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無表情、もとより堅い甲冑に覆われた体躯に感情は表れぬ。軽装で風を切るように敵を倒すブラッディの方が、より人間らしいと言えばそうであろう。しかし、兵士らひとりひとりに名はない。その必要などあるはずもないからだ。


蝶はいつしかブラッディの鼻先をかすめるように、その身を翻す。視界を一瞬さえぎられ、邪魔だどけ!と叫びたくなったほど。


『そなたの鋭き直感を大切にするがよい』


「何!?俺が何か言ったか?」


ブランカは声を出せぬ。言葉そのものをブラッディの思考へと直接届けてくる。しかし妖の者とは縁もなかった戦士にとっては、とても相容れぬもの。つい声が出てしまう。


『今思い浮かんだ言葉を振り返ることだ』


…どういうこと、だ?俺は自分に何と言ったのだ。全くこれだから神だか何だか知らねえが偉そうな蝶々様はよ。さっさと正解を教えやがれ。


心の中の悪態もすべてブランカにはお見通しか。苦笑いこそ一瞬かすめはしたが、今はそれどころではない。

敵は数十人の一個小隊。すべては重装備の戦闘態勢だ。我が身と言えば、愛用の剣があるのみ。姫を守りながら一人で切り抜けねばならぬ、この危機を。


いくら待とうが、蝶はその姿を人がたに変えるつもりもないようであるし、当然答えを知らせる気も無いらしい。

ブラッディは気を抜かぬよう目をぎらつかせながらも、自らの言葉を必死に反芻した。


…感情は表れぬ、と思ったはずだ。それは重てえ甲冑のせいだと。ずさりという音もこの耳でちゃんと聞いている。あやかしや幻のたぐいではないはずだ。…はずだ…


「兵士ひとりひとりの名!?それか!!」


閃光のようにブラッディの頭を、一つのひらめきが駆け抜ける。ならば我に勝算有り!彼は敵の中心に向かって声を上げて斬り込んでいった。







人知れぬ内乱が続くトゥーラン連合王国、して権力者が相次いで病に倒れたこの国の実質的な若き統治者…ラスバルト公ガジェス。彼は陰の参謀として使っているラルガヴィーダの言葉に重きを置き、王国の賢者らを集めた。


王立学問研究所の所長以下、集められたそれぞれの分野でのトップクラスの教授陣は十名。彼らにガジェスは問うた。


「『白き粉』いや正確には『白き細かな粉』の意味するものは何か、すぐに答えよ」


意外な言葉とその曖昧さに、さすがの教授陣らも顔を見合わせた。しかし彼らとて王宮に仕えて短いとは言えぬ。当然のごとくガジェスの気性の荒さは熟知していた。


「薬品のたぐいということでは」


薬物学の権威が口火を切る。この際、沈黙こそガジェスを逆上させるものはないと知っているからだ。


「白き薬品はあまりに多岐にわたるであろう」


「しかし、国家の危機に関わる薬品ともなれば数は限られる」


「国王夫妻が薬物摂取を強要され、その薬品を特定せよと言うことではありますまいか」


侃侃諤諤(かんかんがくがく)と意見を戦わせるように見せておかねば、いつ火の粉が賢者らに降りかかるかわからぬ。それを知っているからこそ、敢えてガジェスに何も訊かぬうちから彼らは言葉を競わせるように口を開き続けた。



冷ややかな視線でそれを見つめていたラスバルト公は、もったいぶった風に咳払いを一つした。瞬時に静寂が戻る。


「今回集まってもらったのは、国王夫妻の件ではない。新しい情報が手に入った。それは当然…逃亡中の元王太子妃に関することだ」


<元>王太子妃。未だ誰一人として、美しきキャスリン・カスティーヌ王太子妃が罪人であることを信じているものはおらぬ。しかし、国家を護る為には彼女が罪を持つ者でなければ困る。特にこのガジェスにとっては。

聡明で穏やかな、才気溢れる美しさを滲ませていた王太子妃の姿を思い浮かべた者は、彼の用いた<元>の響きに違和感を持った。もちろんおくびにも出さぬ。しかしもし統治者が彼女であったのなら…。


今思うても詮無いこと。賢者らは黙って現実の最高権力者に顔を向けた。



「彼女が逃げた先の手がかりが『白き細かな粉』という言葉なのだ。それに関する情報が欲しい。ただの薬などではないだろう。この国の古き歴史に長けておる者なら、なにがしかの故事を知ってはいるだろうと思っている。よもや知らぬとは言わせぬ」


ぎろりと冷ややかに年かさの賢者らを見廻すと、ガジェスはそう言い放った。


「教授連ほどのあなた方なら、この国にまとわりつく『白』という言葉に心当たりがあるであろう。事あるごとに現れるのが『白」であるのなら、古き時代に何があったのかを教えてはくれぬか」


