表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

凶星世界

祓魔王国―永遠に続く冒険話―

作者: ラン_krrr

 少々長くなっております。

 お楽しみください。


 シャルフ・ファウストは己のこぶしが好きだった。


     ――――――――――Ⅰ――――――――――


「おかえりシャルフ、討伐お疲れ様」


「おう、また任せなァ……フッ…ハッハッハッハァ!」


 自分の発言が偶然にもかかっていることに気づいた屈強な大男―シャルフ・ファウストが腹を擽られたかのように大声で笑う。


 それはまるで仕事を終え帰宅した父のようであり、酒場で飲んでいた席に合流した友人のようでもあった。


 だがその場に居合わせた者は父の帰りを喜びもしないし、遅れてきた友を歓迎するためにジョッキを掲げることもない。

 当然、その者が父ではなく、ここが酒場ではないからだが。


 ここは謁見の間、そして豪快に笑うシャルフの前にいるのは紛れもなく王だ。

 王はシャルフの大声に対して苦笑いを浮かべながらも、その実不快感は微塵も感じていない。それはシャルフの性格を理解しているからであり、それを許容できるほどに彼らの付き合いが長いからだ。


 新緑の主、聖剣の勇者、星斬り、アダルシアの救世主……王を讃えた言葉は数あれど、友として語らえる者は少ない。

 シャルフは王の数少ない真の友の一人というわけだ。


「随分と早い帰還だったね。ボクの予想だとあと2年はかかると思ってたんだけど……その様子だと大した怪我も無さそうだね」


「当たり前よ、俺様を誰だと思ってんだァ?」


 謁見の間の空気が少しひりつく。それは近衛騎士達の王に対する忠誠の現れであり、つまりは王への礼儀が感じられないシャルフに対する怒りの現れであった。


 だが王はその態度を咎めることはしない。というより今更この程度のことで指摘する気にはならない。シャルフはこういう男だ。


「フッ……にしてもよォ、最近の討伐はぬるすぎだぜェ?本当に俺しかこなせないようなシゴトかァ?」


「そう言わないでくれよ。皆が頑張ってくれたおかげで世界は確実に平和に向かっている。弱い魔獣が数を減らしてるから、手伝ってくれる冒険者も減ってるんだよ。なにせ簡単に稼げなくなったからね」


「あァ、それは王様様だなァ!ハッハッハッハァ!」


 さらに空気がひりつくことを気にしてないのか気づいてないのか、シャルフはまたも豪快に笑う。言ってることは素直な賞賛なのだが、シャルフに邪な先入観を持ってしまった近衛兵達の評価は厳しい。


「ははっ……でも次の討伐は満足いく戦いができるかもね」


 それまで柔らかい表情を見せていた王の顔が突如真剣になる。

 その目は、悪人にとっては自身の罪を懺悔したくなるような感覚に陥る魔性の光を秘めていたが、実際は彼が人を驚かせる時にみせる顔だ。


「ぶはッ……まだその顔すんのかよッ 変わんねェなァ!」


 不意をつかれたシャルフが吹き出し、目を見開いて笑う。

 その顔は元から彫りが深いのもあって、見るものに少しばかりの恐怖を感じさせた。当然、王には見慣れた顔だ。


「だがまァ……手前てめェはそんなつまんねェ嘘は言わねェよな……っしゃあァ!!俺に任せとけェ!!」


 シャルフは謁見の間に響くような大声で自らの腕を高く振り上げた。

 王の前で武器を抜けば取り押さえる、その気概で構えていた近衛兵達は飛び出しかけ、しかしシャルフの手に持つ物を見て静止した。

 いや、正確には”何も持っていない手”を見て、だが。


 シャルフは武器を持たない。

 敢えて言うなら、”己の拳”が武器だ。

 ちなみにシャルフにとっての”拳”とは足も含まれているのだが、それを知っているのはシャルフと王だけだ。


「じゃあ後はいつも通りで。よろしく頼むよ、シャルフ」


「ハッハッハッハァ!!ハーッハッハッハァ!」


 よろしく頼む、と頭を下げる王の姿に近衛兵達は驚愕する。ある程度察してはいたが、それほどまでにシャルフは王にとって大切な友人らしい。


 驚愕している近衛兵を尻目に、シャルフは豪快に笑いつつ謁見の間から歩いて出ていってしまった。その歩みを止められるものなど存在しないと言わんばかりに、堂々と。


 謁見の間は、驚くほどの静寂を迎えた。



「……我らが王よ……彼は一体何者なのですか……?」


 静かな時を破ったのは近衛兵”魔石使い”エニロだ。幼き頃より魔の産物である魔石に興味を持ち、その事で迫害を受けてしまうも王に拾われた者の一人。今はその慧眼と子器用さを王のために役立てている。

