朱里の宝物
「えーっと……これと、これ……見せてください!」
数日前、朱里と一緒に百貨店へデートに来た。化粧品のストックが無くなりそうだからと言う朱里に同行させてもらったのだ。そのときに、時期的に朱里が好きな宝飾ブランドの新作が出ているだろうからとアクセサリーも覗いて行こうとなり見て回った。
「この指輪、見せてもらえますか?」
「こちらですね? 少々、お待ちください!」
ガラスケースの中から朱里が自分の好みのものをご機嫌で指定する。
「お客様の指は細いですから……こちらも素敵だと思いますよ?」
店員さんが、朱里に似合いそうな指輪を他にも選んでいく。トレーの上に並ぶ指輪は、ピカピカとダイヤが光っているものばかり。どれもこれもいい値段で、目がチカチカする。段々と店員が出す商品の値段も上がっていき、最終的に朱里が気に入ったと目をつけたのを僕は見逃さなかった。
「うーん、もし買うとしたら……これかな?」
「どれどれ?」
朱里が、選んだのは本当に気に入っている指輪とデザインは同じで、値段が少しだけ安いものだった。
「どう? 似合う?」
「朱里は、何でも似合うからな……」
「それ、何でもいいって言われているみたいで、嫌だな?」
「そんなことなくて、本当にそう思ってるんだけど……」
「じゃあ、ゴスロリとか着たとしても?」
極端なファッションを言われ、少し遠い目をして想像してみた。いつもの朱里は、職場では出来るキャリアウーマンであり、家では緩い感じのほわっとした服を好んで着ている。
ゴスロリ……さすがにイメージがつかない。
「うん……以後、気を付けます」
朱里は笑っているが、「似合わないのか……」とちょっと残念そうだった。
「……お客様?」
先日、ここで朱里と話していたことを思い出して、ぼんやりしていたら、店員に呼びかけられた。
「あっ! すみません。あの、これとこれの違いって、何が違うのですか?」
「指輪の地金が違うんです。こちらは、24金となりますし、こちらがプラチナ。この前、一緒に来られた女性へのプレゼントですか?」
「えぇ、そうです。というか……」
「失礼ですけど、結婚指輪ですか?」
「えぇ、ダメですかね?」
店員は先日、朱里と一緒に見に来ていたことを覚えていたらしく、優しく微笑んでいる。
「最近では、デザインリングを結婚指輪として渡されてる方もみえますし、お相手にも喜ばれたと聞きます。あの方ですとこちらのプラチナの方が、たぶん……」
「ですよね? 僕もそう思います。僕のお財布事情で、こっちがいいって言ってくれたのかと。朱里は、こっちに目が行っていたので……こっちをください! あと、これとペアになりそうな指輪ってあるでしょうか?」
ニッコリ笑う店員。次なるは僕の指輪をお願いしたら「そうですね」と悩んでいる様子で、ガラスケースの中を視線で探している。
「ご予算にもよりますが、婚約指輪はお渡しになりますか?」
「あっ! 婚約指輪なんて考えてなかったです……」
「でしたら、こちらの指輪を婚約指輪に、他にシンプルなペアリングを結婚指輪として彼女に贈られるのはどうでしょうか?」
商売上手な店員にうまく誘導されている気がする僕は、「少しだけ考えさせてください」といい、一旦その場から離れることにした。キラキラ光る宝石を見ながら、少々光の強い照明の中にいると、変な汗がどっと出てくる。実は、背中が汗でベタベタになってきたのだ。
「メッチャ、緊張するんだけど……」
