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颯太を指導することになったピアニストの苗場英理子は、定年後に新しい趣味としてピアノを始めたおじいさんたちのアイドル的な存在であった。彼女が所属するピアノ教室内では、系列会社を含めて彼女が一番の稼ぎ頭となっているので、対大人でそれだけ優秀であれば成果を出してくれるだろうと、プロデューサーはオファーを出したらしい。
以前、老後の趣味を扱った番組にも出演していたので、番組としての演出にも対応できるだろうとの期待もあった。
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長身かつ細身の体型のためか、表情が乏しい顔のせいか、顔のサイドを覆うまっすぐな黒髪のせいか。外見から高圧的な態度を取っていると誤解されやすい彼女は、特に子どもの生徒との関係構築に悩んでいた。
「先生が怖いから行きたくない!」とレッスンをさぼろうとする生徒が絶えず、保護者達からの評判は良いとは言えない状況の上、噂が噂をよび、受け持つ子どもの生徒数は日に日に減っていった。
真面目過ぎる性格が災いしたこともあるのだろうか、短時間のレッスンで一つでも多くのことを学び取ってほしいと厳しいレッスンを行う彼女に対し、「難しすぎる。」「厳しすぎる。」と、見学に来た生徒の母親たちから教室に容赦無い苦情が届くようになった。
教室長からその事実を伝えられ注意されるが、人前で弱さを見せられない性格もあって、一度教室の部屋から出ると、今度こそうまくやろう心の中の決意を固め直すが、その意思が顔の表面まで伝わってしまっている。
緊張して顔の筋肉まで引き締めた結果、より無表情になり、怒っているのではないかと誤解され、その様子を見た人にどんどん怖がられてしまう悪循環に陥っていた。
頑張れば頑張るほど、子どもには怖がられ、子どもの生徒数が減っていく現実を前に、流石に虚しさを感じる。
そんな折、見かねた教室長のアドバイスもあって昼間の空いている時間を利用して大人向けのレッスンを始めたのだが、努力家で不器用な彼女を自分の娘や孫に重ね、こんな良い娘さんが苦労しているのは見るに耐えないと思ったおじいさん達のネットワークにより、評判は上々、むしろ人気はうなぎ登りで生徒数の増加を誇る講師が誕生した。
学生相手ではまず埋まらない、平日昼間レッスンに特化したのも良かったのかもしれない。とにかく担当コマ数が多い。
結果、人気でレッスンが順番待ちとなる日も近い、忙しい講師としての日々をおくっていた。
今回の番組の講師の件では、自分達の推しが初舞台にたつのを喜ぶように白熱したおじいさん生徒たちから励ましのがビデオメッセージとして届いていた。温かく見守っていただけるのはとてもありがたいことだが、子どもが好きで始めた教室なのになと腑に落ちないところもあるが、全てが納得出来る形にならないのが人生。
今は求められる限り頑張ろうと気持ちを切り替えることにした。
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三人目の挑戦者、祐美を指導することになったのは、ショパンを得意とする若手ピアニスト、羅木 工であった。
世界的コンクールの本選に出場するほどの優秀なピアニストではあるが、現在売り出し中ということもあって、テレビの仕事は大歓迎といった様子で、プロデューサーから大まかな説明を受け終わると同時に、さっさと契約書にサインしていた。
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以上のような経緯で、それぞれの熱意と理由をもって、街角で見つけた素人を指導することになった三人のプロのピアニストたち。
挑戦者の三人には、それぞれの職場から比較的近い場所に、集中して練習かつ寝泊まり出来るように部屋が用意されていた。防音設備の整った部屋にはグランドピアノが用意され、24時間練習することも可能な音大生にも人気のマンションだ。
それぞれの講師にも、いつでも指導ができるようにと、それぞれの挑戦者の隣に部屋が用意されていた。
こうして早々と準備が整うと、1ヶ月の勝負の幕が開けた。