 そのエニロが発言するべきと判断したのなら今がそういう時なのだろう、それが兵達の共通認識だ。


「シャルフは、そうだね……ボクの古くからの友人、ってところかな」


 王の答えはとても簡単なものだった。エニロはそれに「そうですか。ありがとうございます」とだけ答え、それ以上は聞かなかった。


 まだ若き王にとっての「古くから」はいつを指す言葉なのか。

 この場には国王が産まれる18年前より王国に仕える兵が数人いる。その数人は「シャルフ・ファウスト」という男を知らない。


 だが、誰もそれ以上は聞かなかった。

 王が詳しく話すべきではないと判断した。”だから”誰もそれ以上は聞かなかった。

 それこそが王の権威をこの王国で最も尊きものにする近衛兵達の忠誠の証明だ。


 ここは祓魔王国アダルシア、建国346年。

 魔を祓うために魔を喰らう、絶対王政を是とする王国である。



     ――――――――――Ⅱ――――――――――


 この世界の海は魔獣に支配されている。

 一度海へ出てしまえば最後、魔獣達が海を揺らし、空を飛び交う。その荒波を越えるために人類は幾度もの挑戦を余儀なくされた。


「……うェ……」


 現在、海を越えられるとされている船は世界に二隻とたまに一隻。そのうちの一隻がある国が祓魔王国アダルシアだ。


「うぅァ……おェ……」


 祓魔船アダルシア・ネルヤ。王国と同じ名を付けられたその巨大な船の上、短く切り揃えられた銀髪を風に揺らしながら、シャルフ・ファウストは病に侵されていた。


「聞いて……ねェぞ……うォ……」


 ”船酔い”。それは不治の病とされ、人類の海への進出を拒み続けてきた一因であった。


「海へ出るなんて聞いてねェぞォォォォ!!」


 シャルフに未だ克服の時は来ない。魔を祓い凪を進む船の上で、シャルフ・ファウストは王への恨み言を叫んでいた。


  ◀――◀――◀


「おゥマナ坊!大きくなったなァ!」


「あっ、シャルフさん!お帰りなさぁい!」


 人もまばらな冒険者ギルドの中、受付に立つ”マナ坊”と呼ばれた銀髪の女性が顔を輝かせながら銀髪の男を歓迎した。


「オーサマから指名の依頼届いてますよぉ」


 ”坊”と呼ばれるには艷麗すぎる容姿を持つその女性は、”坊”と呼ばれるのも納得しそうな幼さを感じさせる口調で銀髪の男に一枚の紙を差し出す。

 その所作は容姿を差し引けども美しく、彼女の経験と努力によって培われた受付嬢としての様式美とも言える動作だ。


「おう!じゃあなァ!」


 その紙を受け取った銀髪の男、シャルフ・ファウストは踵を返し建物の入口へ向かっていった。

 時間にして15秒程、あまりにも早い別れが――



「ちょちょちょちょぉ!待ってくださぁい!!」


「あ?他にもあんのかァ?」


「ありますよぉ!冒険の話聞かせてくださぁい!それくらいしか楽しいことないんですからぁこの仕事!」


 両腕を胸の前でぶんぶんと振り、マナ坊と呼ばれた女性、アルマナ・ファウストは今にも涙が浮かびそうな目で懇願する。


 アルマナは自分の仕事を天職だと感じている。

 作業速度、対応能力、本人にあまり自覚はないがその美貌も合わさり、自ら引き起こすミスというミスのことごとくを適切に処理できるほどにまでなった。


 だが、アルマナは自分に合った娯楽を知らなかった。

 演劇が苦手。昔の話を聞くと頭が痛くなる。

 読書が苦手。仕事としてじゃないと長い文章は眠くなる。

 遊戯が苦手。一緒に遊べる同年代の相手がいない。

 酒を知らない。飲んでいいとされる歳は過ぎているが、飲みたいとは思わない。

 色を知らない。彼女の貞操は王の権限で守られている。


 つまるところ、アルマナは仕事の中で楽しみを見つけるしかなかった。それが冒険者が語る冒険話を聞くことだった。


「んなこと俺様が知るかよ……別の男誘えやァ!」


「ううぅぅ……シャルフさんのばかぁ……」


 拒絶されたことがあまりにも応えたのか今度こそ目に涙を浮かべアルマナが台に突っ伏す。声だけでなく動作一つ一つにも幼さが出始め、既に受付嬢としての体裁は保たれていなかった。


