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怪しい学司

◆◆◆


 翌日。

 徹夜明けの青波は、寝不足で倒れてしまいそうだった。明淑から夜遅くまで、後宮や皇帝の側近の話を聞き、それから、春霞に明淑の話していた学司に会いたいと延々訴えていたら、夜が明けていたのだ。


『だから、行かない方が良いって言ったのに』


 今日も隈一つない麗しいご尊顔の春霞だったが、その表情は曇ったままだ。

 理由は単純だ。

 青波に根負けして、学司のことを話してしまったことが不服なことと、口にしていた通り、その学司が「危険人物」だったということだ。


 青波は、突如攫われてしまったのだ。

 ――その「学司」とやらに。


「あの、これは一体?」

「大丈夫です」

「はっ?」

「問題ありません」 


 綺麗に主語が抜けている。後宮の学司という看板を背負っているくせして、言葉が不自由な人のようだ。

 その男は、感情の揺らぎを一切見せなかった。

 青波は学司に会うなら……と、春霞に言われた通り、夕食の前に、尚寝殿の隣、芳正殿の中庭の木に、裁縫係の女官から分けて貰った青い糸を結ぼうとした。そこに首尾よく、この男が現れて、青波の名前と所属を聞き出した後、突然、袖を掴み、強引にこの室へと運んだのだ。

 ――長い道程だった。

 最下層の女官の在所である尚寝殿は、朱微殿の外れに位置しているので、他の場所に移動すること自体、重労働なのだ。ただでさえ、隣の芳正殿に行くのに、体力を使ったのに、この男は朱微殿の心臓部、麒最殿を目指した。

 息も絶え絶えに、埃と書物に埋もれきった一室に辿り着いたところで、しかし、男は青波に休憩すら与えることなく……。


「瞬 青波殿。陛下が貴殿を私に引き合わせたのですか? 答えて下さい」


 早速、尋問を始めてしまった。


(信じて良いのだろうか、こんな危ない人を)


 第一、学司っぽくないのだ。

 青波が抱いていた学司の印象は、繊細で線の細い、老人のような人物だった。しかし、彼は若々しく、筋肉隆々で背も高い。武官のような居住まいをしていた。

 悪い人ではなさそうだけど……。

 正直に話そうか、考えあぐねていると、男の方が痺れを切らして口を開いた。


「皇帝陛下のお命が狙われている……と。貴殿は私に伝えたかったのではないですか?」

「なぜ、それを?」


 驚きの余り、ひっくり返りそうだった。

 燭台の灯に晒されている男の袍服の色は、深緑。大きく九つに分かれた身分の等級にして、真ん中くらいの地位にいる人のようだ。

 学司というのは、それほど官位が高いわけではないらしい。平時であれば、皇帝に直言できるような身分でもなかった。 


「ああ、失礼。まずは自己紹介ですね」


 男は青波の身分を知っているにも関わらず、丁寧に頭を下げた。


「私は学司の一人、国史を教えているそう 景和けいわと申します。強引に私の室に連れてきてしまったことを、お詫び致します」 

「いえ、私は大丈夫ですから」


 むしろ、あんなに目立ってしまった方が、危険なのではないか?


「ちなみに、尚寝殿には、貴殿を連れ出したと伝えておいたので、安心して下さい」

「はあ」


 開口一番の「大丈夫」は、このことだったらしい。

 困惑して、春霞に視線を向けたら、彼は景和が開いたままの書物に目を留めていた。自由すぎ……だ。


「私は陛下から、後宮の情報を集めるため、学司として送りこまれたのです。私も、ここにしかない蔵書に興味があったので、陛下の命を喜んで賜り、宦官として学司を務めることにしました。貴殿が持っていた青い糸は、陛下と私の合図です。いつも、夕餉の前に、話したいことがある側が木に結ぶのですよ」

「そうだったんですか」


 彼との繋がりに関して、春霞からは一切の説明がなかった。春霞からはただ「危険な学問莫迦だから近づかない方が良い」と、粘着質に言われ続けただけだった。


「限られた者しか知らない呼び出し方を貴殿が知っているということは、陛下と近しい方だと思いました。その陛下は、謎の病で瀕死の状態。この二日間は完全に沈黙されているので、暗殺を疑ったのではないかと……。そう、考えた次第です」

「お会いして早々申し訳ないのですが、陛下について、ご存知のことはありませんか?」

「そうは申されましてもね。陛下がお命を狙われることは、年中行事のようなもので」

「年中行事?」


 そこまで、皇城は危険な場所だったのか?

