#14
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「ふおぅ」
村人から酒を恵んでもらうと、フェリシダと名乗る男は満足げな声を上げた。ようやく人心地ついた、といったところか。村人らは、このみすぼらしくも小柄な齢五十を自称する男に対し、怒りを持つべきかはたまたあきれ返るか惑いを見せていた。
村の大事な食料を勝手に漁れたと憤るには、あまりにもお粗末な相手であったからだ。
失笑とどこか親しみさえも感じたのであろう、隠れていた女どもが子どもの好む干し果物まで差し出してきた。
フェリシダは鷹揚に頷くと、それらにさえもかぶりついた。甘いものは高ぶった神経をも鎮めさせる作用を持つのだとか何だとか。偉そうに言えた義理か。とうとう村人らから笑い声が上がる。
ブラッディ一人が…無言で彼を見据えていた。
その辺りを放浪する惨めな旅人ではあるまい。日々の暮らしに追われる平凡な市井の者には「ガイラ」の名は伝わらぬ。
つまりはこういうことだ。
それが口癖であった、シェイルランドで講釈をたれてばかりの古き友人を思い浮かべる。まあ、あやつとて道楽でしていたわけではない。武力で国を護るのがブラッディであるのならば、彼はおのが頭で国策を捻り出す一員であったに過ぎぬ。それもまた国防には必要不可欠であることは、いかなブラッディでさえもわかってはいた。彼の遣う言葉を何もかも理解していたかと言えば怪しいものではあったが。
「ガイラ」という音声刺激はどの者へも平等に伝えられる。音は声であろうが響きであろうが、物理的には空をふるわす波であることには違いない。が、感覚器官である耳が受け取るということと理解することは同じではない。
堅い殻で覆われた頭蓋の中には、それを理解する臓器が詰め込まれている。動物とて同じ。ヒトと呼ばれるものだけがその臓器を異常とも思われるほど発達させてきたというだけだ。
して、話を戻せば「ガイラ」の持つ意味の重みを感じられるのは耳ではなく頭蓋の中身だと彼なら言うだろう。
俺はとてもじゃねえが、友人のような頭脳…そう呼ぶらしい…を持ち合わせているとは言えねえ。が、ただ知っているのだ。必要なものは聞き取れる。感じ取れる。その脅威を。
我々戦いし者にとって「ガイラ」は脅威だ。酒場の戯れ言では済まぬ。
何かことが起こればただ斬って捨てればよいと考える戦士が殆どを占める中、ブラッディが異彩を放っているとすればその点であろう。
彼は知っている。気づくことができる。
その「ガイラ」から来たと飄々と言ってのけるこの男に、ブラッディは「脅威」を感じたのだ。
人目を避ける逃避行のさなか、こやつに出会う意味とは何か。ガイラは遠い、あまりにも。その存在さえまやかしではと囁かれるほど。がりがりに痩せこけた五十と言い張る男が徒歩でトゥーラン辺りまで来られるとは思えぬ。
また妖…か。
うんざりはしていたが、そもそもが全て妖を抱え込んでいたと言えばそうなのだ。ここで妖に再び出会うことは必定なのだろう。
本来の現実主義とは。友人サディアの言葉を知らぬうちに反芻する。
『決して妖を否定することではなく、魔を認めぬのでもなく、目の前にあるものはあると素直に思えることだよ、エスラ』
いつか偉そうなその口に、おのが拳でも突っ込んでやろうと鼻で笑って、聞くともなしに聞いてばかりいた。外見も性格も真っ向から合わぬと言われた、怪戦士エスコラゴンと行く末は参謀へと上り詰めるだろうと噂されるほどの切れ者サディア。なぜかシェイルランドの王宮で顔をつきあわせるたび、彼らは話し込んだ。もっとも、聞かされる話は小難しすぎると適当にあしらっていたエスラではあったが。
