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月影華  作者: 六条せり
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第五話

史蓮が向かったのは、酔虎酒家という酒場だった。

もともと、黒虎がもっと小さな暗殺者の集まりだったころから、この酒場で仕事の依頼を受けたり、取引が行われたことから、今のような名の知れた暗殺集団になっても、都や大都市に根城を移さず、人をやって拠点を作らせてそれぞれの街で仕事に就かせている。

そのような中、史蓮は彼女を育てた「裏切り者」のことがあってか、全洪の手元に置かれ、その直下で仕事を命じられていたのだ。

酔っ払いたちや顔なじみの酒場女たちに声をかけられるがかまわずに、二階へ駆け上がる。

「全洪様!」

史蓮は頭目の名を叫ぶ。

この酒場の二階が黒虎の拠点になっているのだ。

「全洪様!」

「なんだ、史蓮」

二度めにして、ようやく全洪が隣の部屋から出てくる。

傍らには艶な微笑を浮かべた女がしなだれかかっている。

「どうしたんだ、史蓮」

「……。」

ぐっと拳を握って、一呼吸置いて。

意を決したように顔をあげると、きっとした顔を向ける。

「わたしを、……黒虎から抜けさせてください!」

「…なんだと?」

全洪の表情が一変する。

「それが、今まで育ててくれた者に言う言葉か!」

その怒声とともに拳で頬を殴られ、史蓮の体は文字通り殴り飛ばされるように、そのまま壁に背中をぶつけて崩折れた。

「赤ん坊の頃に親に捨てられて、野垂れ死に寸前だったお前を助けたのは誰だと思っているんだ!」

容赦なく、全洪の蹴りが彼女の傷を負っていた右肩にも叩き込まれる。

「…く…っ…ぅ…っ」

無意識に傷を負っている肩をかばうも、全洪の足は彼女を蹴りつづける。

「女の子にひどいことしちゃだめよぉ」

甘ったるい声で女が全洪の腕に抱きつく。

「…史蓮、おまえ忘れてないだろうな…?え?7年前のことを。」

女に抱きつかれた全洪は、肩で息をしながら史蓮を見下ろした。

「っ!」

激痛に右肩を押さえてうめいていた、史蓮が目を瞠る。

「お前が、その手で初めて殺しをしたことを。…裏切り者は、始末しなきゃなぁ…」

全洪は女を脇に押しやると腰の刀を抜き放った。

「お前が殺した、史寿のやつも黒虎を抜けるといいやがった。だから、始末したって言うのに…」

…おじいちゃん!

史蓮の脳裏に、消えることのない、あの初めて人を殺した日のことがよみがえる。

「あいつが面倒見てたお前までが同じことを言い出すとはな…。史蓮、あの世で史寿にあわせてやるよ」

全洪はゆっくりと史蓮に歩み寄った。



幽玄は史蓮の姿がないことに呆然と立ち尽くした。

「史蓮さん…」

黒虎という暗殺集団。

そこの暗殺者の一人だといっていた。

「………。」

幽玄は立ち上がると、寝台の下の葛篭つづらを引っ張り出すと、そこから一振りの刀を取り出した。

「…黒虎、といいましたね…」

常よりも低くなる声で呟いた幽玄の表情は、常の彼の見せる温和なものではなかった。

彼は刀を腰に帯びると、そのいつもの姿からは想像もできない速さで庵を飛び出していった。



史蓮は、倒れたまま転がって全洪の刃をかわす。

間髪おかず、頬を掠めて刃が床につきたてられた。

「ちょろちょろと…っ!」

刀を床から引き抜くまでの僅かな隙を突いて、史蓮は匕首をつかむと跳ね起きる。

鞘を払うと間合いを取って構えたまま全洪の出方を伺う史蓮。

「お前の技量はたかが知れてる。俺に勝てやしないさ」

刀を床から引き抜き、構える全洪。

たしかに、技術や力でなら勝てない。

でも、速さと動きなら…。

史蓮は全洪が動くのを待っていた。

全洪が斬りかかってきたら、その刃を受け流し、下段を狙おう。

空気が、一触即発の気配をはらんで、ぴんと張り詰める。

「…行くぞ!」

全洪が踏み込むと同時に斬りかかってきた。

「くっ!」

史蓮は匕首でその刃を受け、そのまま受け流す。

が―――。

「甘い!」

蹴りが、史蓮のわき腹に叩き込まれる。

「か…は…っ」

鈍い痛み、壁に背中をぶつけてずるずると倒れこむ。

ここで、死にたくない!

わき腹に叩き込まれた重い一撃と、右肩の疼痛を必死にこらえ、史蓮は力を振り絞って立ち上がる。

「…はぁっ!」

気合を込めて、速さを活かして一気に懐に入り込む。

「何!」

そのまま匕首で首を狙うが、痛めた利き腕は、僅かにその狙いを狂わせる。

浅く、全洪の胸をかすっただけだった。

「惜しかったな、史蓮。」

全洪は、史蓮の束ねた長い髪をつかむと勝ち誇った表情で、彼女の体をひき起こした。

「くっ!」

全洪から離れねば!

史蓮は咄嗟に手にした匕首でざっくりと惜しげもなく自分の髪を切った。

そしてそのまま、後ろに飛び退る。

全洪の手に残ったのは長い漆黒の髪。

「小娘が!」

史蓮の髪を投げ捨てると、大きく刀を振りかぶって斬りかかる。

…幽玄先生、ごめんなさい!