 そこにあったのは二人の本来の関係である叔父と姪の姿だった。


「ぐすっ……次帰ってきた時にはちゃんと話してくださぁい!約束です!」


「そんな約束勝手にすんじゃねェ……」


「だからぁ……」


 突っ伏していたアルマナが勢いよく顔を上げ、目尻を赤らめてシャルフを見つめる。強い意志の宿った目だ。

 たまにアルマナがするこの目が、シャルフは少し苦手だった。


「絶対、無事に帰ってきてくださぁい……」


 この目を見たら最後、シャルフは約束を守らざるを得ない。もし破りでもしたら代わりになにか大切なものを失う、そう思えてならない。

 だから、いつも通り笑うことにした。


「……ハッハッハッハァ!俺様を誰だと思ってんだァ?」


 その言葉を聞いたアルマナは力を入れていた顔を緩ませ、貯まっていた涙がその弾みで一筋の線を頬に描く。


「ふふっ…ふふへへ……」


 同時に緩んでいたアルマナの口から気の抜けるような声が漏れる。

 昔と変わらないその笑い声を聞き、本当の笑みを隠すようにシャルフは踵を返した。今度は後ろ手に左手を振りながら。


「ふふへ……へへ……んふっ……」


 シャルフの出ていった建物の中、依頼の詳細な説明をしっかり伝え忘れたアルマナは、しばらくその事に気付かず泣き笑いを続けていた。


  ▶――▶――▶


「着いたァ……一体…何年経ったんだァ……?」


「30日くらいですね」


 少し前から見えていた島に船が着き動きを止めたのを確認し、シャルフが船を降りながら呻き声をあげる。

 人一倍海が苦手なシャルフにとって、わずか30日の航海は40年相当の苦行と化した。

 粗暴な彼だがしかし時間感覚には自信がある。だのにありえないほどのズレが生じた。それほどなのだ、シャルフにとっての苦手とは。


「ちッ……そんなにズレてんのかよ……さっさと終わらせねェとなァ……」


「場所は分かりますか?一番高い山の中腹が目的地ですからね」


 普段とは似つかわしくないほどの声量―それでも常人の普通くらいだが―で呟くシャルフに、横に立った王より同乗の任を承ったという哀れな船員の一人が答える。


 その船員を含めた船の作業員達は知らない。海に込められている魔力の真の恐ろしさを。

 王は何も伝えない。海を渡ることで起こる事の顛末を。


 シャルフは王がそういう男だと知っている。だから今更この船員達に答えを伝えることもしない。


「じゃあまた後でなァ……」


「はい。この辺りでお待ちしてますね」


 海を渡った直後で気分が上がらない。まあ目的地に着く頃には本調子になっているだろうと、シャルフは目の前に見える雄大な山々に向かって歩き出した。


  ――シャルフ・ファウストは無事に戻らなければならないのだ。


     ――――――――――Ⅲ――――――――――


 船の位置から最も高く見えていた山の一つ、仮に『一の山』としよう。シャルフは今その一の山の頂上にいた。


「……ああああァァァ!めんどくせェェェ!!!」


 馬鹿正直に直線的な道のりを選んだことをシャルフは少し後悔した。なぜなら見える、一の山の頂上からなら。


 ……船の位置とは反対側、今まで見えなかった一の山より大きな山々が。

 船に乗っていた時はこんな山々が連なっていそうな大きさの島には見えなかった。

 そう、ここは島のはずなのだ。ここは、明らかに――


「空間を拡げる魔力……しかも入って始めて認識するタイプだなァ」