今夜はおかしい。なぜ今になってこんなにも古き友の言葉ばかり思い起こすのか。これもまた…必定か。
「これに懲りて、盗人はやめることだな」
若き村人に気安く肩を叩かれ、フェリシダは嫌悪感をあらわにした。むろん、村衆らには嘲笑われる。物乞いにだとて礼もあれば義もあるのだと諭され、ふんぞり返っていたフェリシダもさすがに口をつぐむ。
敵の正体がわかったあげく、それが害さえ与えぬ小ものと安心しきった村人らは、フェリシダを囲んだ宴を終いにした。日が上がれば野を耕し狩りに出かける。それが彼らにとって生きることであり、王宮で執務を取る賢者らと優劣をつけることでもない。
寝床をあてがってやると恩着せがまく言われ、所在なく一人で放り置かれたフェリシダへと、ようやくブラッディは近寄っていった。
一度は剣を向けられたというのに、フェリシダの方は警戒するそぶりさえ見せなかった。この機会を待っていたのかはたまた、全てはわかっていたとでも言いたいのか。
…だから妖の者は好きにはなれねえな…
秘やかなブラッディの繰り言。表に出すほど愚かではない。おい、じじい、と声をかける。
「じじいではない!無礼にも程があるぞよ」
「さっきはガキ扱いするなと騒いでいたくせにな。あんたの狙いは何だ」
言葉こそ軽いが、ブラッディの目はぎらついていた。下から睨め付ける。気の弱い者なら恐怖で口もきけまい。
が、フェリシダは口元をゆがめた。ようやくまともな人間と話ができるわい、とうそぶきつつ。
「何が知りたい、勇者よ」
「観る者、そして伝えし者と言ったな。何を観、俺に何を伝えたい」
ここで会うのが必定であるのなら、伝えしことを受け取るべきは己しかいまい。柄じゃねえがな。今は嘆いている場合ではないのだろう。妖をそのまま受け止めよ、現実を見ることができる怪戦士よ。実際には聞こえぬサディアの声に背を押される。
「あんたの護る御方はどうなされた」
用心して身分の低い格好をさせているのだ、アルバスと名まで変えさせ。なぜ御方と呼ぶのか。ブラッディの目が細められる。
「隠すことでもあるまいて、勇者殿」
「何もかもお見通しというわけか、ガイラから来たと騙るじじいはよ」
カラカラとそれでも遠慮気味にフェリシダは笑い声を上げた。私を挑発しても無駄だと言うに、と。
「すべてを見通すほどの力は私にはない。自惚れるほど愚かではないからな」
どこまで本当のことを言っているやら。腹の探り合いなど俺には全く似合わねえってのによ。
「休ませている。あいつには聞かせないから安心しろ。これでいいか」
「もうお一方は」
何!?
フェリシダの思いがけぬ言葉に、知れずブラッディは剣を引き寄せた。こやつは何を言い出すのだ。
「観る者と言うただろうて。あの方は身を変えておる。それがわからぬ私ではない。ただ嘆くべきは、その程度止まりの能力しか持つことのできぬ己の身の情けなさよ。真の姿を観ることができるのであれば、このように野であがいておらぬでも済んだものを」
「てめえの泣き言を聞きてえわけじゃねえ。何を知ってる!?」
柄に指をかけ、いつでも抜けるようにしてある。それほどブラッディにとっては最大警戒態勢に入っているということ。みすぼらしい盗人に床を用意する呑気な村人とは対照的に。
フェリシダは勿体ぶって言葉を切る。
ちくしょう。ここにブランカを、それも人型になったあやつを連れて来てやりてえくらいだ。それでおったまげてひっくり返りやがれ。
心の中で悪態をつく。なにぶん勝手が違いすぎて、逃避行の間中ブラッディの神経は休まることがない。
敵は斬る。味方は護る。多くの戦士が持つ単純な二元論の何が悪い。それでも必死に己を律し、彼もまた休ませていると伝えた。
「彼、とな。男か」