ベンチに座り休憩をする。一人で朱里に贈る指輪を買いに来たのだが、「あぁ、そっか……。結婚指輪と婚約指輪があるのか……」と僕は独り言ちた。気を取り直して、さっきの指輪を思い浮かべた。
そして、その指輪をした朱里を想像する。
「似合うよな……あの指輪以外はないんだよな。同じリングは、諦めるかな」
自分の左薬指を見る。お揃いの指輪が嵌っていることを想像すると、にへらっとしてしまうが、朱里の指にあの指輪以外が嵌っていることが想像出来なかった。
「時計……は、普段しないんだよな、二人とも。二人ともが身につけられるものって……何かあるかな……? そっか、さっきも店員さんが言ってたけど、別に同じデザインじゃなくてもいいんだよな?」
僕は、もう一度、考え抜いたうえで、あの煌びやかな場所へと戻ることにした。
「おかえりさない」
「あ……ども」
「お決めになりましたか?」
「はい、やっぱり、さっきの指輪にします。サイズは……」
「たしか、9号でしたね?」
店員が覚えてくれていたようで、買うための手続きをするため椅子に座るよう案内される。
「では、こちらのデザインのものでご用意させていただきます。石なのですが、一番いいものが使われておりますのでこちらをそのまま使わせていただきます。あと……」
「あっ! 僕のですよね! 同じ材質の結婚指輪みせていただけますか?」
「少々お待ちください!」
ニッコリ笑って奥へ引っ込んでいく店員を見ながら、ドキドキと慣れないことをする僕の心臓の音が煩い。
「これだけで、15万か……高いな……でも、一生ものにしてもらえるなら、安すぎるのか。朱里、喜んでくれるかな……」
待っている間、考えていることが口から言葉として出ていたらしい。
「彼女さん、喜ばれると思いますよ! ご自身で選んでいらしたので。ペアの方の結婚指輪をお薦めしようかと思っていたのですが、いたく気に入られていたので、私はお客様には是非これを! と思ってました」
店員が僕の言葉を拾ってくれたようで、恥ずかしい。でも、気になることがあった。
「あの……僕たちに結婚指輪を薦めようとしたんですか?」
「はい、そのつもりで彼女さんは来られていたでしょ?」
「えっ? そうなのですか? 僕、朱里には何も話してないですけど……」
「あぁ、じゃあ、彼女さんが知らないふりをしていたのでしょうね。優しい方ですね!」
「あ……はい……」
僕は、朱里の掌の上で転がされていたらしい。それでもよかった。朱里が、僕との将来を考えてくれたことに他ならないのだから。何食わぬ顔をして、僕も安心して朱里にプロポーズすることが出来る。
「こちらの指輪はいかがですか?」
店員が出してくれた指輪は、同じ地金のプラチナ。シンプルであったが、裏側に刻印と誕生日石が入れられるらしい。
「彼女さんのお誕生日である8月はペリドットですね。太陽の石と呼ばれるもので、夫婦愛の意味もありますから、ご結婚されるに当たって、とてもいい意味を持ちますよ。お客様は何月生まれですか?」
「僕は、3月です。どんな石になるのですか?」
「3月はアクアマリンです。航海のお守りの石で、こちらには幸せな結婚という意味がありますよ!」
「へぇー石に意味もあるんですね……じゃあ、二つ入れてください」
「彼女さんの方にも入れますか?」
「入るなら、お願いします!」
「かしこまりました」と店員が書類に必要事項を書き込んでいく。そこで、目にとまったものがある。刻印欄には、すでに見知った字で記入されていた。
……そういえば、さっき、店員が朱里の誕生月の話してたけど、僕言ってないよな?
