#13
#13
「馬どころか、豚や雌鳥までもか」
今や車座に座り込み、かの野集団どもとブラッディはすっかり意気投合していた。酌み交わす酒は混じり気のない、いや逆に混じり気ばかりの安いもの。それまでの禍々しい妖の気配など全く感じられぬのびやかさに、怪戦士も表情をほころばせた。
おれには似合わぬ。
小難しい言葉も高貴なお方の崇高なお考えも、妖術も頭に鳴る声も。
当の野集団…近くの村で細々と集落を守ろうと自給自足の生活を送る者らにとっては、笑いごとでは済まぬのだろう。切々と心情を訴え続けていた。
「そうなのです、勇者様。私どもがわずかずつ蓄えておいた肉やら干し物やらが消えてゆくので、ほとほと参っております」
無理に上品めいた言葉なんかいらねえよ。ブラッディは気さくに言い放つ。そのそばで一言も声を出さずにアルバスはフードを深く被っていた。育ちの良さは隠せるはずもないが、女とバレてしまえば事態はこじれることは自明の理。ここは黙っているしかあるまい。
「で、おれたちにそのこそ泥をつかまえてくれと」
にやつくブラッディに村民らは、滅相もないと首を振った。
「こうやって話してみりゃ、そんなこそ泥なんか勇者様の敵にもなりゃしませんよ。でもね、村に喰いもんがないってことは私らにとったら…」
一大事だな、と笑う。それで勇気を振り絞って武装していそうな怪しげな二人組に刃を向けてみたというわけか。相手が悪かったな。もう少しこちらの神経が尖っていれば、黙って斬って捨ててしまったやもしれぬ。
冗談めいたブラッディの言葉に、村民らは正真正銘身震いをする。その人間くさい反応が彼を安心させてゆく。
…やはりおれは、ただの戦士でしかない。人語を話す蝶ともゾンビどもとも縁などないほうがいい。…
正直な思いはしかし、傍らの姫を見やると心の奥底へと押し込めた。元は同じはずだったのだ。シェイルランドに妖はない。少なくともブラッディの知る限りにおいては。一番似合わぬのが、この王太子妃の健全な美しさであろうに。
朗らかに笑わぬのが高貴の証とばかりに、嫁いでからというもの、アルバスの…キャスリン王太子妃の表情から笑顔が消えていった。張り付くような微笑みは絶えることはなかったが。
黙りこくったままの彼女を想う。王家に生まれし者の、国に対する思いは篤い。国という手に取ることもできぬ正体もわからぬものに忠誠を誓う。生命をも投げ出す。使命感というものに縛られる。
ブラッディ…怪戦士エスコラゴンとて王家に仕えし者には違いない。しかし彼が忠誠を誓うのは、手を伸ばせばいつでも触れることのできるキャスリン・カスティーヌという生身の女性。気安く触れられる身分でないことは十も承知ではあるが。
わからねえ、おれには。
似合わぬというのに何度も己に問う。
彼女はこのまま、どちらの国をも見捨てて野に暮らすことはできぬのかということ。幼き頃のように馬に身を預け、野を駆け、風を受け。重い鎧を脱げば平凡な日々が待っている。コルセットもパニエも身につけぬ彼女であっても美しさは変わらぬ。むしろいましめを解かれた軽やかな髪は風を受けてより輝いている。
いつまでも傍らに己がいる必要などない。それとてブラッディはわかっていた。
追っ手を振り切り、祖国ではないどこかへ足を伸ばせば群衆に紛れられるであろう。どちらが彼女にとって幸せなのか、おれには決めかねる。
いやそうではない。ブラッディにはおてんばな姫の姿こそが本性であるとしか思えぬのだ。
しかしそれを口にしていいものかどうか、そのものこそが決めかねていることなのであろう。
考えるのはおれの仕事じゃねえ。
村民の繰り言を聞きながら、ブラッディは美味そうに安酒をあおった。
「この街道に現れるんだな」
夜も更けた頃、ブラッディは声をひそめた。一夜の宿を借りる駄賃に盗人をとっつかまえてやる。うそぶく戦士に村民らは引き留めようと躍起になった。
「おれたちに鎌やら何やらで向かってくる根性があればなあ!」
朗らかと言っていいほどの上機嫌で声を上げたブラッディに、村の若い者は身を縮めた。