 無知なまま、送り出してしまった六年前の自分を殴ってやりたかった。


「それに、今回の病を公表した後も、私はあの方と何度も書簡のやりとりをしていましたからね。最近まで、後宮で働く人間の名簿を隅々まで読んでいたそうですよ。変ですよね。常人よりも倍、頑丈なお方なのに、ここ二日で突然、昏睡状態に陥るなんて……」

「……今、何て?」


 景和は青波の動揺に気づいたのだろう。今度はゆっくり、様子を見ながら、言葉を繰り返した。


「陛下は、常人より倍、頑丈な御身体をされていらっしゃいますよね」

「ご存知だったのですか?」


 春霞は誰にも自分の体質のことを話していないと訴えていたが、あれは嘘だったのか?

 しかし、青波の心を読んで、景和は先回りで否定した。


「ああ、違います。陛下は私に何も話してはいません。あの方は、誰も信じていませんから。ですが、傍で見ていれば、異様に傷の治りが早いことくらい察します」

「そんなに早いですか?」

「私が見たところ、化け物並みですね」

「化け物……」


 酷い言われようだ。

 青波のせいなのに。

 下を向くと、一つに緩く結っていた髪から、ほつれてしまった一房が、前のめりに落ちた。


『青波が気にする必要ないんだからね』


 呼び掛けてくれている春霞の声が遠い。

 そうして、黙り込んでしまった青波に、優しい声音で、景和は追い打ちをかけてくる。


「貴殿のその口振り。陛下とは幼馴染ですよね。陛下は即位前、燕州にいらっしゃった。貴殿の姓は「瞬」。瞬家は燕州の刺史に仕えていた武官の家柄。陛下の母君の御実家の警備の任に当たっていたはず。陛下と貴殿が知り合ったのは、そういう縁でしょう。しかし、瞬家は七年前、大逆の罪で一族諸共、死罪を命じられてしまった」

「そんなことまで、ご存知なんですか?」


 ――図星だ。

 七年前、瞬家は大逆の罪を犯したと、嘉栄から濡れ衣をきせられ、罪人となってしまった。何とか家族は燕州から逃げ切ったが、世間から身を隠さなければならなくなってしまった為、青波は春霞の傍にいることが出来なくなってしまったのだ。……結果、春霞は刺客の手によって致命傷を負ってしまった。


「幸い、瞬家で捕えられた者は一人もいなかったそうですが、それでも大逆の罪を背負い、逃亡までしておりますからね。汚名をそそがない限り、官吏に返り咲く道はない」


 姓を名乗ったのが、いけなかったのか……。

 しかし、そんな地方の一事件を把握している者など、皇帝も代替わりした現在、誰もいないと思っていた。「瞬」という姓は確かに珍しいが、名乗ったところで、燕州以外の人に、青波が何者であるか、気づかれたことはなかった。

 霜 景和。一体、何者なのだろう?


「私はこの国の歴史を学ぶことが好きで、物好きが高じて、学司になりました。特に現実味のない神話などを好んでいましてね。陛下も熱心に神話を……「瞬氏」について調べていらっしゃったので、その縁で、信頼を寄せて頂くことができたのです」


 回りくどい物言いと、すべて見通していると言わんばかりの微笑。

 春霞が頼りたくなかった理由が分かってしまった。

 景和は青波が困惑しているのを承知で、口を動かし続けた。


「八百年前、透国の東に「瞬」という国がありました。古文書によると、その王家の者は聖獣を思いのままに操り、過去と未来を自由に見聞する異能を持ち、遥か千里の彼方まで見通すことができる目を持っていたとか……。貴殿は瞬氏の末裔ではないのですか?」

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