 そうだと認識できたが最後、このような搦手はシャルフには通用しない。

 シャルフには見える、この拡張空間を形作る原因となっている魔力の流れ、そして根元にある本体が。


「……あれが…例のブツかァ?」


 それは3つほど先の山の麓にあった。形は棒状…いや、よく見ると十字になっている…ように見える。

 はっきりとしないのはシャルフと”それ”の距離が離れすぎているからだ。

 依頼書が無ければ”それ”が剣だとはなかなか思わないだろう。取り出した依頼書を読みながら、シャルフは経路を決めた。


「しゃあァ!見つけたぜ”魔剣”!!」


 気分も大分上がってきていたシャルフは一気に山を下り始めた。

 船員の、一番高い山の中腹が目的地という言伝もすっかり忘れて。


     ▶――▶――▶


 そこにあったのは、墓らしきものだった。

 少しだけ盛り上がった土の上、十字に組まれた木の枝が突き刺さっている。”それ”が何かと言われれば、墓だった。


「――――」


 ”それ”が剣でないことに気づいたのは、一の山を下り、山をひとつ越え、ふたつ目の山をある程度越えたあたりでのことだ。

 こんなところで誰が、誰のために墓を作ったのかは分からない。

 強力な空間拡張の魔力を有していることを見るに、かなりの使い手だったのだろう、シャルフはそう感心しつつ――墓を蹴り折った。

 死人に興味が湧かなかった。


 空と地が歪み、拡がっていた空間が圧縮されていく。

 高々と聳え立っていた山々が姿を消していき、比較的小さな山が一つか二つ、そして最も高いと言っても差し支えない山が残るのみとなった。


「…あァ!?マジかよ?!」


 圧縮されたことで目の前まで来ていたその高き山は、シャルフが頂上まで登り、新たな山々を見たことで一度候補から除外した山、「一の山」だった。

 単純なこと、正解の山は船から見えていた山で、シャルフはわざわざ関係のない墓を壊すために無駄足を踏んでしまったのだ。

 さらに不幸なことに、こちらから見れば中腹に大きな洞窟の入口が見える。

 またも馬鹿正直にシャルフは山を駆け下りてしまったのだ。


「あァー……流石に疲れたなァ……」


 今回の依頼は魔王が隠し持っていたと言われる”魔剣”の入手、そしてその魔剣の所在は王が祓魔船の船員に告げていた。

 最初は簡単な依頼だと思っていた。流されるままに船に乗り、体感40年海を渡り、無駄に山を3つ越えることになるとは全く思っていなかった。


「つまんねェ依頼渡しやがって……あの野郎やろォ帰ってぶん殴ってやるッ…!!!」


 今は行き場のない怒りを抱え、シャルフは一の山の中腹にある洞窟へと地を踏みしめながら歩き始めた。


 シャルフ・ファウストはまたも忘れていた。

 王は今回の依頼のことを「討伐」と言っていたことを。

 「満足いく戦いができるかも」とも言っていたことを。


 シャルフ・ファウストは知らなかった。

 洞窟の最奥で、魔剣を護る者の生命が脈動していることを。

 空間を圧縮したことで、その者の眠りを妨げていたことを。


     ――――――――――Ⅳ――――――――――


 洞窟の入口はかなり大きく、巨大な祓魔船がそのまま入りそうなほどだった。

 なぜそれほどまでに大きいのかについて考えるほどシャルフは思慮深くない。後先考えず飛び込んでいき、後になって「ああすれば良かったなァ」「そういえば聞いたことあったなァ」と思うのがシャルフだ。

