……。大事な儀式があるのでしょう?」
「どうして知っているの?限られた人しか知らない特別な儀式なんでしょう」
「あなたが関わることなら、私は全て知りたいのですよ」
「まあ……!」
アイラは頬を赤らめる。疑わしい言葉を微塵も気にする気配はない。
「あなたには今夜、“大切な役目”がある。“民のため”頑張ってください」
「わかったわ!任せて」
アイラは胸を張る。
役目という言葉の重みなど、首飾りの石ほども感じずに。
アイラは知らない。
自分の契約が、何を鈍らせ、どこに影を落としているのか。
彼女はただ、いるだけで愛されていると信じて歩く。
その根は、無条件に愛されて見える兄と姉、そして両親にあるのだが、本人は蓋をする。何だか胸がザワザワする…、そう思うと考えることを放棄する。
半端ではあるが、予言の乙女に選ばれるだけの才覚は本当にあったのに。教会へ預けられた縁もあったのに。多くの人に出会い、助言をしてくれる人は大勢いたのに。
自身と向き合っていれば、どこかで誰かの言葉を真摯に聞いていれば、努力を厭わなければーー。
「そういう契約だからな…。お前が望んだ“特別”の意味も分かるようになるだろう」
フィンレイは溜息を吐きながら首を横に振った。
遂に悪魔すらも見限った瞬間だった。