言葉こそ、これでもだいぶ抑えてガジェスは下手に出てみせた。そのへりくだった様子に賢者らは逆に背筋を凍らせた。


国史科の主任教授は、周囲の思惑を痛いほど感じつつもおそるおそる歩を一つ前に進めいでた。


「お恐れながら申し上げます、ラスバルト公殿」


余分な言葉は要らぬ、用件だけかいつまんで話すがよい!苛立ちを含む声に身体をすくませる。


「本来、森羅万象すべてのものには対という概念があります。増には減が、前方には後方が、そして…」


「それが白き粉と何の関係があるというのだ!?」


神経質そうにせわしなく指を蠢かせる。その仕草に教授は急ぎ言葉を繋いだ。


「つまり相対する何かが存在するものなのです。それは色にも同じことが言え、心理補色という考え方からすれば白を補う色は黒となります」


隣に構える物理現象専門の自然哲学科教授は、その言葉に何か註釈を加えるべきかどうか惑いを見せた。しかし、ガジェスの訊きたいことは補色の科学的な説明ではないのだろう。そしておそらく国史家の伝えたいこともまた、この国にまつわる深い闇についてのことではないかと思いを巡らせ、口をつぐんだ。


案の定、国史家はやや声をひそめ、辺りをはばかるように身を乗り出した。


「これは表立っては口にしてはならぬとされている国史であります故、他言はなさらぬように願います」


重々しく皆が頷く。


「遠き国の思想には古くより『陰陽』と言われている概念があります。さまざまな捉え方がされておりますが、この国を含む近隣諸国では『陰陽』とは【ぷらすえねるぎーとまいなすえねるぎーが相揃ったとき、それは非常に強大な力を持つ】と解釈されます。ですので、国の中枢に近い御方々は自らの国の陰陽の対を探し求めることが必須であるとされております」



それは国家にまつわる噂として聞いていないことでもなかった。しかし敢えてガジェスは表情に出すことをせずにいた。詳しく知っているというのであれば、今さら賢者らを集める必要もないであろうし、全く知らぬと言うのは彼のプライドが許さない。けれども謎を解明することもまた、急務であることには違いない。


「それで、この国は『陰陽』の対となる<黒>を探しておるという訳なのだな?」


切れる男であることは確かなのだ、ラスバルト公は。だからこそ、凡庸なラクティクスを王座になどつけたくはない。我こそはと思えるほどには能力のある、ある意味生まれながらの業を背負う王家に連なる我が身が口惜しい。


「さすがはラスバルト公殿ですな。仰るとおり、この国の<白>とはあくまでも『陰陽思想』における<白>となりまする」


ガジェスは目を細めた。ここで<黒>が何であるかを突き止めることも大切である。それはこやつらが使えるであろう。このまま調査を続けさせるのもいい。

しかし、今の自分にとって必要な情報はあくまでも『白き細かな粉』の正体を見極め、忌々し元王太子妃の行方を捜し出すこと。そちらを優先すべきなのは明らかだ。



放っておけばこのまま『陰陽思想』について語り続けそうな教授に向かい、手で止めさせる。ゆっくりと口を開く。


「非常に有益な話だが、それではそろそろ『白き細かな粉』が指し示すものは何か教えてはもらえぬか」


雄弁であった国史家は言葉に詰まる。皆も視線がすがるものを求めて宙を漂う。



「あの……」


優秀と言われている教授陣の中で、姿形から既に浮き上がっているうだつの上がらぬ男がおどおどと手を挙げた。この状況下で何を言い出すつもりなのか、皆の目が冷たくなるのも無理からぬことであっただろう。


しかし、その生物学専攻のしょぼくれた教授はか細き声で思い切って声を発した。


「トゥーランの生物分布には他の国と違う特徴があり、他所ではめったに見られぬ種でありながらトゥーランの山中には多く生息している昆虫がいます」


その内容に多くの者が戸惑った。こやつの話と陰陽に何の関係があるというのだろうか。

しかし、ガジェスが指をせわしなく動かしはじめる前にと、それでも彼は発言を続けた。


「実は!実はその昆虫こそが、誠に珍しい『真白きアゲハチョウ』なのです!」



……蝶……



周りの者が彼を諫めようとしたそのとき、ガジェスはゆらりと立ち上がった。


「お、お許しくださいまし。ラスバルト公殿!この者は教授としてもまだ日が浅く…」


近しい賢者が慌ててかばう言葉には耳も貸さず、ガジェスは端正な顔を歪ませて嗤った。


「確かに、蝶は持っておるな。『白き細かな粉』を」


鱗粉!?周囲の者が瞬時にそのイメージを理解した。ウスバシロアゲハという種はなかなか人気ひとけのある場所では生息しづらく、その生態は今まであまり明らかに…。生物学の教授の発言を最後まで聞かず、ガジェスは部屋を出て行こうとした。


「ラスバルト公殿!!」


振り向いた彼の瞳に宿る暗い陰。その凄惨さに皆は息を飲んだ。


「非常に興味深い話だ。あなた方に意見を求めたのは正解だな。陰陽の話と白きアゲハの話をまとめたのち、私に教えてはくれまいか」


穏やかと言っていいほどの落ち着いた声が、凄みを加えている。


「私は私で、やらねばならぬことができた。礼を言う。ご高説を拝聴できて幸甚に存じますよ、諸先生方」


人に頭を下げぬことで名の通っているラスバルト公からの言葉に、賢者らは震え上がった。して、彼が去ったあとに深くため息をつき、我が命がつながったことに安堵したほどであった。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010  keikitagawa All Rights Reserved

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