 当然、シャルフは洞窟の中へ進む足を止めはしなかった。


 壁がぼんやりと光り、視界の確保に障害はない。典型的な、魔力に溢れた空間の特徴だ。

 その根源は洞窟の奥にある魔剣だろう、シャルフはそう結論づける。


 ――それが当たらずとも遠からずな結論であったことを、後にシャルフ・ファウストは知ることとなる。


     ▶――▶――▶


 しばらく歩き続けた後、”それ”は気づくと目の前にあった。シャルフがここまで気づかなかったのは、洞窟内に同じような魔力が常に溢れていたからだ。


 それは最初丘に見えた。しかし、よく見るとそれは煌めいていた。

 もしやと思い、目を凝らし魔力の流れを確かめる。


 見える。魔力に溢れて見辛いこの洞窟内でもはっきりと、土に突き刺さっている一本の剣と――その前で禍々しい魔力を脈動させる、巨大な生命が。


 ――眠りを妨げられた 巨躯なる魔竜が 目を開けた。


《―――――》


 魔竜の眼は真っ直ぐにシャルフを見つめていた。


 シャルフは理解が追いつかないでいた。こんな大物がいるとは思っていなかった。

 しかし今になって思い返せば確かに王は「戦いになる」的なことを言っていたような気もするし、依頼書の内容に対してマナ坊が大袈裟過ぎる反応をしていた気もする。


「あァー……そういえば言ってたなァ……」


 その呟きが、魔竜を触発した。


「!?危ねェ!!」


 今までの静かさからは想像もつかない速度で魔竜が頭をもたげる。

 それは考えるまでもなく、目の前まで迫っていたシャルフへ向けての攻撃であり、回避行動を取らなければ確実にシャルフの肉体をこそぎ落としていたであろう一撃だった。


「手前……本気マジで俺様とやんのかァ……?」


 正直なところ、シャルフはここまでずっと肩透かしを食っていた。それは船に乗ることになった時から始まっていた。

 シャルフは戦いが好きだ。だがシゴトとあらば自分の好みより優先すべきことがあるということは理解している。


 だが、シャルフは戦いが好きだ。


「よっしゃァ……かかってこいやァァァァ!!!」


《グオオオオオオオオオォォォォォォォァオオ!!!!!》


 シャルフの叫びに呼応するように魔竜が喉を震わせ洞窟を上下に揺らす咆哮を放つ。


 それが開戦の合図となった。


     ▶――▶――▶


 魔竜の山のような右腕がシャルフに向かって振り抜かれる。あえて飛び込み右腕の下をくぐる。そして隙だらけの脇腹に渾身の一撃を入れ――


 その瞬間、その場に留まるのも不可能なほどの大風が洞窟内に吹き荒れた。


 シャルフの体は洞窟の壁へと吹き飛ばされ、しかし垂直に着地し壁を破壊することで負傷を避ける。

 その右の拳は血に濡れていた。

 大風の瞬間、シャルフは既に一撃を入れ終えていた。しかしその一撃は魔竜の煌びやかな鱗―煌鱗に阻まれ、シャルフの右拳がひび割れる結果となった。

 そして、吹き飛ばされたことで――

 

「へェ……大層なモノ持ってんじゃねェか!!」


 魔竜の背にて存在感を放つ一対の翼がシャルフの目に映った。

 先程の大風は翼の羽撃きによって起こされたのだ、シャルフはそう考え、攻め方を変えることにした。

              ――まずは翼をへし折る。


 地を蹴り、瞬間、シャルフの姿が消える。

 ……少なくとも魔竜にはそう見えていた。


 上下左右そして前、視線を動かすも捉えきれず。

 まさか、まさか魔剣を……魔王様より守護を命じられた魔剣を…!