「あの……もしかして?」
「えっ?」
「刻印のところです、僕の方の……」
「あぁ、すみません。見えてしまいましたね」
「これは、朱里が?」
店員はばつの悪そうに答えてくれ、完全に僕が近いうちに、ここにくることがわかっていたようで、なんだか恥ずかしい。
「あの、これって……」
「あかりの宝物って意味ですよ」
「朱里の宝物……?」
「愛されてますね!」
店員に指摘されると、僕は恥ずかしくなり、小さく「……はい」と返事をする。嬉しいはもちろんあるが、それ以上に恥ずかしいが勝ってしまった。
「あの、僕も彼女の指輪に刻印を……」
「はい、何になさいますか?」
「同じようにしていただけますか?」
「かしこまりました」と店員は書き込んでいく。店員が書き入れていくものを見ながら、朱里がこの刻印を選んだ理由を考える。答えはでず、同発音するのかも微妙だ。ただの文字が並んでいるだけなのに、すごく特別なことのようで、嬉しかった。
僕は支払いを済ませ、百貨店を出た。
いろいろと思うところはあったけど、朱里が僕との将来を少しでも考えていてくれることがわかったことが、何より嬉しい収穫であった。
1ヶ月後、指輪が出来るまで、二人で何食わぬ顔をして過ごすのかと思うと笑えてくるけど、朱里が予想しているような、プロポーズだけはしないでおこうと……心に誓うのであった。
◆
「おかえり!」
「た……ただいま。今日は早かったんだね?」
「うん、今日は外に出てたから、そのまま直帰したの」
「そうなんだ……」
「裕は、お昼からどこかへ行ってたの? お休みだったよね?」
ここで、素直に百貨店とは言えない。なので、とにかく誤魔化すことが大事だとそれっぽいことをいうことにした。
「えっと、大学のときの友人に浩司ってやつがいてさ、そいつに彼女が出来たって連絡がきたから話を聞いて、1ヶ月後ぐらいにからかいに行こうって話が他のやつらと出てて、その打ち合わせに……」
「ふぅーん、そっか。ご飯は食べる?」
「あ、うん、食べる。朱里は、もう食べたの?」
「まだだよ! 裕が帰ってからにしようと思って! じゃあ、温めるから着替えておいでよ!」
「わかった」といい、そそくさと自分の部屋へと入っていく。
「そういえばさ」
「……何?」
「そのブランドの香水って……鼻につくね!」
「えっ? 香水?」
朱里に言われスーツを嗅ぐとふんわりとあの百貨店でお世話になった店員の香水の移っていたようで、朱里が怒っている。とってもまずい気がして、恐る恐る部屋から朱里を盗み見ると、やっぱり機嫌が悪そうだ。
ここで言い訳をしても……わざとらしくならないだろうか?
でも、怒ったままだと、今後の予定に影響が出る場合がある。どうしたものかと考え、本当のことを言えないもどかしさでグルグル頭を巡らせる。
「あの、朱里……さん?」
「何?」
「怒ってらっしゃいます?」
「ん? 別に?」
「いえ、あの……いつもの優しい声じゃなくて……その、できないやつを冷ややかに罵倒しまくっているときのお声ですよ?」
「そう?」と何食わぬ顔でこちらを見てくるが、その目も……怒っていらっしゃいますよ? 僕は、それ以上は口を閉じ、大人しく、「ごめん」と謝る。
「何か謝らないといけないようなことしたの?」
「いえ、何も……」
「自分の心が軽くなるためだけに謝るのはよくないよ!」
心の中では、あなたへ贈る指輪を買いに行ってたんですよ? と呟くが、伝わるハズもなく、虚しく無言の夕食となった。
◆
「世羅様、ご注文いただきましたモノが出来上がりましたので、お時間のいいときにお越しいただきますようにお願いします」
喧嘩の元となった、例の店員からの電話であった。隣に座る朱里からの視線は、未だ厳しいものではあったのだが、少しずつその怒りも和らいで来ていたところへの電話だったので僕は強張る。
「あの、朱里さん……」
「どうしたの?」
「明日、お休みをいただいても大丈夫ですか?」
「明日? えぇ、特に急ぎもないから大丈夫だけど……何かあったの?」
上司っぽい顔をしていたが、最後の方は完全に彼女としての質問である。先日、やらかしたばかりなので、その視線は冷たいものだ。
