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#10

#10



ガジェスは人払いをすると自室へとこもった。何も今日は、あの怪しげな老人と対峙するつもりは毛頭無い。

そして彼ほどの冷酷な独裁者が、賢者らの言葉にすんなりと引き下がったのにはそれ相応の事由があるのだ。



幾重にも鍵の掛けられた装飾品箱。それは一見、王族が身に付けるに相応しき宝石類を補完する為に作られた物としか思えぬ。

ある意味ではそうなのであろう。しかし確実な差違は、それがその者たちの身を飾る為に存在するのではないということ。


部屋の主は両の手に絹の手袋をはめると、息を詰めて慎重にその箱を開け始めた。わずかずつ拡がるその隙間から、一筋の光が見えつつある。


マスコバイト…世に言う白雲母鉱石で作られた、一枚の飾り板。周囲に微細な宝石をちりばめつつも、輝きは決して些末な物の集合体から発せられているのではない。


光眩いのは、白き板そのもの。指で形作れるほどの大きさでありながら、マスコバイトの鉱石は異彩を放っていた。

脆く儚げなその板を、うたかたの泡をつつみ込むかのようにガジェスは手にした。


思わず、ほうとため息をつく。

この美しさ、これこそが王位継承権を所有する者のみが許される証。極限まで薄く削がれた形をするその雲母は、白さを通り越して向こう側の壁の文様さえも映し出していた。


…これ自体も美しいものには違いない。しかし、本来の力と言えば…


彼はそのものを、横側の壁に埋め込まれたトゥーランの紋章へと向けた。

力強き双獅子をかたどったその紋章は、トゥーラン連合王国の力の象徴とも言えた。誰もが見覚えのある、生命と運命を捧げんが為の国家への忠誠。


ガジェスはマスコバイトが曇らぬよう、おのが息を下へと逃すと…紋章へと白き鉱石をかざす。



そこに浮かび上がるは、モノトーンの白き蝶。



彼でさえ、紋章に隠されたこの蝶の姿を見るのはこれで二度目に過ぎぬ。王位を継承できる者はわずか…キャスリン王太子妃から継承権を剥奪したが故に手にすることのできたもの。


白き鉱石の薄いフレームに浮かび上がる…美しきアゲハチョウ…。


これを知る者は、今は少ない。キャスリンでさえ見たものかどうか。双獅子の裏に、まるで透かしのような文様が隠されていようとは、誰が思い至るだろうか。


…この国は、建国当時より二重ふたえの秘を持っている。白きアゲハチョウが王位継承への謎へとつながることには違いない…


この華麗な蝶を見、かつ知り得ていたがために、ガジェスはあの教授の言葉に満足したのだ。


蝶を追えば必ずや王太子妃の行方は掴めよう。そのときがあの亡国の女の最後だ。


ラスバルト公ガジェスは、口元を歪ませて嗤った。






名。それはヒトの実存を示す大事な要素。だからこそ古代の勇者どもは名乗りを上げて闘いに挑み、今もなお、強き者は名を轟かす。

そしてまた…魔力の前には名を隠す。言霊は人間の魂をも連れ去ることがあるという。


ならば、こやつらに名はあるのか。まさしく名を隠したブラッディは深い疑惑の念を抱いたのだ。

恐れることなく敵陣のど真ん中にまで走り込んでいった彼の周りに空間ができる。ずさりずさりという重々しい音を立てながら、敵が後退していったのだ。


息すらも乱さず、ブラッディは仁王立ちをして辺りを睨んだ。被り物をすべて下ろした鎧からは、悪意を含んだ強い視線さえも感じられぬ。


悪意どころではなく、彼が常に戦場で浴び続けたのは明確な殺意。国を護る為には目の前の敵を倒さねばならぬ。戦とは倒すことがそのまま息絶えさせることとなる。


こやつらはいったい…。


ぬぐいきれぬ違和感にまとわりつかれたまま、ブラッディは近くにいた甲冑姿の兵士の喉元を鷲づかみにした。


「名を名乗れ、おまえらはトゥーラン連合王国の正規軍なんだろうが」


低く唸るような彼の声に、いらえはない。ひるむか怯えるか、もしくは敵意に満ちたぎらつく目を見せるか。常の闘いであれば感じるはずのそれらがない。


本来の目元に当たるはずの細長い隙間からうすらかいま見えるのは、ただの……闇。


「殺らないのなら殺るまでだ、悪く思うなよ!」


叫ぶやいなや、ブラッディは敵の顔めがけて隙間から剣を差しこんだ。深く深く腕が突き抜けようかというほど。


しかし、手応えも感じさせぬまま…甲冑は墜ちた。そう、転げ墜ちたのだ。



顔の半分上は全くの無。はっと息を飲んだブラッディは、次の瞬間、愛剣の刃を傷めぬようにと素早く持ち替え、柄の部分で残りの顔を突き崩した。


がしゃりと音を立て、顔は崩れた。首から上を失った甲冑はブラッディの手によって縦に裂かれた。それも黒曜石の埋まる柄を使って。


こいつらはもしや全て。

ブラッディの頭に最初よぎった思いは…ひとりひとりの兵士に名など必要ないという述懐。真剣勝負のサシであれば、相手の名も素性もわかる。しかし一個小隊ほどの兵士どもを相手にするとなれば、名など気にしてはおれぬ。