 魔竜が自身の後ろへ、勢いよく身体の向きを変える。

 その動作で床は削れ、払われた尾は壁を砕き洞窟を揺らす。


 そこには今までと変わらず地に突き刺さった魔剣が――


「うおおォォォォォ!!!」


《―――――――!》


 ブチブチと悲痛な音を立てて魔竜の右の翼が根元から千切れ始めた。

 先程脇腹に打たれた痒みとは比べ物にならない痛みが背を襲い、魔竜が身体を起こして抵抗する。


 その抵抗も虚しく、片翼は巻き上がった砂埃の中、地へと落ちた。

 ――翼を引き裂いたシャルフの、両腕の負傷を引き換えにして。


「もう吹き飛ばせねェなァ……?」


     ▶――▶――▶


 魔竜とは、魔獣の中でも高度な知能を持つ種の内の一体だ。

 人類の言語程度、理解することは勿論、真似することも容易い。


 だがこの男の言っている言葉は理解できない。

 否、言葉の意味は理解できるが、それを発せる理由が理解できない。

 翼を奪った、故に吹き飛ばされず戦える、これは分かる。

 だが、四肢の負傷とは人類にとって戦闘継続を諦めるに十分に足るもののはずだ。

 少なくとも今まで来た人類はそうだった。


 ある時は撫でるだけで盾が砕け、その裏にあった腕が千切れると嗚咽の声を漏らしながら外へ逃げていった。当然殺したが。

 ある時は吹き飛ばされたことで足が砕け、地を汚物で汚しながら這いつくばり許しを乞う姿をみせた。当然殺したが。

 人類とはそういうもののはずだ。簡単に負傷し、簡単に死ぬ。


 だのにこの男は自ら腕を差し出し、戦いを続けようとする。

 自ら不利な一手を打ち、逆境へと歩みを進めている。

 この男の思考が、理解できない。


 これ以上、《この男》に付き合うのは不味い。


     ▶――▶――▶


 シャルフを睨みつけていた魔竜が両の腕と脚に力を込める。

 それを見たシャルフは竜種の十八番、ブレスを警戒する。

 ブレスと言っても種類は様々だが、耐性を持つ内蔵と体内に内包された魔力によって放たれるその攻撃は生命を悉く薙ぎ払う。

 そしてそれらは全て竜の口から――


 ――その瞬間、魔竜が跳躍した。


 その跳躍は魔竜にとって、《強敵》と判断した者にしか使用しないと決めていた伝家の宝刀だった。

 ブレスの体勢からあえて跳躍しそのまま質量で押し潰す、回避されたとしても砕かれた大地によって《強敵》の肉体を破壊、それでも生き残った場合は追撃で確実に生命を奪う、巨躯なる一撃。


 ブレスのために横方向への回避を準備していたシャルフは体勢を崩しながらも洞窟の外へ向けて走り出した。

 だが今からでは間に合わない。警戒先を間違えたのだ。


 魔竜はその身体を降ろし――代わりに大地が轟音を伴い爆ぜた。


 下へ上へ上へ下へ左へ右へ右へ左へ乱反射。

 洞窟をかき混ぜるように岩とシャルフが跳ね回る。

 回避、回避、回避、掠り、回避、弾き、回避、弾き、弾き、右足が無くなり、回避、左手の指はもう無い、弾き、掠り、弾き、右肘の先が無い、回避、音は既に聞こえず、回避、掠り、回避、もう自由には歩けない、弾き、弾き、弾き、頭が無―――――





     ▶――▶――▶


 『おかえりシャルフ、討伐お疲れ様』


           『絶対、無事に帰ってきてくださぁい……』


  『はい。この辺りでお待ちしてますね』





  ――うるせェ…俺様の戦いにそういう言葉は要らねェんだよ……!



 シャルフ・ファウストは己の拳が好きだった。


 己の拳ひとつで戦うのが好きだった。


 己の拳以外の全てが、今は煩わしかった。


     ▶――▶――▶


《―――――》


 先程の岩と爆音の影響で魔竜の翼には穴が開き、煌鱗が少し剥げ、頭は揺れ、耳は暫く聞こえなくなっていた。

 ある程度の負傷は覚悟した一撃だったが、洞窟内で使ったのが初めてだったために想定以上の自傷をしてしまった。

 もう二度と使うことはないだろう、そう考えながらも魔竜は警戒の眼を緩めない。

 左腕以外の四肢が千切れるのを見た。だがそれでも《あの男》は跳ね回り岩を弾き続けた。そこから先は見えなかった。

 トドメとなる一撃を見られなかった、故に警戒する。

 腕一本になろうが逆境へ歩むかもしれない《あの男》が、あの岩の中から現れるのを――


「――フフ…ハッ……」


 やはり現れた、岩の中から、両の足で立ち上がっ…………?