死を覚悟し、目をつぶった史蓮だったが。

「史蓮さん!!」

声と同時に、甲高い金属音。

見れば、幽玄が史蓮の前に飛び出し、全洪の刃を刀で受け止めていた。

「幽玄先生!!」

「史蓮さん、無事…じゃないですね…」

「先生、逃げて!先生まで殺される!」

予想もしなかった幽玄の姿に驚く間もなく必死に叫ぶ史蓮に、幽玄は微かに微笑む。

「殺されはしません。あなたを守りますから」

そう言うと、全洪に向き直る。

「史蓮さんを黒虎から抜けさせなさい。」

「何を言っているんだ、おまえは。死にたくないなら引っ込んでろ!」

「…私を殺すと?」

その言葉に、幽玄は可笑しそうに全洪を見やる。

その笑みは微かに冷笑にも取れるものだ。

いつもの優しげな、穏やかな笑みではない。

「…先生…?」

史蓮が、いつもと違う幽玄に釘付けになっている。

「…何を…っ」

言いかけた全洪の顔色が変わる。

明らかに、驚愕と恐れの色を見せている。

「お、おまえは…黄叙徳こうじょとく…!」

黄叙徳。その名は史蓮にも聞き覚えがあった。

十年前に行方をくらませた、高名な剣客。

剣技にかけては右に出るものはなく、仇討ち、果し合いなどで何十人もの剣客や無頼漢たちを斬ったという…。

「先生が…黄叙徳…」

温和で常に柔らかな言動の幽玄が、怜悧冷徹な剣客、黄叙徳…?

史蓮は信じられない、といった表情のまま幽玄を見上げている。

「もう一度言います。」

そういった幽玄の表情は、冷たく鋭いもので。

「史蓮さんを黒虎から抜けさせなさい。」

「…ふざけるんじゃねぇぞ…黄叙徳だろうと何だろうとかまわねぇ!殺す!!」

幽玄を睨みつけて、言い放った全洪が斬りかかる。

一気に間合いを詰めるように懐に入り込み…。

「はっ!」

しかし幽玄は右足を軸に半歩、左足をひいただけの動きでその太刀をかわすと、史蓮でも見切れないほどの剣速で全洪の左肩から一気に斬りつけた。

「ぐわぁぁっ!」

それは、あまりにあっけなかった。

仮にも黒虎を束ねる全洪は決して弱いわけではない。

しかし、幽玄の強さは段違いだった。

「そのくらいの怪我では死にません」

床に転がって絶叫する全洪に一瞥し、床にへたり込んだままの女に幽玄は顔を向ける。

「役人をお呼びなさい。黒虎はもう解散ですよ。」

「ひゃ……ひゃい」

腰が抜けたのだろう、女は這うように階下に降りていった。

史蓮もまた、この一瞬の決着に目を見張ったままだった。

「…史蓮さん…」

剣をおさめた幽玄が、床に座り込んでいる史蓮の前に膝をつき、少し悲しげに微笑む。

そのかけられた声は、いつもの庵での幽玄の穏やかで落ち着いた、柔らかな声だ。

「…もう、剣は握るまい、と誓ったのですが…あなたを失うことのほうが、もっと厭なので…」

そう言うと、目を伏せる。

「偉そうなことを言っても、私も所詮こういった人間なのですよ。」

「……先生…」

史蓮は首を横に振って、幽玄の胸に倒れこんだ。

「史蓮さん…。」

「先生…。先生は……先生です。」

「…史蓮さん……。…それにしても、私の過去の記憶は間違ってなかったですね、黒虎の根城はかつて耳に入っていたので…。」

倒れ込む史蓮の体を優しく抱きとめて、今になって役に立つとは、と苦笑する。

やがて、階下が騒がしくなってきた。

「役人が来たみたいですね。史蓮さん、傷の手当てもしなければなりませんし…行きましょうか。」

「はい、」

史蓮は頷き、幽玄が抱き上げるに任せた。

「…髪が、短くなってしまいましたね……」

そっと、痛ましそうに肩にかかる長さになった史蓮の髪に触れる。

「…せっかく治りかけた傷も開いてしまっています。…帰ったら、治療するのでおとなしく休んでいてくださいね」

そういう幽玄はいつもの幽玄で。

「はい」

史蓮も見上げて、小さく頷いた。




「幽玄先生、史蓮おねえちゃん!」

子供たちが、わっと庭に入ってくる。

あれから、一月。

史蓮はあの日、庵へと帰る道々で幽玄の過去を聞いた。

幽玄の本当の名前は、黄叙徳。

かつて多くの人間を斬った剣客。

だが、仇討ちの依頼をうけ、無関係な幼い子供たちさえも殺さなくてはならなくなり、もう剣を握るまいと誓ったことも。

史蓮は幽玄の元に、この村に留まることにした。

黒虎は解散し、彼女は自由になれたのだ。

…そして…。

「……史蓮さん、あのですね」

暖かい日差しとさわやかな風が吹く庭に椅子を持ち出して、子供たちにせがまれて本を読んで聞かせている幽玄は、傍らでお茶の仕度をする史蓮を見つめて呼びかける。

「なんですか?幽玄先生」

顔を向けた史蓮に、幽玄はゆっくり立ち上がる。

「…私の妻になってください。」

「え…?」

思わず、幽玄を見つめる史蓮だったが、やがて微笑み小さく頷いた。

「はい」

史蓮の返事に、わぁっと子供たちが歓声をあげる。

「幽玄先生、史蓮ちゃん、それからみんなも、飲茶にするよ」

そういって、大きな蒸篭せいろを抱えてきたのは劉おばさんだ。

これからは、まっすぐにこの村で生きていこう。

史蓮は幽玄を見上げる。

幽玄は相変わらず穏やかな表情で笑みを返す。

山間の小さな村の初夏の日のことであった。


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