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第十三章:干しリンゴ

 「助けてくれ、聖女様……!」別荘を訪れる声は絶えない。

 “聖女”。その名は、オリヴィアの皮膚の内側でじわりと焼けた。

 (私は決して聖女じゃない。)


 真実との乖離のための罪悪感は拭えない。しかし出来る限り、救う。――悪魔の娘の矜持として。

 そして、それは今やオリヴィアにとって“したいこと”になっていた。


 だがシャーロットはオリヴィアを涙ながらに止める。

今朝に至っては大袈裟ではなく、文字通り縋り付いて止められた。

「こんなにお痩せになって!皆の前に出る時は汗もなく立っておられますが、帰る頃には死んでしまうかと思うほどではないですか!昨日だって馬車で意識を失われて……」


 別荘にいる他の使用人たちもオリヴィアを心配していた。エルフォード家は勿論だが、王家もシャーロット以外に使用人を派遣してはくれなかった。王家については求人を出してくれただけ有難いことだ。


 ここの使用人たちの多くは、最低限の管理でほぼ放置されていたこの別荘を、オリヴィアが使うことになってから雇用された。

 急なことで近隣出身の者ばかりだったから、顔見知りである出入りの業者や、家族とのやり取りを通じて間接的にオリヴィアの行いを知ることになったのだ。


「元気になるためのお散歩の筈だったのに、もう骨と皮ばかりだわ。村の人たちが助けを求める度に無理をされるから……。私たちの村は助かるけど、でも…」

「こんなに尽くしてくれる貴族なんていたのね。税金を搾り取って飾り立てる奴らばかりだと思っていたわ。」

「いつも洗濯係の私にまで有難うって仰ってくださって……。なんてお優しいのかしら」


 訪れる者が増え、謎の少女と別荘の貴人様が同一人物であることも徐々に知られている。使用人たちを通して、或いは自力で気が付いて。


 元々の設定に無理があるし、最初は貴族の道楽と拒否されたり萎縮させてしまうことを懸念したのだが、この段階になれば、そこまで止めることもない。


 だが、当初の予想以上に求められる聖女としての役割にオリヴィアの身体は衰弱した。


 オリヴィアは昨夜から何も受け付けていない喉で、シャーロットに答えた。

 「でも、私が動かないと…夜中に死んでしまう子供がいるかもしれないから…。」


 オリヴィアよりも衰弱しているのに、硬い土の上で雨に打たれて死ぬ子がいる。

 子供の亡骸を抱いて泣く母がいる…。


 知ってしまったのだ。現実は文字や話で知るよりも遥かに衝撃的だった。


 人は死ぬと重くなる。間に合わなかった子供が、オリヴィアの膝の上で冷たく硬くなっていく。


 きっと助かると思って、やっと聖女の元に来たのに、救えなかった時の母親の慟哭は、耳を突いていつまでも脳を揺らす。何に例えることも出来ない、ただただその子を想って、悲しみに塗れた声だった。


 魔界の教科書でも見たことのない症状の人にも会った。恐らくは或る病気の最末期。文字だけでは知っていたが、聞くのと見るのとでは大違いだ。


 通常の貴族令嬢のままなら、絶対に知ることはない見た目に変化していたその人は、きっと早く良い医者にかかれていれば、家族手製の座敷牢の中に匿われることもなかった筈だった。

 

 悲劇は溢れている。オリヴィアの目の前で、物語ではなく現実として、日々悲鳴をあげたくなることばかりが積み重なっていく。


 自分が何か出来ていたら、違ったのではないかと、何かがずっとオリヴィアを苛む。


「私に出来ることをしたいわ……」


 体が重い。心臓が鼓動する度に痛む。


 シャーロットが何度も呼んだ医師は、幾度診てもオリヴィアの不調の原因が分からず、そして無理を続けるオリヴィアに苦言を呈した。


 (仰る通りね…、この方からすれば具合が悪いのに動き回って、その癖悪化したら医師を呼ぶんだから、面倒な患者この上ないわ。)


 でもーー。この身体は人間界に置いていくものだ。

(この世界で、ずっと長生きする人たちの身体とは違うから。)


 オリヴィアが自身の身体の価値をどのように考えていても、弱ればシャーロットは泣くし、聖女と慕う人々は不安に顔を青褪めさせる。

 オリヴィアとて何より、帰還まで持たせなければならない。


「自分のしたいように生きられないのは、難儀ね……。」

 その日は別荘の庭で、ほとんど差し込まない陽を浴びながら、素朴な綿の服でぼおーっとしていた。

 草の上で横になるのは何故だかとても心地が良い。


 するとトコトコと小さな足音がした。


 「聖女さま、これ……」

 小さな手の中には干しリンゴ。


 シャーロットが困った顔でライルを連れていた。

聞くと、聖女の体調不良を聞いて、泣きながら門の前に来ていたのだそうだ。


「オリヴィア様はきっと、お連れした方がお喜びになるかと…申し訳ありません、あの、お寛ぎのところに」

想像以上にオリヴィアが寛いでいてシャーロットは驚いたようだ。


 「ありがとう、ライル。」

「うん!」


 笑ってから、ゆっくりと息を吐く。肺が冷たい刃で撫でられたように痛む。

 (急がないと――門が開く前に、私が潰れる)


 フィンレイが言っていた「出来るなら」という言葉が気になってもいた。


 自身の身体が、無理をしているとは言え、魔界の学校で聞いていたよりずっと回復しないことと合わせて、不安は胸の中で燻っていく。


 自室へ戻ると、胸の圧が波状に襲う。指先から身体中の温度が抜け、頭が鐘になったように響く。

 シャーロットが慌ただしく駆け寄り、オリヴィアの額に触れた。

 「ああ熱い…。氷枕をお持ちします」

 「……熱なら、リンゴが良いのよね?」


聞くとシャーロットは泣き笑いのような顔をする。

「食べやすいようにしてもらいます」


 (ごめんなさい……)

 オリヴィアは頷くしかなかった。


きっとすぐ、オリヴィアはいなくなる。

その時に、シャーロットがあまり悲しまないでほしい。

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