「フ……ヒヒッ…!!フフヒヒ!!フフヒッ…ヒヒヒアヒャハハ!!」


 千切れたはずだ、あの足は。あの腕は。

 欠けてるはずだ、あの腹は。――あの頭は。


「ああああァァァァいてェなああァァァァ!?フヒヒハハハ!!!」


 イカれた笑い声が聴こえる、暫く聞こえないはずの耳で。

 欠損を再生する頭が見える、揺れが収まらない視線の中で。


「これだよこれェ!!!これが”戦イ”だァ!!!!!」


 狂っている。


「なァァ!?もっかいやってみろよォ!!?!さっきのこうげきィ!!こんどはブンナグってつぶしてやるからさァ!!?!!アヒヒャヒャ!!」


 《この男》は狂っている。


《――――!! グオオオオオォォォォォォオオ!!!》


 初めて魔竜は、人類を恐怖した。


     ▶――▶――▶


 感覚を取り戻した時、シャルフの身体を快感が駆け巡っていた。

 全てを忘れ、己の拳で戦うことだけを実行したシャルフの脳は、シャルフの全てを肯定するかのように快楽物質を溢れさせていた。


「――――――――あァ」


 目を開くも、どうしてか薄暗い。

 たしか……確かこの洞窟は魔力が溢れていて、常にぼんやり光っていたはずだ。しかし光量があまりにも足りず、辺りを見回し――


 ――腹に大穴を空け、首を捻じ切らせて死んでいる魔竜を確認した。


「そういえばいたなァ――手前てめェ


 快楽が溢れた頭ではあまり物事を記憶できない。

 いっぱい殴ったことは覚えてる、己の拳を好きなだけ振ったことを。


 少しづつ、少しづつ冷静さを取り戻し……


 シャルフ・ファウストは己の拳以外を思い出した。


     ▶――▶――▶


 魔剣を背負い、シャルフは船へと戻ってきた。

 戦っていた時の記憶はあまりなく、快楽だけを覚えている。

 この感覚を味わえた討伐は久しぶりだ。


 とはいえ今回ばかりはその快楽だけを持ち帰るわけにはいかない。

 マナ坊に約束を取り付けられている、冒険話をすると。

 しかたなくあの魔竜についてシャルフは考えを巡らせる。


 洞窟が光っていた魔力の発生源、それは魔剣が発する魔力を主食とする魔竜から漏れ出たものだった。

 魔竜を倒したことで洞窟内へ散っていた魔力が消失し、魔剣から洞窟へ再蓄積されている途中でシャルフが感覚を取り戻した。

 そう考えるのがしっくりくる。

 もしかしたらあの魔竜が周りの魔力を使う攻撃等を使った可能性もあるが、生憎何も覚えていない。


 ……それにしてもあの跳躍は見事だった。

 あのような技量を持った竜種は生まれて初めて見た。

 またいつか、戦える日が来るだろうか。


「おお、シャルフさん!ご無事でしたか!」


 あの時軽い別れを告げた船員がシャルフを出迎える。

 そこには船着場のようなものが設けられ、いくつかの仮拠点らしき建物が立ち並んでいた。


「あ?なんだこれは」


「そういえばシャルフさんには伝えてませんでしたね。これが我々がシャルフさんの送り届けと一緒に承っていた仕事、この島の開拓です!」


 あァなるほど、とシャルフは合点がいった。

 すぐに使うでもない魔剣を取りに行くためだけにわざわざ祓魔船を出すとは思えなかったが、それは領地拡張のためだったのだ。


「……お前ら…ここに残るってことかァ?」


「ええ、シャルフさんをアダルシアに送り届けた後、またここで開拓を続けるように言われてますので!」


 シャルフは嬉しかった。

 自分と同じ”時間”を生きてくれる人が沢山いる、それだけで笑みが零れた。


     ――――――――――Ⅴ――――――――――


 体感40年の船旅を終え、シャルフ・ファウストは祓魔王国アダルシアへと戻ってきた。

 船を降りた瞬間しゃがみ込み、地面に頬を擦り付けるほどにまで憔悴しながら。


「お疲れ様でした!我々はまたあの島に戻ります。なぁに片道30日ほどですから、また会えますよ!」


「そこは別に心配してねェがなァ……じゃ またなァ!!!」


「はい!また!――あれ、あんな建物あったっけ…?」


 友となった船員に別れを告げ、シャルフは町へと歩み出した。

 本来なら受けた依頼―○○を何匹狩ってこい、△△を取ってこい系―の達成報告は冒険者ギルドで行うのが主だが、王からの指名依頼は直接城の謁見の間で伝える形式になっている。