「どうかお許しください。それほど追い詰められておったのです」
消え入りそうな声に、だからだよ、といらえを返す。盗人の命を奪う気もない。見るからに貧しいこの村のものを、襲うでもなく盗み出すからには…相手もさぞ喰いものには困っているのだろうからな。
アルバスは早々に寝床へと追いやった。あの胡散臭い蝶々が見張り番だ。今となっては一番心強いことだろう。
ブラッディはいつもの剣ではなく、胸に差し込む小型のナイフを握りしめていた。これで脅すだけで片はつくだろう、そう見込んでいた。
灯り一つない街道に、先頭をブラッディが務め、村の者らがこわごわと後を付いてくる。静まりかえった闇に、しゃりしゃりしゃり…というかすかな音が聞こえてくる。周りを警戒する様子もない。ここで喰うということは仲間に持ち帰らぬということは、盗人ではないのか。
…野生の大型動物…熊か。豚や鶏の鳴き声すらしなかったということは、一気に襲って喰らいついているのではあるまいか。だとすればちとやっかいだ。生肉に味をしめれば人に害が及ぶことすらある。あまり自身の黒剣は使いたくはない。ナイフで致命傷を与えられるか。
が、暗がりに目が慣れてきたブラッディが捉えたシルエットは、やや小ぶりなものだった。熊ほどの大きさとは思えぬ。それとも子どもか小型の種か。
「…網を」
静かに後ろにつきそう村の者へと指示を出す。敵はどうやら一頭だ。猟に使う投げ網を掛け、動きを封じてからの方が効率がいい。そう考えた。
しゃりしゃりしゃり…。気配を忍ばせて近づくにつれ、何かをはむ音は大きくなってゆく。背中を丸め、無防備にむしゃぶりつく生き物。
ちらりと村人と目を合わせると、ブラッディは一気に網を投げつけた。それは空を綺麗に舞い、網目を大きく開かせ…そのものを捕らえた。
「ぎゃあああ!!何すんだよぅ!!」
素早く端をくくり、動けぬようにしてからとどめを…とナイフを逆手に持ったブラッディは、その声を聞くやいなや動きを止めた。目を見開く。
に、人間!?
「失礼なことを言うな!!人間に決まってるであろうが!!」
言葉遣いこそ偉そうだが、実際には網に絡まり吊されてもがいているのだ。威厳も何もあったものではない。
捕らえられたのは、熊でもなく筋骨隆々の盗人でもなく…ただの子どもだった。
「子ども扱いしたな!?今したであろうが!!子どもではないぞえ!!私とて五十は世に存在する身であるからにして!!」
「今は村から盗み食いをするただの悪ガキか。いい加減にしやがれ!」
ブラッディは呆れてそやつを一喝した。が、ガキは悪びれる様子もなく目だけを捕獲者どもに向けて顎を突き出して見せた。
手には干し肉が握りしめられている。口の周りも少しばかりの油でギトギトだ。思わず大人たちは失笑をもらした。
「だから!!子どもではないと言うとるであろうが!!」
「じゃあ何だって言うんだよ、この盗人ガキが!!腹が減ったんだったら、ちゃんと働いてから喰え!!」
腰にぶら下げたボロ布を引き抜いて渡す村人から、それをひったくるように奪うと、盗人は丁寧におのが口元をぬぐった。
「私はガキではない。言うたであろう。私こそは観る者、そして伝えし者。我が名はフェリシダ。ガイラから参った。齢にして五十と言うたのは戯れ言ではない。我々は時さえも操りうるのだからな」
時が操れるのに腹は減るのか。村民らでさえ笑い声を上げた。フェリシダと名乗ったガキ、もとい五十と言い張る男は、腹が減るのは自然の道理じゃ!と叫んだ。
「ガ…イラ……だと…」
ただ一人、怪戦士エスコラゴンことブラッディだけは真顔で奥歯を噛みしめた。
遠方にあるとされる幻の国、ガイラ。人には翼があり、獣は言葉を話すという。それをなぜ、この一見みすぼらしい男が知っているのか。
観る者、そして伝えし者。それはいったい何か。澄ました顔で再び口元に布をあてる男を見据え、ブラッディは目を細めた。
(つづく)
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