「その手にはのらねえ。つうか、俺にもわからねえしな」
苦く笑う。神に男も女もあるものなのか。そもそも蝶の性別など見分けがつかぬ。すべてを超越した存在というものではないのか。
髪の長い、透き通るような翅を持ち、己自身の姿もまたうたかたの淡き人型。
敵か味方かでさえもまだわからぬのだ。ブラッディをそして何よりも、大切な護るべき誇り高き王太子妃をどこへと導こうとしているのかを。
「私はガイラの者だ。それに嘘偽りはない。ここまでの長旅は勇者殿と、護りしお二方の為にあったのだと理解した」
「何一人で理解だなんだと」
気を急くな勇者殿よ。平然と言いのけるフェリシダに勇者じゃめんどくせえと吐き捨てる。
「それこそ、俺は自惚れてはいねえからな。村の奴らに勇者と呼ばれるのはまだいい。別の通り名も持つ。だが、俺は俺の力を過信したりはせぬ。ブラッディと呼んでくれ」
賢い選択だ、ブラッディ。偉そうな口調にもう一度睨め付けてやる。堪えるふうでもないがな。
「何が賢い選択だ。勇者と呼ぶなと言ったことがか」
「いや。名は魔を呼び、妖を呼び寄せる。大切にしておる名であればこそ隠すがよい、怪戦士よ」
ブラッディの顔色がさっと変わる。柄から垣間見える剣の刃。それは夜の微かな灯りを受けてぎらりと光る。
「てめえは平気で名乗りやがる。フェリシダもまた隠し名か」
怪戦士と呼ばれたことに動揺したなんぞ悟られたくはない。何もわからぬと抜かした舌の根も乾かぬうちに、このじじいは。
「ガイラの者は存在自体が妖。今さら呼び寄せるも何もないじゃろうて」
切り捨てるべきか。いかな妖であろうと、剣の力には勝てまい。ましてこちらには黒曜石がある。
この石の力を、もはやブラッディでさえも疑いはしなかった。あるものはあるのだ。妖と戦うにはこの黒き輝きが無くてはならぬもの。ならば、邪悪の芽は早いところ摘んでおくに限る。
「わかりやすい男よの。まあそれでこそ怪戦士と呼ばれるにふさわしいのだろう、ブラッディよ」
「俺を知っているというのか。たまたま通りすがったにすぎねえ村で、出会わなければならない意味があるとすれば、てめえが罠を張っていたとしか」
考えられない。
立ち上がりざま斬り裂いてしまえ。戦闘者としての本能はそう告げている。しかし…何かの力がそれを一分の理で抑えているのも確かなのだ。
「ここで命を落とすことに未練があるわけではない。が、伝えし者の使命も全うしないままでは末代まで祟るぞ。死ぬに死ねぬプロメテウスはまっぴらだわい」
屁理屈で命乞いか。すでにブラッディが漂わせているのは明確な殺意。憎いあろうはずがない。こやつのことなど何一つ知らぬ。
理由など決まっている。脅威は取り除くのみ!
立ち上がろうと身体を瞬時に縮めたブラッディに、フェリシダは静かな双眸を向けた。
妖の技を使われたわけではない。が、怪戦士は動けぬ。死を覚悟した者の目ではない。何もかもを見通すかのような、静謐な視線。
「私も未熟でな。ここへ来てようやくわかったのだよ、ブラッディ。そなたが護る御方がたともに旅をせよ。それが私の持つ存在定理だということを」
存在…定…理…。サディアから聞き覚えていた言葉を記憶の中から必死にまさぐる。聞いたこともない。理解すらできない。こいつはただの言い逃れをしたいのか。
「存在定理とは…答えはまだわからぬが必ず存在することを証明するものだ。つまり、このガイラの男を加えてこそ、我々は旅を続けることができると言いたいらしい」
慣れぬ、頭へと直接流れ込む声。いつの間に。
ブラッディの背後には、音も立てずに優雅に翅を広げたブランカが…いた…。
(つづく)
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