 アル坊に会ったら長話させられんだろなァ と考えたシャルフは、一足先に城へ行くことにした。


 考えることばかりで、少し嫌になった。


     ▶――▶――▶


「”歓迎しろォ 俺様のご帰還だぜェ!!!”」


 直前まで静かにしていた 禍々しい大剣を背負った屈強な大男―シャルフ・ファウストが、謁見の間に入るなり両手を挙げて叫んだ。

 ここまで我慢したのはシャルフなりの処世術であり、叫んだのは王と話して決めた、所謂合言葉の前半部分だ。


 近衛兵達が不意をつかれて武器を抜き、シャルフを囲もうと動き出した。

 が、それを”女王”が手のひと振りで制す。それだけで近衛兵達は武器を収め、定位置へと戻っていった。


「”おかえりシャルフ、討伐お疲れ様”」


「あ?今回は女かよ!相変わらず手段を選ばねェなァ手前はァ!」


「そう言わないでくれよ。ボクだって選り好みできるほど余裕があるわけじゃないんだ」


 祓魔王国アダルシアの王―時に女王である―は肉体を乗り換え、その権威を確固たるものとしている。

 その技術は魔に通ずるものであり、魔を祓うために魔を喰らう祓魔王国アダルシアの中で最も恐ろしき技術と言っても過言ではない。


「それにしても、海に出たにしては随分と早い帰還だね。ボクの予想だとあと100年はかかると思ってたんだけど……思ったより早く死んだんだね?」


「死んでねェ!!死にかけたら勝手に再生するだけだァ!!」


     ◀――◀――◀


 極力死なないように戦いはするが、どうしても避けられない場合がある。

 今回の魔竜の跳躍がそれだ。

 そして致命傷―大体は頭が潰れることだが―を受けると再生が始まる。

 頭が潰れているためか再生開始からの記憶がほぼ無くなり、周りの生物を破壊し尽くすまで快楽物質を脳が出し続ける。

 それが魔王の実験によって生まれた人型魔工生物であったシャルフとその兄弟達であった。

 シャルフらは魔王の”効率的に人類を殲滅するための実験”の犠牲者であり、その人生は文字通り生き地獄だった。


 だが聖剣の勇者が魔王を斬ったことでシャルフ達は解放され、そのまま建国してアダルシア王となった聖剣の勇者に拾われた。

 その恩からアダルシア王への忠誠を誓い、そして自分達が魔工生物であることを忘れぬよう魔王と同じファウストの姓を名乗ることにした。


 ファウスト家は共通して長寿であり、建国から400年を越えてなお、アダルシア王家のために世界を飛び回っている。

 王に無断で子を作った者が一人いたが、今はその罪を許され心を入れ替えて世界を飛び回り、たまに完了報告のため王国に戻り、また世界を飛び回っている。


 子をアダルシア王国に たった一人 残して。


     ▶――▶――▶


「あァそういえば、死にかけたから時間感覚が合ってるか分からねェ。今ァ建国何年だァ?」


「うん。445年だよ」


「えェと…航海の40年を二回引いて……19年かァ?!やっぱあの島も緩やかだが時間が遅れてるみてェだなァ!!」


「うん。聞きたいことを先に言ってくれて助かるよ。開拓が終わるのは何千年後になるやら」


「どうせ新しい船出来てんだろォ?たまにあの島ァ通るシゴトくれよ!」


「珍しいね。シャルフが戦い以外を求めるなんて」


「ハッハッハッハァ!」


「おや、気まずい時の笑い方だね。友達でもできたかい?」


「ぐゥ……」


     ▶――▶――▶


 女王へ魔剣の受け渡しを行い、今回のシゴトは終わりを迎えた。


 相も変わらずシャルフ・ファウストは豪快な笑いをして謁見の間から出ていってしまった。


 あの男は一体誰なのか、疑問を覚える者は少なくない。

 だが、誰も女王に質問はしない。

 女王が話さないと判断した。”だから”誰も何も聞かなかった。

 それこそが女王の権威をこの王国で最も尊きものにする近衛兵達の忠誠の証明だ。


 ここは祓魔王国アダルシア、建国445年。

 魔を祓うために魔を喰らう、絶対王政を是とする王国である。





               完                







…………………………………――蛇足――…………………………………


「おゥ、マナ坊!また大きくなったなァ!」


「シャルフさぁん!!お帰りなさぁい!!」


 閑古鳥が鳴く冒険者ギルドの中、受付に立つ”マナ坊”と呼ばれた銀髪の女性が顔を輝かせながら銀髪の男を歓迎した。


「冒険話!冒険話聞かせてくださぁい!!早くぅ!!」


 ”坊”と呼ばれるには艷麗すぎる容姿を持つその女性は、”坊”と呼ばれるのも納得しそうな幼さを感じる口調で銀髪の男―シャルフ・ファウストに冒険話をせがむ。

 

「おう!あれは町の入口で指定の馬車を探してた時のことだがなァ……」


「わぁい!!シャルフさん大好きぃ!!」


受付のカウンター越しに身を乗り出してマナ坊―アルマナ・ファウストが勢いよくシャルフに抱きつく。

 他に音のない建物の中、カウンターの軋む音だけが響き渡った。


     ▶――▶――▶


 アルマナは冒険者が語る冒険話以外の娯楽を知らない。

 シャルフの冒険話は長らく待ち望んだ希望であり、約束を守ってくれたという信頼の証でもあった。


 この話が終われば、シャルフはまた遠くに行ってしまうのだろう。

 アルマナはそれが悲しかった。

 だから、その”願いを叶える目”で約束をする。



    願わくば永遠に続く冒険話を

     願わくば永久なる王国に繁栄を、と。

続編はシャルフの冒険話が終わる頃にでも。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