いや、そうではないだろう。むしろ逆だ。名を感じなかったが為の不快感。こやつらと闘うには気乗りせぬという、おおよそ怪戦士には不向きな感情を抱いた。


ブランカは、蝶はそれを指し示したのだ。


名がないのであれば実もない。その可能性は高い。現実にこうして名を問うてもいらえはなく、柄でつけば崩れ落ちるのみ。


ならば、こやつらはトゥーラン連合王国の正規軍などではなく、やはりかりそめの命をいっとき吹き込まれただけの妖の人がた。



いくえにも重なる鉄屑の残骸は、騒々しい音を立てながら辺りに瓦礫の山を作りつつあった。

生きとし生ける者のニオイもせぬ戦場…それは静かで虚しき闘い。時折ブラッディの荒々しげな息が響くのみ。


さすがの疲れ知らずな勇者も、数十という鉄人形を突き崩し倒し続けるには骨が折れた。肩を上下させ呼吸を整えるその姿を、祈るように見つめるはアルバスの双の瞳。肩に止まる蝶-ブランカは何を考えておるものやら。


「大将はどこだ!!こやつらはただの人がた、操る者がなければ動けやしねえ!さっさと名乗りを上げやがれ、この卑怯者が!!」


殆どの、無を背負った敵を倒したブラッディの恫喝が辺りの空気を震わせた。一度倒された鉄の塊は、今度は再び動き出す気配すら感じさせずにいた。





ゆらり。


翳ってきた空の元、一体の甲冑が音を立てずに揺れ動く。その気を察し、名を変えた怪戦士は愛剣を持ち替える。

柄を握りしめれば、ひらに当たるは黒曜石のひんやりとした冷たさ。ブラッディの神経が研ぎ澄まされる。


ゆっくりとそやつが被り物に手をやる。外されてゆくその下からのぞく素顔は…。


「…なんだ?まだガキじゃねえか…」


思わずそう呟いたブラッディに、かの少年は手に隠し持っていた細長き短剣を投げつけた。


「うわっ!!何しやがる!?」


鍛えた体躯をひらりと宙に舞わし、すんでのところでその剣を避けたブラッディが叫ぶ。剣は離れた大木へと突き刺さり、刃を揺らす。

続けざまに二本目のやいばが向かってくるのを、今度は剣の峰で弾き飛ばす。狙いは悪くないが、いかんせん敵を倒すにはあまりにも身体の線が細すぎる。その腕から投げ出された剣とて、威力は劣る。


「こっちは余裕がねえんだ。ガキだからと容赦はしねえ。覚悟しな!!」


たあ!と雄叫びを上げながら走り寄るブラッディはだが、少年に近づくこともできず見えぬ壁にはじかれた。

自らの力の反動で地面に叩きつけられ、したたかに半身を打った彼はしばし呻く。が、すぐさま立ち上がり構えを仕切り直す。


「またぞろヘンな妖を使いやがって!!てめえも変化へんげの者か!?」


アルバスの力を借りて黒曜石を息吹かせるか、さもなくば蝶の手を煩わすのか。おのれの力が出し切れぬことにブラッディは苛立つ。この逃避行ではまともに闘わせてももらえぬのか、と。


少年は妖しげに微笑む。その周りには見えぬ結界が張られている。


なあに、姫様らの力をわざわざ借りぬとも、この剣を信じて斬り込んでみせようってんだ!!


見えぬものは現実の力では打ち壊せぬことを重々承知の上で、ブラッディは剣を逆手に持った。どこかに結界の綻びがあるのなら、そこに切っ先を突き刺し切り裂いてやる!!



振り上げた手はしかし、振り下ろされることはなかった。


少年は静かに口を開いたのだ。細き女のような高い声で。


…おまえには私は斬れぬ、名高い怪戦士エスコラゴンよ。この身はうつつのものでなし。ないものは斬れぬのだろうが…


その微笑みは、今までの敵とは違う。確かに邪悪なあの嗤いではない。しかしそれでもなお、決して親しみを込めた慈しみの笑顔とは全く相容れぬものであることには違いない。


「じゃあ、てめえの現物はどこにある!?魂だけを飛ばした生き霊とでも言うのか!?」


激昂して足を一歩踏み出したブラッディは、たおやかな腕に止められた。


「姫…様」


「私は知っている。この者を宮廷で見たことがある。よくは憶えてはおらぬが王室へと連なる一人であることは確かなのだ。私はそれほど…トゥーランにとって邪魔なだけの存在なのであろう…か」


誇り高き王太子妃の心がわずかに曇る。祖国となったかの地を護らんが為の逃避行だというのに。

その惑いが、ブラッディをも動揺させた。彼女のこんな弱気な声を聞いたことはない。



アルバス、もといキャスリン王太子妃のその表情を引き出したことで満足したのか…少年は再び笑みを浮かべ、その姿を消した。


振り返れば、もはや何もない。あるのはただ、本物の重みを持つ鉄屑のみ。


蝶ですら何も語らない。しずかな丘には静寂が戻り、肩を落としたアルバスは両の手でおのが美しき顔を覆った。



どのような言葉も、ブラッディの頭の上っ面だけを過ぎ去ってゆくのみ。もとより無口で粋のわからぬ無器用な男なのだ、闘いしか知らぬ彼は。


思わず天を仰いだ彼へと、星が一つ……瞬いてみせた。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010  keikitagawa All Rights Reserved

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