「いえ、特に何もないんですけど……」
「そう、わかったわ! ゆっくり休んでね!」
ニッコリ笑って休暇を許可してくれたことが、逆に怖かった。
実は、まだ、冷戦状態なのだ。あの日以来、朱里はご機嫌麗しくなく、触れることすら許されていない。早く仲直りしたい僕としては、一刻も早く、作戦実行させてしまいたい! そんな気持ちが先にきてしまう。
朱里の帰宅時間は、午前様で相当詰め込んで仕事をしているようで僕が寝た後に帰ってくることが多くなった。避けられているのかな? と思うと、だんだん寂しくなる。
◆
次の日、有休を取った僕は、朝いちばんで百貨店へと足を運ぶ。
「世羅様、お待ちしておりました!」
百貨店の店員は、僕を快く向かえてくれるが、今日はなるべく彼女には近づかない。彼女のこの香水のおかげで……今現在、朱里とは家庭内別居状態なのだ。早く、終わらせたい一心であった。
「こちらになっております」
パカッとケースを開けてもらうと、2つのリングが並んでいる。店員は、白い手袋をつけ、その指輪を手に取って注文通りかを確認していく。
「では、こちらでお渡しは完了となります。この度は、ご購入ありがとうございました! プロポーズ、うまくいくといいですね!」
ニッコリ笑う店員に愛想笑いだけして、僕は家へと急いで帰った。
「これで、僕は女性ものの香水の匂いについて、朱里に話せて弁明も可能になったかな?」
プラプラと紙袋に入った指輪のケースを見ながら、ほくそ笑む。
家に帰ってからは、リビングを掃除して、プロポーズ仕様へと変えていく。夕飯も朱里の好きな煮込みハンバーグを作ろうと準備完了だし、それっぽく演出できるように高めのシャンパンも買ってきた。
この1ヶ月、コツコツ準備をしてきたのだ。これで、朱里が機嫌を直してくれなかったら……打つ手はないし、断られたらどうしようかと、ネガティブな考えが次から次へと思い浮かんできた。
「はぁ……まず、今の状況でプロポーズして、成功するのかな……」
ため息ばかりが出てくる。
全ての準備が終わった時点で、朱里に連絡を入れる。
『何時頃、帰ってこれそう?』
すぐには連絡が来ず、待ち続け1時間経った頃、やっと返事が来た。
『会議行ってて、返事遅れちゃった。ごめん。今日は、金曜だから、めいっぱい残業かな? どうかした?』
『そっか、お疲れ様だね……何でもないから、大丈夫だよ』
朱里からの返事に返したら、涙が溢れてスマホの画面が歪む。
「大丈夫じゃ、ねーよ。早く帰ってきて……」
カーテンを閉めきり真っ暗な中、ずっと膝を抱えてリビングで座っていた。ガチャっと玄関が開く音がして、我に返る。
「……裕?」
真っ暗中ずっといたため、電気をつけられ、眩しすぎて目がチカチカする。
「……おかえり」
「急いで、帰ってきたんだけどね……これでも」
時計を見ると、まだ7時にもなっていない。めいっぱい残業をすると言っていた朱里にしては早い帰宅だった。
「どうして……?」
「帰った方がいい気がして。今日、私の誕生日だったんだね……」
「気が付いてなかったの?」
「うん、いつも祝ってくれる人、いなかったから、忘れてた」
苦笑いする朱里を見て、ホッとする。僕がよく見知った、優しい朱里だったからだ。
「準備してくれてたんだね……ごめんね、冷たかったかな?」
「いい、大丈夫だよ。それより、誕生日お祝いしよう!」
「ありがとう!」
「準備するから、着替えてきて!」
朱里は部屋へ着替えに行き、僕はキッチンへ向かう。いよいよだと思うと、緊張で空っぽの胃から何か出てきそうだ。でも、僕は、朱里に言いたい。「朱里と一緒に歩む未来を夢見ているんだ」と。
煮込みハンバーグを温め終わった頃、リビングのいつもの場所に座って、僕が作った煮込みハンバーグをまだかまだかと待ってくれている朱里を可愛いと思う。それと、同時に、世界で一番愛しい。
僕の方を向いた朱里は、向日葵のような笑顔で僕に笑いかけてくれるのであった。
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