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 立ち上がると、タンスの前からドスドスと音を立てて歩く。

「どういうことだ」

 気づくと土鍋の前に立つ先生にそう訊ねていた。

「えっ?」

 先生が首を傾げた。

「どういうことなんだ」

 戸惑う先生を無視して石井は喋り続ける。

「仕事から帰ったら、娘は私との暮らしは耐えられないって出ていったんだよ。二度と会うことはないって啖呵を切って。私からスマホを奪い取って、母親に連絡するって」

「石井さん、何を言っているんですか?」

「娘は俺のスマホをこっそりカウンターに置いて出ていったってこと? なんのために?」

「どうしたんですか。落ち着いてください。何があったんですか」

「娘が、母親を殺して自分も死ぬって……」

 男は驚いて目を見開く。真剣な眼差しで石井を真っ直ぐに見つめた。これは冗談ではないことを確かめるように。

 それから石井の肩を揺すった。石井はどうしたらいいかわからず呆然と立ちすくんでいたのだ。

「石井さん、それなら娘さんに連絡してください」

「あいつスマホ持ってない。母親に取り上げられていたらしい。だから俺のを使って母親に連絡して、家に行くって言ってた」

「落ち着いてください。娘さんのスマホから連絡が来てるってことは、娘さんはスマホをもう取り戻したってことでしょ?」

「ああ……」

 石井は両手で顔を覆い、低く唸った。かなり動転している。

 大きく深呼吸をして、スマホを手に取った。 

「ーー電話してみる」

 娘の番号に繋いでみる。しかし、画面は『接続しています』から変化しない。

「でない」

 背中に寒気が走る。恐怖と絶望で手が震えていた。

「どうしよう、萌々香が……」

 男が石井の背中に手をあてた。

「娘さんのところへ行きましょう。母親の家にいるんですよね」

「そのはずだけど……」

「連絡するってことは、あなたを呼んでいるのかもしれない。止めてほしいのかもしれない。行きましょう」

「でも、俺、ビール飲んじまった」

「私が運転します。案内してください」 

 男の手が背中をゆっくり擦る。大丈夫だと言いたいけれど、大丈夫と言い切れない男の優しさが伝わり、石井は手で口を押さえた。



 駐車場へ向かい、石井は助手席に乗り込む。先生は運転席に座り、エンジンをかけると、初めて運転する車の操作方法を確認していた。

「先生と会った橋まで行って、その先の信号を左だ」

 そういうと、シートベルトを締め、石井は目を閉じた。

(萌々香……)

 男は何も言わずに車を発進させる。

 車は狭い道を走った。橋までの一番近い道は住宅街の隙間を抜けていく。対向車と譲り合って、なかなか進まない。

 だんだんイライラが募ってきた。

「運転してもらってさ、感謝しなきゃなんだけどさ、でも、でもだ。娘に何かあったらお前のせいだ」

 そして、妻のせいだ。

「あなたは、自分には責任は一つもないといいたいんですか?」

 八つ当たりされ、男も苛立っている。

「そうだよ。本当は、俺はあんたを完全には責められない。俺だって……おんなじようなことをした。でも、俺のときは、娘をこんなふうに追い詰めたりしなかった」

「それは、母親が娘さんにあなたのことを言っていなかったからでしょうね」

 また対向車が来た。よりによってトラックだ。こんな道をなんで走るんだよ、と思わず毒づく。トラックは何も悪くないのに。

「赤の他人がわかったようなことを言うな」

 苛立ちをそのままに石井は怒鳴った。

「先生になぜそんなことを言われなくてはいけない。妻と娘を誑かしたくせに!」

 先生は黙り込んだ。

「何か言えよ」

「ーー娘さんに連絡してください」

「指し図すんなよ」

「不倫された配偶者が絶望して子どもと心中することだってあるんですよ。夫を殺すことだってあるんですよ。そういうことなんだよ。娘さんは追い詰められていたこと、あなたは知っていました? 死にたいって言われたことあります? あなたは死んでほしいって言われたことありませんか?」

(ーー死)

 石井は育児日記の一言を思い出した。

 妻の字で書かれていた。

 激しい憎しみが込められた文字。

「何をぼんやりしてるんですか」

 先生は片手でハンドルを握りつつ、逆の手で石井の肩を叩いた。

「無責任なことを言ってないで、早く娘さんと連絡をしてみてください。つながるかもしれない。今すぐ行くからって言え!」

 スマホを探してポケットに手を伸ばしたその時、狭い道を抜けた車は先生と会った橋を渡り始めた。

「あれは……」

 歩道に女子高生が一人立っている。

 石井は身を乗り出した。

「萌々香だ」


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